第49話「新たな時代」
ハロワン第49話「新たな時代」
終焉のオーデによる破滅の恐怖が去ってから約1か月。
この闘いで”残された者”たちは、皆それぞれの形で次の人生の幕を開けようとしていた。
決壊したクロノス玉座の間では新死神の即位式が執り行われるが、そこにかつての死神――そして終焉のオーデを鎮圧した産土と陸の姿はなかった。
P.S
あれだけの大きな出来事が起こった後も、結局人の本質は大して変わらないと言いますか、少なくとも本作の登場人物にとっては、もっと個人的な事情や大事にしたいと思った過去の方がよほど根幹にあり、次の一歩を踏み出す原動力となっています。
どれも素晴らしい”次”への一歩だと、そうあってほしいと、作者としては信じてやみません。
※ちなみに高嶺が言っている”まじない”とは、第41話「君となら〈前編〉」で久遠が高嶺に対して施したもののことです。
この時、産土と陸がどうしていたかも次回描きます。
是非!
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今回、残酷な描写はありません。
独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています。
宜しければご覧くださいませ。
https://ncode.syosetu.com/n9351kp/1/
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【〈終焉のオーデ〉鎮圧から 約一か月――】
世界を揺るがせた終焉のオーデの猛威は、産土 漂が宿す〈開闢のオーデ〉によってついに鎮められた。
大陸には静寂が戻ったが、その被害は想像以上に打撃が大きかった。
特に、終焉のオーデが出現の中心地となった〈冥界の裂け目の石像〉付近は壊滅的な被害を受け、アトランティスの第6区第12区ならびに第13区は全壊。
その周囲のアトランティス第5区、第7区、第11区、第14区、ならびにユートピア第9区、第10区などは半壊およびそれに準じる被害となった。
概算で死傷者約約234万人、行方不明者約256万人と、〈GAIA5.0〉時代以来の過去最悪の甚大な被害となった。
朧の計画を知っていたクロノス本部第一階層の幹部らは、その大半が終焉のオーデの被害を直接受けて死亡。残りのかろうじて一命はとりとめた者も、この度の大陸が受けた甚大な被害の責任を後々取らされることを恐れ、一様に迷わず自死の道を選んだ。
そして、実際の執務を行っていた第二階層の幹部らも、この度の終焉の被害に大半が巻き込まれて死亡した。
つまり、先の襲撃で、あらゆる実権を握っていた第一階層と、第二階層のほとんどが死亡した今、クロノス本部の再建は、残る第三階層の幹部らにかかっていた。
しかし彼らは、この度の終焉のオーデのことも、朧の計画のことも全く知る由もなく、ましてや産土をはじめとする死神各位と直接接触したことすら無く、大陸を牛耳るには知見や経験ともに、あまりに心許なかった。
かつては“玉座の間”と呼ばれた、誇り高きクロノス本部の一室も、今は一部が決壊して骨組みが露になってしまっている。
かつての絶対的であったクロノスによる中央集権は僅かに崩壊しかけており、世界は新たな秩序を求めて動き始めようとしていた。
クロノスからすれば、大陸各国による“打倒クロノス”の動きが拡大する前に、何らかの手を打ちたい時期にきていた。
これからどうすれば良いのか――焦燥の末に、第三階層の幹部らが苦し紛れに絞り出したのが、『新死神を立てることで、再び大陸一丸となり、誇りを取り戻すこと』という、漠とした決定事項であった。
天井が決壊し青空にむき出しになった部屋には今、その第三階層が一堂に会し、クロノス再建を掲げ、必死にそのための手立てを協議しているところであった。
