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第33話「願いはひとつ~仮面舞踏会にて~〈後編〉」

ハロワン第33話「願いはひとつ~仮面舞踏会にて~〈後編〉」


完璧な恋人に扮した高嶺と久遠の舞いは、次々に周囲の目を釘付けにしていった。

そしてとうとう彼らは作戦通り、裏会場への切符を手にする――


P.S.

本作で随一の、甘美さと緊張感の入り混じった少し危険な香りのする回です。

作戦行動の一環で、普段高潔で紳士な高嶺が言葉責めMAXのぐいぐい系になる所や、後半で久遠が女装のストレスを渾身の一撃に込めて爆発させるシーンなど、見所も多いです!

今宵は、あなたも仮面舞踏会の世界へ……!ぜひ!


――――――――――――――――――――――――――――――

今回は、残酷な描写はありません。


独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています。

物語の進行に併せて随時更新してまいります。

宜しければご覧くださいませ。

https://ncode.syosetu.com/n9351kp/1/

――――――――――――――――――――――――――――――

【仮面舞踏会当日――広間中央にて】


煌びやかな舞踏会のホール。

シャンデリアの光が眩いほど反射し、豪華な衣装を纏った参加者たちが優雅に踊り続けている。


その中心にいる二人――

一見、完璧な恋人同士に見えるその美しい存在は、否応なく周囲の目を引いていた。


「もっと堂々として。美しいお顔をよく見せてください、姫君?」


高嶺は踊りのステップを崩さぬまま、久遠にしか聞こえぬ声で囁いた。

思っていた以上に周囲の視線が刺さり、久遠は恥ずかしさで思わず伏せ目がちになってしまう。


「……殴るぞ」


その低い声に、高嶺は笑いを噛み殺すように小さく咳払いをした。

久遠は小さくため息をつきながらも高嶺の肩に手を置く。嫌々ながらも踊りの流れを合わせているその様子はなんとも微笑ましい。

二人のその美しさは観客を瞬く間に魅了し、ところどころから感嘆の声が漏れている。


「ほら、集中。賭け(わたし)に勝つんでしょう?」

「……っ!」


不意に至近距離で高嶺と目が合い、久遠は息を呑む。


微笑む高嶺のバーガンディ色の瞳の奥には、愚直に作戦成功への執着が確かに宿っている。

それを感じると、久遠は何も言い返せない。

女装での潜伏自体は心底不服だったが、作戦成功への執着は久遠も同じなのだ。

彼はこの潜入のための涙ぐましい自分の努力の日々が頭によぎり、舌打ち混じりに話題を変える。


「……で、どれがソレっぽい?」

「なかなか……動きを見せませんね」

「……たく、要らねー注目ばっかり集まりやがる」


毒づく久遠に、高嶺は冷静な表情のまま返す。


「時間が惜しいですね……少し、揺さぶりましょうか」


言い終える前に、高嶺は久遠の手を取りくるりと優雅に回転させる。

白魚の様な細い指に、高嶺の大きな掌が重なり強く引き寄せられる瞬間、久遠は驚きで小さく声を漏らす。

長身の高嶺の腕の中で彼の意のままに誘導され、照明を反射して金糸の刺繡を煌めかせながらドレスの裾がふわりと舞った。


「おい、何して……!」

「踊りに集中してください、姫君」


茶化すような声色の奥には、確かに本気の色が混じっている。

久遠は仕方なく動きを合わせながらも、高嶺を睨みつけた。


「……終わったら覚えとけよ」

「それは怖いですね」


高嶺はどこか満足そうな笑みを浮かべながらも、広間の隅々まで視線を送り、目標と思わしき人物を探す。

広間の端に佇む黒服の男たちの視線がこちらに向いたのを確認すると、高嶺は彼らの視線を引きつけるように、久遠の腰を自分の方へと少し引き寄せた。 

