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第23話「特例」

ハロワン第23話「特例」


第2回目の派遣で産土達が対峙したのは、記憶を司るオーデと契約したレベッカだった。

健闘するも、最終局面での異例の事態に、一行は戸惑いを隠せずにいた――


P.S.

レベッカ戦です。

彼女は、どこか憎めない茶目っ気のある、美しきトランスジェンダーです。

敵キャラの中ではお気に入りです。

彼女の哀しい過去が明かされるのはまだ少し先のお話ですが……まずはこちらを是非、ご覧ください!


――――――――――――――――――――――――――――――

今回、残酷な描写はありません。


独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています。

物語の進行に併せて随時更新してまいります。

宜しければご覧くださいませ。

https://ncode.syosetu.com/n9351kp/1/

――――――――――――――――――――――――――――――

「開廷」


感知器の警告音が鳴り響いたのと同時に、産土の唱えが空気を裂いた。


その瞬間、審議署空間へと転移させられた一行は、息を呑む。

第2回目派遣のターゲットとして想定されていたオーデの姿――

事前に情報共有されていたイメージを思い描いていた彼らは、目前に現れた人物の、あまりに異なる外見に、一瞬思考が止まった。


オーデは、審議署空間に引き出されない限り可視化できない特性があるため、必ずしも想定通りの個体が現れるとは限らない。

それはここにいる誰もが承知していたが、それでもなお、そこに立っていた存在は、どの事前資料にも記されていない、あまりにも想定外の風貌だったため、一行は戸惑いが隠せなかった。

少なくとも今回のArc第一弾である〈ホライズン〉で対峙する可能性は、極めて低いとされていた存在だ。


だが、驚いていたのは陸や産土、朝霧だけではない。

オーデ側もまた、突如転送されてきた状況に戸惑っていた。


「あら……?」


高く艶のある中性的な声が、空間に柔らかく響いた。


「やだ、ちょっと……アタシ、捕まっちゃったワケ……!?」


背の高い女の様な風貌のオーデは、ぱちくりと大きな目を瞬かせ、せわしなく周囲をキョロキョロと見回した。


(……ってことは、導守(しるべもり)がいる!?)


焦りに色づいた思考が、その顔に透けて見える。

腰まで届いた艶のあるブロンズのロングヘアをゴージャスに巻き上げたその姿は、モデルのように長身かつ細身。

マーメイドラインのスカートの裾から覗く足首は引き締まり、ワインレッドのヒールパンプスが良く映えている。

その美貌に反して、どこかひょうきんな所作――その場に似つかわしくない、慌てた動きで周囲をきょろきょろと彷徨うその様子に、陸は思わず小声で隣の産土に耳打ちした。


「……あの人、オーデ……なんだよな?」


聞かれた産土も、目の前の相手の緊張感の無さに、気が抜けたように返した。


「ああ。……しかも感知器が鳴っただからランクもQK(ロイヤル)ってこと……」


そう答える産土も内心半信半疑な様子だ。

言いながら、産土はちらりと朝霧を横目で見た。


「てっきり、あんぱんのお相手かと思ってたんだけど……今回もハズレっぽいね」

「またお預けか……」


朝霧は、オーデの方へと淡々と視線を送りながら、つまらなそうに呟いた。

しかし、そんな中でも――

たった一人、明確な怒りと殺気を抑えきれずにいた者がいた。

ガルモッタである。


「……レベッカだ!!」

「――!」


突如叫んだその声に、レベッカと呼ばれたその女の様な風貌のオーデはハッとこちらを振り返る。


次の瞬間、朝霧が素早くガルモッタを抱え込むようにして岩陰へと隠れ、陸も咄嗟に反対側の物陰へ身を潜めた。


「離せってば、オッサン……! あいつが着てる服……俺のダチの羽で作られてんだ! 今ここでアイツを殺す……!!」


ガルモッタは朝霧の腕の中で「離せ」ともがきながら言った。

しかし朝霧は、全身が殺気で溢れるガルモッタを、造作もなく抑え込みながら低く言った。


「相手はすぐに構えなかった。うまく誘導できれば、何か情報が得られるかもしれん。無理に戦わずとも、執行できるかもしれない。少し待て。出方を見る。殺りてえのは俺も一緒だ」


