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第26話「どれだけ強くても」

ハロワン第26話「どれだけ強くても」


ダリウスから聞いた、通称”ダービー”。

この話に、陸は、腐敗したクロノスへの怒りと嫌悪を募らせる。

いかなる理由であれ、仲間の命が――この日常が――壊れていいはずが無いと、陸は目の前の仲間達を見て強く感じるのだった。


P.S.

談話室のシーンで、白石・久遠・高嶺・朝霧の日常パートが描かれています。

皆でアップルパイを食べるという、癒し要素強めのシーンですが、陸の中でいつの間にか、彼らがかけがえのない存在へと変化してきていることを強く感じさせられる重要回です。


――――――――――――――――――――――――――――――

今回、残酷な描写はありません。


独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています。

物語の進行に併せて随時更新してまいります。

宜しければご覧くださいませ。

https://ncode.syosetu.com/n9351kp/1/

――――――――――――――――――――――――――――――

全体会議が終わったあと、陸は重い足取りで廊下を進んでいた。


任務で使用したV.A.M(ヴァム)の影響がまだ体内に残っており、頭の奥が霞がかったようにぼんやりしている。

会議前に一度、投与効果を打ち消すための点滴を受けたが、その効き目もここまでだったらしい。

今回のレベッカ戦は直接的な戦闘がなかった分、ダウンタイムは軽いはず――なのに、V.A.Mの中和剤を打ってもまだ抜けきらず、会議後にまた体調が悪くなっていた。


(……血の巡りが異様に早い。微熱があるな。喉もやけに乾く……頭の奥が痛い……)


そんな中、同じくV.A.Mを投与した朝霧のことをふと思い出す。

彼はいつも通りケロリとしていて、会議が終わるや否や、いつものように煙草を一服しに早々に部屋を出ていったのだ。

それを思い返し、陸は「すげぇな」と思わず小さく笑ってしまう。

それに比べ、自分は倦怠感に押し潰され、今すぐ横になりたいほどだ。

朝霧は「そのうち慣れる」と言うが――陸には、まだ遠い話だった。


(……やっぱキツイな……これ……)


陸は小さくため息を吐きながら、療養室のドアをそっと押し開けた。


「おや」


ふいにかけられた声に、陸はハッとして顔を向ける。すでに先客がいたようだ。


白いベッドの端に座っていたのは、先ほどまでも会議で一緒だったダリウスだった。彼の方が一足早くここへ来ていたらしい。

彼は今回の任務で、骨折や縫合を必要とする切り傷などの重篤な怪我を負い、顔や腕などのいたるところに包帯を巻いていた痛々しい姿だった。

しかし、その表情はまるで一切痛みを感じていないかの様に、気味が悪いほど涼やかだ。


「あ……お疲れ様です」


陸の声がやや上ずる。

ダリウスはポーカーフェイスのまま同じ言葉を返してくる。


「お疲れ様です」


内心、陸はわずかに緊張していた。

ダリウスに対しては、どこか距離を取りたくなるような感覚があった。

わずか過去数回のことだが、これまでの会議などでの彼の言動や、ポーカーフェイスで何を考えているのか捉え所がない感じが、本当は一度も本心で話していないんじゃないかと疑いたくなるような不気味さすらあり、正直陸は少し苦手だった。