その動作が自然すぎて、久遠は抗議する間もなくバランスを崩しかける。


「おい、近い……!」

「このまま曲の最後まで目標の視線を独占します」


久遠は睨むように高嶺を見上げるが、高嶺は意に介さないどころか、むしろその表情を楽しんでいるようだった。


「見てください。おかげで……彼らで間違いないでしょう」


高嶺は久遠の耳元で囁いた。

高嶺の大きな肩に隠れるようにしながら、久遠はその視線の先を追い、目標と思しき男たちを確認する。

目標は、柱に半身を隠すようにしながら、躍る二人に執拗な視線を送っていた。


久遠が、高嶺の一連の策略が功を奏したのを半ば面白くなさそうにしていると、不意に顎を掴まれ顔をあげられる。


「……!?」


顔を上げられた瞬間、久遠の金色の瞳が大きく見開かれる。

高嶺は久遠にぐっと顔を近づけると、真剣な眼差しで手短に言った。


「我が君……ここからは少々本気を出します。恨むなら後で。いくらでも」

「は……?」


久遠は何も言い返す間も無く、次の瞬間、高嶺の行動に息を飲む。


高嶺は久遠を軽く回転させると、今度はその手を自然に引きながら、スムーズな動きで自分の身体の前方へと強く引き寄せた。

背後から抱き寄せられ、分厚い胸板と筋張った腕にすっぽり収められると、華奢な久遠の体格との差がより鮮明になる。

右手で久遠の右手を上から包み込み、左手は華奢な腰を後ろからしっかりとホールドし、そのまま二人の身体はぴたりと密着した。


呆気にとらえる久遠をよそに、高嶺はそのまま背後から、久遠の耳元へと大胆に唇を寄せる。


「今宵の貴方は、誰よりも美しく、私の心を狂わせる……」


唇が耳元すれすれに触れそうな距離感。

その囁きに、久遠の肩がピクリと震えた。


「っ……いきなりなんだよ……!」


久遠は振り払おうとするように体をよじるが、背中に感じる高嶺の体温と分厚い胸板がその動きを完全に封じる。


「こら。妙に動かれると、余計にそそられますよ? 勝手に動かない。私に任せて」

「……!」


そのからかうような声音すら、久遠の無駄な抵抗を封じるには十分過ぎる甘さを孕んでいた。

耳元にわざと吹きかけられる吐息が妙に熱く感じられる。

まるで耳を犯されているようなその感覚に、久遠の白い首は瞬く間にぶわっと赤くなった。


高嶺の目は、どこか儚げな色香の漂う久遠の襟足を堪能する様に細められる。

一見、これが芝居であることを忘れさせるほどに、すぐ間近に迫る高嶺の瞳は、普段の冷静沈着なそれではなくなっている。

仮面舞踏会の煌めきの中で獣めいた熱を帯び、儚げで中性的な久遠の顔立ちを飲み込むように見つめくるのだ。


久遠は背後から迫る高嶺の熱気に、己の限界がじわじわと蝕まれていくのを感じながら、必死に目を閉じて耐えた。

しかし、その逃避を許すはずもなく――高嶺の左手が久遠の小さな顎をそっとすくい上げる。

指先はまるで宝物を扱うように繊細なのにもかかわらず、決して抗えぬ強さを秘めていて、久遠は不意に顔を振り向かされる。


仮面越しに再び二人の視線が絡む。

その空気は、舞曲の流麗なリズム以上に濃密で、観客ですら近づきがたい磁場を生んでいた。


「……っ!」


高嶺は優雅な手さばきで久遠を後ろへと反らせる。

背を支える手は力強く、それでいて繊細――その絶妙なバランスに、久遠は不本意ながらも身を委ねざるを得ない。


「もっと腰を反らして……ほら、いい子だ」


低く、喉を震わせる声が耳に落ちた瞬間、久遠の体は反射的に命じられた通りに形を作ってしまう。

久遠の白い喉元と鎖骨のラインが煌めく光の中に妖艶に浮かび上がる。

高嶺の見事な手さばきによって、まるで操り人形のように導かれる自分に、久遠は心底苛立ちながらも抗えない。


「お前……あとで絶対泣かす……!」


赤く火照った頬に仮面の影がかかり、金色の瞳が潤む。

