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第34話「陽だまりの約束」

ハロワン第34話「陽だまりの約束」


白石は望み通りの展開でレベッカとの対峙が叶う。

あの産土でも執行できないとされる高難易度の案件に、白石は一人挑もうとしていた。

レベッカは白石の記憶を覗いたことで、自らの忌まわしい記憶と再び対峙することになるが――


P.S.

白石vsレベッカ戦、きました。

個人的には、作中でも5本の指に入る、好きな回です!

本来敵対関係の二人が、この二人にしか分かりえない痛みや苦しみで共鳴し合ったこの闘い、交わした言葉の数々は、まるで”約束”のように二人の心の中に灯り続けることでしょう。

最後のやりとりまで、是非、ご覧ください……!


――――――――――――――――――――――――――――――

今回、残酷な描写はありませんが、

一部、エドワードの過去回想シーンにて、彼のトラウマとなった残酷な描写があります。

(決して、直接表現や露骨な描写はありませんが、一部性的なことを示唆する描写が出てきます)

苦手な方は、ご注意くださいませ。


独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています!

物語の進行に併せて随時更新してまいります。

宜しければご覧くださいませ。

https://ncode.syosetu.com/n9351kp/1/

――――――――――――――――――――――――――――――

白石は暗闇の中、目を覚ますと、冷たい独房のような空間に居た。


「ここは……?」


どうやらここは鉄格子の内側だ。

その状況から、自分は何者かによって捉えられているのだと確信する。


(他の皆は……?)


引き連れてきた数百名のFANGを思い出し、おもむろに立ち上がると、その足元がぐらりと揺らぐ。


「――!?」


その瞬間白石は、どうやら自分は、鳥籠の様な形状の格子の中に捕らわれ、宙吊りになった状態であることを瞬時に悟る。

バランスを崩さぬよう、鉄格子の側まで近寄り、外の様子を伺う。


「……!」


その光景に、白石は思わず息を呑む。

そこには同じ様な鳥籠がいくつもぶら下がっており、自分と同じ様な人間が1人ひとり、鳥籠の形状の格子に閉じ込められていた。

衰弱している者も居れば、なんとか出られないかと画策している者、諦めている様子の者もいた。


「……なんだここは……」


その数はざっと見ただけで、数十を超えていた。


彼らは何者だ?

一体誰に、ここまでどうやって連れてこられた?

薬を盛られて連れてこられたか? だとしたらそれはいつだ?


意識を失う前のことを思い出そうと、白石はひとつひとつ記憶を辿る。

すると突然、彼女手元のオーデの感知器が発動した。


――!


近くにQK(ロイヤル)ランクのオーデがいることを知らせる警報音。

そのけたたましい音に、他の鳥籠の中の人間たちは一斉に驚いた。

頭を抱えて心底怯えたように耳を塞ぐ者。

「うるせーな、早く止めろ!」と怒鳴りつける者。

目を見開き爪を噛む者……と、様々だった。


白石は、鳴り響いた警報機の音が自分のもの一つであったことから、少なくともこの場には、自分と同じプロジェクト〈Arc(アーク)〉の導守は他には捉えられていないのだと理解する。

この感知器は〈Arc〉にアサインされた導守(しるべもり)以外には配布されていないのだ。


白石はとうとう来たかと、冷たい指先で右手のグローブをとる。

いつもならこのタイミングで開廷をするが――果たしてこの鳥籠にとらわれた状況下、加えてFANG(ファング)も居ないこの状況で一人開廷したところで、自分はQKに対抗できるのだろうか――。