それに陸とダリウスとは、こうした日常的なシーンで会話するのはほとんどこれが始めてだ。

二人きりになるのは、正直気まずい。


それでも、沈黙を続けるには部屋が静かすぎた。

何も切り出さないのも失礼に思えた陸は、当たり障りのない話題を探し、ようやく声を出す。


「……怪我、大丈夫ですか?」


その声にダリウスと陸の瞳が合う。

相変わらずダリウスの瞳には何も感情はない。

しかしやはり死神ともなるとその眼差しには隙が無く、こうして1対1での場所であらためてその目にさらされると、それだけで特有の緊張感が漂う。


「相手、かなり強かったんですね……」


陸の言葉に、ダリウスは無表情のまま、包帯の巻かれた方の腕をひょいと持ち上げて見せた。

そして、あっさりとした口調で言う。


「ええ、やはり大陸外ともなれば、それなりにやりがいはありました。しかし、まぁ……いつも通りに対応すれば、ここまでの負傷は負わない相手でしたがね」

「えっ……?」


想像と違う答えに、陸は思わず聞き返した。


「だったら……なぜ、そんな無茶な戦い方を?」


踏み込みんで聞きすぎたか……そう思った頃には、陸は疑問をそのまま口にしてしまった後だった。

ダリウスは少し考えるように目を細め、少しだけ首を傾げた。


「……なぜ、ですか。うーん……」


自分のことなのに、まるで他人事のようなダリウス。

相変わらず感情を宿していないうつろな目は、彼が首を傾げるたびに鈍く金色に光る。

そしてぽつりと言った。


「……気持ちよかったんでしょうね」


またしても予想外の答えに陸は唖然とする。

そんな彼に構わずダリウスは続けた。


「高揚する気持ちを抑えずやったら、気がいたときにはこんな感じでした」


その一瞬、無表情な彼の口角が僅かに歪む。その笑みは楽しげでもあり、どこか虚ろでもあった。

どこまでが本心なのか、まるで分からない。

陸は言葉に詰まり、眉をひそめる。


「結果、いい“番狂わせ”にもなって……ふふ……面白いものを見れましたし。大満足です」

「……?」


その不可解な発言に、陸はまた返す言葉を失う。

ダリウスは、陸の理解が追いついていないことなど気付いてもいないようで、ひとり口元を抑えて不敵に笑った。


(……この人……何考えてんだよ……)


ダリウスの様子は、あたかも理屈整然としているように見えて、その実どこか本能的で、破綻すれすれの危うさを秘めているようにも思える。


陸からすれば、今はただでさえ脳が微熱にうなされている状況だ。

ダリウスの話が理解できずについていけず、相槌も忘れてぼんやりとしていると、ダリウスは唐突に話題を変えてきた。


「現場にはもう慣れましたか? 彼の下は……色々と大変でしょう」


言葉にされずとも、“彼”が誰を指すのかはすぐに分かった。

他でもない、陸が専属として使えている主――産土のことだ。

陸は少しだけ肩を竦めて、小さく笑った。


「いえ……慣れるどころか……毎回、何が起きるか分からないというか……」


煮え切らない陸の反応をじっと見ているダリウスの眼は、またいつもの無関心な目に戻っている。


「……そういえば、先ほどの会議での発言、」


ダリウスのその切り出しに、陸はなぜか怒られるのではないかと少し構える。

が、次に告げられた言葉は予想外の展開だった。


「なかなか面白かったですね」


唐突な褒め言葉に、陸は思わず目を丸くした。

まるで軽い雑談のように褒めてくる。


(いやでも……これは褒めてるんじゃなくて、遠回しにとがめられてるのか……)


ダリウスの表情からは、皮肉とも本心とも取れるような微妙な笑みが消えない。

すっかり彼のペースに巻き込まれたまま、陸は曖昧に返事をする。


「……すみません、あれは、勢いと思いつきで……でも、」


陸がダリウスへの弁明を試みていた――そのときだった。


「おーーーう! 陸ぅううううううう!」


突然、窓がガラリと開く音がする。同時に療養室の中へ外の空気が一気に流れ込む。

目にも止まらぬ勢いで、黒い影が窓から飛び込んできた。


それは、翼を広げたガルモッタだった。

彼はいつもの破天荒な調子で窓から乱入してきて、部屋の中を陸めがけて一直線に飛んでくる。


「わっ、ちょっ……!」


奇襲とも言えるその突如の登場に、陸が驚いて声を上げたその瞬間――


……ガッ!!!!


