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第28話「朝と夜」

ハロワン第28話「朝と夜」


第三回派遣を目前に控え、朝霧は今、かつての――たった一人の親友のことを、鮮明に思い出していた。

その残酷な記憶は、時に彼を鼓舞し、癒し、力を与える――


P.S.

朝霧がなぜ闘うのか、なぜ打倒オーデに執着するのか、その理由が明らかになる回です。

かつてインテリヤクザ系だった朝霧が、今はなぜあんなにも筋肉ムキムキなのか……シンプルに鍛えているのもありますが、「俺は二倍生きなきゃならないから(※よるの分まで)」ときっと彼は応えるでしょう。

それがきっと、朝霧が誰よりも強い理由なんです。


――――――――――――――――――――――――――――――

残酷な描写はまだありません。


独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています。

物語の進行に併せて随時更新してまいります。

宜しければご覧くださいませ。

https://ncode.syosetu.com/n9351kp/1/

――――――――――――――――――――――――――――――

【第三回派遣 産土(うぶすな)班 出発前日正午 ―― クロノス本部の産土部屋にて】


薄明りが差し込む部屋の中、産土はベッドの縁に腰掛け、寝起きのぼんやりとした顔で周囲を見回した。

時刻は昼の12時を少し過ぎたところで、産土にとっては平均的な起床時間だ。


ソファの背から無造作に放置されたTシャツを取り、片腕を通しながら低くぼやく。


「……で、何よ? 朝っぱらから」


反対側の腕を通しながら、寝癖のついた髪を乱暴にかき上げる。

肩から背中にかけて浮かび上がる筋肉のラインが無駄に目立つ。


「もう昼だけどな」


部屋の中央では、陸が片手にダンベルを握りながら腕を上下に動かしていた。軽い運動のつもりなのか、それともただ落ち着かないだけなのか。


あからさまに不機嫌そうな産土のことは特に気にせず陸は続けた。


「あんぱんってなんであんなに強いんだろう?」


産土は片眉を上げて陸を見た。

どかっとソファに腰を下ろし、足を投げ出しながら「なんで今それ?」と言いたげな顔をしている。


「あんなに強いんだ。なんか秘密とかあるはずだろ」

「聞いてみりゃいいじゃん」

「いや、なんとなくタイミング計ってたら、逆に聞き時を逃したっていうか……」


陸は軽く息を吐きながらダンベルを床に置き、手をタオルで拭った。


「ボス付き合い長いんだから、何か知ってるっしょ?」


産土は肩をすくめる。


「さぁ。知らん」

「えぇー……なんかボスとあんぱんって薄っぺらい関係なんだな」


その言葉に産土はピクリと反応し、少し意地の悪い笑みを浮かべた。


「ハッ、悪かったな。うちはビジネスライクな関係が売りなんでね」

「うわ、すげぇ開き直り……」


皮肉を交えた軽口を叩きながらも、産土の声にはどこか含みがあった。

ソファに体を預け、視線を天井に向ける。


「深くは知らない。でもま、ベタに“敵討ち”らしい」


その言葉に、陸の動きが止まる。

産土は視線を天井から移し、陸の顔をちらりと見た。


「……ああ見えて意外と人間くさいんだよ、あんぱんは」


そう言うと、産土は再び天井に視線を戻し、軽く息をついた。

言葉の余韻が、部屋の静けさに溶け込むように響いていた。


「そうか……」


陸はその言葉を反芻しながらタオルを首にかけた。

朝霧のことを考える彼の表情には、やや複雑な感情が浮かぶ。


やがて、産土はソファから立ち上がり、クローゼットの中から適当なズボンを取り出すと、振り返りざまに言った。


「知りたきゃ自分で聞きなよ。そのほうが確実でしょ」


***


【約25年前――バルバロア郊外にて】


バルバロアの中でも特に治安の悪い〈白幻街(はくげんがい)〉と呼ばれるこの地には、二人の狂犬(ばんけん)が息づいていた。

姿を見たら最後と恐れられていた二人は、他とは群れない、まさに孤高の存在だった。