一方、先ほどのガルモッタの声でこちらの様子に気づいたレベッカと、ひとりばっちり目が合ってしまった産土は、一か八かの賭けに出ていた。


「こんにちは、レディ」


産土は、フレンドリーな微笑みを浮かべて話しかける。


この目の前の人物が本当にレベッカなのだとすると、彼女は記憶情報を扱う人体収集家の側面を持つオーデ――ガルモッタの宿敵であるということだ。


「……あら、いい男……♡」


レベッカはときめいたように顔をほころばせた。


(……戦闘体制に入らない……この状況が分かってないのか? いや――)


産土はレベッカに向き合いながら、瞬時に彼女の首元にある“導守の鎖”をつなぐリングの数を確認する。

先般のゼファルグと同等、いや、それ以上。

産土は思わず目を細めた。


(……なるほど。会話できるほど余裕、ってことね)


口元にうっすらと笑みを浮かべ、レベッカの出方を探る。

レベッカは長い睫毛を伏せるように瞬きをしながら、優雅な足取りで産土へと近づいてきた。


「アタシの名前……知ってるのね?」


ガルモッタの怒声がハッキリ届いていたのか――そう見てとった産土は、いつもの調子で軽やかに返す。


「ああ、ええ……ボク、美人さんのお名前は当てられるんですよ」

「ま♡ アタシさっきは後ろ向いてたけど? それに、アタシたち初対面よ?」

「……あれ? 気のせいかな。お会いしてませんでしたっけ? それに、美人は後ろ姿にこそ現れるモンでしょ?」

「やだぁ、お口が上手なのね♡ ねぇ、あなたお名前は?」


一見全く警戒心を帯びていないように見えるレベッカの問いに、産土は瞬時に思考を巡らせ、ごく自然に調子を合わせるようにして振舞っていく。


(ここは審議署空間。嘘は通じない。……そのことを知ってての尋問か? これはもう能力のトリガーか? ……いや、名前を知られたくらいじゃ、こっちに大したダメージは与えられないはず。自己紹介くらいしてやるか)


産土は、胸に手を当てて礼儀正しく名乗った。


「これは失礼。名乗りが遅れました。漂と申します」

「ヒョウさん……素敵なお名前ね♡」


レベッカはにこりと笑みを浮かべながら、胸元のペンダントに指を添えた。

妖艶なネイルが、光を受けてきらりと黒光りする。


「折角だから、このまま少しお話ししない?」


通常なら、ここ審議署空間に入れば、即時戦闘が始まるのが常だ。

このように戦闘無しの会話が繰り広げられることは皆無である。

産土は、かつてない展開にやや面食らいながらも、それをおくびにも出さずにっこりと微笑み返した。


「ええ、喜んで」


(警戒心ゼロでここまで接近してくるか……陽動? 心理戦か?)


彼女から視線を逸らさぬまま、産土は最小限の動きでレベッカとその周囲を観察していた。


(向こうも記憶読み……確かに見た目も、力での戦闘は好まなそうだけど……どんな攻撃でくる? 兵器の類を使用してくるか? それとも意識の錯乱……悪夢のオーデと似たような手口か?

……クソ、事前情報が少なすぎるな。

だが、いざとなれば力ずくで鎖は繋げそうだ。……このまま一旦、流れにのってやるか)


とはいえ、自分ばかりが質問される側というのも、分が悪い。

産土はレベッカの手元にある花束へと目を落とした。


「綺麗な花ですね……なんて花ですか?」

「フェリアンっていうの。すぐそこの森で摘んできたのよ。死んだ友人のお供え用に。可愛かったから、ついで自分の分もちょっとだけ」

「……そうでしたか」


レベッカの口調に特段の変化はない。

彼女は手元の花束の香りを少し嗅ぐようにしながら、懐かしむような視線を落としている。


(死んだ友人……生前の人間時代の? それとも同じくオーデの……第一回目の派遣で執行した、あの大男のことか……?)