負傷しているはずのダリウスが、一瞬で動いた。

次の瞬間、滑空していた鳥人間の足を、器用にがっしりと掴み取った。それも利き手ではない方の腕一本で。

療養中とは思えぬ鋭い身のこなし。

逸脱した動体視力の良さ。

スリムな体格からは想像できないほどの腕力。

ダリウスはそのまま、羽根のばたつきごと強引にガルモッタの体勢を封じる。


予期せぬ形で、全く成すすべなく捕まり、目を見開くガルモッタ。


「……これは面白い」


一方のダリウスの表情には、どこか楽しげな余裕すら漂っていた。

その動きは一切の無駄がなく、産土にも引けを取らない研ぎ澄まされたものだった。

そのまま逆さまにぶら下げるような格好で、ダリウスによってガルモッタの身体が宙に固定される。


「おい!?  な、何を──放せぇっ!」


ばたつく両腕と羽を軽く受け流しながら、ダリウスは穏やかに微笑む。


「ふふ……翼と背中のつなぎ目の骨格はこうなっているのですね……実に興味深い…」

「離せっ! ごらぁ!! てめぇ、クロノスの人間かッ!?」


その一言に、ダリウスの指がぴたりと止まる。

ガルモッタは怒りに顔を歪め、逆さずりにされたまま叫んだ。


「……俺の同胞が、あんたらの『開発』とやらの実験で何人殺されたと思ってる! 羽だけもがれて、食い物も与えられず死ぬまで調査員として捕虜にされて、自由を奪われた挙句、死んだらすてられてきた……俺は、あの哀れな民族の末裔だ! 今すぐお前を八つ裂きにして――」

「あぁ、あの民族……たしかバサ族とかいう。近年絶滅危惧種に指定されるほどその個体数が目減りしたのは、クロノスのせいでしたか」

「あ!? だったらなんだよ、しらばっくれやがって、てめえもそのクロノスの人間なんだろが!」

「いえ、私はクロノスの人間ではありません。死神です」

「死神だろーが、貧乏神だろーがなんだかしらねーが、どうせお前らはクロノスに大事にされて、ぬるま湯ん中で生きてんだろ!? そんなやつクロノスと一緒なんだよ!」


ガルモッタがそういった瞬間、ダリウスの表情がぐっと冷たくひきしまった。


ふと、静寂が訪れる。

開け放たれた窓からの風も止まり、その場の空気が息を潜めた。

その一部始終を見ていた陸には、ガルモッタの大きく声の通る罵声より、この静寂の方がよほど怖かった。


「……大事にされている……?」


そう呟いたダリウスの静かで低い声が二人の鼓膜を震わせる。

ガルモッタも野生の勘で、ダリウスの無言の威圧感を感じ、様子を伺うかのように一瞬動きが鎮まる。


「……面白くない冗談を言いますね」


ダリウスは、ガルモッタを掴んでいた手をおもむろに放すと、ゆっくりと口を開いた。


「彼らは、我々の派遣任務のたびに、どの死神が生き残るかを賭けて遊んでいるんですよ?」

「……っ!?」


ダリウスの語る内容に、最も衝撃を受けたのは陸だった。

ダリウスはそんな陸をちらりと一瞥した上で続ける。


「通称“ダービー”と呼ばれている、その名の通りギャンブルです。

彼らは予め、死神が派遣される各エリアの討伐が、うまくいくと思えば希望の金額をベットし、反対に失敗すると思えばおりる。

自身がベットした死神の活躍により無事奪還となれば、該当エリアの所有権を得られるばかりでなく、負けた他のプレイヤーから、ベットした分の金額を徴収できる。もちろん反対に外した場合は、自身がベットした金額を、予想が的中したプレイヤーに譲渡しなければならない。仕組みとしてはこんなとこでしょう。