この地には、お尋ね者や大陸中央からの招かれざる者がひっきりなしに入ってくる。

何せ無秩序な不毛地帯。

曲がりなりにも生命活動のあるこの地だが、外部の人間は彼らを同じ人間として見ておらず、この地では何をしても良いと思われていた。


そんな暴力と犯罪の渦巻くこの地で、狂犬は故郷を守るべく今日も東奔西走していた。

彼らは風来坊でも戦闘狂ではない。

奪われたモノを、奪った側から取り戻す――それだけが唯一の原動力にして行動指針。

彼らを恐れるのは“彼らの敵”だけであり、故郷において、彼らは無敵のヒーローだった。


焚き火の炎が、二人の顔をオレンジ色に染めて揺れている。

夜の静けさを破るのは、パチパチと薪が爆ぜる音と、彼らの軽口だけだ。


「なな、昼間助けたあの子さ、俺とあさ、どっちがタイプだったかなぁ?」


男は朝霧の親友だった。

名を夜霧(よぎり)といい、彼は自分と似た名の朝霧のことを “あさ”と呼んだ。


夜霧は笑いながら岩に腰掛け、足元に転がる石を何気なく蹴り飛ばす。

朝霧と同い年の彼だが、朝霧よりどこか無邪気で、子供っぽい笑顔が印象的な男だ。

ガタイがよく、額には無数の小さな傷跡、日に焼けた肌、鍛え上げられた筋肉。

ボロボロのシャツと泥まみれのブーツが、彼の暮らしの厳しさを物語っている。

だがその瞳には、貧しさや困難に埋もれない光と、賢さが宿っていた。


一方の朝霧は、同じくボロボロのライトグレーのシンプルなVネックシャツにデニムといういでたちで、体格は良いが、夜霧ほどではなかった。

銀縁の上フレームの眼鏡は、彼の知的な印象を引き立てている。


夜霧が力を信念としていたのに対し、知能派の朝霧は如何に汗を流さず勝つかをモットーとしている、そんな対照的な取り合わせだった。


この不毛地帯では、強さこそが全てだった。

親も家も失い、ただ生き抜くために力を磨き、戦い続ける日々。

夜霧と朝霧は、この荒れ果てた土地で、互いの強さを磨きあげ、いつしか誰もが恐れる存在になっていた。

そんな2人にとってはお互いが、唯一、心を許せる存在だった。


「ンなもん俺に決まってんだろ?」


朝霧は火の近くに座りながら、片方の膝を抱えるようにして座った。

ちらりと夜霧を見上げ、挑発的な笑みを浮かべる。


「お前みたいな単細胞、見向きもされねぇよ」

「そうかぁ?」


夜霧は肩をすくめながら、手にしていた木の枝で地面をつついている。


「俺があの場で相手をガッとやった時、絶対キュンと来たと思うけどな。あの子、俺の腕見てたし」


夜霧は自信満々に右腕を振り上げ、力こぶを作って見せる。


「はいはい、すごいすごい」


朝霧は冷めた声で適当な相槌を打つ。


「でもな、惚れさせてぇなら頭使え、頭」


夜霧の頭をトントンと指で叩いてみせる朝霧。


「頭ねぇ」


夜霧は手元の小石を適当に拾い上げ、何回か片手の上で投げたりしている。


「女ってのは頭で恋する生き物だからな」


言いながら朝霧は胸から紙タバコを取り出し、焚き火に軽く炙ってから口に咥えた。


「あ、俺にも」


すかさず夜霧が言うと、それを分かっていたかのように朝霧が一本手渡す。


「さんきゅ」


短く言って夜霧も一服する。

風が冷たく、焚き火の熱が心地よい。


「はぁー今日も平和だなぁー」


バルバロアの荒野で放たれるには似つかわしく無い言葉だったが、今の2人にとっては自然とそう思えた。


「だな」


口元に微笑を浮かべながら、朝霧が頷く。

焚き火の明かりが、彼らの疲れた顔を赤く染めていた。

昼間の喧騒と暴力が、今は嘘のように静かな時間が流れる。


二人は火を囲みながら、時折口を開き、くだらない話を交わす。

そんなひとときは、荒れた日常の中では貴重だった。


「……まぁでもあれか。俺ら、どっちもタバコ吸ってる時点でアウトか」


夜霧が呟くと、朝霧は肩をすくめながら「だな」と小さく笑った。

それから暫く、2人は闇に白い煙を撒き散らしていた。


不意に沈黙を破ったのは夜霧だった。


「この街にはまだ俺たちが必要だよな……」


その声にはどこか含みがある。


「俺、ここ好きだしな……」


