第39話「未練」
ハロワン第39話「未練」
クロノス本部では、第5回Arc全体会議が開かれていた。しかしそこに、陸の姿は無い。
久々に気の置けない旧友達と飲み交わすも、陸の心にはそれでは埋められない穴が開いてしまっていた――
P.S.
これまで物語の随所で、陸と旧友達の絡みが出てきましたが、その度に陸自身の成長と、それに伴う彼の心理描写がどんどん変化していってました。
第21話では、まだ完全に新しい環境に馴染めず、旧友達と過ごす時間がずっと続けばいいのにと願っていた陸。
第26話では、プロジェクト〈Arc〉のメンバーのこともかなり大事に思い始め、
第37話では、とうとう旧友の一人から、なんか陸変わったな……と思われるほどに、以前の陸とは雰囲気が変化しました。そしてそれに続くのが今回、となります。
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今回、残酷な描写はありません。
独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています。
物語の進行に併せて随時更新してまいります。
宜しければご覧くださいませ。
https://ncode.syosetu.com/n9351kp/1/
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第5回〈Arc〉全体会議前半は、白石による“オーデ領域に囚われた導守”の救助報告から始まった。
続いて、レベッカ消失後に各地で勃発している〈パルファン級任務〉の鎮圧状況について、現地で指揮を執ったダリウスと、一部の任務に参加していた久遠が報告を行った。
彼らの尽力により、暴走していたオーデは各地で次々に執行され、クロノスの暫定見立てでは――レベッカ消失以降に発生したパルファン級は、ほぼ収束を迎えたとされていた。
白石が救助した導守たちも回復の兆しを見せ、少しずつ現場復帰を果たしている。
それに伴い、ダリウスと久遠の稼働も落ち着きを見せており、総じて「この長雨さえ除けば、大陸は安定期に入った」という認識が、会議の前半で共有された。
──そのころ。
クロノス本部の長い廊下を、陸は静かに歩いていた。
産土に専属契約を切られてから、ちょうど一週間。
今の陸にはもう、何の肩書きもない。
今日はただ、自室に置いていた荷物を取りに戻っただけだった。
ほんの一週間前まで、ここは自分の居場所だった。
仲間の笑い声が聞こえ、作戦会議のざわめきが当たり前にあった。
しかし今は、もうこの空間そのものがやけに肌に馴染まない。冷たい空気が、妙に心を締めつける。住み慣れたこの施設にも、今はひどく肩身が狭く感じる。
廊下を曲がったそのとき、不意に見慣れた影が視界に入る。
白石とダリウスだ。
「……っ!」
不意打ちの遭遇に陸は思わず声にならない声をだしてしまう。
(どうしてここに……!?)
彼らがここにいるということは、今日ここで全体会議があったということか、と陸は考え至った。
もうFANGではない陸はそこに参列することはない。
彼らも陸に気づき、足を止めた。
「……おや、これはこれは」
いつも通りの静かで無感情な声でダリウスが言うと、その横で白石が驚きつつも片手を上げた。
「おっ……篁! 驚かせてすまない」
微笑みかける白石の笑顔は、1週間前と同じものだ。
しかし陸はなぜかそれを正面から受け取れなかった。
2人は普段通りだ。
陸が出て行こうとしているなどつゆ知らずなのだろう。
白石もダリウスも、産土や久遠と同じ死神で、普通の人間なら絶対に気軽に会話できない最上位の存在だ。
一時期は気のおけない仲間のように感じていた彼らの事も、FANG剥奪となった今ではなぜかとても遠く感じた。
……いや、そもそも気の置けない仲間などと、そう思っていたのは自分だけだったのかもしれない。