要は皆、ここで新たな領土の権利と、巨額の資金の奪い合いをします。ここで得た資金で彼らがすること――それは、死神を使って奪還させた大陸外の土地の保護・開発です。近い未来、自分が所有者となったその領土で莫大な富を得るための準備を、未来投資的に進めておくわけですよ。

つまり彼らは、自分がベットした死神の成功だけを望み、それ以外の死神が死ねば都合がいいという仕組みです」


そう語るダリウスの目は笑っていなかった。


「我々死神ですら、クロノスにとっては所詮、手駒のひとつに過ぎません。全ては己の勝利と利益のため。まさにエゴの極み。これが、“大切にされている“と?」


ダリウスがコツと静かに二人に近づく。

これには流石のガルモッタも、言葉を失ったまま睨み返すことしかできずにいた。


「……っ」


その隣で陸がぽつりと呟く。


「……そんなの……」


思わず言葉を失い呆然とする陸に、不意にダリウスが僅かに微笑みかける。


「そんなにショックを受けずとも……君のボスあたりは、既に気付いていると思いますよ?」

「え……」

「尤も、彼にとっては、それすら心底どうでも良いのでしょうが」


産土や他の死神が命をかけて戦っているのをそばで見知っている陸は、クロノスの腐敗への嫌悪が募る。

あの最強の産土すら使い捨ての駒で、しかも本人もそれをわかった上で、それでも自分の目的のために必死で戦っているんだと、彼に思いを馳せる陸。


(ボスは……一体どんな気持ちで――)


陸は自らの主の心中を考えずにはいられなかった。


***


【クロノス本部 Arc関係者以外立ち入り禁止上層階 廊下にて】


「……じゃあまた。失礼します」


そう言ってダリウスのもとをあとにした陸は、無意識のうちに足元を見つめながら歩いていた。

歩幅はいつもより狭く、靴音も妙に心許ない。

胸の奥に、嫌なざらつきが残っている。


先程、ダリウスが語った話――

そして彼が最後に言った一言が、ずっと脳裏にこびりついて離れない。


『クロノスが大事にしてるのは、自分たちだけ。彼らが作りたいのは、そういう世界ですから』


こうした話を聞いたときに、やはり陸の頭に真っ先に思い浮かぶのは兄のことだ。

思わず腕に付けたブルー色のブレスレットを見やる。今は亡き母から、兄に渡してほしいと頼まれたものだ。


クロノス中枢、まさにその“心臓”であり“頭脳”と言われるほど大事な機能を担う、研究施設――〈アルカナ〉。

あの日、胸を躍らせてあそこへ行った兄の目には、今もあの日の様な輝きがちゃんとあるだろうか。

クロノスがこんな場所だったなんてと、失望していないだろうか。


(……ちゃんと元気にやれてんのかな)


ダリウスが言ったように、この世界の構造では、兄もクロノスの手駒の一つだ。

平和主義な兄の思想と、現行のクロノスの思想が一致するとは、陸には到底思えない。


(うまく折り合いをつけてやっているんだろうか……下手に抵抗すれば、きっとよくないことに巻き込まれるよな。

いや……兄貴は頭がいいから、きっと大丈夫……うまくやってるはず……)


先程、療養室で追加の薬を投与したが、まだ効きがまだ浅い。

加えてダービーの話も頭の中を巡り、軽く吐き気と胸やけすらしていた。


(……何か、飲もう)


