第46話「地獄でも天国〈後編〉」
ハロワン第46話「地獄でも天国〈後編〉」
一度葬ったと思われた終焉のオーデが再び開いたのは、高嶺の直上。
その時、久遠は翔んでいた。迷いなど無かった――
P.S
待機組中心エピの最終回です。待機組回(全5エピ分)のタイトルを一繋ぎで読むと、
第14話…あの日の約束
第22話…何度生まれ変わっても
第32話…願いは一つ
第41話…君となら
第45話…地獄でも天国
→『あの日の約束、何度生まれ変わっても願いは一つ。君となら地獄でも天国』となります。
時に地獄の様に残酷な時間を共に生きたこの二人の尊い関係性をぎゅっと凝縮した言葉になるようにしてみました。大好きな二人です。
待機組回、ラスト、是非。
――――――――――――――――――――――――――――――
一部流血表現がありますが、残酷な描写には寄せていません。
独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています。
物語の進行に併せて随時更新してまいります。
宜しければご覧くださいませ。
https://ncode.syosetu.com/n9351kp/1/
――――――――――――――――――――――――――――――
「首が――、無い……!?」
どす黒いドロリとした液体に濡れた床を凝視する久遠の瞳には、驚愕よりも困惑が混じる。
液体の中心には、まるで空気の抜けた風船のように萎れ切った朧の首から下の胴体が縮こまって横たわっている。
「どうする……首が無ければ執行はできない」
久遠はぽつりと呟きながらも、頭の中では突破口を凄まじい勢いで考えていた。
そんな久遠の周囲の守りを固めるように、高嶺は刃を構えたまま周囲に漂う瘴気を読む。
「……どこかに、隠しているのではないでしょうか」
低く言った高嶺の声に、久遠はハッとしてそちらを見やる。
「単純な思い付きですが――仮に産土様以外のどなたがここに迷い込んでいたとしても、皆、朧様よりは確実に実力も経験も格上なのは明らかです。
執行を恐れ、万が一に備えて、首をどこか安全な場所へ隠しているのでは」
「……」
高嶺の言葉を久遠は真剣な表情で聞いている。
「なるほどな」
内容を吟味するように、ラブレットピアスの下辺を親指で撫でる。
「普通の人間が首無しの状態で生きていられる訳がねぇんだ。
導守の“道”の力を応用したと考えるのが普通だろう……だとしたら――」
久遠は囁くとすぐにその場に膝をついてしゃがみこんだ。
そして指先をそっと地面につけると、目を閉じて真剣な表情で言葉を唱える。
すると次の瞬間、久遠を中心として波動砲のような波がぐわんと一度発され、大きく地を揺らした。
高嶺が周囲を見渡した刹那、大地の一部が微かに、それに反応したようにちらりと動いた。
そこだけ妙に強く脈打ったのを、高嶺は見逃さなかった。
「我が君、あそこです!」
その声に久遠がバッと振り返ると、まるで地表の一部分だけがぼこぼこと浮き出て血管のように地中を這い、久遠たちから逃げ失せようとしていた。
「逃がすか……ッ!」
久遠は瞬時に反応し、高嶺が向かった方へと地を蹴る。
全速力で前方を見据える久遠の視界では、高嶺が剣を構え、まさにその脈の真上に渾身の一突きを繰り出さんとしていた。
高嶺の眼光が鋭く光り、ほんの一瞬、獲物を捕らえる獣の様に瞳孔が見開かれる。
「――ッ!」
脈の動きを完全に読み「ここだ!」と捉えた瞬間を衝く。
息を詰めた高嶺が一閃報いた。
動きを、封じた。
「――お願いします!!!」
暴れ狂う脈のうねりを、高嶺が上から無理やりに抑え込みながら叫ぶ。
その声を聞くや否や、久遠の強烈な斬撃が落ちた。
白銀の光とともに放たれた一撃は雷の様で、隠されていた“首”がとうとうその姿をあらわした。
そこには、まるで棺の中に眠るように、穏やかな表情で目を閉じた朧の首があった。
久遠は迷わなかった。
再び右手の刻印から鎖を解き、今度こそ朧の首を確実に捉える。
「――獲った……!」
久遠のつぶやきと共に、朧の首は黒い炎をまき散らしながら激しく燃焼を繰り返した。
通常ならばここで、転生か執行の判断のための記憶の同期が開始される。
しかし今回、朧は鎖を繋いだ途端、焼け焦げて瞬く間に灰になって完全に消え失せた。
朧が灰になると、間もなく久遠が開廷していた審議署空間が解けた。
「……」
久遠と高嶺が見渡すそこには、開廷前の風景が広がっていた。
審議署空間が解けて元居た場所に戻ってくるということは即ち任務完了を意味するが、久遠は手応えの無い自分の右手に視線を落としていた。
「やったのか……?」
現状を見るに、あたかも執行できた様に見える。
しかし久遠の中の嫌な予感は、依然濃霧のように晴れぬままだ。
(審議署空間は一対一の法則で、二体のオーデと同時に相対することは原則できない……
それなのになぜ〈終焉のオーデ〉と〈審判のオーデ〉の両方を持つ朧を引きづり込めた……?