両者は互いに投げかけ合う短い言葉の行間で、頭の中では矢継ぎ早に推論を走らせる。

だがそれを相手には一切悟らせまいと、会話の隙間すら作らぬよう注意深く、自然を装っては言葉を選び直す。


二人の会話は、ぱっと見には静かで穏やかな時間が流れているように見えていた。

まるで、この平穏がいつまでも続くようにすら感じられる。

産土はレベッカの顔色に細心の注意を払いつつ、じわりと探りを入れる。


「……ご友人は、どんな方だったんですか?」


極力波風を立てぬよう、努めて平静を保った声で言う。


「そうねぇ……」


レベッカは、胸元のペンダントを指先でなぞりながら、ぽつぽつと語り始めた。


「花なんか興味のない、粗暴な奴だった。たぶん今頃は、アタシが折角備えてあげたものにも、“食い物の方が良かった”とか言ってるわ。だからいつもアタシが教養を教えてあげてたの。単純なコでね、すぐ顔に出るの。最初は興味がなさそうにしてたと思ったら、いつの間にか夢中になってるのがバレバレなの。分かりやすい子だったわ」


その語りぶりは、まるで弟や弟子を語るような、くすぐったい愛情に満ちていた。


「ガタイはでかいけど、心は少年のまま止まったみたいな、純粋なところがあってね。仲間想いの、いいコだった」


レベッカの横顔があまりにも人間らしく、産土は内心ではわずかに戸惑いを感じざるを得ない。


「……可愛かったなぁ」


妙な静寂の中、カシャンと、レベッカのペンダントだけが乾いた音を立てた。


(ガルモッタの証言が本当なら、レベッカとあの大男との交友関係は良好。彼女の口ぶりからしても、恐らく死んだ友人ってのはあの大男のことだと思っていいだろう……が、確信が無いな。

でも仮に別のオーデなら、Arcとは無関係の他勢力が、俺らの知らぬ間にオーデを既に執行済みってことなる……それはない。クロノスが他勢力の動きを把握してないなんてことはあり得ない……)