独り言の様に焚き火を見つめながら続ける夜霧。


「なぁ、あさ……いつになっかな……俺らがここを抜け出せんのは」


ぼそりと呟いた顔はどこか哀愁をおびている。


夜霧には、幼少からの夢がある。

朝霧は火を見つめたまま、答えを返さない。

彼は親友の言葉に無責任に返事をする気にも、否定をする気にもなれなかったのだ。


その時――


焚き火の音だけが響く静寂を破るように、風が異様にざわついた。

火の揺らぎが大きく乱れ、気温が一瞬で変わったように感じられる。


「あさ……あれ……、いつから居た……?」


そう問いかける夜霧は、まるで何かから目を離せなくなったように、遠くのある一点を見つめていた。

その声が酷く警戒の色を帯びていて、朝霧は心は無性にざわついた。


夜霧の言う“あれ”というのが、朝霧には見えていないからである。


「俺には見えない……何が見えてる?」


朝霧の返答に、夜霧が分かりやすく取り乱す。


「えぁ?! 怖いこと言うなよ! 目の前にいるじゃん。天使みたいな……なんか白っぽいのが!」


親友の反応に嘘偽り無さを確信し、余計に朝霧の額には冷や汗が滲む。


「……すまん、俺には見えないみたいだ……」

「……!」


次の瞬間、夜霧が息を呑む様な反応を見せる。

まるで対象が、すぐ目の前に迫ってきたかの様に、目を見開いている。


「よる!」


その様子に異常を感じた朝霧は夜霧の方を向いて無意識にその名を呼んでいた。


「どうした! やばそうなら剣を抜け!」


その声に夜霧はハッとして反射的に腰に下げた刀の柄に手をかけた。


夜霧の目の前に見えていたのは――

宙に浮かび、艶やかな笑みを浮かべた少年だった。

彼は、全身真っ白な肌で覆われ、白く輝く装飾品を身にまとい、まさに天使の様な風貌をしていた。

白いバサバサとしてまつ毛から覗く大きな紫と金色の混じった瞳は奇妙なほど澄んでおり、純白のおかっぱ頭は寸分違わぬ綺麗さで切り揃えられている。

その人間離れした美しさは、彼の異常性を引き立たせるには十分すぎて、存在そのものが場違いで不気味だった。

風に乗ってくるのは、妙に甘ったるい香り。花畑でもないこの土地に似つかわしくない匂いが夜霧の鼻腔を刺激した。


「おやおや……ボクのことが見えているね?」


甘く柔らかい声が、夜霧の耳に響く。だが、その声には何か得体の知れない圧力があった。


「……お前は何者だ」


夜霧が低い声で問いかける。

その視線は鋭く、全身の筋肉が緊張している様に見える。

朝霧はそんな親友を見守ることしかできないでいた。


「そんなに怖がらないで。夢を持ってる人間にはボクが見えるみたいなんだ」


甘く囁く様な声が夜霧を誘惑する様に包む。


「君の夢を、叶えてあげようか?」


夜霧は目の前のモノを警戒すべきという自分の第六感を信じていた。

いや、それ以上に目の前の少年から、底知れぬ邪悪さを感じとり、無意識のうちに恐怖していた。


「……それは、自分でやらなきゃ意味がない。分かったら消えてくれ」


成り行きの見えない朝霧はその言葉に眉をひそめる。


「よる……?」


その瞬間、少年の瞳が冷たく光った。


焚き火がまるで息を飲むように大きく揺らぎ、一瞬消えた。

カラスが鳴いて逃げる様にして羽ばたき、風がまるで様子を伺うかのように緩やかに止んだ。


強烈なねばっこい嫌な空気がその場を支配する。


「可愛くないねぇ……悪いコだ。折角声をかけてあげたのに」


親友が柄を握る手は震えており、酷く怯えて動けなくなっている様子に、朝霧は思わず叫ぶ。


「……よる! 斬るんだ! 早くしろ!」

「お仕置きだよ」


そう言って少年が微笑みながら夜霧の肩に触れると、次の瞬間、夜霧の体が取りつかれたように痙攣し始める。


「よる……!」


そして、みるみるうちに肉が腐り、瞳が空っぽのように濁り、彼は見る影もないゾンビの様な風貌へと変わっていった。


朝霧の全身に戦慄が走る。


それが、後に朝霧の人生を大きく変える存在――快楽のオーデとの最初の出会いだった。


「やめろ……おい……」


(よるを――あいつの夢を――壊すな……!)