審判の方を囮に執行させて、終焉を延命させたか……)
久遠の頭に不穏な予感がよぎる。
(――考えすぎか……いや、あり得る。
そもそもさっきの手応えの無さ……執行せずとも朧は消え失せて審議署空間も解かれた……つまりさっきの首も、本体に見せかけたただのダミー。
奴の本体は既に終焉の方にある。だとしたら――
このあともう一度、終焉が開く――……!)
「我が君!!」
戦場の端から駆け寄る足音。鋭くも切実な声が響いた。
「高嶺!」
そちらを見やると、砂煙の向こうから高嶺が駆けてくる。
戦闘が終わるや否や、迷いなく久遠の元へと走ってきたのだろう。
その表情には、明らかな焦りと安堵が滲んでいる。
刹那、久遠も釣られる様に安堵の表情を浮かべる。
先程まで敵に意識を研ぎ澄ませていたぶん、こうして高嶺の姿を目にした途端、張り詰めていた力が抜けそうになる。
もう、これ以上気を張らなくてもいいのではないか――そんな錯覚すら覚えた。
しかし久遠はその甘い感情をすぐに振り払う。
(まだだ……まだ終わってない。
ここで気を抜けば、隙を突かれる。
そうなれば高嶺も巻き込まれるかもしれない。
――それだけは、絶対に許せない)
久遠はその場に踏みとどまり、駆け寄る高嶺に向けて叫んだ。
「高嶺、まだだ……!」
久遠の鋭い目が、高嶺を射抜く。
息を切らしながら、警戒を解くなと伝えるように。
「――っ!」
高嶺は、説明されずとも久遠のその気迫に全てを感じ取る。
すぐに周囲を警戒し、特に久遠の背後やその周囲に異常が無いか意識を研ぎ澄ませた。
「……やはりこんなに、あっさりとはいきませんかね」
低く問いかけるその声には、すでに確信が滲んでいた。
「あぁ……。すげー気持ち悪りぃ……」
久遠も息を整えながら周囲を見渡す。
(どこから――どうやって来る……?)
その時――
「……ッ!」
嫌な予感が、久遠の五感の全てを締め上げた。
久遠がバッとそちらを見ると、高嶺の頭上背後で、終焉が開く前兆の空間の歪みが生まれた。
目撃した瞬間――久遠の心臓が凍りつく。
「高嶺……ッ!!!!!」
喉が張り裂けるほどの叫びと同時に、久遠は地を蹴った。
久遠は、飛んだ。迷いは一切なかった。
終焉が再び開く――その不吉な気配が、高嶺の背後で膨れ上がっていく。
深く紫に揺らぐ闇の裂け目。そこから今、再び、何かが這い出ようとしている。
(間に合わなければ、高嶺が――!!)
思考よりも早く、久遠の身体は動いていた。
――否、それはもう人間の動きをはるかに凌駕した“飛び”に近いものだった。
全身の筋肉を瞬間的に極限まで酷使し、跳躍ではなく、投擲に近い軌道を描く。
もう自分が助かることを計算した動きでは、到底間に合わない――そう本能で悟っていた。
だから、久遠はためらいなく、自分を捨てた。
重心を完全に崩し、限界以上の力で身体を前へと押し出す。
それは、バランスを取ることを放棄したもはや墜落に等しい加速度をつけて。
そうする以外に、高嶺を救う術はない。
目の前、高嶺の背後で黒い亀裂が開き、そこから不気味な紫が瞬く間に這い出る。
高嶺も即座に反応しようとしたが、久遠の方が早かった。
「ッ!!!!!!」
自分の命ごと、高嶺へと叩き込むようにぶつかる。
飛び込んできた衝撃とともに、高嶺の身体は勢いよく後方へと弾かれた。
そして――その同時。
夥しい量の血飛沫が舞う。
目の前の光景に、高嶺の思考が止まった。
高嶺は弾き飛ばれた地点から即座に立ち上がり、地を蹴り、久遠の方へ手を伸ばす。
久遠の身体は高嶺を突き飛ばした時のまま、彼の方へ両手を突き出した無防備な状態で、宙を舞っている。
どうすることもできず、全くの生身のノーガードな状態で、頭上から放たれた一撃を背中でもろに受けたのだ。
高嶺の瞳の中で、まるでスローモーションがかかったように、ゆっくりと、ゆっくりと、久遠の身体が地に臥してゆく。
「久遠!!!!!」
高嶺の絶叫が、破れた大気を裂く。
久遠の身体が、ぐったりと地に横たわって動かない。
髪留めも壊れて銀紫の髪が彼の表情を隠す様に、無惨に散らばる。
生死が分からない。
「待っていろ、すぐ……!」
駆け出そうとした高嶺の足元が、大地の振動で大きく揺らぐ。
頭上の終焉のオーデが、怒涛の勢いで広がりながら、地を裂き、深い亀裂を生み出していた。
足元の地盤が崩れ、バランスを崩す。転倒。その繰り返し――。
泥と土埃にまみれながらも、高嶺は咄嗟に地を這い、再び立ち上がる。
(早く……! 久遠の元へ……!)