その不安で判断が少し遅れる。


その時、しゃがれた老人のようなかすかな声が、白石の鼓膜を震わせた。


「……開廷したって意味なんかねえ……」


白石がハッとして声の方を向くと、酷くおびえたように肩を震わせ、籠の隅にうずくまる男がいた。

白石は格子の間から、その男の方へ顔を近づけ小声で聞いた。


「なぜ……意味がない?」


しかし男はその問いかけには答えず、おびえたように間抜けなしゃっくりを何度か繰り返すだけだ。

白石は何とか突破口を得ようと、男に続けて問いかける。


「頼む、教えてくれ。前にやったことがあるのか?」

「あるさ……俺の隣にいたやつがな……」


そこまで言うと男は再び言葉を詰まらせ、突然何かを思い出したようにヒーヒーと悲鳴を上げた。


「それで、どうなった?」


先ほどよりもやや声を張って聞く白石。


「ここに来た時点でもう終わりなんだよ……奴は執行できない……ここにいる導守は殺されると決まっている」


断片的な情報にやや苛立ちながらも、白石はその言動から敵の正体を想像しようとしていた。

“執行できない”というキーワードから、やはり真っ先に頭に浮かんだのはレベッカだった。


「お前は、敵を見たことはあるのか?」

「……」

「……何か、心当たりはないか?」

「……そんなもんあるわけねえ……俺はこうしてじっといい子にして待ってるんだよ……他の奴らもみーんなそうだ……」


男はやせこけた指で宙をなぞる。


「……何を待っている?」


白石の問いかけに男はいまにも飛び出しそうな充血した目玉を向けて答える。


「順番だ……記憶をほじくり返されたあげく死ぬ、な」


白石の中で仮説は確信に変わった。


(やはり敵はレベッカでほぼ間違いない……!)


「奴はここに導守を捉えて、一人ずつ尋問していく……奴らの欲しい答えが見つかるまで、尋問は終わらねぇ……」


痩せこけてもう殆ど肉のついていない指をしゃぶりながら言う男に、白石は鉄格子越しに食らいつく。


「その順番はどうやって決まる? 今すぐ呼ばれるにはどうすればいい?」


この男からすれば、白石の問いかけは大層気狂いめいていたのだろう。

「ハッ!」と喉に何かを詰まらせた様な不愉快な音を立てて男は笑った。

そうかと思えば今度は突然何か思い出した様に怯え始めてわなわなと言った。


「それは分からない……あの方の気分次第だ……」


白石が次の質問をしようと口を開いた瞬間、目の前が真っ暗になった。

状況を読もうと五感を研ぎ澄ますと、次の瞬間、彼女の目の前には見慣れない審議署空間が広がった。


「……っ?!」


開廷していないのにここに連れてこられるということは――

オーデ側――つまりレベッカが開廷したということなのか。

いや、それしか可能性はなかった。


「まさか本当にこうくるとは……」


白石は、明らかに初めて見る他者の審議署空間を見ながら呟いた。

しかし彼女は相も変わらず、鳥籠の中に入れられた捕らわれの身のままだ。


(レベッカは……!)


産土(うぶすな)の報告書を頼りに、彼女の姿を探す。

すると突然、頭上から中性的なアルト声が響いた。


「なによぉ〜どんなイケメンか楽しみにしてたのに、女の子じゃな〜い……」


ハッとして顔をあげると、そこにはどこからともなく現れたレベッカが居た。


報告書とはやや異なる風貌。しかしその特徴は、間違いなくレベッカに一致していた。

ブランドの腰下まである髪の毛は毛先までキューティクルで艶やかで、顔の左側を覆い隠す様な個性的なアシンメトリーの髪型をしていた。

手入れの行き届いた絹の様な白い肌に紅蓮のリップが映えている。

奇抜なデザインの衣類を身につけ、足元はパイソン柄のヒールの高いパンプスをはいている。

白石は敵として認識しつつも、率直に、自分より余程女性らしく綺麗だと感じた。


(既にもう記憶を読まれて始めているのか?……いや、流石に読むには同期が必要なはず。同期のために何かしら私と自分を繋ぐ必要があるはずだ。この籠の中に私を入れたまま、どうやって鎖をつなごうとしている?)


白石は考えを思わず巡らすうちに、言葉を返すのを忘れ、その姿を見入っていた。

レベッカは口元に妖艶な笑みを微かに浮かべながら、白石に目線を合わせる様にして屈んだ。


「固まっちゃって、緊張してるのかしら? よく見ると可愛いお顔してるのねぇ。自己紹介くらいしましょっか。アタシはレベッカ。貴方のお名前は?」


白石の目の前に、鉄格子越しにレベッカのたわわに実った形の良い胸の谷間が、グインとのぞいた。


「名乗りが遅れてすまない。しかしその前に一つ間違っているので、忠告しておこう。私は男だ。人を印象だけで判断しないことだな」

「あっそ」


そう短く言うレベッカは、ピキッと張り付いた笑顔で苛立ちを隠し切れていない。


「ところでおチビちゃん、アタシを待ち伏せしてたって聞いたけど、どうしてあそこで待ってたのかしら?」

「名前は白石だ。そのふざけた呼び方を訂正すれば教えてやろう」


ピキッ――


笑顔のレベッカの額にやや青筋が入るとともに、その場にやや緊張感が走る。


「……どうしてアンタとの会話はワンテンポずれるのかしら?」

「……仲間が教えてくれた。貴方は今日、必ずそこに来るはずだと。だからそこで待っていた」

「あぁ……そういうこと。仲間ってもしかして、あの顔だけは異常にいいけど性格ブスな軽薄男じゃない?」


レベッカの言葉には明らかに敵意が込められている。


(あぁ……産土のことか)