せめて喉の渇きを癒せば、少しは落ち着くかもしれない。

そんなこと思いながら、陸は談話室の前までたどり着き、何の気なしに扉を押し開けた。


その瞬間――ふわりと甘く芳醇な香りが鼻をくすぐった。


「……ん」


驚きとともに顔を上げると、暖かな空気に包まれた談話室には、既に先客がいるようだった。


部屋に広がる香りの正体は、アップルパイの焼ける甘い香りだとすぐに分かった。

オーブンの前では高嶺が腕を組み、真剣な顔で中を覗きながら、焼き加減を確認していた。


「うむ……もう少しでいい感じだ」


そう呟きながら、そっとタイマーをセットし直す。

その隣――キッチンから少し離れた暖炉前の横長のソファでは、白石が腰を下ろし、湯気の立つ紅茶をゆっくりと口に運んでいる。


「旨そうな香りだな」


白石が言うと、高嶺は柔らかな微笑みを浮かべる。その姿はどこか執事のようで、とても彼が軍人とは思えないほど気品高い。


「本日はサンヴェリーヌ産の林檎をふんだんに使用したアップルパイです。丁度希少なラムが手に入りましたので、そちらも多めに加えて仕上げております。コク深い香りとこっくりとした甘さがこの夜長にマッチしますよ」