怒り混じりのその眼差しすら、高嶺には甘美で愛らしい挑発にしか見えなかった。


「そんな口をきく姫君も悪くないですね……さぁ、もっと力を抜いて。演技なのでしょう?」


艶やかな口調に揺さぶられ、久遠は言葉を探す間もなく、再び腰を抱き引き寄せられる。

高嶺の手はドレスの布越しに腰骨をなぞり、もう片方の指先が滑るように長い髪を撫で上げる。

その仕草はもはや舞踏の域を超えた親密さで、まるで恋人を口説き落とすときの愛撫そのものだった。


周囲の女性陣は羨望の眼差しを隠せず、視線は自然と二人に集まる。

久遠は頬を赤くしながらも、必死に気丈な表情を保つ。

普段は硬派で決して気安く触れてくることの無い、誰よりも理性的な高嶺という男から繰り出される手数の多さに、久遠は圧倒されながらも、それを悟られまいと必死で奥歯を噛み締めるのだった。


会場の空気が熱を帯びる中、久遠と高嶺は息を合わせて踊り続けていた。

周囲の視線が自然と二人に集まる中、一曲目の曲が徐々に終わりに近づく。


「っ……!」


高嶺の手が背中に回るたび、素肌に触れる指先の感触が久遠の神経を逆撫でし、身体がぴくりと小さく反応してしまう。

背中が大きく開いたこのドレスのデザインが、今はまるで罠のように思えた。

高嶺はそんな久遠の反応を見逃すはずもなく、わずかに意地悪な笑みを浮かべながら見下ろす。


「……どうしました? いつもの貴方らしくありませんね」


耳朶に落とされた吐息混じりの囁きに、久遠は全身を震わせる。

怒鳴りたいのに、声は甘く震え、羞恥が喉奥を塞ぐ。


「っ、煩い……!」


睨みつけるその視線すらも、熱に潤んで魅惑的だ。

高嶺はそれを堪能するかのように、余裕の笑みを浮かべた。


「そんなに顔を赤くして、可愛らしいですね」

「……っ!」


そんな甘いやり取りの最中にも、目の端で目標を確認する高嶺。

目標の男たちは二人に執拗な視線を送りつつ、いよいよ無線機で何か通信しているようなそぶりを見せた。

それを捉えた高嶺は「それ見たことか」と、さらに注目を独占するように甘美な振る舞いを続けていく。


「いい調子です。このままこちらに誘導しましょう。さぁ、もうひと踏ん張り……!」


高嶺はそう言うと、ゆるやかに久遠の指を取り直す。

そのか細い指先を親指でなぞり、まるで余韻を弄ぶように時間をかけてじっくりと滑らせてやる。

その一挙一動が挑発的で、甘美な雰囲気に満ちている。

仮面の下で久遠の頬が熱に染まっていくのを確信すると、高嶺はわざと追い打ちをかけるように、吐息交じりに言う。


「ほら……もうこんなになっていますよ?」


高嶺は久遠の真っ赤に染まった首元にゆっくりと目を落とし、わざとらしく実況するように続けた。

低い声が、滴る蜜のように耳奥を濡らす。


「小さなお耳も、首筋も……すっかり熟れてしまって……」


そこまで言うと、高嶺はまるで久遠を所有するようにぐっと引き寄せ、その白い首筋に、熱い吐息を吹きかける。

それは生温く、まるで這う様にしてじっくりと触れられているかのような錯覚を生んだ。


「……一体、私にどうされたいのです?」


毒のような甘い問いかけに、久遠の足が一瞬止まりかける。

だが高嶺の力強いリードが舞を途切れさせない。

熱気を帯びた高嶺による駆け引きの応酬に、久遠の羞恥は限界を迎え、仮面の奥の瞳が熱に潤む。


「ふざけんな……っ」


仮面の奥で歯を食いしばり高嶺を睨むが、その瞳は熱にうなされて涙目になっており、威厳のかけらもない。

高嶺はその儚さに目を細め、たまらず顔を背けてしまった久遠の顎を再び優しく掬い上げ、正面を向かせて言った。


「紅が咲いた貴方の白い柔肌は、触れずとも相手を魅了し、恥じらいで潤んだ瞳はどこか背徳的な香りを帯び、目が離せなくなるのです。これを惜しみなく見せつけてやれば、作戦は必ず成功します」


