第37話「臆病者」
ハロワン第37話「臆病者」
プロジェクト〈Arc〉も、フェーズⅠ:通称〈ホライズン〉は残りわずかとなった。
プロジェクトメンバーには久方ぶりにまとまった休暇が付与され、それぞれオフの日を過ごしていた。
産土はというと、先日久遠から聞いた〈終焉のオーデ〉について、まだ内心受け入れられないでいた――
P.S.
第8話で産土が、ビビってんならうちに帰れと陸をバチバチに突き放してたシーンを懐かしく思いながら書いてました。あらためて読み返すと、産土の優しさに少し気付きます。
そう。産土って実はかなり優しいんです。
陸だけじゃなく、朝霧や久遠、白石のことなど……実はいつも他人のことばかり考えている男です。
しかし彼自身のことは――?そうなると、途端に彼は弱くなります。
”最強”である彼は、いつも誰かを救う側です。それが染み付きすぎているんです。
怖い、助けてほしい、そう思っても、誰も自分を助けることはできないと、彼が一番よく分かっているんです。だからこそ彼は、そのことを誰にも打ち明けず一人で抱え込みます。
そして陸の言葉は、ときにそんな孤高の産土を救う力すら持っている。だから産土は、なんだかんだ言ってそんな陸が大好きなんです^^
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残酷な描写はまだありません。
独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています。
物語の進行に併せて随時更新してまいります。
宜しければご覧くださいませ。
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この度、記憶のオーデの力を有していたレベッカが消滅したことで、彼女が納めていた記憶はそれぞれ持ち主の元へと戻って行った。
突然予兆も無く記憶が返ってきた〈クグリコ〉の大半は、一時は忘れていた己の忌々しい記憶に阿鼻叫喚した。
そのうち約半分は自死の道を選び、残りの半分は力を暴走させ各地で暴れまわっていた。
しかしそれでも、そこまで被害が甚大化せずに済んだのは、大陸最前線における最大脅威とされていた〈悪夢のオーデ〉、〈風雷のオーデ〉、〈快楽のオーデ〉が、プロジェクト〈Arc〉のメンバーによって既に殲滅された後だったからだ。
大陸内で暴れていた脅威は、各地の白冠を中心とした猛者達によって、その殆どが執行されつつあった。
これには、大陸待機組である久遠や、大怪我で一時大陸内での任務を中心としていたダリウスの活躍もあった。
ダリウスは悪夢のオーデとの死闘で負った傷のせいで、まだ大陸外の任務を遂行するには支障があったが、身体を訛らせないためにリハビリを兼ねてこうした大陸任務を自ら希望しこなしていた。
そしてこれには、白石もまた一役かっていた。
彼女はレベッカ戦時に見た、レベッカに捉えられていた総勢数十名の導守達を早急に保護してまわった。
最初こそ衰弱していた彼らも徐々に回復を見せ、既に大陸任務を開始した者達も出てきていた。
こうした導守達の活躍があり、各地の暴走したオーデは順調に沈められていった。
ただひとつ妙なのは、レベッカ討伐日以来、大陸にはずっと大雨が絶えず降っているということだけだった。
***
【アトランティス内地にて】
陸は曇天を見上げていた。
プロジェクト〈Arc〉も、第一弾派遣と定義されていたフェーズⅠ・通称〈ホライズン〉は残すところあと一回の派遣のみとなっていた。
大陸沿岸の主要脅威の執行が完了したことで、派遣のスピードも徐々に緩やかなものになりつつった。
最も討伐実績のある産土の班には、この度久方ぶりにまとまった休暇が付与され、彼の班員である陸も久しぶりのまとまった休日を過ごしていたのだ。