「それはいいな……久遠は、ラム単体でもよこせと言ってきそうだな」


白石は、実は酒豪の久遠の顔を思い浮かべ、くすりといたずらっぽく笑みを漏らす。

高嶺も「確かに。程々にしていただかないと」とつられるようにして笑って肩を揺らした。


するとそのタイミングで陸の方に気づいた白石が目を向けてきた。


「ん……? おう。(たかむら)、ご苦労さま」

「お疲れ様です」


陸はいつも通りに還したつもりだが、白石はティーカップをテーブルのソーサーに置きながら、心配そうな目を向けた。


「……どうした? 少し顔色が悪いようだが」

「え、あ、いや……ちょっと疲れてしまって……飲み物、もらいにきたんです」


陸はぎこちなく笑いながらさらに部屋の中に足を踏み入れる。

アイランドキッチンに差し掛かると、こちらを振り返った高嶺と目が合い、互いにお疲れ様ですと軽く会釈する。


ほどなくしてさらにドアが開く音がし――

今後はそこへ朝霧が顔を出した。


朝霧は部屋に入るや否や、まず白石に一礼する。

そのままの流れでキッチンの方へ歩いてきて、そこで陸と高嶺を鉢合わせた。


「おぅ」


お疲れ様の意の短い挨拶をしつつ、壁にゆるりとよりかかかる。


「何やってんの?」


その表情は同じFANG(ファング)仲間である高嶺に気を許しているような、どこかリラックスした表情だ。


「我が君にアップルパイを焼いております」


高嶺の言葉に朝霧は「ほぅ……」とオーブンを覗き込む。


「あんた本当に器用だな」

「我が君のためですから」


高嶺は軽く肩をすくめ、どこか誇らしげに微笑んだ。

そして、朝霧の後ろでミネラルウォーターを飲んでいる陸の方にも目くばせしつつ言った。


「もう少しで焼き上がりますので、皆様もいかがです?」


高嶺がそう言うと、陸の表情が心なしか明るくなる。


「え、俺たちも食べていいんですか?」

「もちろんですとも。甘いものは疲労回復に良いですからね」


そう言って、オーブンに向き直る高嶺の動きはまるで踊っているかのように優雅だ。

陸がリビングの暖炉前へと足を運ぶと、白石がソファからそっと彼に視線を向けた。


「篁」

「はッ。……あ」


こういうとっさに呼ばれた時など、自衛官の癖が出る。

不意に名前を呼ばれた陸が少し驚きつつも顔を上げると、白石は微笑んで、自分の隣の広いソファをとんとんと叩いて彼を呼んだ。

陸が一礼してからそこに腰掛けると、白石はすかさず言った。


「さっきはありがとう」


その一言は、特に飾り気もないものだったが、あまりにまっすぐな彼女の眼差しと言葉に、陸の胸が確かに高鳴った。


「いえ……」


先程の会議終盤で、陸がダリウス相手に食い下がったときのことを言っているのだとすぐに分かった。

あのときは必死で気付かなかったが、今思えば、新参者の自分の意見が通るなど結構奇跡だったのではと、陸は思う。


言葉が上手く出てこない陸に、白石は続けた。


「あの考察は見事だった。君の一言があったから議論の流れが変わったんだ。感謝する」

「いえ……とんでもないです」


何とかそれだけ絞り出した陸は、視線を彷徨わせながら胸の奥がぐっと熱くなるのを感じた。

朝霧はその様子を壁にもたれつつ、ククッと笑いながらその様子を見ている。


程なくして高嶺がケーキスタントにアップルパイを乗せてやってきた。

生地から全て手作りのアップルパイは、見るだけで香ばしさが伝わってくる程の綺麗な狐色をしており、程よい艶感はプロさながらの仕上がりである。


「さぁ、焼き上がりましたよ」


そう言って手際よく切り分け始めると、陸がどこからともなくカトラリーを持ってきて手際よく配り始めた。

その自然な流れに高嶺が感心したような笑顔になった。


「これは、恐れ入ります」


陸は「いえいえ」と返しながら小皿やフォークを次々と並べていく。

高嶺が切り分けた最初の一切れを白石の皿に置くと、それを見計らうようにして朝霧はひょいと一切れつまんで、直接口に運んだ。


「あ、こら」


高嶺が短く叱ったが、朝霧は意に介さず「うめぇ」と既に二口目を頬張っている。


その光景を見て、陸は思う――

ここは今、なんて穏やかな空気に包まれているんだろう、と。

つい先ほどまでダリウスから聞いた話で憂いや嫌悪に支配されていた心が、状況は何一つ変わっていないというのに、こうして彼らと接しているだけで、今はこんなにも晴れやかになってしまっている。

すごいことだと、陸は思わずにはいられない。


彼らを見ていると、陸は不思議な気持ちになる。

いま陸の目の前にいるのは、皆から英雄と崇められ、同時に恐れられる、特別な者達――それは紛れもない事実だ。


しかし、この人達も、こうやって仲間をねぎらい合ったり、ふざけあったり、他愛もない会話で笑いあったりしている。

彼らがどんなに強くても、その本質は、陸や他の人類と同じ、脆く儚いたった一つの命だ。


白石も、高嶺も、朝霧も――尊敬する遠い存在であることに間違いはなかったが、陸にとってはもうそれ以上に、大事な仲間になりつつある。

そのことにあらためて、陸は気付かされているような感じがしていた。


この人たちを――そんな仲間の命を、“ダービー”などと軽んじられることは、今の陸にとって耐え難く、憤りを感じることだった。

この人達は、そのことを知ってるんだろうか? 

産土の様に、知ったうえで、ここにいるのだろうか?


(……いや、今はそんなことはいい。この時間が出来るだけ長く続けば……それでいい)


そんなことを思うと、陸はふと自然に口を開いていた。


「なんか……このメンバー、落ち着くなぁ」


陸のその一言に、そこにいた全員が彼の方を見る。


「そう感じていただけるのは嬉しいことですね」


高嶺は上品に微笑みながら答えた。


「確かに、ここは気楽な面子かもな」


朝霧も頷き、白石もその言葉に黙って微笑みを浮かべた。

部屋には、言葉にしなくても通じ合うような安心感が漂っていた。


しかし束の間、談話室の扉があき、また別の声が響く。


「高嶺ぇ、まだかよー? 俺、腹減ってんだけどー」


久遠が談話室に姿を現すと、先ほどまでのリラックスから一変、陸は立ち上がって姿勢を正し、真剣な顔つきで一礼した。

同じ死神である白石は挨拶代わりに軽く手を上げる。

朝霧は持っていたパイを一度皿に戻し、やはり丁寧に「お疲れさまです」と会釈した。


「おーおー、勢揃いじゃん……」


久遠は思った以上ににぎわっていた談話室の面子を見渡しながら、少し驚いた様な表情を浮かべている。


「これは良いところに。丁度いま焼けたところです。折角ですので、皆様にも振る舞っておりました。我が君もこちらで召し上がっては?」


高嶺は久遠の部屋へ持っていこうと、専用の皿にうつしておいた焼きたてのアップルパイを差し示しながら微笑んだ。

久遠は、それに応える様にして歩み寄り、空いてた3人がけのソファにどかっと横たわった。


(隣だ……)