本日繰り広げられていることのほとんどは、新死神の即位式に関する事前の協議であった。
そして今、決壊のあとが生々しく残るその会議室に、一人の男の声が冷たく響いた。
「――ですから、あえてここで今、執り行うのですよ」
声の主はかつての死神の一人、ダリウス・アズマであった。
ダリウスはこの度の終焉のオーデ出現直前の、クロノス第一階層によって予め仕組まれたダミー任務の対応により、右手の小指を含む数本の指を失い、もう導守としての能力は有していなかった。
そんな彼がなぜここへ居るのかというと、それは彼が死神を引退し、新クロノスの再建を担うクロノス幹部となっていたからだ。
ダリウスは相変わらず淡々とした様子で、新死神の即位式を、直ちにこの決壊した玉座の間で執り行うべきだとの主張をした。
しかし、その発言は大層異端なものとして扱われ、波紋を生んでいた。
既存の第三階層の階部らからは反発や否定の声が相次いだ。
「ただでさえクロノスの権力が落ちている。これまでずっと虎視眈々とその座を狙ってきた諸外国の連中が、好きに暴れようとしてるところだ。我々は常に“完全なクロノス”でなければならない」
「それなのにも関わらず、みすみす諸外国の連中に、この崩壊した玉座の間を見せるっていうのか」
「玉座の間はまさにクロノスの象徴。それが崩壊していることはまさにクロノスの崩壊と同義だ。そんなところを連中に晒す訳にはいかん」
「今から五日以内というのは無茶だ。やはり修繕をして、完全な形に整えたあとで――」
机を叩き、癇癪を起こして主張する彼らを、ダリウスは見下すように余裕たっぷりに冷笑した。
ダリウスからすれば彼らなど、何も知らない哀れなる者の集まりであった。
「……まったく、揃いもそろって同じような主張ばかり。
それも皆一様に、上辺だけの無価値なものを大変重んじていらっしゃる。流石、クロノスには利口な方ばかりで助かります」
ダリウスは、相手にする価値も無いとでも言わんばかりの態度である。
「なんだと……!」
「元死神だかなんだか知らねぇが、偉そうな態度取りやがって……調子にのるなよ……!」
口々に自分へ向けられている罵倒にも、ダリウスは全く耳を貸す素振りを見せない。まるで本当に聞こえていないように見える程、全く意に介していなかった。
「しかしながら、貴方方の言う“完全なクロノス“を見せつけることは、現状不可能です」
涼し気に言ってのけるダリウスに、幹部らは余計に憤った。
「だからそれを今必死こいて……!」
「付け焼刃の補修で欺ける程の相手なら、そもそもクロノスの脅威にはなりませんよ」
そのダリウスの一言は、一瞬その場を静かにさせた。
鎮まった気配を感じると、ダリウスは続けた。
「かといって、補修が完了するのを待ってからでは、新死神の即位式が遅くなり、本末転倒です。
もう一度言います。即位式は、少なくとも今から五日以内に開催します。
そして、それは決壊した玉座の間で執り行うのです」
彼は今一度、会議室に集う幹部ら全員の方へと端からゆっくりと視線を巡らせた。
「決壊した玉座の間を見て、諸外国は一体何を思うでしょうか?」
その問いかけに、一部の幹部らは「だからそれが問題だと、さっきから言っているだろう」と反発する。
ダリウスは声のした方へちらりと目線を送ると、さらりと肯定して見せた。
「ええ、そうです。恐らく先刻より、あなた方がおっしゃっていた通り、“今ならあのクロノスにもつけ入る隙がある”と、考える愚か者もさぞ多いことでしょう」
その話の切り出しに、周囲の注目は一気にダリウスへと集まる。
「しかし、そんな力を失ったと思われたクロノスのテリトリーで、そこへ忠誠を誓う形で、新時代の猛者達が一堂に会し、静然と並んだら――どう思うでしょう?