旧友である七瀬からの呼び出しで、“ラ・クロンヌ・ドレ”という人気店のアフタヌーンティーに来ていた。
スイーツ界隈の流行りに疎い陸でも、名前を聞いたことがあるくらいには有名な人気店だ。
店内は主に女性客でににぎわっており、テイクアウトの列からもひっきりなしに注文が入っている。
「ここ来たかったんだよねぇ。土日だと混むからさぁ。やっぱ平日はいいね」
注文を終えた七瀬は、テーブルの向こう側で嬉しそうにしていた。
まだ食べる前だというのにその顔は既に幸福感で充ちている。
「直前でよく予約できたな」
「丁度キャンセルが出たみたいでさ、ラッキーだった!」
すると、陸たちよりも早くから着席していた隣のカップルらしき男女のテーブルに、注文の品が運ばれてくる。
上品なアンティーク調のトレーにちょこんと乗っかって出てきたプリンをみて、陸は思わず声を漏らした。
「あ」
見覚えのある――ロゴがかかれた小瓶。
(久遠さんが好きなのって、ここのプリンか……)
かつて談話室のソファで、それを大事そうにかかえながら食べていた久遠を思い出す。
(そういや最近、Arcのメンバーを思い出すことが増えたなぁ……)
陸がぼんやりとそんなことを考えていると、七瀬がひょこっと陸の前に顔を出す。
「どしたの?」
「ん?」
「……プリンがよかった……?」
「ん? あぁ、いやいや」
七瀬の問いかけに、陸は軽く笑いながら答える。
「知り合いにプリンが好きな人がいてさ、あれここのだったんだぁと思って」
「あぁ、ここはプリンが一番有名だもんね。陸も食べたの?」
「いや、無い。絶対くれないし」
「くれないんだw」
七瀬は「仲良さそうだね」と愉快そうにしている。
「それって……この前の人?」
「ん? この前?」
「あのー、この前飲んだ時、私が陸のこと見かけて話しかけた時に一緒に居た、あのイケメンの人?」
その説明で、産土のことを言ってるのだと分かった。
「あぁ、それとはまた別の人」
「じゃあ……めっちゃ不味いプロテイン飲む人?」
「いやその人でも無い。てかめっちゃ覚えてんな」
数か月前に飲んだ時に話した事を、七瀬は鮮明に覚えている様だった。
「覚えてるよぉ。久々で楽しかったもん」
七瀬はにこにこしながら、ティーカップを口へ運ぶ。
「私あの時色々としんどい時期でさ。だからなんか陸もみんなも色々大変なんだなぁとか思ったり、バカみたいな話してたら、ちょっと気が楽になってさ」
「……今はもう大丈夫なの?」
「うん、まぁまぁ」
そうこう話をしていると、アフタヌーンティーセットが運ばれてきた。
三段構成になっていて、今時期は桜をモチーフにしたスイーツがまるで宝石の様に煌めいてレイアウトされている。
七瀬は「可愛い!」などと言いながら、写真を何枚も撮っていた。
なんとなくそれにつられて、陸も自然と良いアングルを探すようにしてカメラを構え、シャッターを切る。
(コレ兄貴好きそうだなぁ……。兄貴、ちゃんとご飯食べてんのかなぁ……)
「え、珍しい」
七瀬の驚いたような声に陸が顔を上げると、彼女は目を丸くして見ていた。
「彼女……できたりした?」
その斜め上の問いかけに陸は驚いた。
「いや? ……てか、居たらこの状況アウトだし」
「確かに……!」
「兄貴が好きそうだなと思って」
「あーあーなるほど」
七瀬はそそくさと端末を鞄にしまいながら、必死で何かを取り繕う様にして何かごにょごにょと言っている。
「そっかそっか……そういうことか……びっくりした」
しかし次の瞬間、陸が口にした言葉は、そんな七瀬の動揺をまるで煽るかのような発言だった。
勿論、天然人たらしの陸は無意識である。
「七瀬は? 今は彼氏さん、居たりしないよな?」
「……!」
純粋な眼差しで小首をかしげてくる陸に、七瀬は内心動揺していた。
(居ない! 居るわけないじゃん……! 私に彼氏がいるかどうか気になるってことなの……? それって、つまり……私やっと意識してもらえてる……?!)