思考を巡らせる産土の耳に、次の瞬間、レベッカの言葉が鋭く刺さる。


「でも、だから殺されたのよ」


その重たい一言は、明らかにその場の空気を一変させた。


「……っ」


ペンダントを握りしめるレベッカが、目の奥に悔しさを滲ませて訴える。


「パワーじゃ負けない奴だった。あのコがやられるとしたら、何か汚い罠にかけられたとしか思えないの。真っ向勝負なら絶対やられるわけない」


その言葉に、産土の中で確信が強まる。やはり、亡くなった友人とは、ゼファルグのことだ。

涼し気な表情は崩さずとも、産土のこめかみからは一筋の汗が伝う。

ぬるく反射するレベッカのペンダントに目をやりながら、産土は身構えていた。

いつ始まるか分からない、その“瞬間”を――


「……いいコだな、って思うコっているでしょ」


長い睫毛を震わせて、俯くレベッカがぽつりと、産土に問う。


「そんなコがある日突然殺されたとして……そのコは、なんで殺されなきゃいけなかったんだと思いますか……?」


レベッカの纏う雰囲気は明らかに先ほどまでと違っている。

まるで何かを予感しているかのように、どこか怯えたような、願うような、切なさの色を纏った瞳を、産土にまっすぐ向けている。


彼女のその問いに、産土の脳裏には、ある一人の人物の面影が浮かんでいた。

それは産土の憧れの、今は亡き存在――志乃だ。


しかし産土は至って淡々と、顔色ひとつ変えずに応じる。


「……それは、俺にもよく分かりません。ただひとつ言えるのは、その人達がいなくなって、悲しむ人と、喜ぶ人がいるということだけです」


口調こそ冷静だが、その場しのぎではなく、あえて本心に近い言葉を選んだ。

レベッカは悲しげに微笑むと、さらに問う。


「それを……今思い浮かべたその人が殺されたとしても……それで割り切れる?」

「……どうでしょうね。少なくとも、想像ではとても耐えられそうにありません」


今のレベッカと産土は、決して相容れない立場でありながらも、互いに、失いたくなかった者に純粋に想いを馳せている――その意味で似たもの同士だった。


向かい合った互いの目を見ながら、しばし沈黙ののち、産土が静かに続けた。


「……でも、もしも、“その人がいなくなった後の世界でも懸命に生きていくこと”が“割り切れた”ということなんだとしたら、僕は割り切れたことになりますかね」


その答えに、レベッカははっとして顔を上げた。


「まあ……そう……」


産土が、過去に大切な誰かを失ったことがある――その事実を悟ったレベッカの表情には、思わず滲む同情の色があった。


「……敵を討ちたいとは、思わなかったの?」

「僕の場合は、相手がどこにいるかも、悪気があったのかすらも分かりませんし、何せもう十年以上前の話です。だから復讐に生きるのはやめました」


やがて、レベッカの指がペンダントから離れ、その顔がゆっくりと産土の方へ向けられる。


「……そう」


顔を上げたレベッカの表情は陰り、目尻に向かって末広がりになる大きな狐目は、かすかに揺れていた。

彼女の表情は、怒りとも、哀しみとも、口惜しさとも見分けが付かない。あるいはその全てがごちゃ混ぜに待っているようにも見える。


多くを語らずとも、ただ抑えきれない、尋常ではない緊迫感が漂う中、レベッカは静かに言う。


「……じゃあ、例えば……殺されたのは“ついこの前”で、その敵が、今、目の前にいたとしても……それでもヒョウさんなら、何もしない……?」


瞳孔が開き、酷く緊迫している表情のレベッカ。

二人の問答は駆け引きの様でありながら、もはや崩壊していた――

今は両者とも、ただただ、どちらが先にその火蓋を切るのかを、息を潜めるようにして見極めているのだ。


産土は、そのレベッカの問いにあえて何も答えず、ただ静かに彼女を見つめ返す。


“本当に言いたいことはなんだ?”