それも、まだ各国が復興や修繕に手を尽くしている、今このタイミングで。この早期に、です」
「……」
すっかり黙りこんで傾聴している幹部らを、ダリウスは口角をやや上げながら一瞥する。
「クロノスは未だ、完全に力を失ったわけでは無い――ともすれば、“力を失った今でも新時代を導く”切り札”とのパイプが最も厚く、且つそれを管理・保持しているのはこのクロノスである“と、誇示できます。
その光景は、“我々の手でこれから時代を、この大陸を、再生していくのだ“、というメッセージを、どんな言葉よりも強烈に訴求します。ダシである新死神を最大限に有効活用する舞台――だからこそ、あえてこの決壊したありのままのクロノスを晒すことに、意味があるのです。
クロノスならば……死神はそうやって”利用“するものですよ?」
そのダリウスの演説に反論できる者は誰一人いなかった。
***
程なくしてダリウスの意見は通り、新死神の即位式は、大陸全土一斉強制放送の手筈の上、クロノスの決壊した玉座の間で執り行われた。
歴代、死神は欠員が出ればその都度、時期最有力候補者が繰り上げる形で就任するのが常であり、今回の様に「即位式」が大々的に行われるのは、初の試みにして異例の事態だった。
荘厳な黒の大理石の床に、今、長い影が並ぶ。
闇の中に浮かび上がる選りすぐりの猛者達の姿。
彼らこそ、産土らの後を継ぐ、新時代の死神たちだ。
その場に、旧き時代を知る死神の姿はない。全くの新しい顔ぶれが揃っていた。
新たな死神たちは、これまでとは異なる価値観を持ち、異なる信念の元で、今後世界を導いていくこととなる。
クロノスの時計台からは、新死神の祝福を告げる鐘の音が、今、大陸中に響き渡り共鳴する。
かつての英雄達は凱旋を労われることも無いまま、その鐘の音を、それぞれの場所で耳にしていた。
***
【同時刻 ―― アグニシャルの道場にて】
荘厳な鐘の音に振り返ると、そこには天使の梯子の中に高く聳えるクロノス本部があった。
崩れかけの純白のタワーは上部が決壊しているものの、雲の隙間から漏れる白色に近い太陽光を受けて立つその姿は、まるでこの大陸の再生を、全土に向けて決意表明するかのようであった。
白石は手に持っていた武具をそっと足元に置き、両手を空けると、そちらに向かって静かに右手を胸に当てた。
そして、しばし目を瞑り、軽くそちらに首を垂れる。
栗色の髪は少し伸び、伏せた彼女の横顔をわずかに隠す。
彼女はクロノスに敬礼しているのではない。
そこへ集ったかつての仲間――産土、ダリウス、久遠、朝霧、高嶺、そしてラヴィへの感謝。
さらに、今新たに集う、未来の英雄達へ向けた激励のために、彼女は黙って頭を下げたのだ。
彼女が顔を上げようとした瞬間、後ろから幼子の声がした。
「あ、凜先生! おーい!」
「何してんのー!」
こっちへ向かって手を振る子、駆け寄る子。
屈託のない笑顔を無邪気に向けてくる子供達に、白石は振り返って微笑んだ。
彼女は今、かつての親友――ラヴィ・アグニシャルの道場と彼の意志を継ぎ、彼が残した道場で若き導守達を導く立場になっていた。
尤も彼女自身は、負傷して腕や指を失った産土やダリウスと違い、導守としての能力はまだ有していた。しかし彼女は現役を引退し、今は後世のために、己の能力と時間を使いたいと、教える立場へと転身したのだった。
「何してたの?」
ある子が白石の袴の腰のあたりを引っ張りながら、白石を見上げた。
白石はその場に胡坐をかくようにして座り、子供達と目線を合わせた。
「あの大きな塔に向かって、“ありがとう”と“宜しくお願いします”ってしてたんだよ」
子供達は一様に白石の指さす先にあるクロノスのタワーを見つめる。
「何を、“お願いします”なのぉ?」
「これから、この大陸の平和を守ってください。どうかみんなが笑って暮らせますように、って」