壊れていく夜霧を前に、朝霧の脳裏には、かつて親友が初めて自分に夢を明かしてくれた、その日のことが鮮明に思い出されていた。


***


二人は、十歳に満たないくらいの時期に出会った。


夕暮れ時、朝霧がいつもの様に瓦礫の街を歩き、一人ねぐらにしていたアジトに戻ろうとしていると、聞き慣れない音がかすかに風に乗って耳に届いていた。


「なんだ、これ……?」


瓦礫の隙間を抜けていくうち、音は次第に鮮明になった。

鈍く響く低音、優しく連なる高音。

それはピアノの音で、弾いていたのは当時の夜霧だった。


廃材の山から拾ったであろうそのピアノは、所々ひび割れてはいたが、大切に磨かれているのが分かる。

朝霧は思わず曲が終わるまでそこに立ち尽くして彼の演奏を聴いていた。

演奏を終え、満足そうにポーズを決めて余韻に浸る夜霧。


「それ、音がおかしいな」


いきなり背後から話しかけられてびっくりした様子で夜霧が振り返る。


「……えぇ!? 何? 誰? いつから居たの?」


振り返った夜霧は、バサバサ頭で、白いシャツの袖を捲り上げた腕には、煤と傷がいくつも刻まれている。


「……ちょっと前から、いた」


耳をつんざくような夜霧の大声に朝霧が怪訝そうに答えると、夜霧は屈託のない笑顔を見せた。


「そっかぁ! 俺の演奏、どうだった?」


その馴れ馴れしい態度に、朝霧は思わず眉をしかめたが、夜霧は気にする様子もなく、まるで返事を待つ様にピアノに向き直り、鍵盤を叩き始めた。


「……お前、名前は?」

「俺? 夜霧」


振り返りもせず答えるその姿に、朝霧は一瞬だけ言葉を詰まらせた。


「夜霧……?」

「おん。で、お前は?」


少し気まずそうに朝霧があまりにも似た響きの自分の名前を告げると、夜霧はふと手を止め、満足げに頷いた。


「へぇ、朝霧か。俺たち名前似てんな! 朝と夜でさ!」

「……」


寡黙な朝霧に対し、夜霧は気にせずよくしゃべった。


「なんか運命っぽいよな! 俺ら絶対仲良くなれるって!」


そう言うと夜霧は嬉しそうに朝霧の方を見る。

朝霧は夜霧の様に急に打ち解けるのは難しく、相変わらず少し怪訝そうに言う。


「……これ、そのへんで拾ったやつだろ? 音がズレてる」

「すげー絶対音感?! 持ってる人?」

「ちげーよ。どう見てもズレズレだろーが」

「な……! 失礼だなぁ、俺の宝物なんだぞ!」

「……っ」

「……直してやろうか」

「え! いいの?! てか直せたりすんの?!」


朝霧はむき出しになった弦をちらりと覗き込みながら言う。


「弦が緩んでんだろ、少し締めればちっとはマシになるかもな」

「へぇーお前すげえな!」

「別に……」


無邪気に目を輝かせて自分の方を見る夜霧を、「騙されやすそうな奴だな……」などと思いながらやや呆れ顔で一瞥してしまう。

しかしそんな表情、気にも留めずに、夜霧は続けた。


「ピアノって、世界中にあるものなんだよな? 俺、いつかここを出て、世界中でピアノを弾くのが夢なんだ」

「……」

「お前も来てくれよ! あさ!」

「……え」


夜霧は笑いながら立ち上がり、手を差し出した。


「今日から俺が“よる”で、お前が“あさ”だ! よろしくな! あさ!」


差し出された手に、朝霧は迷いながらも手を出した。

夜霧は嬉しそうに勢いよく彼の手を強く引く。その手は意外と力強くて、温かかった。


「あさって……なんかちょっと……」


(恥ずかしいんだけど……)