一度対峙しただけで随分な嫌われようじゃないかと、白石は内心小さく呆れる。


「彼じゃない。彼が組んでる仲間からの言添えだ」

「ふーん」


レベッカは宝石の輝くリングをかちゃかちゃと鳴らしながら、毛先をいじっている。


「で、なんでアンタが来ることになったのよ? そう思うなら自分が来ればいいじゃない」

「あぁそれは……私が手を挙げたんだ」

「へぇ……なんでまた? アタシなら、女のアンタでも倒せそうだなんて思ったのかしら?」

「そうだ」

「……」


表情を変えずに淡々と即答する白石に、レベッカの表情は明らかに憤っている。


「揃いも揃って……導守ってなんでこうもムカつく奴ばっかりなのかしら」

「いや。倒せる……という表現は少し違うな」

「はぁ?」


レベッカは苛立って腕を組みながら、人差し指をもう一方の腕の上でトントンとせわしなく動かしている。まるで話の展開を急かす様な素振りだ。


しかしその様子に一切ペースを乱されることなく、白石はマイペースに言葉を続ける。


「貴方は他のオーデ契約者とその性質が大きく異なる。その本質は未だ不明だが、産土でも執行できなかった特異体質。そして我々導守と同じ様に、この審議署空間を自ら作り出すことのできる能力を有している。そして何より稀有なのはその内面。根っから人を憎んでいるようには見えないし、対話を好み、何より仲間思い。こうして実際に接してみて、それがよくわかる」


敵対している立場であるにも関わらず、レベッカの本質を見抜くような発言を淡々と繰り出す白石に、レベッカはやや面喰いながら話を聞いている。


「……だからなんなのよ?」

「私は、貴方と話してみたかったのかもしれない」

「……は?」

「かねてより頭のどこかで自問自答してきた。我々導守とオーデとの間で、執行と転生以外のものはないのかと。

貴方も、貴方の仲間も、我々と同じ人間だろう。貴方となら対話が叶うかもしれない。私はそう思って、ここにきたのかもしれない」


レベッカは白石のその発想に内心驚いていた。


(何よ、知った口きいちゃって。それになんなの? その冷静な態度は? まるで本気でそんな事考えちゃってる奴の顔じゃない……)


「頼む。私と話をしてくれないか」


白石が右手を檻の中で差し出す。

しかしそんな彼女を見て、レベッカは心の中で一人思う。


(駄目よ騙されちゃ……こういう綺麗な女ほど、嘘をつくのが上手いって、もう嫌って程知ってるじゃない……)


レベッカは白石の話を聴き耽った後、ふっと笑って静かに口を開く。


「……一つ教えといてあげるわ」


顔を上げたレベッカの瞳の奥は、しっかりと白石に対する揺るぎない敵対の色を宿している。


「アタシ、女の言うことは信じない主義なの。特に綺麗な女ほどね」


そこまで言うとレベッカが鳥籠に手を伸ばす。

鳥籠が音を立てて一瞬ではずれた。


「それと……ごめんなさいね」


レベッカはまるで白石に同情するかのように困った笑みをふっと浮かべて見せる。

形の良いブロンズの眉毛が八の字に下がり、彼女の大きな狐目の睫毛が妖艶に揺れる。


「対話なら、要らないの」


不意に、レベッカの黒いネイルをした長い指が、白石の両頬を包み込み、そのままぐっと顔を引き寄せられる。

至近距離で二者の焦点が重なり、レベッカの目が光った。


「……!」


白石は一瞬驚きで構えたが、レベッカの瞳を逸らさず、見つめ返す。


「口先だけならなんとでも言えるわ。人間なんて腹の底じゃ何考えてるか分からない。あの人だってあの憎たらしい女に騙された……!

そうよ、信用できるのはアンタの記憶の中に眠ってる”情報”だけ。さぁ、見せてごらんなさい? アンタの全てを。その涼しい顔の下に隠してる本当を……!」


鬼気迫る形相のレベッカに圧倒されつつも、白石は心の中で、自らに言い聞かせるように作戦内容を反芻する。


(これが同期なら……狙い通り……!)