戦士としての冷静さも、優雅な紳士の面影も、もうどこにもない。
また転ぶ。手のひらがざっくりと裂け、血が滲む。
それでも構わず、四つん這いのまま地を蹴る。
「我が君……! 我が君!!!」
やっとの思いで辿り着くと、久遠を抱き上げる。
高嶺の腕の中で、久遠の身体は頼りなく揺れた。
「すぐに、安全な場所へ……ッ!」
自分の身など、今はどうでもいい。
ただ、久遠をこの崩壊する戦場から遠ざけなければ。
足元がふらつく。肺が焼けるように苦しい。
それでも高嶺は久遠を抱えたまま、全速力で岩陰へと駆け込んだ。
「久遠!!!!!」
久遠を腕の中に抱き抱えながら、その頬をあたためるように手で包み込む。
「聞こえるか! 私です!!!」
ぬるりと手のひらに広がる血の感触。
焦点の合わない金色の瞳。
力なく薄く開かれた唇。
冷たくなり始めた肌。
「ダメだ……っ、目を開けてください!」
声が、震える。焦りと、恐怖とが混沌と入り混じった感情が、高嶺の中で渦巻いている。
「返事をしてくれ、久遠!!!」
肩を揺さぶる。
ぐったりとしたまま、久遠はかすかに口を開く。
「……かね」
「!!」
喉の奥から絞り出されたような声に、高嶺はすがるように耳を傾けた。
「ここにいる、私はここにいます……!」
久遠の手を握る。その指は、既に氷の様に冷たい。
「離れんな……」
「当たり前だ!! 離れるわけがない!!!」
高嶺は久遠の手をぎゅっと握り締めた。
次第に柔らかな日の光が二人を包む。
知らぬ間に上空の終焉のオーデはどこかへ消え失せていたが、今の二人はそのことにすら気づかないほど必死だった。
「寒い、な……あのさ、」
「よせ、無理して話すな! すぐに止血を……っ」
処置道具を取り出そうと頬を離れそうになった高嶺の手を、久遠はまるで「離さないで」と言わんばかりに上から掴んだ。
「……!」
高嶺はハッとして久遠を見る。
そのか弱すぎる主の主張は、無視をしてしまえばそのまま消えてしまいそうで、高嶺には耳を傾けるという選択肢のほかなかった。
高嶺と目が合うと、久遠は安心した様に、再び腕の力を少し緩めた。
支給されていた止血凝固剤はもう先ほどのダミーの任務で使い切っている。
何よりもうこの出血では後が無いことを、久遠自身が一番よく知っていた。
「多分……これが最後だから………。このまま…っ……言わせてくれ」
「……っ」
既に高嶺の目の縁は充血していた。
久遠の一挙一動を見逃さない、聞き逃さないよう、感情を噛み殺すかのように見開かれている。
久遠の残り僅かな熱を逃さない様、その血の気のない頬に、高嶺は震える大きな手をすがる様に添える。
「俺の名前……天愛ってんだけどよ、」
久遠はゆったりとした口調で話し始めた。
「天に選ばれた様な……光輝く、愛に満ちた人生を送ってほしいって……母親がつけた、ばかみてぇにおめでたい名前だぁ。
俺は、それが……大嫌いだった」
そこまで言うと、久遠は急にむせ返り、その場に血を吐いた。
高嶺は、久遠の口の周りに付いた鮮血を迷わず素手で拭う。
「我が君……」
久遠は額に脂汗を滲ませながらも、高嶺の静止を制すように軽く手をあげた。
そんな彼を高嶺はただ見守るように見つめながら、唇を噛み締め続きを聞いた。
「俺の毎日には、光も愛も何も無い……ただただ地獄みてぇな毎日だった。
毎日毎日、やりたくもねぇ導守の訓練をさせられて、出自やら地位やら面倒くさい話には巻き込まれるわ、気持ち悪ぃ大人に利用されるわ……
お陰でトラウマの悪夢のせいで碌に毎日眠れねぇし、気を抜けば寝首を搔かれるような油断も隙も無ぇくだらない世界――
ほんと……いい事なんてひとつも無かった……ゲホッ……!」
再び、吐血。今度はさらに量が多い。
久遠の身体の震えは、先ほどより大きくなっていた。
「大丈夫……! しっかり……ッ」
高嶺は再び久遠の口元の血を拭いながら、冷たくなっていく久遠に自分の体温を与える様に強く抱き抱えた。
虚な金色の瞳をそっと包み込むようにして見つめる。
「だから俺は、神様なんかいねぇって……そう思いながら死ぬんだって……思ってた……ッ!