そう促すような眼差しを向けながら、産土はレベッカの瞳をじっと見つめ返す。

両者とも、口を開かず、ただ見つめ合う、十数秒ほどの沈黙。

しかし、渦中の両者にとって、その沈黙は酷く長く感じられていた。


二人の間を、ぬるい風が吹き抜ける。


「……ところでヒョウさん。やっぱりアタシ、あなたに会ったことはなさそう……」

「悲しいな、忘れられてたなんて」

「……ごめんなさいね。アタシ、記憶力はいい方なんだけど」


空返事を装うレベッカの瞳孔は、わずかに開いていた。

額にはうっすらと冷や汗が浮かんでおり、笑顔を作りながらも、その奥で何かを確信したような瞳で、目の前の産土を見据えている。


「……ちなみに、どこでアタシを見かけたのかしら?」


長い探り合いの末、二人の会話は徐々にその核心に迫ろうとしていた。


産土はふっとひとつ息を吐き、再び彼女を見下ろした。

その瞳には、先ほどまでの気さくさが消え、氷のような静けさが宿っていた。

その変化を確実に捉えたレベッカの瞳は揺れ、喉の奥で、警戒の息を殺す。


来る。

次の一言次第で――


「亡くなったご友人の記憶で――なんつって」


次の瞬間、二人のいた場所から土煙が上がる。

産土の言葉をきっかけに、バシュッと地面を蹴る音と共に、2人が瞬時に距離をとったのだ。


「残念。あのままずっと喋ってたかったのに」


産土がいつも通りの軽薄な笑みを浮かべながら、軽く肩をすくめる。

飄々とした声色は、確かに鋭さを孕んでいる。


「アンタの言ってた“可愛いコ”ってのは、あの大男のことであってる?」


レベッカは上空に身を躍らせた産土を鋭く睨みつけている。


「……許さない……ッ!」


歯を食いしばようにしてそう言う彼女の中には、すでに「産土 漂」という男の情報がインプットされていた。


彼女の胸元に輝くペンダント――記憶を司るオーデと契約している彼女は、あらゆる記憶をその中に蓄積することができた。

自分自身の原体験の記憶。見聞きした他者の記憶。


対象者を想起しながらペンダントに触れることで、彼女は知りたい情報を蓄積した無数の記憶の中から検索することができる。

それ故、たとえレベッカ自身が産土と対面するのが初めてでも、彼女は会話を交わす中で、過去の誰かの断片記憶から「産土 漂」という男の片鱗を探り出すことができていた。


「産土 漂」――白冠最高位の死神。その中でも最強と呼ばれる男。

どの記憶情報においても、彼の人間らしさや弱さが語られていたことは無い。

印象のほぼ全てが、軽薄――ただし、それゆえに最強。


(こんな奴にゼファが負けるなんて……ッ!)


記憶情報から得た産土のプロファイルに、レベッカはより一層の怒りと警戒を募らせていた。


産土が一歩、レベッカに迫る。

その瞬間に、瞬時に距離を取りる、その繰り返し。


「逃げんなよ。さっきまであんな仲良くお喋りしてた仲じゃん」


産土は口元に不敵な笑みを浮かべつつ、語気には自然と苛立ちが滲む。

対するレベッカは、眉間にしわを寄せ、産土の動きに集中する。緊迫の表情のまま、産土の攻撃をかわし続ける。


「お生憎様。アタシ、仲間を傷つける奴には優しくしないって決めてるの……!」

「ハッ、そりゃ……気が合いそうだわ」


産土は今一度仕切り直すようにしてリードを握り直す。

目下のレベッカは警戒の色を滲ませている。


二人は、距離を測るようにして睨み合う。


「……たく、明るい奴から死んでいきやがる」


上空でぽつりと、独り言のように呟いた産土の声は低く掠れていた。

脳裏に浮かんでいたのは、第一回目派遣で殉職した仲間――ラヴィの姿だ。

産土は再び、より一層の闘気を鎖に込めるようにして握り直すと、それを目一杯振り下ろす。


「こっちも一人……やられてんだわ……ッ!」


その怒りの矛先は、レベッカではなく、その仲間の “悪夢のオーデ”――ラヴィを死に至らしめた憎きオーデへ向いていた。

けれど産土はその感情を全て鎖に乗せ、レベッカへと容赦なく打ちつける。


(……おかしい。もう何度も首に鎖は掛かってるはずだけど、全く手応えがない。

掛けたと思ったら奴が煙みたいになって消えるの繰り返し……一旦、直接触れる方法を試すか……!)


スピードをさらに上げ、レベッカに肉薄する。

だが、届かない。レベッカの身のこなしは見事だった。

何度トライしても、ほんの一指分の差で触れられない。


(……にしても、いつまで鬼ごっこを続けるつもりだ? 

さっきから逃げに全振りで一向に攻撃無しなのも引っかかる。逃げてるように見せかけて、奴のトリガー発動の条件を俺が満たすのを待っているのか? だとしたらそれはなんだ……時間か? 

悠長に考えてる時間もない。とにかく、一秒でいい。隙を作る……!)