「……七瀬?」
「い、い、い、居ないよッ!!!」
明らかに動揺している七瀬に、陸は「どしたんw」と軽く笑った。
「よかった」
あまりに自然に、笑顔とともに陸から放たれたその短い言葉に、七瀬は赤面を隠せなかった。
(よかった……? よかったあああ……!? そ、そ、それは……何故の……!? 何故の「よかった」なの……!?!?)
しかしそんな嵐の様にせわしない七瀬の心境など知りもしない陸は、次の瞬間にはもう、無邪気にエビのキッシュを手に取っていた。
「どれから食べる?」
少し少年めいたその表情に、七瀬は「ずるい……」となどと内心突っ込みながらも、平然を装った。
「じゃ、私もそれから行こ!」
同じようにしてそれを手に取り、口へ運ぶ。
「「うんま」」
思わず二人で顔を見合わせる。
少なくとも陸が今まで食べてきたキッシュの中では、間違いなくダントツで美味しかった。
(久遠さん……いつもこんなもんばっか食ってるのか。料理上手の高嶺さんもいて……いいなぁ)
「そういえば……お兄さん、元気?」
仕切り直すようにして七瀬が聞いてくる。彼女は何度か陸の兄とも面識があったのだ。
陸は僅かに言葉をつまらせたが、結果、差し障りの無い回答に落ち着く。
「……多分」
「……会えてないの?」
「いま長期期間の集中研究にアサインされててさ、暫く会えてないんだよね」
「そうなんだ……」
陸がそれ以上の言葉を足さないのを見て、なんとなく七瀬も口をとじる。
暫く沈黙のあと、雨ざらしになってるテラス席に目をやりながら七瀬が呟いた。
「ずっと雨だね……」
「……な」
クロノスによれば、この異常な長雨もオーデの仕業らしいが――陸は目の前に座っている七瀬をふと見る。
もちろん七瀬はそんなこと知る由もない。
彼女は頬杖をついてぼんやりと大きな窓の外を眺めている。
何も知らない彼女の横顔は、まるでこの大陸の見せかけの平和を象徴している様で、陸は胸の奥にもんやりと霞がかった危機感を覚える。
(俺はここにいていいのか……ボスやあんぱんは今、何してんだろ……?この雨を降らせているのは、一体どんな奴なんだろう……)
以前はあれほど望んでいた友人とのひと時も、今は頭の中は別の事ばかりで、逆に焦燥が募った。
(だめだ、全然集中できてない)
陸はこめかみに手を当てて、この七瀬とのひと時に集中しようとした。
しかし頭の中ではプロジェクトやオーデ、産土や朝霧など……別の事だらけだ。
(……そうだ。帰ったらこの前借りてた本、高嶺さんに返さなきゃ。あとあれだ、全大陸民一斉調査の受診機関予約しないと忘れそうだな……)
「陸」
不意に七瀬に呼ばれる。
彼女は心配そうな顔で覗き込んでいる。
「大丈夫? 疲れてる……?」
「あぁ……すまん。大丈夫。――あ、」
陸は少し慌てながらふと頭をよぎった別の話題を切り出す。
「あれもう予約した? 全大陸民一斉調査の」
「あれ……もうそんな時期だっけか。まだ……ていうかもう案内来てたっけ……?」
七瀬は「あれぇ?」などといいながら端末のメッセージボックスを漁っている。
「きてないみたい」
「あぁ、地区によって違うかな」
「え? 陸と私、地区一緒じゃないの……?」
「ん? あー……今は違うかも。俺いま、任務の関係でちょっとユートピアに住んでるから」
「え?!」
七瀬は飛び上がったような大きな声を出す。自分でも驚いたように口元をおさえて少しだけ身をかがめた。
「ユートピアにいるの?」
「おん……」
ユートピアは大陸内で最上級のエリアであり、そこに居住が許されるのは全大陸民の長者番付上位約2%ほどと言われている。
つまりそのかなり狭き門を陸はくぐっていることになるのだ。
「陸は、何者かになっちゃったの……?」
