第20話「救済者」
ハロワン第20話「救済者」
ダウンタイムから目覚めた陸は、産土と朝霧から、かつて己が犯した信じがたい事実を聞かされる。
懺悔する陸——
己の不甲斐なさに沈む白石——
これまで碌に話してこなかった二人だが、その脆さはどこか似ていた。
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今回は、残酷な描写はありません。
独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています!
物語の進行に併せて随時更新してまいります。
宜しければご覧くださいませ。
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【全体会議から約5日後 ―― クロノス本部内FANG訓練場にて】
もうとっくに、皆が寝静まった頃だった。
陸はひとり、無人の訓練場に立っていた。
今までダウンタイムで1日の大半をほぼ寝たきりで過ごす生活を送っていたが、今日からはやっと歩行が可能になったのだ。とはいえ、まだほんの数歩歩いただけで息が上がり、すぐに横になりたくなるような状態だ。
陸は壁沿いにゆっくりと腰を下ろすと、背をつけるようにもたれかかった。
(あの日……俺は、ここでラヴィさんを襲ったのか……)
記憶は、まるで欠けたパズルのように何も思い出せないままだ。
信じたくない気持ちが少しと、信じるしかない現実に、申し訳なさだけが胸に残る。
目覚めた陸は、つい先ほど産土と朝霧から、一連の話を聞かされたばかりだった。
この度の派遣で死神の一人であるラヴィが殉職したこと――
自分が数か月前にラヴィにしでかしたこと――
それによって自分に下されそうになっていた罪、そして産土の尽力により救われたこと――
二人からは、「陸のせいではない」「今まで通りで良い」と言われたが、それでも陸の心は簡単には癒えなかった。
やはり当事者としては自分を責めずにはいられなかった。
夜風に髪を遊ばせながら、ふきっさらしのグランドを見つめるその目は罪の意識に苛まれ、無気力そのものだ。
罪悪感と、自分へのふがいなさ――陸は、大きなため息を一息吐く。
ぐらりと頭を後ろに預けると、背中の鋼鉄の扉が、ガタンと思いのほか大きな音を立てた。
「お……」
思わず声が漏れた、その瞬間。
「誰だ」
どこからそもなく闇の中から、鋭い声が響いた。
短く発せらてたその声に驚いたのはむしろ陸の方だった。思わず反射的にその方向を振り向く。
程なくして声がした場所の扉があき、姿を現したのは白石だった。
「……君は確か、産土のところの……」
彼女もまた、思いがけない人物との対面にわずかに目を見開いた。
陸は不意の死神の登場に、慌てて立ち上がり、ぎこちなく一礼する。
「お疲れ様ですっ……」
礼から頭を上げる動作が、ほんの少し遅れる。
目の前の死神は、思わず目を逸らしたくなるほど――今の陸にとって、最も顔を合わせづらい相手だった。
「こんな時間に、何をしている?」
白石は、ただ不思議そうに問いかけてきた。
その様子に陸は、この一連の出来事を、彼女はまだ知らないのだろう、と直感する。
本来なら、むしろ死神である白石がここにいることの方が不自然なはずだ。
しかし、彼女は武具の扱いがFANG並みと評されており、武器庫には日常的に出入りしているのだ。
「熱心なのはいいことだが、休むことも任務のうちだ」
丁度武器の手入れを終えた彼女は、陸の返事を待たずにそれだけ告げると、くるりと踵を返し去ろうとした。
その背に、陸はたまらず、意を決したように話しかける。
「あ……あのっ……!」
白石は半身だけ振り返る。
陸は声を掛けたものの、どう切り出せばいいのか迷いながら、もごもご詰まってしまった。
「……その……ラヴィさんの件で……」
「……っ」
その名を聞いた瞬間、白石の瞳がわずかに揺れた。
変わらず背筋を伸ばしたままの凛とした立ち姿だが、夜の闇にとけるその彼女の表情は確実に切なさを帯びている。
しかし、白石はすぐに気を取り直し短く答える。
「……過ぎたことだ。もう何も言うまい」
静かに言って、再び前を向こうとする。しかし――
「……いや…っ……あの……違うんです……!」
陸は思わず声を張った。