陸は、久遠が自分の隣の場所を陣取るとは、と少し驚く。

すると、そんな陸の心境に構わず、久遠はいつも通り気だるげな様子でだらりと話しかけてくる。


「……あのパンのやつ、最近もやってんの?」


それは、以前、陸が思い付きでやっていた、パンを掲げてガルモッタを呼ぶ行為のことだ。


(覚えてたのか……)


陸は思わず咄嗟に苦笑いが出たが、対する久遠はどこか興味津々な様子だった。

うつ伏せになって足を放りだし、ちょこんと頬杖を突きながら陸の方に顔を向ける。


「いや……あんときだけっすね」


陸の答えに、久遠は「なーんだ」とでも言いたげな表情を浮かべ、フォークを求めるように宙に手を差し出す。

その手に、高嶺が絶妙なタイミングですっと流れるようにフォークを置く。


「紅茶でよろしいですか?」

「んー」


同意の返事をしつつ、久遠は受け取ったフォークでアップルパイをひとかけ、当然の様にその小さな口に運んだ。


「んー……うま。やっぱ高嶺は天才だなぁ」


もぐもぐしながらフォークを進める久遠の声に、湯を沸かしている高嶺が少し離れたところから微笑む。


「本日はサンヴェリーヌ産の林檎に、ブリサノワール島の希少ラムをふんだんに使用しています」

「ほーん」


久遠は「じゃ、紅茶にラムも入れてー」と言いながら、もぐもぐとアップルパイを頬張っている。

その様子を見た白石と高嶺は、先程の会話を思い出し目線を合わせて微笑んだ。


目線はアップルパイのまま、久遠は陸に言った。


「……お前、なかなかやるじゃん」

「え?」


久遠は、むすっとした表情で「食わねーの?」と、食べ時を逃した陸を促しながら言葉を続けた。


「さっきの。会議でのやつ」


久遠は小さな口を小動物の様にもぐもぐと動かしながら言葉を続ける。


「敵をよく観察できてたから気付けたことだぁ。視覚的にただ凝視するってだけじゃねぇ。奴らの発言や様子から、事情や背景ひいてはその文化にまで、仮説をもって発想を飛ばす。見えてる断片的な情報からそういうことにまで思いを馳せるのは、この仕事の大事なとこだぁ。自衛官は、それができたってこった」


そこまで一気に何気なくすらすらと話し終えた久遠は、陸のみならず、皆の視線が自分に集まっていたことにようやく気付く。

ぴくりと肩をすくめた久遠の首はほのかに赤みを帯び、一刻も早く話を終わらせようとした。


「まぁ……よくやったんじゃねーの?」


その声は、恥ずかしさを隠す様にぶっきらぼうになっている。


「高嶺、おかわり」


久遠はつっけんどんに皿を差し出す。

陸は目を丸くしたまま、すぐに背筋を伸ばして小さく頭を下げた。


「ありがとう……ございます」


陸は単純に嬉しかった。

久遠の言葉に、ここまで毎日必死に駆け抜けてきた自分が、ここにいて良いと言ってもらえたような、少し認められたような気がしたのだ。


「……いーからさっさと食えよ」


久遠はいつのまにか耳まで赤くなり、照れ隠しの様にそう言うとそっぽを向いた。

その様子を見て、久遠から差し出された皿を受け取りつつ、高嶺が陸に微笑む。


「やりましたね、篁くん。我が君がここまで素直に誰かを褒めるのは、実に珍しいことです」

「……そうなんですか」


陸が言うのとほぼ同時に、久遠は「余計なこと言うなよ」と言わんばかりに高嶺の方を軽く睨む。

高嶺はおかわりのアップルパイを載せた皿を、再び久遠の食べやすい位置に置きつつ、少しいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「我が君にとって、篁くんは心理的安全性が高いのですね……御歳の近いご友人ができて、私としても嬉しい限りです」