胸中でその言葉を呟いたのを最後に、白石の意識は途切れた。


***


【白石Side:回想録】


私の実家は、かつて「軍の白冠」として名を馳せた、謂わば王家直属の導守の名門一家だった。


そして偶然にも、奇妙なことに歴代当主は皆男性であった。

その歴代当主の誰もが、白石家の証である馬の鬣を模した仮面を風にたなびかせ、王のため、大陸のために、それはそれは勇猛果敢に戦った。


つまり私は、生まれた瞬間から、女であることを歓迎されていなかったのだ。


母は、私が生まれてまもなく流行病で亡くなってしまって、私には父が全てだった。

父は厳格な人だ。

門下籍生に慕われ、同時に畏れられるその姿を、私は子供ながらに純粋に尊敬していた。

私は物心ついたときから、父から向けられる眼差しや愛情に、なんとなくいつもどこか壁を感じる様な、そんな違和感があった。


それでも、父は私を育ててくれたし、可愛がってくれて、笑いかけてくれた。

私にはそれがとても嬉しかった。

だからこそ、私は、その違和感の正体には一生気づかずに生きていたいと、幼心にそう願っていた。


しかしその日は、唐突に訪れた。

十四歳の夏だった。


私がいつもの様に帰宅すると、家中の障子を震わせるほどの怒号が、部屋の奥から聞こえたのだ。

声はまだ遠かったが、私にはそれが父のものだとすぐに分かった。

何事かと駆けつけると、部屋の中から父の怒号が聞こえた。


「そんな奴は戦果をあげて貢献する他、存在価値は無い! だから初めから俺は男が良かったのだ! この長きにわたる白石家の歴史に泥がぬられるだろう! これまで王のため、民のために、地を流してきた歴戦の猛者たちに、なんと顔向けできようか」


なんの話をしているのか、その時はまさかそれが“私のことだ”とは、頭が回らなかった。

私は、父の窮地かと、考えるより先にその部屋の障子を開けていた。


「お父さ――」


しかし、次の父の一言で、私は全てを悟ることになった。


「子も産めぬ女児など、白石家には必要ない!」


障子を開けたと同時に放たれた言葉。


そして心底絶望の表情でこちらを見る父。

部屋にいた医者とそのお付きの者の青ざめた顔。


(なぜ……そんな目で、私を見る……?)


否。それは――その不要な女児とは、間違いなく私の事だったのだ。

私はその瞬間、全てを理解した。


父と自分の間にずっと感じていた壁――。

その原因は他でもない、私の性別、謂わば「私の存在自体」だったのだ。


父はずっと、本当は私に、男に生まれてほしかったのだ。


その日のその後のことは、よく覚えていない。


ただ、確かに覚えているのは、私はその日を境に「男」を名乗るようになった。


それからの毎日はひたすら修行に明け暮れた。迷いや後悔は無かった。

私をここまで育ててくれた父の思いに応えるため――

そして、そこに決して破れない壁を隔てていたとしても、確かに向けられていた幼少期のあの日の笑顔を、もう一度自分に向けて欲しくて――

私は強くなろうと、必死に修行をかさねた。


来る日も来る日も修行。

一人黙々と、恋愛もせず、娯楽も抜きで。

贅沢はせず、質素倹約、文武両道で、ひたすら父に認められるために修行を重ねる。


しかしそれが報われることは決してなかった。

加えて、女であることを偽り、男として生きる私に対して、周囲からの目は厳しいものだった。


***


ある日の大陸任務でのことだ――

その日の任務はパルファン級の中でも、重めな方だった。

私が連れ伴ったFANG達の多くは負傷していた。中には命を落としてしまった者も居た。


自分だけが無傷で、先頭を闊歩し、何も言葉を交わさず、負傷したFANG達と共に本部へ帰還する。

死神なら良くあるシチュエーションだが、我々とて、この瞬間に何も感じていない訳ではない。

私の出した指示で、何人の犠牲が出たか――

任務後はそんなことがつい頭の中をかすめる。


しかしそんなことを考えていては次の任務に支障をきたす。

今日も私は、私にできる最善を尽くした。

その結果なのだ。受け入れる他あるまい。

私は、頭の中に浮かんだ邪念を振り払う様にして軽く頭を振った。

その時だった――


私の仮面の顔半分を覆っていた部分がその拍子に外れた。

先程の死闘でひびが入っていたのだろう。

不意に、顔半分と、隠れていた部分の髪が露呈した。当時私の髪は肩程までの長さで、一見して女性だと分かるものだった。

身なりが何だというのだ。尤も私にとっては、男として生きるための心意気や強さの方がよほど重要で、髪の長さなど気にしたことなどなく、ずっとのばしっぱなしに放置していたのだ。