今の陸には、彼らがまるで別世界の存在のように感じられた。
「篁……?」
その声に、しまったと顔をあげると、白石が心配そうな表情でこちらを覗き込んでいる。
「大丈夫か……?」
女性である白石は、こうした陸の感情変化にいつも鋭い。
「あぁ、すみません……ちょっと疲れてるみたいで」
陸は取り繕うように軽く額に手を添えながら応えた。
「そうか、ご苦労なとこだな。それはそうと、てっきりダウンタイムか何かで欠席しているのかと思っていたが……体調は特段悪そうじゃないじゃないか。
ならなぜ会議に出ない?後半戦は、次に産土が対峙するオーデに関する調査報告がある。君にとっても重大な情報だろう」
白石の無垢な質問に、陸は口籠もる。
「あぁ、いや、その……なんだ……」
「産土と喧嘩でもしましたか」
まさかのそのダリウスの言葉に救われる形となった。
「……そんなところです」
「余程酷い喧嘩の様ですね……ずいぶんと浮かない顔をしている」
ダリウスの佇まいは相変わらず隙がなく、整然としている。
「……そうですか?」
苦笑しながら陸がそう返すと、ダリウスは静かに頷いた。
「えぇ……まるで、何か体のどこか一部をぽっかりとえぐり取られたかのような、そんな虚ろな目をしているように見えます」
「……!」
言い当てられた気がして、陸は何も言えなくなった。
ダリウスは観察するようにじっと陸の目を見つめたかと思うと、次の瞬間には何事もなかったかのように歩きだした。
「さて、我々はそろそろ戻らねばならない。白石、いきましょうか」
白石は陸に軽く手を振ると、ダリウスの横を歩き始めた。
「あぁ……それじゃあな、篁」
ふとダリウスは足を止め、陸の方を振り返り、ほんの少しだけ表情を和らげた。
「ふん……君の事はおそらく忘れないでしょう。次にお会いする頃を、楽しみにしていますよ」
それだけ言い残し、彼は踵を返した。
2人の背中を見送りながら、陸はぎゅっと拳を握る。
自室まで行く途中で、会議室の前を通り、陸はその重厚な扉を見つめた。
この扉の奥に居るんだな……
長い脚を放りだして暇そうに話を聞く産土と、その横で仏頂面で直立不動の朝霧の姿が、手に取るように浮かぶのだった。
産土や朝霧に遭ってしまうのがなんとなく気まずくて、陸は逃げるようにしてその場を後にした。
兄とのアポイントまであと3日ほどあったが、陸はクロノスの部屋はもう使わずに、ユートピア郊外の比較的費用の安価な民間ホテルに宿泊することにしたのだった。
***
【同日夕刻 ―― アトランティス第2区 民間酒場にて 】
平日の夕方、まだ早い時間だったので、店内にはあまり人もおらず、柔らかなジャズとまだそこまでがやついていない店内の雰囲気が、どこか気だるい安らぎを運んでいる。
陸が店内に入っていくと、音に気付いた一人が片手をあげる。すでにそのテーブルには、昔の友人たちが3人。
「うーす」
「おう、お疲れぃ」
挨拶まがいの軽い言葉を口々に受けながら、陸は空いていた席に着く。
いつもは、直前まで何か考え事をしていたとしても、こうやって旧友たちとひとたびテーブルを囲んでしまえば、程なくして悩みはどこかに消えて、懐かしさに包まれるはずだった。
しかし、今日はそうではない。自分でも今までなかった変化に違和感を覚える陸。もう、目の前に気の置けない友人たちがいるにも関わらず、頭にあるのは産土や朝霧のことばかりだ。
そのことに自分で気付きつつも、陸は友人との会話に、いつもと変わらぬ笑みで応えていた。
今は忘れよう。
それに、自分はもう、産土の専属FANGでもなんでもない。彼らとは何の関わりの無い、ただの人なのだ。
『お前は自由だよ』
一週間前、産土から突然告げられたあの言葉が何度もリフレインする。
そうだ、自分は自由だ。
それに、もうクロノスや何のしがらみもなく、数日後にはやっと3年越しに、晴れて兄に会えるのだ。
そうやって何度言い聞かせるが、油断するとふと頭のどこかで、今日の全体会議で皆が何を話したのか、産土と朝霧は次の任務にいつ出るのだろうかと考えてしまう。