言葉と同時に、彼の額に軽く口づけが落ちる。


「――!」


一瞬、久遠の体が硬直する。その反応を楽しむように、高嶺の唇に笑みが宿る。


曲がいよいよ最終節に入る。


「さて、そろそろ曲が終わります。仕上げと参りましょう」

「……待てっ……高嶺、本当に何を――」


久遠の言葉が終わる前に、高嶺は彼をぐるりと回転させた。

ふわりと舞うドレス、その動きに合わせて広がるホワイトムスクとベルガモットの上品な香り。

深いスレットの隙間から覗く白魚のような青白い脚が妖艶に艶めき、周囲を一気に魅了する。

それに誘われるように、周囲の関係者たちの感嘆と共に目が一層強く向けられる。

ざわめきと感嘆が広がる中、久遠は恥ずかしさで泣き出しそうな顔で高嶺を見上げるばかりだった。


目標である用心棒の男二人は、いよいよ立ち上がり、2人の方へとその足取りをゆっくりと進めた。

高嶺は満足げに微かに口元に笑みを携えると久遠にそっと囁いた。


「動きましたよ。流石は我が君……私よりよほど役者がうまい」


静かに、いつもの落ち着いた声で高嶺が微笑む。

バーガンディの瞳が優しく細められ、きちんと立ち上げられた前髪の下で、その微笑みはあまりに清廉で頼もしかった。

さっきまで耳を焦がすほどの囁きや濃密な駆け引きをしてきた男と、同じ人物とは思えない。


あの、刺激的な熱気も、腰を支えられた強引なリードも、今は跡形もなく――ただ誠実で端正な男が、いつも通りの優しい笑みを浮かべているだけ。


「……っ」


久遠は言葉が出なかった。

仮面の奥で顔が火照ったまま、かろうじて息を呑む音だけが漏れる。

余韻に震える心臓と、いつもの穏やかな高嶺の笑み。そのあまりの落差に、頭が真っ白になる。


高嶺はそれを知ってか知らずか、ほんの少しだけ首を傾け久遠の顔を覗きこむ。「大丈夫ですか?」とでも言いたげに。

優しく語りかける声と、髪をそっと撫でる体温に、久遠は思わず力が抜け足元がくらつきそうになる。

舞踏が終わったら、文句の一つや二つ言ってやろうと思っていた久遠だが、それを見るともう何も言えなくなっていた。

その内心のくらつきを絶対に悟られまいと久遠は唇を引き結んだ。


煌びやかなオーケストラの最後の一音が響き渡り、拍手の波が会場を包み込む。

久遠が肩を上下させ微かに息を整えているのを包み隠すように、高嶺の手が自然に久遠の背中に触れてそっと支える。

二人は微笑を浮かべながら、ざわめきから一歩離れる。


ホールの隅、仄暗い壁際の小さなアーチの下に身を寄せ、さりげなく目標の接近を待った。


「もうじき連中が来ます。ここからは作戦通りに。くれぐれも、お声を出してはいけませんよ?」


高嶺はそう言って、微笑と共に、手に取った一杯のシャンパングラスを久遠へと差し出す。


久遠は、「わーってるよ!」と言うようにちょろりと小さく舌を出す。

反抗的な態度だが、グラスを手にとった途端、仕切り直すようにただ静かに上品な微笑を浮かべる。


――来る。


近づいてくる男たちを確認し、二人は無言でアイコンタクトを送りあう。

久遠は目を伏せ、上品な微笑を維持したまま視線を落とし、従順さと無垢さを纏った。


「いや素晴らしい……お嬢さん、先ほどは素晴らしい舞を見せていただきましたよ」


目標の男は二人組だった。

一人は詐欺師の様な笑みを携えてよく喋り、もう一方は恵まれた体躯の持ち主だが基本喋らず無言でこちらを見下ろしてくる。


「お美しい……本当に、まるで人形のようだ」


彼らの視線は品定めするように久遠を舐め、興奮と打算の入り混じった光が滲む。

久遠はあえて少し恥じらいの表情を浮かべ男たちを更に翻弄した。


高嶺は一歩前に出ると、微笑を絶やさず彼らに告げる。


「失礼。こちらは生まれつき声が出せないのです」

「……なるほど、いやそれほどの美貌があれば、声など必要あるまい」


男たちが納得したように頷く中、ふと久遠が小さくふらりと体を傾けた。

あくまでも自然に――まるで知らず知らずのうちに罠にかかった蝶の様に。

久遠の白い頬が赤く染まり、瞳が揺れる。


「……っ」


次の瞬間、高嶺の腕が自然な動きで久遠の身体を支える。


「おっと」


優しくしっかりと抱き留める高嶺。そして流れるような動きで久遠の手から、落ちる前にシャンパングラスを奪う。


腕の中の久遠は、ぐったりと脱力しており、まるで本当に眠っているかのようだった。

かすかに開いた薄紅色の唇は艶やかで、眠っていてもなお、その色気で男たちの視線を釘付けにする。

高嶺は久遠の顔の上で手をひらひらと動かし、完全に眠ったことを確認するような仕草を見せる。

その冷静さに、男二人は不穏な雰囲気を察し、一瞬驚いたように眉を上げながら様子を伺った。


「……よし」


高嶺のそのたった一言のつぶやきの効果は、この状況を説明するのに何よりも雄弁だった。

目標の男二人は、この端正な顔立ちの美丈夫が、先ほどまであれほど蝶よりも花よりも丁寧に扱っていた自らのパートナーを催眠薬で眠らせたのだと察する。


再び男たちに向き合った高嶺の顔は、先ほどまでの優雅で上品なものではない。

どこまでも冷たく、無機質、それでいて強欲さを秘めた目つき。


(なるほど……話の分かるクチか)