その一言に一同からは、ほほえましい…というような優しい笑いが思わず漏れる。

勿論、高嶺は本心を言ったまでだろうが、その様子がまるで、主である久遠が高嶺にからかわれているように見えて、陸も肩の力が抜けたように笑った。

久遠は高嶺を面倒そうに一瞥したが、対する高嶺は悪びれる様子もなくにっこりとほほえんだ。


気まずくなった久遠があからさまに話題を変えようと、「あっ」と声を上げて今度は白石を巻き込む。


「そういや、さっきの会議で……あんだけ啖呵きったんだから、なんか相当な秘策でもあんだろーなぁ? 教えろよ」


急に自分に白羽の矢が立った白石は一瞬驚くが、すぐに平然と言ってのける。


「教えたら秘策じゃなくなるだろ」


白石は咳払いと共に紅茶を口に運びながら、煙に巻こうとした。


「はぁ? 気になんだよ。教えろ」

「断る」

「けち」

「なんとでも言え」


そんな久遠と白石のじゃれ合いのような応酬は、更にその場を和ませた。


そんな中、陸はふとポケットのバイブ音がひっきりなしになっているのに気づいて、端末を取り出す。

画面に表示されたのは、先日久しぶりに飲み会をした旧友とのグループチャットだ。

賑やかなスタンプや短いメッセージが次々と流れている。


「また飲もう」

「お前最近どうなん?」

「そっちで楽しくやれてんの?」


そんなやり取りが目に飛び込んできた。懐かしさが胸をよぎる。

ついほんの前に過ごした、久しぶりの旧友たちとの時間は、確かに楽しかった。ここ最近で陸が最も気を許せたのは間違いない。


けれど、今は――


陸は通知音を消して、談話室の光景へと目を向けた。


朝霧と高嶺は、気心の知れた雰囲気で軽口を叩き合っている。

久遠は気怠げにソファにもたれたまま、それに何か茶々をいれたりしている。

その近くで、やり取りを見て笑う白石が小さく肩を揺らしている。


陸は静かに息を吐き出す。

この空間は――心地よい。


あの頃の仲間たちも確かに大切だ。それはなんら変わらないし、間違いない。

けれど、目の前にいるこの人たちと過ごす時間は、何か別の温度を持っている気がする、と陸は思う。


ここにいる人たちは、命を懸けている。

今日の任務で無事でも、明日がどうなるかは分からない。こうして笑い合っていられることも、当たり前ではない。

だからこそ、より強固な絆で結ばれているように、陸には見える。

きっとそれぞれに命を懸ける理由は違うだろうが、互いにそんな仲間を尊敬し合い、支え合っている。

陸にはそれが、たまらなく心強く、尊く、そして同時にあまりに儚い。


彼らと同じようにはなれなくとも、少しでも彼らの力になりたい。

そのためにもっと自分のできることを増やそう。

純粋にそう思えた。


目の前の仲間達――そしてここにはいない産土の、その笑顔を思うと、無意識に体に力が入る。


どうか――

どうか、今だけは――

オーデ討伐も、クロノスも、ダービーも……幾多の不穏因子が、蚊帳の外の、どこか遠くに消え失せてくれはしないだろうか。


この笑顔を誰にも邪魔してほしくない。

していいはずがない。


誰が何と言おうと、今の、この部屋の、ささやかな幸せな世界は――自分たちだけのものだ。


陸は、この場所が、自分にとってかけがえのないものになりつつあることを感じ始めていた。

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