しかし自分の手を引く夜霧のあまりの屈託ない笑顔に、朝霧は言葉を飲み込み、もう笑い返してしまっていた。


それから、2人の“朝と夜”が始まった。

瓦礫の荒野の中で、まだ子供だった2人の絆が芽生えた瞬間だった。


***


【そして再び――焚火前での一幕】


あの日の回想は空しく、この残酷な目の前の現実にかき消されていく。


(……俺なんかと違って、よるには……よるには夢がある)


朝霧がこぶしを握る手に力が入る。


「さぁて、楽しくなりそうだ♪」


一方の快楽のオーデはそれだけ言うと、ふと消えた。


「よる! どうした?! よる! しっかりしろ!」


朝霧は変わり果てた夜霧の肩を掴んで、自我を取り戻させるかの様に強く揺さぶりながらその名を何度も叫んだ。

しかし焦点の合わない夜霧の目は、急速な変化に悶える様に目を白黒しながら、朝霧の姿を捉える。


自我を失いかけた夜霧は朝霧にきりかかった。

しかし時折、自制をかけるような素振りも見せる。

正義感の強い夜霧は、自我と喪失との間で激しく揺れていた。


そこに勝機をかけて、朝霧は攻撃を交わしつつ、夜霧に懸命に話しかけ続ける。


「大丈夫だ! 耐えろ! よる!」


しかし、そこで、更なる悲劇が起こる。

そこへ現れたのは――


「お兄ちゃん……?」


夜霧の、年子の弟だった。

朝霧はこの絶望的な状況に、活路を見出せないでいた。

まだ五つの彼の弟に、こんな現実を突きつけるわけには――。


刹那――、夜霧が弟へ斬りかかろうとした。

弟はそれを呆然と眺めることしかできない。


「やめろ! しっかりしろ!」


幼い夜霧の弟を前に、夜霧と朝霧の激しい攻防が続いた。


最後の一撃の様に、朝霧に噛みつこうと牙を向く夜霧。

朝霧は手元に落ちてた夜霧の刀で、やっとのことでそれをくい止める。


押し倒された朝霧の顔の目の前で、夜霧が獰猛に刀に牙を立てている。

朝霧もかなり力が強かったが、その倍ほど鍛えていた夜霧の馬力にはやはり押し負けていた。


(まずいな……っ)