高嶺の表情を確認した男二人組は顔を見合わせ、にやりと笑う。


「コレを、できるだけ高く売りたい」


小さく呟いた高嶺の声は、いつになく低く冷たい。その瞳が、冷たい光を宿して男たちを見据える。


「鑑定書付きの上玉だ……詳しい話は中でしたい」


その口ぶり、表情、声色――完璧だった。

饒舌な男の方が、一歩後ろに控える無言の巨漢に顎で合図を送ると、彼は迅速に高嶺の背後に回り込んだ。


「……面白い奴だ。ついてきな」


饒舌な男はそう言うと、きらびやかなホールの中心に背を向け、薄暗い方へと足を進めていく。


男たちに促され、高嶺は腕の中の久遠を抱き上げたまま、裏会場への扉をくぐった。

石造りの廊下は薄暗く、湿り気を帯びた空気が纏わりつく。

饒舌な男は先導しながら、時折振り返り、高嶺の腕の中の“商品”に興味深げな視線を送る。


「……あんた、相当手練れだろ……一体今まで何人喰ってきた?」


世間話の体を装い、高嶺の素性を探ろうとして来るのを、高嶺は短い言葉で受け流していく。


「生憎、数では勝負しない」

「質にこだわってるっちゅうわけか……なるほどな」


その視線は久遠の陶器のような滑らかな肌を執拗に捉えている。

陰気な廊下の明かりに照らされ、青白く艶めいた肌に、男は喉を鳴らす。


「あんたの腕じゃ疲れるだろう? 運んでやれ」


その言葉を合図に背後の無言の巨漢が、久遠に手を伸ばしかけたそのとき、高嶺は素早く身を捩り、男の手が久遠に触れぬよう立ち位置を調整する。


「商品は……最後まで自分で運ぶ主義なので」


微笑まじりの静かな一言。

しかし、その声には決して逆らえない圧があった。

男は不服そうに唸ったが、それ以上は手を出さず、再び歩を進めた。


やがて辿り着いたのは、小さな奥部屋。

古びた木の机と椅子、薄暗いランプが一つだけ灯る狭い空間だった。

既に五、六名の屈強な男たちが部屋に控えており、無言で高嶺と久遠(えもの)を迎えた。


高嶺は瞳孔の動きを最小限に抑えつつ、部屋の構図と武器と人員の配置を素早く確認する。


「さて、まずはその鑑定書とやらを見せてもらおうか」


自らのテリトリーに身を置いたことで、饒舌の男の声がもう一段階自信を帯びる。

高嶺は無言で頷くと、腕の中の久遠を壁の四隅を利用して静かに座らせた。

久遠は項垂れ、あたかも完全に意識を失っているように見える。


高嶺はスーツの胸元から封筒を取り出し、引き抜いた上質な用紙を恭しく丁寧に広げ、それを男の前に差し出す。


「失礼」


短く断りを入れ、高嶺は自らの端末をその用紙の特殊コードにかざす。

パスワードロックが外れ、用紙上部の空間に、鑑定証の内容が浮かび上がった。


男たちは本物かを確認するように見入った。

が――

今度はすぐに、その内容に皆の視線は釘付けになった。

鑑定証には、久遠が導守(しるべもり)であり、さらに名門血統にルーツを持っていること、そして何より“サラブレッド”であることが示されていた。

サラブレッドとは、生後五歳までに導守を意味する痣が出現した子供のことを指し、その希少性から人身取引ではかなり高額で競り落とされる。


「これは……」


饒舌な男が思わず舌なめずりしたのを高嶺は見逃さなかった。

男たちが完全にかかったのを確認すると、頃合いを見て高嶺は毅然とした態度のまま言った。


「ボスと直接話をさせてほしい」


勿論、そんな申し出が叶うはずもない。

そして、そんなことは高嶺にとっては想定内。

しかしそれを悟らせぬよう、あえて冷静さを殺す。


「そうはいかないのよ」


男たちはくつくつと肩で笑いながら高嶺を一瞥した。


「ここまで運んでくれてありがとよ」


饒舌な男が、腐敗した光を帯びた目で薄ら笑いを浮かべた。その声を合図に、残りの手下たちがぞろぞろと高嶺を取り囲む。処分の段取りが整ったかのような、緊張と不気味さの混じる空気が場を満たした。


そして男は、壁際によりかかる久遠の前にしゃがみ込むと、その仮面を外し、白く柔らかな頬にかかる髪を指で払いのける。じっくりと品定めする様に髪を滑らせながら、そのさらりとした絹糸のような感触に、男の喉がごくりと鳴った。