だからこそ、か――

それを見た数名のFANGが声を潜めて言った言葉が――当時の私には、受け流せなかった。


「なんだよ女か」

「女のくせに散々こきつかいやがって」

「もっと強い男の導守だったら、ここまでの犠牲出さずに済んだんじゃね」


私はしばらく無視して歩き続けた。

しかし、胸の中で何かが爆発しそうになるのを、抑えられなかった。

心の奥底にある怒り。

長年押し込めてきたものが一気に湧き上がって、止まらなかった。


私とて、この性に生まれたくて生まれた訳ではない――。


そのまま足を止め、静かにそのFANGたちの方を振り向く。

私の視線に気づいたのか、そのうちの一人が「お前ら…」と声を漏らし、揶揄していた数名のFANGを止めに入ったが、もう遅い。


私はその場に仁王立ちになり、そのFANGたちの目の前に立った。

そして――


手に持っていたナイフを一閃、髪の毛を切り落として見せた。


バサッと音が響き、長かった髪が無残に地面に落ちた。


「髪は女の命と言うからなぁ……」


自分でも驚くほど、低い声だった。


「ならば今、女の私は死んだ」


その一言で、周囲の空気が一変した。

FANGたちの目が一瞬で怯えたように揺れ、背筋が凍るような威圧感が広がっているようだった。

その時の私の目の奥は骸の様に空虚で、それでいて凍てつくような冷たさを宿していたことだろう。


「私は男。そして黙って従うのが、貴様らの務め」


その声に込められた力強さと冷徹さに、FANGたちは一歩も動けなかった。

反論する言葉すら出なかった。


私の目には、一切の感情が宿っていなかったと思う。


また、ある日の夜会でも、私を嫌煙する声があがる。

アトランティス西方で毎年開かれるパーティー。

そこにはアトランティス西方でも屈指の導守の名門である白石家は、当然参列するのが通例であった。

しかし私は、女の装飾はせず、男物の正装で臨んでいた。


愛想笑いを振りまき、感じよく振舞うことすらも、私にとっては必要のないことだった。

誰もが浮かれている場を楽しむことなど一切せずに、夜会のその瞬間にも、有事の際にはすぐに命を懸けられるよう意識を張り詰めていた。


自分は白石家の盾であり矛。

機能としてそこに参列しているだけなのだから。


そのことに私自身、納得していた。

しかし聞こえてくる言葉から、周りの目は私の感性とは全く異なっていたことがよく分かった。


「女を捨ててるのね」

「見て、あの顔の傷。あれじゃもうお嫁にも行けないから、ああするしか無いのよ」


そこに集っている有力者、有識者たちの会話からは、どうやら私は皆から「男装して必死に父親に愛されようとしている哀れな娘」と思われているらしいことがよく分かった。


来る日も来る日も、罵倒と嘲笑の日々。

これまで、女からも、男からも、受け入れられることは無かったように感じる。


それでも私は折れなかった。

――というよりも、不器用な私は、他に何を目的に生きて、何に打ち込めばよいのかも分からなかったのだ。


私にはそれしかなかった。


***


白石の記憶に触れたレベッカは、その壮絶さに思わず息を詰めた。


「な、なにこの子の記憶……。まるで……」


まるで自分の様じゃないか――

レベッカは、かつての――生前の自分と白石が猛烈に重なる。

白石の記憶に触れたことで、レベッカの中で、長く蓋をしていた忌まわしい記憶が弾けるように蘇った。


***


【レベッカSide:回想録】


“レベッカ”――本名は、エドワード・グレイソンという男性である。

オーデと契約したエドワードが名乗っている“レベッカ”という名は、エドワードが生前辱められ、彼が自殺に追いやられる原因となった女の名だ。

彼が何故その名を名乗るのか。

それが憎しみからか――

反対に、喉から手が出るほど欲しかったものを手にしたレベッカへの羨望からか――

それはエドワードにしか知らない。


彼は、幼い頃に両親を失った。

身寄りの無い彼は児童養護施設で育った。

勝負事が嫌いで平和主義、心根の優しい、穏やかで繊細な子だった。


やがて青年となったエドワードは、ある日恋に堕ちてしまう。

その相手は、学園の人気者ミカエルである。

エドワードはもともと、ミカエルにずっと憧れを抱いていた。だめだと思っていても、ふとした時に彼を目で追ってしまっていた。

人気者の彼の周りにはいつも人が居た。彼がひとりでいるところを、エドワードは見たことがなかった。


対するエドワードはというと、いつも隅の方に居て、目立たぬ青年であった。

自分から誰かに話しかけるのは、何か必要に迫られたときくらいで、誰とも会話せずに帰宅することも多々あった。

皆が忘れ去っている花壇の花に水をやるような、静かな青年だった。


そんな彼は、当然ミカエルに気づかれることはほとんどなかった。

たまに目が合ったり、挨拶をする程度の距離感。

しかしながら、エドワードは多くを望んではいなかった。

陰から静かに、今日も彼を眺めていられるだけで満足だった。


当時、エドワードの住む地域では、まだこうした恋愛模様が受け入れられていないこともあり、エドワードはそのひそやかな恋心を蕾のまま、誰にも打ち明けず、一人静かに大切に育てていたのだ。