陸はまだ言葉がまとまらないまま、再度勢いに任せてその背中を引き留める。
白石は足を止め、深く息を吐くようにして再び振り返る。
陸は視線を彷徨わせながらも、一度だけ息を吐き、覚悟を決めたように口を開いた。
「……ラヴィさんに……自分は、とんでもないことをしてしまったんです」
その言葉に、白石の眉間がわずかに寄る。その眼差しに、ほんの少しだけ、陸への敵意が滲んだ。
彼女のまっすぐな視線に耐えられず、陸は少し視線を下に落とす。
産土も朝霧も「もう済んだことだから気にするな」と言っていた。
それに第一、白石はこの件を知らないのだから、わざわざ自分から言う必要などどこにもないが、それでも陸は、いざ白石を前にすると、彼女にだけは言わずにはいられなかった。
(……何から話せばいい? ちゃんと話せるだろうか……なんと、謝れば……)
黙ったまま、俯く陸の耳に、落ち着いた声が落ちてくる。
「……話してみろ」
その声に、陸が導かれるように顔を上げると、白石は変わらず真正面から陸を見つめていた。
目の前の白石の表情は、怒りや後悔には染まっておらず、純粋に親友の死の真相を知りたいという意思に満ちている。
陸の口から紡がれる言葉を待ちながら白石はまっすぐ陸に向き合い、その場に静寂が満ちた。
陸は一つ、深く息を吸った。重たく口を開く。
「第1回派遣前の、ラヴィさんの利き腕の怪我……あれは、自分のせいです」
ラヴィの腕の怪我は隠しきれることもなく、白石も知っていた。
しかしラヴィはそれを皆には、任務でヘマした自業自得だと公言していたため、それが陸によるものだとは、白石含め誰も知る由がなかった。
「V.A.Mの使用に慣れるために初めて投与したとき……暴走して、近くにいたラヴィさんの腕に噛みついたらしいです」
緊張した面持ちで、控えめながらも真剣に切り出す陸の方へ、白石は無言で視線を向けている。
「損傷の度合いはとても酷くて、普通の人なら元通りにはならないレベルだったって……ラヴィさんが特別、驚異的な治癒力を持っていたからなんとかなったと……あとから聞きました。
それなのにラヴィさん、俺が気にするからって、皆に言わないで黙ってたんです。しかもそれだけじゃない――」
陸は、ラヴィの懐の深さに感謝すればするほど胸が痛んだ。
同時に、自分のふがいなさに拳を握る手に力が入る。
「俺はラヴィさんにとんでもないことをしたのに、逆にその日以来、ラヴィさんは、俺を突き放すどころか気にかけてくれて、雑談交じりに稽古をつけてくれたりもしました」
その言葉に、ほんの僅か、白石の瞳が揺れる。
彼女は、今陸が語っていることが、まるで当時、自分とラヴィが出会ったときのことの様に思えたのだ。
自暴自棄になっていた白石に、説教をするのではなく、腫れ物に触るようでもなく、ただ自然体で接してくれ、その背中を見せながら導いてくれた同志。
(……そうだ。ラヴィは……そういうやつだよな)
陸の話を聞きながら、白石はそう思わずにはいられなかった。
「それに、Arcのメンバーのこととか、実務で使えるコツとか……そういうのも色々教えてくれました。ほとんど初対面だし、班も違ったのに、すごく気にかけてくれました」
陸の声には、懐かしむような柔らかさと後悔が同時に滲む。
「そうやって親切にしてもらったのに、俺は自分がしたことを覚えてすらいなくて、謝りもできなかった……」
そこにあるのは大きすぎる後悔。
俯き、無力な自らがひたすら情けない。また一つ、思わずため息がでる。
陸は、悔しさに声がかすかに震えた。
「本当に、俺は……皆に迷惑をかけてばかりで……どうしようもない人間です」
奥歯をかみしめる。
やり場のない自分への嫌悪を、誰よりも自分が自覚し、そう吐き捨てる。
ラヴィには勿論のとこ――あの暴走を、朝霧や高嶺が止めてくれていなければ、ラヴィの怪我はあれでは済まされなかっただろう。
そして、自分が今ここにこうしていられること――こうして白石に懺悔出来ているのも、産土がクロノスに取り合ってくれたおかげだ。
陸は、自分は、皆に力を借りてばかりだと俯いた。
皆に生かされているだけの、1人では何も出来ないどうしようもない人間だと、陸は自分のことを思った。
「……だから、白石さん、」
再び顔を上げ、白石の方をまっすぐに見据える。そして心から――深々と頭を下げて続けた。