「ふーん。じゃ、私もお願いしよっと!」
「俺も!」
子供達は白石の真似をして、クロノスの方へと手を合わせたり、頭を下げたりしていた。
すると不意に、白石の胡坐の上にちょこんと座っていた、周りの子より一回り程小さな少年が白石の方を見上げた。
「……あそこには、どんな人達がいるの?」
白石は一瞬、「そうだなぁ……」と説明に言葉を詰まらせるも、すぐに穏やかな表情で、彼の小さな頭を撫でた。
「あそこには、本当に色んな人達がいるんだ。お金が好きな人、力が好きな人、世界を変えたい人……良い人も悪い人も沢山混ざってるんだ。
でも、中でも私のよく知る人達は、自分や自分の大事な人の幸せを心から願う人達だった」
クロノスを見据えながらそう語る白石を、少年は無垢な瞳でじっと眺めていた。
「すごく強い人、仲間想いの人、沢山のことを考えている人、他人のために尽くせる人、すごい発明をする人……あそこでは、そんな人達が、一生懸命働いているんだ」
少年も白石と同じように、遠くに聳え立つタワーを見つめる。
「……すごい人たちなんだね」
幼い彼のその一言は単純なようだが、この一連の激動の経験をした白石には重く刺さった。
「あぁ……」
短く返事をする白石。
「……」
「……」
視線を戻すと、いつの間にか白石の周りにいた子供達はわらわらと仲良く互いに戯れながら、道場の中に戻って訓練の続きをしているようだった。
その姿がほんの僅か、よく知る戦場の友たちの姿と重なる。
白石はふっと目を細める。
(ラヴィさん――貴方が願ったように、子供達は今もあなたの道場で健やかに元気いっぱいに育っていますよ)
亡き同志に報告するように、心の中で一人呟き、再びクロノスの塔の方へと目をやる。
――すると、
この短時間の間に空はほんのりセピア色を帯び、雲を象る影はより一層濃さを増していた。
その陰影の形が、ほんの僅か、本当に一瞬だけ、あの太陽の様な男――ラヴィの横顔に見えた。
「……っ」
白石にだけはそう見えて、思わず一瞬息を詰める。
しかしながら、それはほんの刹那の出来事で、次の瞬間にはまた普通の空模様がそこにあった。
「……」
「……」
「……」
「……先生、泣いてるの?」
胡坐の上に座った少年が白石を見上げながら、心配そうな顔で問いかけてくる。
「え……」
白石は少年に言われて、自分の目から一筋の雫が流れていたことに、その時初めて気が付いた。
それを手でそっと拭うと、白石は再び少年の方へと微笑みを向けた。
「ちょっと色々と思い出してしまったみたいだ……でも、大丈夫だ。ありがとう」
少年の柔らかな銀髪をふわりと撫でると、彼は心地よさそうに目を細めた。
少年の頭を撫でながら、白石は今一度、脳裏に焼き付けるように、先程の雲の陰影を鮮明に想起した。
それはまるで、ラヴィがあの豪快な笑顔で全てを包み込んでくれたような安心感を、白石に伝えていた。
「お前は間違っていない」「信じた道を突き進め」「俺がついてる」――そんな言葉をかけられたような、あたたかさが白石の心を包みこんだ。
(……見に来て、くれたのか)
白石は今一度、少年をしっかりと腕の中に優しく抱き、空を見た。
そして、
「ありがとう」
きっとこれから自分は進んでいける――この大陸とともにまた、新たな人生を、胸を張って歩んでいけると、白石は感じていた。
今は、それだけで十分だった。
***
【同時刻 ―― バルバロア領域 〈白幻街〉にて】
無法地帯の荒野と見放されたこの地にも、クロノスの鐘の音だけは届く。
左肩に大きな土嚢袋を担いだ朝霧の耳にも、今、新死神の即位を告げる鐘の音が届いた。
朝霧は、主であった産土が導守の力を失ったことをきっかけにFANGを辞して、今は白幻街を中心とする大陸沿岸南西エリアの復興支援および外交職務と担う立場となっていた。