ゲホ…ッ……ゲホッ……!!」
再び吐いた血が、今度は高嶺の頬に飛び散った。
しかしそんなことには一切構わずに、高嶺は久遠の瞳から視線をそらさない。
二人は見つめ合った。
「でも居た……神様……っ」
久遠はそう言いながら、力無い手で高嶺の頬に手を伸ばした。
途中で不時着してしまいそうなその手を、高嶺は力強くとって自分の頬に押し当てる。
高嶺の体温を感じた久遠は、満足そうに虚な目を細めた。
「……やっと見つけた……俺の光……」
高嶺の手の中で、久遠の手がかろうじて自分の意思で動き、高嶺の頬を撫でる。
「お前といた時間は……本当に、楽しかった……」
すっかり己の終わりを受け入れたように、穏やかに微笑む久遠。
高嶺はその手を強く握りしめる。
「頼む……! 私を……置いて行かないでくれ……っ」
涙が滲む。嗚咽が漏れる。
誇り高きFANGなどではない。戦士でもない。
その声はただ、愛する人を失いそうな、無力なたった一人の男の声だ。
「多分俺は……この、瞬間のために…………生きてきたんだ……」
もう息も浅くなり、声も殆ど枯れて、吐息混じりの言葉が続く。
今の久遠の命は、彼の最後の、彼自身の生きようという気持ちだけで成り立っている。
「よく……顔を、見せ……て……っ……。
……声を……聞かせ、て……っ……」
そう言って高嶺を見つめる久遠の目は、朝露のような酷く美しい雫に濡れている。
すがるようにして高嶺を触っていた久遠の腕は、とうとうだらりと地に落ちる。
高嶺は久遠の頬に手を添えながら、今まで決して呼んだことのない、その名を呼んだ。
「天愛」
酷く震えて掠れた無様なその声は、久遠の心に陽だまりの様に響いた。
呼ばれた瞬間、久遠は今までに見せたことのない、幸せそうな目で、安心したように高嶺を見た。
そして最後の力を振り絞り、頬を包む高嶺の手に自分の手を添えた。
「お前は、俺の光………俺の……希望……」
久遠を見つめる高嶺の目から、堰を切ったように涙が零れ落ちる。
もう殆ど消えいってしまって聞こえない言葉を、色を失った小さな唇が必死に紡ぎ出す。
「あぁ、高嶺……。俺はお前を――……この世の、何よりも――」
久遠は酷く美しい笑顔を高嶺に向ける。
高嶺が見つめ返す。
そして久遠はふっと微笑みながら告げる。
ずっと伝えたかった、その言葉を――
「愛している」
しっかりと、大切に告げられた、最後の言葉。
そして久遠は穏やかな笑みを浮かべながら、高嶺の腕の中で静かに息を引き取った。
久遠の腕の力が抜け、温もりが遠のいていく。
その穏やかすぎる表情が徐々に実感が鋭利な刃のように高嶺の胸を裂いていく。
彼はついに息を詰まらせ、喉の奥から押し殺したような嗚咽を漏らす。
彼を守るためにこの身を捧げると誓ったのに――
愛を囁かせたまま逝かせることが、自分の役目だったはずがないのに――
高嶺は、久遠の頬を撫で、額にキスを落とす。
そして何度も何度も、腕の中の亡骸に、 最愛のその名を呼び続けた。