「俺があんなことしなければ……ラヴィさんは助かっていたのかもしれないです。本当に、すみませんでした」
その瞬間、白石の肩がピクリと動く。
「――ラヴィが、」
ぽつりと、小さな口からこぼれた短い言葉。
「……ラヴィが、そう言ったか?」
その問いに、陸は思わず顔を上げる。
白石の金色の瞳が、まっすぐに彼を射抜いていた。
その声には怒りも、責める色もない。あるのは今も変わらぬ、仲間への敬意と深い慈しみだ。
「万全な状態で任務に挑めないことなど、我々死神にとっては常。ラヴィとて、それは承知の上だ。何より――予定通り出発したのは、ラヴィ本人の選択だ。そこに誤りなど、あろうはずがない」
淡々と、確信をもって紡がれる言葉。そして――
「ラヴィは、そんなに弱くない」
「……!」
短いその一言に、すべての信頼と想いが込められていた。
陸の目が、はっと見開かれる。
「それに……ラヴィ自身が望まないだろう。そんな風に自分の死を語られることはな」
白石の視線が、静かに夜のグラウンドへと向けられる。
まるで、ラヴィとともに過ごした時間を、胸の奥で確かめるように、どこか切なくやわらかな眼差しだった。
「篁のせいじゃない。……気にするな」
まっすぐに立ち、凛としたままそう言い切る白石。それは陸に対する慰めでも励ましでもなく、揺るぎない本心からの言葉だった。
陸はしばらく黙ったまま、その背中を見つめていた。
そして白石は、グラウンドの向こうの遥先に広がる夜の向こう――そのずっと先を睨むような視線で見据えながら、低く呟いた。
「……私は、悔しい。ラヴィを襲った、あの残虐非道なオーデを私は決して許さない。少なくとも、ラヴィは……あんな死に方をしていいやつじゃなかった」
滲む声の中に、強さと共に、深く沈んだ悲しみの匂いが漂う。
「白石さん……」
その背中が切なくて、どうしようもなく胸が締めつけられて、陸はつい声を漏らす。
黒髪を夜風に遊ばせたまま背筋を伸ばして立つ彼女の背中に、みるみる覚悟や悔しさが滲んでいく。手元では拳がぎゅっと握られていた。
「……この手で、敵を討ちたかった」
ぽつりと落とされた本音に、陸の心臓がぎゅっと音を立てる。
白石は握った拳を見つめている。そしてしばし沈黙の後、力なくぽつりとつぶやく。
「……みっともないのは、私だ」
白石は続けた。目を伏せ、淡々と。
「ラヴィには……本当に世話になった。感謝してもしきれないくらいだ。
……だがどうだ、そのラヴィを殺した敵を打つためのアサインから、私は見事に外された。私では適性が無く、勝算が見込めないんだそうだ」
髪の隙間から覗く口元は、かすかに歪んでいる。淡々とした口ぶりの奥には、まるで生きる意味を失ったかのような正気のない雰囲気が漂っている。
「恩人に何も返せぬまま、何もできぬまま、その敵を打つことさえ――己の未熟さで叶わないのだ……情けないだろう?」
皮肉めいた口調で、自らを心底嘲る笑みを作る彼女を、陸はただ首を横に振って見つめる。
白石は、握った利き手をもう片方でぎゅっと押さえつけた。
「一番世話になった人に、何もできないなんて……そんな茶番、あっていいわけがない」
俯く彼女の声はかすかに震えていた。
悔しさや想いがあふれ出ぬよう押し殺すように、肩を震わすその姿に、陸は胸に熱くこみ上げるものを感じ、思わず言葉を口にしていた。
「でも、ラヴィさんは――」
(……ここで自分なんかが何か声を掛けるのは、出しゃばってしるだろうか?いや、でも――)
陸は考えるより先に言葉が口をついて出ていた。
「ラヴィさんはきっと……白石さんに仇を取ってほしいなんて、思ってないです」
「……!」
その一言に、白石の金色の目がふっと見開かれる。
陸は一呼吸おくと、静かに続けた。
「……俺、数ヶ月前に母親を亡くしました。すんません、いきなり……支離滅裂で」
言葉を選びながら、少しずつ、白石に伝えたいことを頭で整理しながら慎重に言葉を紡いでゆく。
「ラヴィさんとは違って、うちは持病だったんですけど……もともと母子家庭で育ってたんで、母が死んだとき、ひどく心細かったんです。兄貴がいるからひとりぼっちになったんじゃなかったけど、でも……急に後ろ盾が本当に何もなくなったような気がしたっていうか……どうしようもなく孤独で……暫く何も手につかなくて」