すると産土は、今度は一変して、一旦休憩とでも言わんばかりに不意にわざとらしく動きを止めた。

ふっと息を抜き、軽い調子でレベッカに向き直る。


「でも正直驚いた。オーデの皆さんにも、仲間を思いやる気持ちがあっただなんて。意外と優しいんだね」


互いに間合いをとりながら慎重な会話が繰り広げられる。

レベッカは一連の攻防のせいで、肩で呼吸をしているが、目線はしっかり産土を捉えている。


「……そうやって優しく話しかければアタシが絆されるとでも思ってる?」

「まさか。でも、一個だけ教えといてあげようかと思ってね」


一歩、踏み出す産土。

レベッカは、同時に一歩下がる。


「さっき、“なんで仲間が死んだのか”って言ってたよな。そりゃ、そいつが俺より弱かったからだよ」


ズキンと空気が張り詰める。

仲間を侮辱に似た言葉で表現され、レベッカの空気がピリつく。


「そんなこと、わざわざ言われなくて結果をみれば分かるわよ。アタシが言いたいのは、殺される筋合いが無いってこと……!」

「ハッ……あんだけ人をぽろぽろ殺しといて“筋合いがない”って? うける。オーデと契約するような奴はやっぱり、どいつもこいつもぶっ飛んでんだね」


にや、と口角を上げた産土の目は、微塵も笑っていなかった。

そんな彼にレベッカはひるむことなくあからさまに敵意をむき出しにする。


「……知ったような口きかないでよ。アンタが見たことないだけで、本当はどんな子なのか、何も知らないくせに」

「知ってるよ? もしかしたらアンタより」

「それだけは絶対ないわ……記憶を覗いたから?」


レベッカは、産土に対して軽蔑の視線を突き刺す。


「ああ……さっき言ってたわね。あのコの記憶で私を見たって。勝手に人の記憶を漁るなんて、ほんと下品な趣味」

「そっくりそのままアンタに返してやるよ。そんなの、しょっちゅうやってんじゃないの?」


産土がじり、と間合いを詰める。足音は一歩だけなのに、圧がぐっと濃くなる。

レベッカは反射的に二歩下がった。

産土はポケットに両手を突っ込んだまま、笑みだけをゆっくりと浮かべる。


「でも――せっかく墓まで来たのに、結局見なかったんだね? ああ、そうか……死んだ奴のはもう覗けないんだっけ?」

「ゼファを……情報収集の道具みたいに言わないで……ッ」


その声の震えを、産土は逃さない。


(あー……引っかかったな。このまま隙ができるまで挑発してやろう)


「奴の記憶を覗けば、俺のことも丸裸にできたのにね。そんな絶好のチャンスを逃したってことは……やっぱ、死体にはできなかったんだ。

あーあ残念。俺の活躍、見てほしかったなぁ。かっこよかったよ?」


わざとらしく肩をすくめ、軽く笑ってみせる産土に、レベッカの眉間がぴくりと動く。

彼女の怒気は増していくが、まだ拳は振るわれないのは、彼女の理性がまだその行動を制御している証だ。


しかしこうした人の気持ちを逆なでするような煽るような芸当は産土の得意分野だ。彼も一歩もひかない。


「一方あいつときたら、最初は勇敢ぶってたけど――最後は四肢を失って、転がるだけの肉塊になってたよ」

「やめて……聞きたくない」


産土は、わざとゆっくりと、こめかみのあたりで指を回す。


「ほんと笑えた。考えれば避けられるような罠には引っかかるし、ご自慢の肉体は……右腕は肩からぶった斬られ、左足は膝から下が無くなってた」

「黙りなさい!」


レベッカの声が鋭くはねる。その瞬間、産土の口角がにやりと吊り上がった。


「なんでそんなにあっさり切られたと思う? 刀で左足を地面に縫いつけられてさ……逃げられなかったんだよ。痛そうだったなぁ。泣いてたぜ、あの化け物が」

「……黙って……」

「最後は目玉も潰されて……あれは惨めだったな」

「黙れぇぇぇぇ!!!!!」


煮えたぎる感情がとうとう堰を切り、レベッカは産土に突っ込む。

その鬼気迫る顔にも、産土は一歩も退かない。


「あー怖い怖い」と、口の前に人差し指を立てて笑う。その薄ら笑いが、余計に火に油を注ぐ。


レベッカの拳が振り下ろされる、その瞬間――


ズバッ!!!!!!!!!


空気を裂く音と共に、鮮やかな飛沫が舞った。


「なにっ?!」


レベッカの動きが止まり、視界が揺れる。

状況が飲み込めず思わず動揺してよろけたレベッカを産土が抱き抱える。

レベッカは気付いた時には、産土の大きな胸板にすっぽりと抱かれて、端正な顔に至近距離で見下ろされていた。

その一瞬の状況に、思わず怒りの熱と別の熱が、レベッカの頬を一瞬染め上げる。


「だから折角指さして教えてやったのに」


産土は先ほど口元に当てた人差し指を、再び顎のところでトントン、と軽く叩く。

それが「上を見ろ」という合図だったと気づいた瞬間、レベッカの顔が再び険しくなる。

バッと産土を押しのけ、距離を取る。


「……ッ!!!」


レベッカは自らの服についた見覚えのない真紅を見て、恐る恐るその根源である左耳を押さえた。

頬を伝う生温かさが手に広がる。


(まさか……顔に傷を……ッ)