しかしある時を境に、その平穏な均衡が崩れた。


ミカエルが花壇の世話をしていたエドワードに話かけてきたのだ。


――いつもここに居るの?

――明日も会いにきていい?


そんな彼からの積極的なコミュニケーションに、最初、エドワードは戸惑った。

何かの悪戯かと疑い心を閉ざしていたが、それからミカエルは熱心に毎日話しかけてくるようになった。


しかし案の定、彼は別の誰かの声が聞こえてくると「じゃあまたね」と、いつも踵を返してすぐにその場から居なくなった。

自分といるところを他人に見られたくないのだとエドワードはすぐに分かった。


しかしそんなことすらどうでも良くなる程に、ミカエルは、エドワードと二人きりの時は本当に優しかった。

ミカエルは、自分のそうした行動について、「自分は臆病なところがある、情けなくてごめん」と、エドワードによく謝った。


ミカエルはエドワードに優しかった。

彼だけは、誰よりもエドワードの心に寄り添い、性別ではなく“人”として向き合ってくれているような気がした。


手を繋いだ夜もあった。

微笑み合った朝もあった。

自分の存在を肯定された気がして、エドワードは初めて、自分が生きていていいと心から思えた。


そして何よりもエドワードを安心させた魔法の言葉―――

それは、ミカエルがいつも呪文のように何度も繰り返す「君といる時の僕が、本当なんだ」という言葉だった。

この言葉が、甘く、固く、エドワードの盲信を煽っていた。


やがて、エドワードはミカエルから彼の両親が離婚したことを告げられた。

母親に引き取られたミカエルの生活は、急に貧困を極めることになってしまったのだという。

純心からエドワードはそんな彼に、「力になりたい」と申し出た。


ここからエドワードの毎日は、彼がかつて経験したことの無い、予想もしていなかった事態へと展開していった。

いつのまにか、ミカエルに会う度に、彼に裸の写真を撮られるのがルーティーンになっていた。

一方のミカエルは、エドワードが写真を撮られれば撮られるほどに、会う度に、良い服や装飾品を身に着けるようになっていった。


エドワードは、ミカエルが自分の写真を使って何をしているのかを理解をしていた。

それでも彼はそんなミカエルを愛し続けてしまった。


ミカエルは写真を撮り終わると、いつも「ごめんね。ありがとう」と言いながら、その暖かな腕の中に、エドワードを包み込んでくれたのだ。

一度手に入れてしまったこのぬくもりを手放すことが、この頃のエドワードには難しかった。

自分を初めて、一人の人間として認めてくれて、尊重してくれて、こんな自分を嫌な顔ひとつせずに受け入れてくれたミカエルのことを、エドワードは嫌いになどなれなかったのだ。



それなのに――――



ある日、夕暮れの光が差し込む教会の回廊で、エドワードはひとり立ちつくしていた。

彼の顔が真っ青に染まっているのは、夕日に反射したステンドグラスの蒼が彼を照らしているからではない。


ミカエルの隣には、いつの間にか“レベッカ”という女性がいて、二人は堂々と腕を組み、何度も何度も濃厚なキスを交わすその姿をエドワードは見てしまったのだ。


それは、刃より鋭く、凍えるように痛い光景だった。

しかし、エドワードは物陰で一人、静かに目を閉じた。

ミカエルの一番に自分がなれるなんて、そこまで図々しいこと――

仮に望んでも、そうならないことなど、エドワードが一番分かっていたからだ。


しかし、次に聞こえてきた言葉に、エドワードの中の全てが崩れ落ちた。


「あの気味悪い金ずると未だ会うの?」

「自分がねだってるものの金額見てからそれ言えよ」

「はぁ~……あとどんくらいで回収できるわけ? もうちょっと高く売れないの?」

「仕方ないだろ? そんくらいの体なんだからさ」

「にしてもバカだよねぇ~。ミカエルのこと信じて毎回黙って写真撮られてさぁ? バカっていうかもうここまでくると健気? 本当はこうやってアタシとやることやってんのにさぁ――」