押し返す腕の力が限界を迎える寸前で、朝霧の耳に微かな声が届いた。


「……を……ろせ…」

「……ッ!」


朝霧はまさかと耳を疑う。

目の前の夜霧の腐った目の端から、一筋の涙がこぼれ落ちる。


「俺を……殺せ……!」


その言葉に、朝霧を胸は激しい悲痛に襲われる。


こんな姿になってもなお――

一縷の自我を保ち、これ以上人を襲わぬように、自死の道を選ぶというのか。


でも、だからこそ、わかる。

よるの側にいて、誰よりもあいつのことが分かるから――

俺がよるでも同じことを望む。

朝霧は全てを理解できた。


夜霧は自分の腰から、酷く震える手で刀を抜き、朝霧に握らせる。

彼は大粒の涙を流しながら、朝霧を見つめる。

その目には深い信頼が宿っている。


お前にしか託せない――

その目はそう言っているように見えた。


最後まで剣士の誇りを失わなかった夜霧の最後の想い――


「……っ」


決意を決めた様に、朝霧は夜霧から受け取った刀を力強く握り直し、そのまま夜霧を射抜いた。


なるべく痛みが少ない様に――

楽にいけるように――

ただただそんな思いで朝霧は渾身のひと突きをくり出した。


夜霧は安心した様に目を閉じた。


一瞬の出来事だった。


今までいくら人を殴ったり殺したりしても震えなかった朝霧のその手が、初めて小刻みに震えている。

そしてまだ彼は、それを自分自身、感じられずにいた。


どさっ――


その音で朝霧は通常の意識を取り戻す。


音の方向を見ると、膝から崩れ落ちた夜霧の弟がいた。

泣いてはいなかった。涙が追いつかないほど、ショックを受けているのだろう。


朝霧はことの残酷さに、彼になんと声をかけたら良いか、もう頭が回らず、硬直しながら見つめることしかできなかった。


しかしまだ五つの彼がぽつりと発した次の言葉は、朝霧の想像を遥かに凌駕するものだった。


「……あさ……ありがとう」

「……!」


変異した姿とはいえ、目の前で兄を殺した――兄の、たった1人の親友。

常識で考えれば、その複雑性を理解するには、まだ彼は幼すぎるはずだった。

殴りかかったり、泣きついたり、恨んだり、したくて堪らないだろう。それなのに何故――


「兄貴を……助けてくれて……」


どんな気持ちで――

一体何が、まだ5歳の彼に、こんな言葉を言わせるのか。

その小さな体で、この現実を、一体どんな風に捉えれば、そんな――


「俺は……弱いから……俺には兄貴を助けられる力がなかったから……だから………ありがとう」


そう言葉を紡ぐ彼の小さな肩は震えていた。

やっと涙が追いついたのだ。


「強く……なりたいよ」


その瞬間、朝霧はこの残酷な運命を呪い尽くした。


「あさ……俺を強くしてよ。兄貴みたいな人を助けられる様にさ」


涙を溜めた少年の目は、目の前の朝霧をまっすぐに見ていた。

その力強さは、既に、よるに似ていた。


朝霧は思わず駆け寄り、その小さな肩を力強く抱きしめた。

その瞬間、一気に力が抜けた様に、弟は朝霧の広い肩に顔を埋めた。


「……ごめん………よる…」


朝霧は夜霧の弟を抱きしめながら、自分の手で殺めた――

そうするしかなかった――

たった1人の親友の名前を呟いていた。


もう二度と、こんな事はごめんだ。絶対に繰り返さない。


この日、朝霧はそう胸に決めた。


***


【そして現在 ―― 第三回派遣の道中にて】


それから幾年の時が経とうとも、朝霧はこの日のことを忘れたことなどなかった。

プロジェクト〈Arc〉が始まり、実際オーデ領域へ足を踏み入れる機会が増した最近は、より強く、より鮮明に思いだすことが増えていた。


「……ん」


頭の遠くで、誰かが何か言ってる声が聞こえるがいるが、朝霧の耳には届かない。


(あいつ……今頃どうしてっかな……)


朝霧は、もう何年も会っていない、夜霧の弟に思いを馳せていた。

次の瞬間、ぼんやりとした声がやっと輪郭をもち、朝霧をかつての記憶から現実へと引きづり戻した。


「あんぱん」


「……!」


その声に、朝霧がふと顔を挙げると、陸がこちらを覗き込んでいた。


「なんかぼーっとしてんね。大丈夫?」

「珍しいねぇ」


産土も意外そうに朝霧の方を見ている。

きっと何度か呼ばれていたのだと察した朝霧は「あぁ、すまん」と軽く謝る。


「何だ?」


朝霧はいつもの表情に戻り、陸に向き合ったが、彼は明らかに心配そうに見返している。


「大丈夫か……?」

「あれか、あんぱん食いたくなってたんでしょ?」


陸の後ろから産土が茶化すように朝霧の方を覗く。


「まぁ……そんなとこだ」


上の空で答える朝霧に、「絶対違うよな」という表情を向けたまま、陸が言う。


「……任務終わったら何食いたいかって話。あんぱんは? 何がいい?」


この三人の間では任務前に、任務が終わったら何を食べるか話し合うのが通例になっていた。


「あぁ、そうだなぁ、なんだろうな……」


特にこだわりが無い様子で朝霧が口ごもっていると、代弁するように産土が横槍を入れる。


「ごつごつは嫌だってよー」

「それはボスでしょ? あんぱんは好きだもん。もう2人でも何回か行ってるし」

「俺だって好きですー。だし、回数が愛の大きさじゃないんですー。てか2人で抜け駆けとかこすいことやめてくださーい」


産土はあからさまにふざけて、陸を挑発するようなことを舌を出しながら煽り顔で言っている。


「こすくないしー。なんならここ2人としか行ってませんー。ボスこそたまに1人で行くの抜け駆けだと思いまーす」

「もうちょっとでポイントが貯まるとこなんでそれは仕方ないと思いまーす」

「あーあーあー。言い訳―」


子供でもしない様なくだらないやり取りの応酬に、思わず朝霧は呆れを通り越し、微笑んでしまう。


もう少しでオーデ領域に足を踏み入れるというのに、目の前の二人はこの呑気さである。

産土はもとより、今や、陸も慣れたものである。


しかし今は、それが心強くすらある。


自分には今、この二人がいる。

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