その視線が、手首のブレスレットに落ちる。それは母が残してくれたお揃いの形見だった。
「でも、ある日ふと思ったんです。“こんな姿、母ちゃんに見せらんねぇな”って。
……悲しみに呑まれて、ただ命を消費するだけの毎日なんて……息子がそんなんじゃ成仏できねぇだろうなって。そんときに思ったんです」
ゆっくりと、陸は白石の顔を見て言った。
「ああ、きっと母ちゃんは、“元気でいろ”、“前を向け”、“うまいもん食って笑ってろ”って、そう思ってんじゃないかなって。……それで、なんとなく思ったんです。ラヴィさんもそうなんじゃないかって」
白石は、無言で彼を見つめていた。そのまなざしに否定の色はなく、ただ、じっと耳を傾けている。
陸はそれが「続けていい」という合図に感じられ、更に言葉をつづけた。
「それに、ラヴィさん……言ってたんですよ」
控えめに微笑みながら、まっすぐ白石を見る。
「“俺の未来は、家族や友人、その人たちの大切な人達、その周囲の人たち、そして――凜が、ずっと笑っていられることだ”って」
その瞬間、白石の瞳が見開かれる。
はっと息を呑む音が、かすかに夜に溶けた。
それは確かに彼女の心の奥に届く、電流の様な一撃だった。
その言葉を聞いた彼女の脳裏に、とある記憶が猛烈に蘇る。
かつて、導守としての価値を見失いかけていた自分に、ラヴィがかけてくれた言葉だ――。
***
【白石の回想にて ~あの日、ラヴィがかけてくれた言葉~】
『恥辱や憎悪も含めて、“過去”は力だ。それは、間違いねぇ。だが――
どんなにつらくても、どんなに苦しくても、それをよりどころにしちゃダメだ。
過去の辛い経験は確かにお前を突き動かすかもしれねぇが、最終的な力の源にはならねぇ。均衡を保ててるうちはいいが……下手すりゃ、そいつは己を破滅させる諸刃の剣になる。
人間がよりどころにすべきなのは、いつだって“未来”であるべきだ。
俺たち人間が一番輝くのは、そういうときなんだよ。
そういうふうに決まってんだ』
白石の隣で、腕を組み遠くを見つめながら語っていたラヴィの横顔を、彼女は今も忘れたことはない。
夕日を浴びて、健康的な褐色の肌と鋭い眼差しがどこか神々しくすら見えた。
不意に彼は白石を見下ろし、無邪気な笑顔を浮かべながら豪快に言った。
『なぁ、凜! お前の未来は何だ?』
白石は、即答できなかった。これまでずっと、ただ“父親に認められたい”という想いだけを支えに走ってきた。その気持ちに何一つ嘘はない。
しかし――ラヴィの言う“未来”とは、それとはどこか性質が違っている。
そのことを、白石自身が一番よく分かっていた。
今の今まで、一心不乱に、ひたすら前だけを見て突っ走ってきた彼女には、”父親に認めてもらう”以外の選択肢なんて思いつく余地もなかった……はずだった。
だけど――
そのとき、不意にひとつだけ、胸の奥に浮かんできた想いがあった。
(この人と……ラヴィさんと……ずっと肩を並べて、笑い合っていたい)
少し気恥ずかしくて、けれど確かに在る、そのあたたかいその気持ちを、白石は言いかける。
『えっと……』
『ああっと、言うな!』
唐突にラヴィが遮ってくる。
(……なんでよ。自分から聞いといて……)
やや不満げに見上げる白石に、ラヴィは肩をすくめながら言った。
『お前が言ったら、俺のも教えないといけなくなるだろうが。だからそいつは黙っとけ』
そう言って、にかっと白い歯を見せて笑った。
まるで子どもみたいな、いつもの、飾り気のない笑顔だった。
――あの笑顔が、あまりにまぶしくて。でも、ずっと見ていたくて。
白石は、あの時、しばらくラヴィの横顔を見上げていた。
***
ふっと、白石の唇に笑みが灯る。それは、懐かしさに頬がゆるむような優しい微笑みだ。
「ほんとに……ラヴィは、お人好しだよね」
その声に乗った温度は、あたたかく、救いに満ちていた。
彼女はゆっくりと顔を上げ、気持ちを切り替えるようにして、隣に立つ陸を一瞥した。
さっきまで張り詰めていた面持ちはやわらぎ、そこには晴れやかな笑みが添えられていた。
それを見て、陸もほっとしたように表情を緩める。
「篁、いい話が聞けた。……礼を言う」
白石は、包み込むような声色でそれだけ言うと、歩き出した。
去っていく彼女の背中はいつもの自信と強さを取り戻していた。
陸は静かに息を吐き、しばらくその背中を見送った。