この度のオーデ討伐プロジェクト〈Arc〉では、白幻街近くの大陸外西部エリアの一部領地の奪還に成功。
そのため、ここ大陸沿岸南西エリアの土地も、正式に政府保護区となったのだ。これには元FANGとして活躍した朝霧の尽力が大きかった。
無論、正式に保護区とする交渉に応じたクロノスの魂胆は、奪還領地の今後の開発足場とするために、バルバロアに必要な整地を施しておきたいという意図があることを、朝霧は十分に理解していた。
しかし彼は、彼の故郷である白幻街に住む人々が、今後不当な扱いを受けぬためにも、この地が文明の一途を辿ることが必要だと考えたのだ。
彼は住民の理解を得て、クロノスや諸外国との外交の最前線に立つ形で、今は故郷を守っている。
クロノスの方をぼんやりと見据える朝霧の目は相変わらず無関心を貫いている。
その虚ろなライトグレーの瞳の奥にあるのは、再生への希望か、同じことを繰り返すこの世の仕組みへの絶念か。
「ほんと腹立つぜ。いっそクロノス全部吹き飛ばしてくれりゃ、この耳障りな音も一生聞かずにすんだのによぉ……!」
その声に朝霧がふと視線を上げると、そこにはガルモッタがいた。
彼はバサバサと羽を畳みながら、朝霧の近くの岩場へと降り立った。
「オッサンもそう思うだろが」
そう問うガルモッタに、朝霧は軽く笑いながら首を縦に振った。
「まったくだ」
朝霧は担いだ土嚢を運び場に積みながら続けた。
「ただまぁ、そうなっていたらボスも陸も、もしかすると俺やお前も助かってなかったかもしれないと思えば、俺はこれはこれで納得できてる」
核心を突くような朝霧の言葉に、ガルモッタはやや居心地悪げにフンと鼻を短く鳴らした。
すると不意に、二人の背後遠くの方から、子供達の声が響いた。
「あ! いたいたー! ガルちゃん! 見っけー!!」
複数人の子供達が、ガルモッタめがけて向こうの方から駆け寄ってくる。
「げっ」
ガルモッタは彼らの視界から逃れるようにして、朝霧の大きな影に身を隠した。
「そうだ、アイツら! 何とかしてくれよ……! どっからともなく湧いてきて雛みてぇに付きまとってくんだぜ。俺はあいつらの母ちゃんじゃねぇんだっての」
「よかったな。懐かれて」
「よくねぇ!!」
ガルモッタは威嚇するかのように自慢の翼をバサバサとはためかせて抵抗した。
「……つーか大体、ガキの子守やらされるなんて聞いてねぇぞ……! 俺様の仕事は、ここの復興支援だっ!」
この度朝霧は、ガルモッタの種族――バサ族のことも、このエリアの住民として正式に迎え入れ、もうクロノスや他の種族から不当に扱われぬよう、人権を付与し保護したのだ。
これまでクロノスから迫害を受けてきたバサ族は、クロノス保護区の住民となることに反発する声が大多数であった。しかしクロノスを誰よりも毛嫌いするガルモッタが、朝霧のことを「このオッサンはやるときはやるやつだ。信じていい。俺が保証する」と仲間に呼びかけたことで受け入れられた。
迫害の歴史に終止符を打てることを心から喜んだバサ族は、朝霧に申し出て、このエリアの復興に尽力すると約束し、種族総出で労働力を提供していたのだった。
朝霧は「まあまあ」とガルモッタを宥めた。
「ここの奴らは当たり前の幸せに慣れてない。字の読み書きも知らない子達だ。これだって、やっと覚えた遊び方だ」
言いながら駆け寄ってくる子供達を眺める朝霧の表情は少し優しい。
ガルモッタはその横顔に、抵抗を封じられた気分になり、むくれたような顔で朝霧をじっと見上げていた。
「いっぱい遊んでやってくれよ」
不意にガルモッタの方へと視線を戻した優しい表情の朝霧と目が合い、ガルモッタは慌てたように地上からやや飛び上がった。
「べ、べ、別に……っ! お前ぇに頼まれたからやる訳じゃねぇんだからな! 勘違いすんなよ! 俺様の懐が深いから、やってやるだけだ……!」