「いやいや全然、違くて。ちょっと特殊な任務でさ。今だけ限定でだよ」
のんびりと苦笑いしている陸に、やがて冷静さを取り戻した七瀬は軽くため息をつく。
「じゃあ今日、随分遠くから……ごめんね」
「いやいや大丈夫」
「でも……だからかな、凄く疲れてるでしょ……?」
心配そうな表情を向ける七瀬に、陸はArcのことばかり考えてしまっていた自分に不甲斐なさを感じる。
「いや本当に大丈夫だよ。ごめんな。ここんところ任務続きだったからさ、ちょっと疲れが顔に出ちゃってたかも」
ふっと笑ってみせると、つられて七瀬も笑い返す。
しかし陸のことをずっと近くで見てきた七瀬だからこそ思う。
(陸……なんか変わったな……)
最近の陸を見ていて、そう感じることが増えた。
しかし考えても仕方がない――自分にできることはこれだけと、七瀬はまたふっと笑って見せる。
いつも通りの距離感で。
変わらないように、変わらないふりをして。
それが、今の自分にできる精一杯だと、彼女は分かっていた。
***
【クロノス本部応接間にて】
誰もいないだだ広い応接間のソファに、産土は一人だらりともたれかかっていた。
つい先日、あの夜。久遠から聞いた話――。
突拍子も無いが、その内容は自分の中で反芻すればするほど、確からしいものに変わっていった。
今まで腑に落ちなかった事、やがて考えるのをやめていた事……そんな点在する一つ一つの記憶が、遂に一つの線で繋がってしまったような、そんな感覚を覚えた。
一見いつも通りに振る舞っている彼も、一人の時やふと空いた時間には、あれからずっとそのことばかり考えてしまう。
久遠の見立てでは、“値踏み”が終わるのは次の全大陸民一斉調査終了時、とのこと。
リミットまでまだ時間があるとはいえ、それまでに何か手を打たなければならないというのに、来る日も来る日も産土はまだ本格的にそのことを受け入れられずにいた。
「はぁ……何やってんだ俺……」
考えは一向にまとまらず、それどころか頭の中は相変わらず自分中心の甘い考えで満たされていた。
もしも――
志乃さんの生まれ変わりが、クロノスの生存保証者リストに入ってさえいれば――。
このたったひとつの気がかりが、産土の胸を焦がしていた。
自分のことはどうでも良かった。
彼女が――その生まれ変わりが、安寧に暮らせる世界を作る――それだけが産土の人生の目的だ。
今まで、それだけを想い続けてここまでやってきた。
それは自分にしかできない使命――彼女の生まれ変わりがいるこの愚かな世界を、オーデの脅威から守れるのは自分だけだと、そう思っていた。
しかし、もし彼女があのリストに入っているのなら――
それは、全てのオーデが消滅した――それはそれは穏やかな世界で彼女が生きていられることが約束されているということ。
それならば――
産土にはもはや、朧を――〈終焉のオーデ〉解放を、止める意味が無い。
久遠の話によれば、産土自身はリストに入らないことが確定している。
つまり、志乃さんの生まれ変わりに会うことは、朧やクロノスの言う“新世界”では、絶対に叶わないのだ。
でも。それでも――
たとえ次の世界でも、会えることがなかったとしても――
それでも、名前も顔も知らない志乃さんの生れ変わりが、笑っていられるならば――。
しかし、それでも脳裏に浮かぶのは、仲間達の顔だった。
陸の笑顔、朝霧の声。日常の取り止めのないやり取りの数々や、あの夜、久遠が言った言葉――
『自分と――大切な人達の命を、自分以外の誰かの手に託すとしたら、俺はお前意外考えられない』
思わす頭痛がして眉間をおさえると、ふと応接間の扉が開く音がした。
ガチャリ……