そのまま躊躇なく久遠の身体を抱き上げると、まるで戦利品を掲げるかのように腕に収め、高嶺の方へ冷ややかに目をやった。


「この別嬪の嬢ちゃんは、我々が責任を持って引き取らせてもらう」


そして、更に奥へ連れて行こうと男が歩みを進めると――

その瞬間を待っていたかのように、久遠がぱちりと瞳を開く。


そして――



「男だ、ぶわぁぁぁぁーーーーーか!!!!!」



突如響いた怒鳴り声。

女のものと思っていた高音ではなく、紛れもなく青年の声。

耳元で炸裂した罵声に、男の全身が一瞬で凍りついた。


「な、に――」


最後まで言い切るより早く、久遠は抱えられたままの体勢から右手を振りかぶる。

握っていたパンプスのヒールが閃き、ためらいなく男の股間へ叩きつけられた。


「ぐおっ!」


断末魔のような声をあげ、男は膝から崩れ落ちる。

その衝撃で久遠の身体が床へ転がり落ちるが、彼はすぐさま態勢を立て直し、さらに容赦なく追撃を加える。

普段は死神随一の虚弱さで知られる久遠だが、この時は一体華奢な彼のどこからそんな力が繰り出されているのかと思うほどの渾身の力がその一撃に込められていた。

素早く研ぎ澄まされた身のこなしで、呻く暇すら与えない。


「がっ……!」


虚を突かれた男は抵抗もできず、白目を剥いて完全に失神。

重い音を立ててその場に突っ伏した。


一瞬、場が静止する。


「……っ……!!」


他の男たちも、目の前の光景が理解できず硬直していた。

空気そのものが止まったかのような一拍の間――


その刹那、動けたのは、この展開をあらかじめ知っていた者――

つまり、高嶺だけだ。


高嶺の表情からはいつもの紳士然とした優雅さが消え、冷酷な狩人の顔になっていた。

次の瞬間、高嶺の肘が男の側頭部に叩き込まれる。

鈍い音が響き、男の身体がくの字に崩れ落ちた。


「う、うわっ!」

「おい、何――」


声を上げかけた男の喉元に、高嶺の膝が突き上がる。

息が詰まり、目を見開いたまま、地面に倒れ込む。

高嶺の動きに、無駄は一切なかった。研ぎ澄まされた刃のように、ただ必要な一撃だけが正確に繰り出される。

男たちはようやく武器を抜こうとしたが、その動作さえ遅すぎた。

高嶺の足が地を蹴り、次の男の胸に直線的な蹴りが突き刺さる。

骨が軋む音。肺から空気が抜け、男が痙攣する。

さらに振り向きざま、別の男の膝裏を蹴り抜き、立つ力を奪うと同時に顎を打ち上げる。


「ッ……この化け物が……」


恐怖の声を残し、最後の男が拳銃を抜きかけた瞬間、高嶺の掌が伸び、その手首を捻る音が響く。

銃が床に転がる。

それを無造作に拾い上げると、真下に叩きつけトリガーを破壊。


「……ボスは、この部屋の奥にいる……で、いいな?」


低く、鋭い声。

最後に残された男に顔を寄せる高嶺。氷の瞳が、刃のように男に突き刺さる。