「へいへい、さんきゅーな」
「だが、ただ働きはしねぇ! あの手前ぇのお墨付きのあんぱん、追加で5個はよこしてもらうかんな!」
ガルモッタはそう言い残すと、子供達の方へ駆け寄るように上空を滑空した。
自由に空を舞うその姿に、子供達が地上から喜びの笑い声を上げながら、両手をめいっぱい高く伸ばした。
朝霧は腰に手をあてながらその光景を見やりつつ、「あ」と思い出したようにガルモッタの方へと声を張った。
「ついでに何袋かこっちに運んでくれー」
呑気に手を振りながらそう言う朝霧に、ガルモッタは苛立った表情で振り返った。
「あ?!」
「土嚢。まだまだ残ってんだろうが。しっかり働けー」
「鳥使いが荒すぎんだよ、オッサン……!」
しかしそのやり取りは、仲間内でじゃれ合っているようにしか見えず、周囲の作業者達からも、其処此処から笑い声やら優しい野次が飛ぶ。そんな空気に、朝霧も少し笑った。
朝霧は一つ、大きく深呼吸をする。
バルバロアの荒れた大地が轟々と鳴っている。
今ここにあるのは、クロノスへの迎合でも、未来への不安でもない。
ただ、誇りを取り戻さんと――かつての活気を今再び、この地が思い出そうとしているようだった。
***
【同日夕刻 ―― ユートピア郊外にて】
産土は、退院したら最初にここを訪れようと決めていた。
終焉のオーデとの死闘で腕を失った産土。
大手術の末に、一週間ほどの昏睡状態から彼がもう一度目を覚ましたのは、やはり彼が最強だからであろうと皆が思ってしまうほどだった。
そう思わずにはいられない程の致命傷を、当時、彼は負っていたのだ。
しかし約1か月という驚異的なスピードで回復を見せ、今日から義手での日常生活も許された。
尤も、半分以上は医師の判断というよりも一刻も自由になりたかった産土の我儘で、異例の速さでの退院の運びとなったのだ。
先ほど退院手続きを終えた彼は、今は町はずれの静かな湖畔の畔に、ひっそりと建つ小さな墓の前に居た。
高嶺が立てた、久遠のものだ。
生前、久遠が希望した通りこの敷地を買い、墓を建てたのだ。
この場所に彼の墓があることは、ごく限られた関係者しか知らない。産土もそのうちの一人であった。
陽だまりの中、純白の石碑に刻まれる久遠の名前に視線を落とす。
墓石に手向けられた花は、まるでたった今摘んできたかのように瑞々しく横たわり、その香りはそこに眠る久遠を優しく包み込んでいるようだ。
穏やかな気候の季節のにおいが、まだ少し冷たくも柔らかな風を運んでくる。
柔らかな日差しがそっと湖畔に差し込んで、水面が反射してきらめく。それに答えるかのように、少し遠くからは鳥の囀りが聞こえている。
まるで久遠がこれまで生きてきた日常を報いる様な、穏やかな雰囲気がその場を包み込み、ここがついこの前、終焉のオーデの襲撃を受けた地であることを忘れさせるほどだ。
産土は、長いまつげを掠める前髪を、そのまま風に遊ばせている。
今、敬意を示すように跪き、静かに目を閉じる。
最強の死神が思い出すのは、憎まれ口を叩きながらも時に冷静に、時に使命感に苛まれながらも、必死でこの大陸を守ってきた、一人の若き死神。
彼が最後の時に、何を言い、何を思いながらこの世を去って行ったのか、産土が知ることは無い。
それでも、自分の使命を呪いながらも最後まで闘いぬいた彼に、少しでも寄り添いたくて、産土は思い出していた。
「お前は立派だったよ。誰よりも」
前髪を風に委ね、目を細める。
「ごめんな。ありがとう」
するとそう呟いた瞬間、一際強い風が吹き上げ、産土が差し出した花を遥か遠くへ攫っていってしまった。
「……っ」
それはまるで、眠っている彼がいつもの様に強気な返事をしたようで、産土は一瞬目を見開く。