ふと顔を上げると、陸がどこかから帰ってきた様だった。
手には高級そうな手提げ袋をぶら下げている。
「お」
陸が産土を見つけて短く挨拶をする。
産土は何事もなかったかのように「やっほ」と軽く手を上げる。
陸は迷わず手提げの中身を冷蔵庫に手際よく移している。
何やらガラス製の小瓶があたるような音だけがその場にしていた。
産土はなんとなくぼんやりとその一連の動作を眺めていると、その視線に気付いた陸が顔を上げた。
「ん?」
「いや……」
産土が窓の方を向くと、陸は特に気にした様子も無く、再び視線を手元に戻していく。
(もし終焉のオーデのことを知ったら、陸はどう思うだろう……)
陸は、たった一人の家族である兄を連れ戻すためにここにいる。
陸の兄は優秀な研究者だと聞く。ならばかなりの高確率で朧やクロノスの定義する“新世界”の住人として、生存保証者リストに名を連ねる可能性が高い。
その兄が生存保証者リストにもし入っていると分かれば、陸はこれ以上、闘わずに済むのではないだろうか――
だとしたら、自分のためにも陸のためにも、生存保証者リストの中身が把握できれば良いのでは――産土はふとそんなことを考えてしまう。
まるで逃げるかのように終焉討伐の作戦立案とは全く別のことばかりに考えが飛んでしまう自分を律するかの様に、産土はひとつ咳払いをする。
そして再び目線を陸へと移した。
「……外、寒かった?」
不意に話しかけられ、陸は顔をあげた。
「ん? うーん、そうでもねぇかな」
「ふーん」
会話というにはあまりに短いやりとり。
陸は冷蔵庫からミネラルウォーターを一本取り出し、キャップをひねっている。
産土はもぞもぞとソファの上で体を回転させ、陸の方に顔を向ける。
「例えばさ、」
陸はペットボトルを口にしながら、徐に話し始めた産土の方に頷く。
「例えば――、ゴジラ的なすごいやつが暴れて、もう少しで世界が滅びるって時に、一台のUFOが来んのよ」
「……なに、心理テスト的なやつ始まった?」
「まぁまぁ、そんな感じの」
どこかはぐらかすようにして話し続ける産土の様子を不自然に思いつつ、陸は静かに聞いていた。
「UFOに乗れれば助かるの。どこか遠くの異国の地で穏やかに過ごせるわけ。でも乗れなかったらジ・エンドね。そして当然このUFOに乗れんのは数に限りがあるわけよ。しかも陸はもう乗れないの確定してんの」
「あ、俺乗れないんだ」
陸は小さく頷きながら、産土の話の設定を飲み込んでいく。
「そ、乗れない。でももしかしたら自分の大事な人は乗れてるかもしれないの。例えばお兄さんとかさ」
「ほんほん」
「でもお兄さんが乗れたのかどうか、陸には知る術は無いのよ。それを知ってんのはUFOの操縦者だけ」
「えー……操縦者に頼んで確認することもできないの?」
「できないね。交渉の余地はゼロ」
「……」
「陸に出来るのは2つ。全員生きるためにゴジラと闘うか。お兄さんがUFOに乗ってることに賭けて闘わず、UFOが去っていくのを静かに眺めるか」
「……でも黙ってUFO見てたら、自分はともかく、最悪兄貴だって乗ってなかったら終わりなんでしょ?」
「そう。でも闘って負けてもそれは同じことだよ。それに闘うってことは、少なくとも陸は酷い死に方するだろうし」
「……なんか、複雑な設定だな……」
「そうそう。世界は複雑なんですよ」
まさに今自分自身が置かれた状況を、陸にそう評された産土は苦笑を浮かべながらソファの上で体を伸ばした。
「もしこんな時、陸だったらどうする?って話」
「うーん……」
陸はぶつぶつと文句を言いながらも、いつの間にか産土の隣に腰かけ、腕を組みながら真剣に考えている。
「でも……やっぱ、うーん……俺は闘う方、かな」