あまりの刹那のできごとに、レベッカが自分の左耳から頬にかけて血が流れているのを認識したのはその時だった。

反射的に上空を見上げる。


(あいつが……! あの……クソ生意気な鳥……ッ)


上空を旋回するガルモッタに、氷のような殺気を飛ばすレベッカ。


「ほら、集中集中。それより――これ、見えてる?」


産土は、集中を再び自分に集めるようにポンポンと手を叩き、鎖をじゃらじゃらと鳴らした。

レベッカははっとして、首元に繋がれた鎖を触り、状況を理解した。


(やられた……ッ! ……執行……される!)


左耳はどくどくと脈打ち、汗が顎をつたう。


「……ゼファにも……こうしたの?」


震える声に、産土は淡々と返す。


「彼は抵抗した分、もっと悲惨だったけどね。さ――」


小指で鎖を揺らしながら、余裕たっぷりに笑う。


「もう一回、俺とおしゃべりしようよ? なんで大陸や人を襲うの? 目的は何?」

「……」


完全に産土に追い詰められ、レベッカの頬を一筋の涙がつたった。


「泣く作戦にはやられないよ?」

「まさか……っ」


レベッカは嘲笑混じりに吐き捨てると、頬をつたった涙を指先で丁寧に拭った。


「……先にやったのはアンタ達じゃない。アタシ達は仕返しをしてるだけよ」

「……」


産土は軽口を挟まず、その言葉の奥を探るようにじっとレベッカを見据える。


「けどまあ、この際だから教えてあげる。アタシたちは“生まれ変わり”を望んでるの。生まれ変わって、今まで手にできなかった分の幸せを取り戻すために」

「……」

「この世の大半が享受している『当たり前』を、アタシたちだけは許されなかった。最初からそうだったコもいれば、ある日突然奪われたコもいる。それも同じ人間の手によって搾取されたのよ。だから生者にはその報いを与える。

そして生まれ変わって、途中で根絶やしにされたそれぞれの幸せを、奪い返す。――当然の権利でしょう?」

「……だから、この世で唯一“転生”を施せる導守を探して、大陸を襲う……と。アンタたちの事情を『はいそうですか』って受け入れられる導守なんていないと思うけど?」

「その時は、殺戮の限りを尽くす。話の分かる奴が出てくるまで、殺し続けるわ」

「愚策だね。導守の数には限りがある。ぽろぽろ殺していけば、いずれ絶えて、アンタたちの望みは二度と叶わなくなるってのに」

「アタシたちは執行以外じゃ消えない特異体質。なら、次の導守が生まれるまで待てばいいのよ。

それにもし、殺戮の果てに、仮に導守がこの世から消え失せて生まれ変わりが叶わなかったとしても――殺戮という形で人間狩りができて、十分こっちの憂さは晴れる」


(……ま、後者の可能性はほぼ無いと踏んでるけど)


レベッカは顎を上げ、蛇のようなニヒルな笑みを浮かべる。


「――てなわけで、いずれにせよアタシ達にとっては何もデメリットはない。状況が悪くなるのは大陸人類の皆さんだけってこと」

「……」


産土の視線は変わらず冷たいまま、レベッカを正面から貫いている。

レベッカのヴァイオレットの瞳も臆せずそれを受け止めている。

真実を次々と告げていく彼女だが、レベッカ達オーデの真の狙いだけは、決して口にしていなかった。


(これまで調査のために捕らえた導守たちは揃いも揃って、ある質問を投げかけると必ず、答えを口にする直前で命を絶った――。それも、まるで自分の意思じゃなく、内側から何者かによって破壊されるかのように。何か重要な情報を守るみたいに、死んでいった。


“この世界のルールは、どうやったら変えられるのか――?”