そこまで言うと、またミカエルの唇がレベッカの唇と貪るように重なる。

濃密な音が静かな教会にしっとりと落ちていく。


エドワードはたまらず、耳をふさいだ。

利用されていることはとっくの昔から気づいていた。

それでも同時に、大切にもされていると信じていた。

しかし、ミカエルの心底面倒そうな声色が、無常にもエドワードに真実を突き付けてくる。


「……どうして」


長い睫毛が影を落とす瞳は虚ろで、もはや涙すら流れない。

彼の心は、もう乾ききってしまっていた。

震える声が、誰もいない空間にこだました。


「……じゃあなんで……僕に、あんな言葉を……あれも全部……」


――君の心は美しい。

――誰よりも君が特別に見える。

――自分を隠さなくていい。


あの言葉は、すべて偽りだったのだろうか?

ただの気まぐれだったのか?

エドワードの胸には、無数の針が刺さるような痛みが繰り返し蘇っていた。


顔を上げると、不意にレベッカと目が合った。


――ッ!


エドワードに気づいた彼女は、一瞬目を見開いたが、侮蔑に満ちた瞳で見下してきた。


圧倒的敗北。


そして、エドワードは消えてしまいたい程の羞恥に襲われた。

大切にされていると思っていたのは自分だけだった。

そう思いたい自分だけが、夢を見ていたのだ。


消えたい。消えたい。消えたい。消えたい。

消えたい。消えたい。消えたい。

消えたい。消えたい。



消したい。



この日、ひとりの心優しい青年が消えた。

深く傷ついた魂が――新たな怪物として、静かに目を開いたのだった。


*****


【そして現在】


――自分自身の、傷だらけの忘れたくても決して忘れられなかった記憶に、レベッカは思わず同期を解いてしまう。


意識が現実に戻ると、息は浅くなり、その身体は小刻みに震えていた。

少し遅れて白石が目を開いたその時、一筋の涙がレベッカの頬を伝っていた。


「……アンタ……なんで……こんな……」


言葉がうまく出てこない。


自分も、白石も、こう在りたいという己の姿を、周囲から決して受け入れられなかった。

味方と言えるような、心を許せる存在が誰一人居ない中、たった一人で生きてきたのだ。


苦しげに白石を見据えるレベッカの瞳は、過去の記憶にただひたすらに怯えていた。


白石は、その姿を静かに見つめ返した。

その瞳は冷たくも熱くもない、凪のような穏やかさを湛えている。

そして、慎重に言葉を紡ぎはじめた。


「貴方のことを聞いたときから、考えていた――」


白石はひと呼吸置いた。


「もしかしたら、私と一緒なのではないかと。そう予感していた」


レベッカはわずかに顔を伏せる。

けれど、白石の言葉から耳を背けることはできなかった。


「貴方と対峙できるよう申し出たのは、それが理由だ。会って、確かめて、話がしたかった」


白石は静かに手を差し出した。

そしてゆっくりと指を伸ばし、レベッカの目元からこぼれ落ちそうな涙を、指の腹でそっと拭う。


「……私の記憶は、ひどく見苦しいものだっただろう。特に貴方には……」


敵対する相手に向けているとは思えない、慈愛に満ちたその白石の眼差しに、レベッカの肩がぴくりと揺れた。


「あんなものを見せて、すまなかった」


白石の声は静かだったが、そのひとつひとつの言葉には、重みと真心が込められていた。

そして、ふっと――ほのかに微笑む。


「しかし、あれが私の全てじゃない」


白石の脳裏に浮かぶのは――


深刻な時ほど、いつも通りの軽薄な笑みを浮かべ冗談混じりに接してくる産土。

いつも気怠げで面倒くさそうな表情を浮かべつつ、何だかんだと人の事をよく見ている久遠。

しばしば対立もするが、いつも彼の決断の最優先軸は“死神仲間の生存確率”であるダリウス。

そして、もうこの世にはいないラヴィの――どんなことも笑い飛ばして、白い歯を剥き出しにした屈託無い、あの陽気な笑顔だった。


「……決して数は多くないが、私には仲間がいる。私の過去や性別、立場にとらわれることなく、向き合ってくれる連中がね」


そう語る白石の瞳には、誇らしさと、少しの懐かしさが宿っていた。


「――クセのある奴らばかりだが信頼できる。互いの違いを、理解しようとしてくれる人たちだ」


レベッカの瞳が揺れた。

白石はそんな彼女に方へ少しだけ身体を乗り出し、柔らかく言葉を繋ぐ。


「貴方にとっては……この大陸外にいるオーデたちが、そうなのではないか?」


レベッカは黙っていた。