その圧倒的な強さに、抗う術などない。

男は怯えながら首を縦にブンブンと振り、自分だけは助かろうと命乞いを始めた。

しかしそれに耳を貸すつもりは高嶺には毛頭ない。


「そうか」


短い一言の後、高嶺の拳が無慈悲に振り下ろされる。

最後の男の意識が暗転する音が終わると、部屋に静寂が訪れる。


高嶺は「ふぅ……」と短く息をつくと、革手袋を今一度きつくはめ直しつつ、久遠の方へと駆け寄る。

久遠はというと、先ほどの一撃で突っ伏した男の背の上にヤンキー座りをきめながら、高嶺による一連の“掃除”の様子を眺めていた。


高嶺は立て膝をつき、久遠と目線を揃えると、心配そうに様子を伺った。


「……我が君、大丈夫ですか」


その顔には先ほどまでの冷たさが消え、穏やかさと心配が混じったいつもの表情に戻っていた。


「吐きそうだったわ」


その言葉に、久遠の心中を察した高嶺はかすかに眉間にしわを作る。

しかし毒づく久遠の手にはしっかりと男から奪った目的のカードキーが握られていた。


「急ぐぞ」


高嶺はそれを見て、久遠もまた自分と共に狩る側なのだ、ということを改めて思い知らされる。


「ええ」


高嶺が返事をしたのを確認すると、久遠は脱いでいたパンプスを素早く手に持ち、足音を消してドアの方へと向かった。

高嶺もその後を追う。


二人の影が、セキュリティーキーの向こう側、禁断のエリアの薄暗い廊下に消えていく。


***


【裏会場 天井裏にて】


そこに、息を潜める高嶺と久遠。


「やはり“蟻の巣構造”でしたね」

「……本当、お前の引き出しの多さにはビビるわ……おっかねえ専属サマだな」


この作戦がここまで順調にいっているのは、高嶺の恐るべき知識量無くしては語れない。


「恐れ入ります」


短く言って軽く会釈してみせる高嶺。


蟻の巣構造とは、重大な機密情報などを取り扱う会議などの際に用いられる特殊な構造のことである。

特に今回の様に、参加者全員が国家を揺らがすレベルの影響力を持った最重要人物である場合、皆が同じ部屋に集うと、万が一の襲撃のリスクや、また盗聴なども一つの部屋では盗聴されたら一発OUTのリスクが高まる。

かといって、各人が別々の建屋から参加する遠隔会議では、通信の範囲が広大になるため、電波ジャックされて情報漏洩に繋がるリスクが高まるため、これも推奨されない。

そうした背景から、参加者は一部屋に集うことはせずに、全員が同じ建屋の中の、別々の部屋に居て、自らの発言時だけ専用機材を使って情報伝達をする――これならば仮に盗聴されたとしても、盗聴者は忍び込めた該当の部屋の内容しか盗聴することができず、会議の内容全てを把握することは出来ない――この仕組みが“蟻の巣構造”である。その様子が、蟻の巣を想起させることからそう呼ばれている。