このアタシの問いかけに応えようとした導守は、口を開いた途端、百発百中で死んでしまう。

その経験からアタシには仮説がある。

彼ら導守の中には、彼ら自身も制御できない何者かが棲んでいて、”ソレ”が現行の世界のルールを司っているんだってこと。


そう――、現行のルールでは、アタシたちは執行対象。

でももし、そのルールを書き換えることができれば、アタシたちの方が転生対象になることだって可能――。

今は、その“プログラム”を書き換える方法を探ってる。そのためにアンタ達導守を探している……ってことまでは、絶対に教えてあげないけど)


少しの沈黙のあと、産土が口を開いた。


「ひとつ、可能性が想定できていないようなので教えとこうか……アンタ達は、この先も願いが叶わぬまま、先に消滅する。

そして、ここでまずアンタは終わる。

じゃあ次の質問。仲間の数と居場所は?」

「全部で四人。岩陰に二人、上空に一人、目の前に一人」

「……」

「言ったわよ」

「時間稼ぎ? アンタのオーデ(お友達)のことを聞いてんだけど?」

「ああ、そういうこと。仲間のことは言えない。それに言わなくても、どうせこのあと分かるんでしょ? 少なくとも私の口から言うことは一生無い」

「……たしかにね。アンタが仲間のことをよーく知ってそうで、助かったよ」


産土は握った鎖に力を込める。


「塵になる前にひとつ聞かせて。アタシは今から何をされるの?」

「記憶を読まれて、執行される」

「……そう。分かったわ」


レベッカは胸元のペンダントを握りしめ、覚悟を決めるように目を閉じる。

数秒後、再び産土を真っ直ぐに見据え、静かに言った。


「いいわ。始めてちょうだい」


産土は躊躇せず記憶読みの唱えを実行した。

レベッカは抵抗することなく受け入れた。

抵抗しない限り護衛は不要なため、朝霧と陸は物陰から、その様子を黙って見守っていた。異例の光景だった。


実際には大して時間は経っていないというのに、妙に長く感じられる沈黙。

やがて産土を包んでいた光のベールが解け――このまま執行が始まる、と誰もが思ったその時――


ぷつり、と産土とレベッカを繋いでいた鎖が途絶えた。


「――!」


前例の無い展開に、産土は困惑の色が隠せない。

瞬時に、岩陰では朝霧と陸も思わず顔を出し、この異常事態にいつでも産土を守れるように息を殺して構えていた。


しかし、それ以上、何も起こらない。


「……たとえ捕らえられても、執行できなきゃ意味ないわね♡」


たった一人、レベッカだけは、この状況のカラクリを理解しているようにクスリと笑みを残し、次の瞬間、煙のようにふっと掻き消えた。


それと同時に、閉廷の唱えもないまま審議署空間が閉じ、視界はつい先ほどまでの殺風景な野原へと戻った。


「……執行できなかった……?」


手のひらを見つめ、ぽつりと独り言のように呟く産土は、明らかに動揺していた。

今まで一度もなかった事態だ。


「ボス!」


放心状態の産土に、真っ先に駆け寄ってきたのは陸だった。


「さっきのって……あいつ、執行されずに逃げられたってことだよな?」

「……そうなっちゃうよね」


後ろから、不可解な表情をした朝霧がのっそり近づいてくる。


「今まで見たことない現象だな。……執行対象じゃなかったと解釈すべきか?」

「いや、それはない。なら転生モードに切り替わってたはずだもん」

「……だよな」


陸が頭上のガルモッタに声をかける。


「おーい、ガル。上から何か見えたかー?」


ガルモッタは翼をひと振りして地上に降り立つ。


「いいや、何も。小細工できねえように、一度も瞬きせずに凝視してたが……あいつ、ずっと目を閉じたまま動かなかったぜ」

「そうか……」


誰もが困惑を隠せないまま、何も言えないでいた。


「けどま……とにかく、一旦クロノスに帰還、だよな。今のことも、ボスがレベッカと色々話してた内容とかも……全部記録しないと」

「……だな」


釈然としないまま、取り急ぎ一行は陸の提案に頷き、クロノスへの帰還を決めたのだった。

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