久遠のあの気だるそうな声がすぐそばで聞こえた気がして、産土は微笑を浮かべながらゆっくりと立ち上がった。
最後に一礼して後ろを振り返ると、そこには男が一人立っていた。
穏やかながらどこか神妙な面持ちの高嶺だった。
手には大事そうにカスミソウの花束を持っている。
ハイネックニットに黒のシンプルなジャケットを羽織り、公務の時の様に髪はジェルで固めずにいる。少し伸びた前髪がゆらりと無造作に風に揺れた。
振り返った産土に向かって、高嶺はその場で静かに頭を下げる。
産土は軽くうなずきながら高嶺に近づき、静かに言った。
「お疲れ。邪魔したね」
高嶺は静かに首を横に振るが、その微笑みはどこか力ない。
久遠が亡くなった後、最も心に傷を負ったのは彼であることは間違いない。彼は終焉のオーデ収束以来、暫しの間長期休暇をとり、今はFANGの仕事を完全に休んでいる。
最愛だった主を壮絶な形で失った彼が、再びFANGとして軍服の袖に腕を通す日が来るのかどうか、誰もが心配をしていたが、同時に彼の気持ちを思えば、誰も無理に引き留めることなどできなかったのだ。
産土もその一人だった。
「もう、宜しいのですか?」
やや遠慮がちに訪ねる高嶺に、産土は満足げにうなずいて見せる。
そして、かろうじて長く残っている方の左腕で、高嶺の肩を軽く叩いた。
「てんてんと、いっぱい話してやってね」
産土の後ろから吹き抜ける風が、高嶺の横を通りすぎていく。
暖かな陽だまりにとけるような産土の優しい声に、高嶺は目を細め、静かに頭を下げた。
新緑の丘を去っていく産土の背中を見送った後、高嶺は愛すべき主の墓の前に跪き、持ってきた花束を手向ける。
「今日はカスミソウです」
どこか儚くしかし可憐なその花を、高嶺は愛おしそうに丁寧な手つきで、既に置かれていた花と交換する。
手を動かしながら、彼はいつもの様に穏やかな口調で続けた。
「あたたかくて、気持ち良い日ですね……あの日を思い出します」
久遠が任務終わりに「護衛無しで出かけたい」と無茶を言い出した当時を思い出しながら、高嶺は穏やかな笑顔を浮かべた。
おもむろにスラックスのポケットからハンカチを取り出すと、墓石の溝の土を綺麗にふき取っていく。
「本日、新死神が即位しました。この大陸を守る、貴方の後輩諸君の門出が、先ほど壮大に祝われました」
そこまで話すと、高嶺はふと小さく顔を上げる。めんどくさそうに欠伸をしながら心底だるそうに「興味ねー」とつっこむ久遠の声が聞こえたかのように、ふっと笑って話題を切り上げた。
「……まあ、ご興味無いですかね」
高嶺は、まだたいして汚れていない墓石を綺麗に磨きながら、ぽつりぽつりを言葉を紡ぎ始めた。
「……実は暫く休暇を貰っていたのですが、今週までで終わりにしようと思いまして。来週からは仕事に復帰します。
生活リズムを取り戻そうと思いまして、今朝は久しぶりに起きた後にジョギングをしに出掛けて、そのあと朝食も取りました。
めっきりやらなくなっていた調理を久しぶりにしましたよ。パンとスクランブルエッグに、それからコンポートした林檎をたっぷりヨーグルトに混ぜて……
軍服も、クリーニングに出してきました」
物言わぬ石碑に向かい「偉いでしょ」と言うかのように高嶺は軽く肩をすくめてみせる。
そうして暫くまた手を動かしたあと、静かに呟く。
「私は本当に、いつも貴方の思うように動かされてばかりです」
高嶺は軽く畳んだハンカチ片手に、今後はしゃがむようにして少しラフに態勢を崩すと、墓石の前に静かに居直る。
そして大事な告白を控えているかのように、深く、一息ついた。
「あのときのかけてくれたまじないの意味が、ようやく分かったんですよ」
低く穏やかな声で続きを話していく。
「終焉のオーデが開いた日に、あなたが熱心に読んでいたあの本。あの後、何度も読み返しました。