検討の末に陸が出した答えに、産土は興味深そうに少し眉を上げた。
「へぇ……。ちなみに理由は?」
「なんだろう……色々ある気がするけど……」
陸はやや口ごもりながらもぽつりぽつりと話し出した。
「まず兄貴がUFOに乗れてるかもわかんない状況で、ただ眺めてるだけなのは不安しかないじゃん。同じわからん状況なら闘うとか、何かしら手を打った方が絶対よくない? それに、もしUFOに兄貴が乗れてたとしても、結局闘わないと俺自身はどの道助からない訳じゃん?」
「そう。そうだね」
「でしょ? 俺はちゃんと自分も助かって、兄貴に会いたいもん」
「……」
「……ボスだってそうじゃないの? もし志乃さんの生まれ変わりだけ助かっても、自分は消えて会えないなんて――そんなの嫌じゃない?」
「……嫌だよ。でも、それを迷ってしまうほど、ゴジラは圧倒的で絶望的な強さなんだよ」
「……」
陸はまた暫く少し考えるために黙った。
しかし再び口を開いた彼の考えに変化はなかった。
「でもやっぱり……それでも闘うな。俺は」
「勇ましいね」
「なんかね、自分でもよく分かんないっていうか……前までの自分なら想像出来なかったんだけどさ。なんかいけんじゃないかなと思っちゃうというか……」
「失敗したら、みんな死んじゃうのに?」
「うーんそうだけど……なんかね、今ならそれができる気がするっていうか……。どちらかというと、できるかできないかじゃなくて、やらないことの方が嫌っていうか」
そして陸は「別に自分のこと強いと思ってるんじゃなくて」と、付け加えながら産土の方に笑いかける。
「今なら、ボスもあんぱんもいるしさ。なんとかできないかなって」
「俺もあんぱんも、ゴジラは倒せるか分からんよ?」
産土の言葉に陸はそうだよなと軽く笑った。
「なんていうか、前までの俺だったら、ゴジラを倒そうと立ち向かう人を遠くからじっと見てたと思う。頑張れって思いながら。自分じゃとても歯がたたないだろうから、その人が無理ならもうそれは無理ってことだって」
時折「うーん」などと小さく唸りながら分析するように過去の自分を懐古している陸を、産土は黙って見つめていた。
「自分は平凡で選ばれし人間じゃないって、自分で誰よりも分かってたからさ、そういう生き方しかできなくても、それを受け入れてたんだと思う」
「……」
「でもなんか……最近違うっていうか、無理んなっちゃって。俺自身は前と何も変わらないただの俺なのに、ボスやあんぱんと一緒に居るからかな……なんかバグっちゃったのかも」
そう言って陸は少し照れくさそうに笑いながら続けた。
「ほらなんか、壮絶な経験って考え方とか生き方に影響するって言うじゃん? あんぱんもボスの神業見ると死生観変わるって言ってたし。Arcに参加して、皆と出会って、オーデを倒して、クロノスの裏の顔を知って……そういう経験が、今までは選ばなかった方を、いま選ばせてる気がするんだよね」
「……」
「それに、俺が”協力して”ってお願いしたら、ボスもあんぱんも来てくれるでしょ?」
「あんぱんはともかく、俺はものによるよ?」
「薄情だなぁ。俺はボスに呼ばれたら絶対行くのになぁ」
陸はあっけらかんと屈託のない表情で笑っている。
「……」
(……“呼ばれたら行く“なんて。そんな危険なこと、簡単に言うな――)
産土は心の中で、陸の安直すぎる発言を制した。
しかしそれも仕方の無いことだ。陸はこれを、例え話だと思って会話しているのだから。
あくまで一連のやりとりを単なる世間話だと思っている陸と、実はそれが近い将来起こることだと知る産土とでは、同じ言葉でもその受け取り方は圧倒的格差を持っていた。