歴史書等の文献を好んで日常的に愛読している高嶺はこれを知っており、まさに今回の会議がこの形式で行われるはずだと予想していたのだ。

高嶺は、事前の作戦会議の中でこう告げていた。


『この構造の良いところは、各部屋のキーを手に入れる必要がない――つまり、各部屋に繋がる共同スペースのキーさえ手に入ればこっちのものだというところです』


会場の見取り図を広げながら、高嶺は続けた。


『恐らく、いえ、ほぼ確実に、この裏会場で会議を行うとしたら、このエリアが使われるとみて良いでしょう』


なんと彼が指さしたのは、仮面舞踏会会場と同じ一階のフロアマップだった。

共用スペースのキーさえ手にいれればこっちのものという高嶺の話が本当ならば、いくら各人がそれぞれの部屋に分かれていたとしても、全員を同じ階に配置することは相当リスクだと久遠は感じる。

それでは、もし侵入された時に、天井伝いに各部屋に盗聴器を仕掛けられたら、蟻の巣構造最大の利点が崩壊することになるからだ。


『そりゃまずくないか? 通信の範囲を少しでも広げたくないってのは理解してるつもりだが、全員同じフロアじゃ本末転倒だろ。俺なら数名ずつ、各階配置とかにするけどな』

『ええ、勿論その可能性も捨てきれませんし、仰る通り本来そちらがセオリーです。しかし今宵は秘密の仮面舞踏会(デスペラード・ナイト)、秘密裏に動く鼠共は、いざというときに誰よりも早く逃げられなければならない。

この地繋がりのエリアは、全員が平等に脱出しやすく、その意味で、こちらで開催されるのではないかと踏んでいます』

『なるほどな』


久遠は興味深そうにラブレットピアスを触りながら傾聴している。

高嶺は、フロアマップの上に、また別の資料を差し出す。


『そして、その共同スペースのキーは、こちらから頂戴するとしましょう』


そこには、ドラフトを積極的に行っている人身取引のファミリーの情報が示されていた。


***


細心の注意を払いながら、二人は這うように進んでいく。

すると、遂にその瞬間が訪れた。


「いつまで待たせる気だ」


その声が聞こえた瞬間、高嶺と久遠は無言で、勝利のアイコンタクトをとる。


(……この部屋に(おぼろ)が居る……!)


***


【そして現在 ―― 帰りの車中にて】


外は雨が降っていて、煌びやかな街のネオンに靄がかかってる。


「隠語だらけで呪文みてぇなことばっか言いやがってよ……本当めんどくせぇ爺さんだわ」


潜入を終えた久遠が朧の話を思い出し、車窓から外を見ながら悪態をつく。

高嶺はその愚痴に軽く頷きながら笑う。


「解読にはかなり時間を要しますね」

「……ハッ。たく、やりがいしかねぇ」


久遠はかったるそうに両足を投げ出し、頭の後ろに両手を組む。


会話もひと段落し、しばしの沈黙。


「……」


なんとなく運転席の高嶺の方へ目をやる久遠。

程なくして高嶺はその視線に気づき、バックミラー越しに深いバーガンディの瞳がすぐに久遠を捉える。


別に微笑み合うわけでもなく、かといってそらしてしまうわけでもなく、無意識に二人は少しだけ見つめ合う。


「……」


先に視線を逸らしたのは久遠の方だった。

手持ち無沙汰で、なんとなくまた車窓から外を見る。


「我が君、」


再び、高嶺の声がけで、久遠はそちらに目をやる。

高嶺がふっとかすかに笑いかける。


「……必ず、辿り着きましょう。私達が知りたいものに」


その言葉に、一瞬目を見開く久遠。

そうして、すぐにふっと笑い返す。


「そうだな」


潜入はもうごめんだと思うほど削られたが、高嶺のその言葉に、久遠は無茶した甲斐があったと思えた気がした。


(これで高嶺を救えるなら――安いもんだよな……)


黒塗りの車は、夜の中に溶けていく。

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