彼らのことだ、必ず成功するだろうが、それでもあの大好きな二人の状況がもう一切分からないことは陸にとってかなりダメージだった。
頭の中で、全く違う事を考えていることを悟られぬよう、適度なタイミングで友人の会話に軽口や冗談を挟む。
それでも、少しでも気を抜けばほんの数分後には、彼はその輪の中で、言葉を探しながら黙り込んでしまっていた。
「てゆうか、あれ、お前この前、いい感じだったコは? どうなったん?」
「ああ、あれどこまで話したっけか」
「あれだ、多分あの、ちょっと頭良いって言ってたコとはダメで、そのあとアスリート系女子とご飯行って…ってとこだった?」
「あー……え、それだいぶ前やな」
「ぬ?」
「多分そのあと、4? ……いやちがうか、5人…? ……いるわ」
「いい歳して遊びすぎやろ」
「詳しく」
友人たちの会話はいつものようにテンポよく進んでいった。
完全に乗り遅れた陸は、それに頷いてるだけだ。笑いの輪にうまく乗れない自分を、自分自身が一番よく分かっていた。
そのうち、それに気づいた一人が不意に陸の方に向き直る。
「……なんかさぁ、陸、元気ない? 静かになった?」
「それな」
「どうした? なんか……おもんなくなった?」
誰も責めているわけじゃなかった。ただの、正直な感想。ふざけたような、茶化すような笑みを浮かべた彼らがそこにいた。それは、学生時代から変わらず、いつでも陸を受け入れてきてくれた、変わらぬ笑顔だ。
そんな彼らを見て陸は確信する。
(……俺が、変わったんだ)
彼らのことは好きだ。今でも変わらず、大切な仲間だ。
しかしそれでも、いま、脳裏をよぎるのは、別の人たち。
命をかける場面をいくつも共にして、痛みも、怒りも、恐怖も、弱さも、醜さも、その全てを知って、傍にいてくれる人たち。
もう今の自分が、あの人達と肩を並べられることは無いのに――
それなのに、産土から終焉のオーデの話を聞いた時から、より一層、自分の中で膨らんでいく想いが、こうして日を増すごとにはっきりを輪郭を帯びてしまう。
いま目の前にいる旧友たちは、何も知らない。
陸が死神の専属FANGをやっていたことも――
最前線で闘う彼らが、何を思って戦地へ赴くのかも――
この長雨が、なぜ振り続けているのかも――
終焉のオーデが目覚めたら、この世が終わってしまうことも――
何も、知らない。
何も知らずに、彼らは今日も、こうして友人と酒を酌み交わし、毎日働いて、不満と渇望を垂れ流しながら、自分の人生を一生懸命に生きているのだ。
少し前までは、陸だってそうだった。そちら側だった。
しかし、今の自分の心境や本心を明かすには、彼らはあまりにも、遠すぎた。
「……すまん」
陸は、ふいに口を開いた。旧友たちが顔をあげる。
「どしたん、リアル具合悪い……?」
陸は首を振る。
「でも……なんか、やっぱ疲れてるみたいだわ」
言葉が詰まったのをごまかすように、首を軽く回して見せる。
胸の奥で感情が絡まり、何をどう言えばいいのか分からなかった。
「今日は帰るわ」
「え? 大丈夫?」
口々に心配してくれる友人に、陸は、大丈夫だからと、首を横に振り、軽く謝りながらその場を後にした。
店を出ると、少し冷たい夜風が頬を打った。
何も変わっていないはずなのに、こうして一人になることが、今の自分には必要だったらしい。街の喧騒と夜の空気のにおいに身をゆだね、一人ふらりと帰路につけば、すこしずつ胸のざわめきが落ち着いてくる。
ふと目をあげれば、今日もクロノス本部のビルがユートピアの中心部で天高く、その権威を誇示するかのように、堂々と聳え立っている。
大丈夫だ、このまま時間が過ぎれば――もう少し、このもといた日常を過ごせば、この気持ちの浮き沈みもやんでくるはずだ。
陸はそう言い聞かせるように、すっと目線を落とし、ユートピア郊外の宿泊先のホテルへと足を進めた。