しかしながらお恥ずかしいことに……導守の知識を全く持ち合わせぬ私にとっては、非常に難解でして……はじめは何か解釈違いしているんじゃないかと、あまり自信が持てずにいたのですが、いかんせん何度読み返しても、結局いつも同じ結論に辿りつくもので……
それで、確信しました」
高嶺は墓石に軽く手を触れながら、ふっと微笑む。
久遠が高嶺にかけたまじない――それは、高嶺が死んだとき、その魂が久遠の元へと届くための、道標の処理だった。
“道”の描き方を知らぬ高嶺からすれば、それは文字通り本当に「おまじない」のようなものであった。
「最後の時を迎えた暁に貴方に会えるならば、いっそ今すぐにその時を迎えても構わないと、何度も思いました………本当に、何度そう思ったか分からない……でもね――」
手元に視線を落としたままそう言う高嶺は、かすかにその肩を震わせていた。
「貴方が望んだ私の終わり方は、きっとそんな風じゃないんですよね。
……私がやるべきことは、貴方に繋いでもらったこの命を、今すぐ終わらせてしまうことじゃない。
私が己の弱さに身を任せて、今すぐ貴方の後を追えば、きっと貴方は私を軽蔑するでしょう」
高嶺はこみ上げる涙を封じるようにして、額を抑えた。
分かっている――分かっているとも。
自分がどうすべきかは――
「いずれ貴方に会えるその時を楽しみに、貴方の居なくなったこの世界で、私は私の生を全うしなければならない。腐らず、己を律し続け、弱きを守り、誰よりも強く、この理不尽な世界で、常に清く正しく在り続ける。
貴方が愛してくれた男なら、そうするはずです」
そうだ。理解している。しているけれども――
辛すぎる。
「……」
高嶺はこみ上げる涙をとうとう抑えきれず、口元を抑えた。
声を殺し、その場にうずくまるようにして、ふぅ……と静かに深呼吸を試みて、呼吸を整えていく。
「どんなに悲しくても、どんなに惨めでも、生きていなければならない――」
高嶺は、亡き主の気高いその面影に縋るかのように、石碑を両手で包む。
「とても辛いですが――。
貴方は私に、それを望んでいる…………そうなんでしょう?」
すると――
『重い』
「……え?」
不意に聞こえたその声に、高嶺はハッと顔を上げた。
目の淵を赤らめた高嶺が見つめるその先には、銀紫の長髪をそよ風に遊ばせながら、気だるげにこちらを見下ろす姿があった。
否、それは本当にそこにあるのではなく、高嶺にしか見えていない景色だ。
「……っ」
何も言えずにいる高嶺に向かって、綺麗な顔をわずかに歪めると、形の良い唇が小さく動いた。
『――立て。高嶺』
懐かしい声で短すぎる言葉が発せられるとともに、瞬間、石碑の後ろから突風が吹いた。
まるで高嶺を、墓標から遠ざけるかのように。
その勢いに、思わず高嶺が僅かによろけて視線を落とすと、次の瞬間にはその姿は消えていた。
高嶺はしばし目を見開き、墓石に刻まれた最愛の人の名を見つめた。
「……」
しかしやがて、一連の出来事に感謝するようにして、再び石碑の前で姿勢を整える。
「私は結局、貴方に生かされているんですね」
高嶺は今一度、涙を振り払うようにして微笑みを浮かべた。
「どうか見守っていてくれ。そして、私がいつかそこにいくまで……
ちゃんと、心変わりせずに待っていてくださいね」
高嶺は亡き主人の柔らかな頬を撫でるかのように、愛おしそうに墓石を撫でた。
「……約束だからな」
その声に応えるように石碑の後ろから、今度は柔らかな風がそよぎ、優しく高嶺を包んだ。
高嶺は約束を交わせたことに安堵したように穏やかに石碑へと微笑みかける。
そして、ふと決意を固めた表情になると、再び跪き、右手を心臓に当てる。
「天愛、」
いつもと同じ低く穏やかな声は、その名を呼ばれた天国にいる主のもとに届く。
「行ってきます」