しかしだからこそ今の産土にとっては、気休めにしか聞こえないそのセリフも、楽天的すぎるその笑顔も、どこか頼もしくすら映っていた。
思わず言葉を返すのも忘れて陸を眺める産土に、陸が言葉を続ける。
「世界平和のこととかよく分からないし、大義名分も無いけど、少なくとも俺は、俺に関係してる色んなものが、ある日突然奪われるのが絶対に嫌なんだよ。仕方ないことなんだって妥協して諦める生き方は、もうできないって思うんだ」
「……」
「……なんだかんだ今の日常が好きだし。ボスやあんぱんと一緒に働いてたい。まだ読めてない漫画も結構あるし、金龍が食べられなくなったら嫌だし、とか……色々思うわけよ。……ていうか、そんなこと言い出したら、結局誰が欠けても何が欠けてもだめってことなんだけどさ」
陸は産土の方を向きながらやや困ったように頬をぽりぽりとかいた。
「だから逆に……もし仮に――兄貴も俺も、ボスもあんぱんも、久遠さんや高嶺さん、他の皆も、もしUFOに乗れたとしても、UFOに乗れない人が1人でもいたら、俺はみんなを誘ってゴジラを倒しに行こうって言うと思うんだよね」
その答えに産土はひじ掛けにもたれながら愉快そうに鼻を鳴らした。
「お前やばいね」
「……やっぱやばいかな」
「だってそのままいりゃ助かんだよ?」
半笑い交じりに言われた産土の言葉に、陸は頷きつつも少し真剣な表情だった。
陸は少し視線を手元に落とし、Tシャツの裾のほつれを指で遊ぶようにいじりながら続けた。
「……でも、それでも、だよ。別に誰かのためにやるんじゃないよ。俺はとにかく、自分の棲む世界が、明日もその次の日もいつも通りであってほしい。結局それしか――俺にはそれしか分かんないんだよ。
でも誰だって、自分が認めたい結末と違う未来なんて、そう簡単に受け入れられるもんじゃないでしょ?」
そして、しばしの沈黙のあと陸は「あ」という声と共に産土の方をキョロっと見上げる。
「でさ、この心理テストでは何が分かんの?」
「ん……? あー……」
(しまった。そのことなんも考えてなかったな……)
産土がどうやって煙にまこうか考えているところへ、丁度陸に着信が入った。
「どうぞ」
産土はラッキーだったとばかりに電話に出るのを薦めた。
そして、表示名を見た陸も出たほうが良さそうだと判断したのだろう、反射的に立ち上がって応じた。
「もしもし? はい、もう戻りましたけど……いや、どんだけすぐ食べたいんですか……まず冷やした方がいいと思いますけど――」
その内容から、恐らく通話の相手は久遠だろうと伺い知れる。
人間嫌いの久遠だが、なぜか陸には比較的馴染んでいるようで、最近では空き時間に陸の薦めた漫画を二人で読んでいたり、久遠の愚痴や晩酌に付き合わされていたりと、好友関係があるようだ。
先程、陸が冷蔵庫にしまっていたのは、久遠の好物のプリンなのだろう。
陸は産土の方に「すまん」と軽く手をあげ、そそくさと退出していった。
再び一人になった産土は、パタリとしまった扉を見つめた。
「たく……お前に聞いたのが間違いだったわ」
先程の陸との一連の会話を思い出し、その飽くなき勇敢さに産土は薄く笑う。
そして静かに目を閉じる。
つい数ヶ月前、産土はここで、漠然とした未来に震える陸を、見下す様な発言を散々吐き散らかした。
今はそのことを、本当に悪く思う。
『生きてても、死ぬより辛い後悔をしたんじゃ意味がないんだ』
当時の――陸が震えながら言っていた言葉を思い出し、産土は自分自身への嘲笑を浮かべる。
「お前は初めから、そういう奴だったんだよな」
そして産土は、小さく震えてしまっていた己の手のひらを、今一度ぐっと強く握りしめる。
「……臆病者はどっちだよ」
終焉を迎え撃つ、その覚悟を決める様に――。