その視線はただただ逸らされないまま、そこにいる。それだけで、彼女の心が自分に対して閉座されていないと、白石にはわかった。


だからこそ――そっと手を差し出しながら白石は言った。


「私たちの間に、完全な理解がなくともいい。……けれど、和平条約くらいは、結べないだろうか?」


それは交渉ではなく、懇願でもなく――

ただ、同じ痛みを知る者同士としての、誠実な提案だった。


沈黙が流れる。

レベッカの真紅の唇が、かすかに震えた。

白石の言葉は、そっと彼女の心に降りていく。

まるで誰も踏み入れたことのない荒野に、初めて雨が降ったような、そんな静かな余韻が、レベッカの胸に広がる。


沈黙の中、レベッカは少しだけ目を伏せ、長い睫毛を震わせた。

やがて、淡く微笑むような、しかし苦味の残るような表情を浮かべて、小さく首を振る。


「……そうしたいけどね」


低く掠れ、囁くような声。


「でも、そうは言っても……色々と、複雑なのよ」


肩をすくめながらも、その声にはどこか切実さが滲んでいた。


「――あんたも知ってるでしょ?」


真正面から白石を見つめる目は、赤く泣き腫らしたように潤んでいる。


「オーデと契約したコ達が、みんな私みたいな事情を抱えてるわけじゃない……こうして心の隙間を埋めるようにして力を手にしたコもいるけど、本当にどうしようもない、救いようのない奴らだっている」


少し、声が強くなる。


「……和平条約なんて無理よ。今すぐ結べるわけがない。時間が要るわ。それも途方もないくらいの」


レベッカの言葉に一切動じることなく、白石は穏やかでまっすぐな眼差しを向けている。

まるで雨の降った大地に差し込む一筋の陽だまりのような眼差しだ。

一切の疑念も否定もない、ただただ相手の痛みを受け止める目だった。


レベッカは、その視線にしばし言葉を詰まらせ、不意に視線を外す。

そして、諦めにも似た微笑みを浮かべ、ひとつ小さく、ため息を吐きながら言った。


「……でも」


ぽつりと落ちたその言葉には、さっきまでとは違うぬくもりがあった。


「そうなる日が、いつか来るなら――見てみたい気もするわ」


長い髪の隙間から覗く横顔が、少しだけ揺れる。

その一瞬、心の底から気を許したようなほっとしたような笑みが漏れたのを、白石は確かに見た。

そして、ふと瞳を伏せながら続けた。


「……だから」


レベッカは、胸元に下げていた銀のペンダントにそっと手を伸ばした。

その動作には、どこか決意にも似た静けさが宿っていた。


「こうするわ」


指先でそれをつまみ、ぐっと握りしめる。

そして――


地面に叩きつけた。


ガシャンッと、乾いた音を立てて、ペンダントが割れる。

その瞬間、封じ込められていた無数の記憶が光の糸となって、空間を漂うように解き放たれていった。


白石は思わず息を呑む。

その美しくも儚い記憶の奔流に、目を見張った。


視線を戻すと、レベッカは静かに長い髪を背中へ払い、首筋をさらしていた。

それは――導守に対する、執行の合図だった。


何も言わずとも、確かに伝わる意思。


(……柄でもないこと、思っちゃったわね)


レベッカは、自分の胸の奥でひとつ、そっとくすりと笑った。


(まさか……このコになら、執行されてもいいと思っちゃうなんて……)


それは、絶望の果てに辿り着いた、ささやかな赦し。

誰にも語られることのなかった、最後の希望だった。


白石はほんの一瞬、切なげな表情を浮かべたが――すぐに、静かに微笑む。


そんなレベッカの気持ちを、白石は何も言わずに受け止めた。


そして、まるで一輪の花を捧げるように、そっと手を差し出す。

指先は震えてなどいない。

まっすぐで、優しくて、何よりも誠実な、敬意のこもった所作で、白石はレベッカに告げる。



「――お手をどうぞ。レディ?」



その声は柔らかく、まるで風のように心地よく響いた。


レベッカはその手を見つめた。

一瞬、潤んだ瞳が艶やかに揺れると――

次の瞬間、そっと、その手を取った。


触れ合った指先から、ほんのりと温もりが伝わる。

そして――

二人の身体は、柔らかな光に包まれていった。

それは終わりではなく、まるで和解の証のような―――始まりのような、暖かで静かな輝き。


その光の中で、レベッカは上品に微笑みながら、終わりを迎えた。

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