第16話「ゼファルグ襲来」
ハロワン第16話「ゼファルグ襲来」
産土の一行は、ゼファルグと呼ばれるオーデと対峙することに。
彼らは何一つ犠牲を出さずに、本部へ帰還できるのか――
P.S.
今回は戦闘シーンメインのアクション回です。
アクションは何度書いても難しくて、何度も挫折しそうになりました。。。
彼らの「初・大陸外任務」を見届けてください!
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今回は、アクション回です。
闘いの最中の描写として、残酷な描写が一部あります。
独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています!
物語の進行に併せて随時更新してまいります。
宜しければご覧くださいませ。
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【大陸南西部・オーデ領域にて】
「これが、そり立つ壁の外側……オーデの領域か」
陸が静かに呟いた声は、湿気を帯びた風にかき消されそうだった。
彼らの目の前には、一部が海に沈んだ廃墟と化した街並みが広がっていた。朽ちたビル群は寂しげに空を切り裂き、その合間から覗く青い海が、不気味な静けさを漂わせている。
「胸が躍るな」
朝霧の声はいつもと同じ無気力さを含んでいたが、その目には、どこか興奮を隠しきれない光が宿っていた。愛刀の柄に手を置き、じっと目の前の光景を見つめている。
「今のところ報告書通りだね。目印があるところまでは、それに沿って進もう」
冷静に指示を出す産土の視線は目の前の風景を捉えつつも、どこか遠くを見据えているようだった。
オーデ領域では、過去に調査隊が命がけで到達した地点までは、簡易な目印が設置されている。それらは、後に続く者たち──産土、朝霧、陸のような戦士たちを先導するための、静かな灯台だ。
そして数時間後――
「だいぶ奥の方まで来たな」
朝霧が愛刀の鍔を親指で押し上げ、カチリと音を立てる。その表情には、待ち焦がれた戦闘への高揚感がにじみ出ていた。
一方、陸は、道の随所に付けられた目印を目で追いながら、険しい顔をしていた。
「……こんな簡単な目印でも、あるだけで心強いもんだな」
緊張の滲む声でそう呟いた陸の視線は、少し先の空間に注がれている。
「けど、もうすぐ無くなる……」
彼の顔には、隠しきれない不安が浮かんでいた。
「報告書は、泉の記載を最後にどれも途絶えてる。つまり、それより先には誰も到達できていないってことだよな……」
かすかに震えるその声を、産土はふと遠くを見るようにして受け止める。
「そ。湖畔が見えたら要注意。たぶん一瞬で始まる……よし、この辺で降りようか」
そう言って窓の外を見ながら、産土がゆっくり伸びをした。その仕草には緊張をほぐすような余裕があったが、目は静かに鋭さを宿していた。
機体が静かに地面へと降り立つと、3人は慎重に一歩一歩を進み始めた。
湿度の高い空気が肌にまとわりつき、どこからともなく虫の羽音が聞こえてくる。
「湿気が増してきたな……虫も多い。もうすぐ湖畔だ」
陸が喉を鳴らしながら辺りを警戒する。
そして――、空気が変わった。
静寂が、深まった。
木々も風も、その動きをぴたりと止め、まるで何かを、息を潜めて待ち構えているようだ。
「来る」
産土が短く告げたその瞬間、湖畔の上空から突風が吹き荒れた。
視界が一瞬でかき乱され、3人の体が宙に浮き上がる。
その中で、産土だけが目を見開いていた。視界の先に、一際強い光を放つオーデの魂が、はっきりと映っている。
「開廷……!」
産土の声が響いたその瞬間、戦いが幕を開けた。
***
産土の審議署空間に足を踏み入れた瞬間、3人の前に巨大な影が現れた。
通常の人間を遥かに凌駕する屈強な肉体。
ゼファルグ――そう呼ばれるこの男は、この領地を支配するQK級のオーデだ。
豪快な笑い声を響かせながら姿を現した彼の首元には、過去の導守たちが執行し損ねたリードの金具が、ジャラジャラと音を立てて揺れている。
産土たちは即、身構えた。目の前のオーデの圧倒的な存在感に緊張感が場を支配する。
「おお〜、この暗いとこに来たってことは、お前らの中に導守がいるんだなぁ!」
ゼファルグは豪快に笑いながら、周囲を見渡した。
「へッ、最近は探しに行かなくても人間が勝手に来る。楽でいいなぁ。しかし、たったの3人かよ? 今日は調子が良いから、もっとぶん殴りたかったのになぁ!」
彼が一歩足を踏み出すたび、風が渦を巻き、足元には細かな雷光が散る。髪や衣装は風に煽られ、彼の周囲だけが異様な自然の力で動いているかのようだった。
その様子から、彼が“天候のオーデ”の類であることを、3人はそれぞれの脳内で瞬時に理解する。
彼は、今回の産土班の担当オーデではなく、頻出エリアは隣接するもうひと区画向こうのエリアであるとされていた。しかし問題はない。多かれ少なかれ、今回の派遣第1弾〈ホライズン〉中に、かなり高確率で遭遇が予想されていたオーデだ。
クロノスの事前調査データの情報も十分に頭に入っている。
「どれが導守だ?」
興奮を隠さず、意気揚々と問いかけるオーデに、産土は冷めた声で応じる。
「一人でよく喋るな。ずいぶん脳筋っぽいけど、会話できんなら教えて。あんたらが大陸を襲う理由って何?」
「おめぇが導守か?」
ゼファルグが産土をじろりと睨む。
「こっちが聞いてんだよ、タコ」
産土は一歩も引かず、涼しい顔で言い返した。
「先に聞いたのは俺だろうが」
「人をぽろぽろ殺す奴が、一丁前に順番なんか気にしてんじゃねぇよ。さっさと答えろ」
ゼファルグは唸り声を上げ、不敵に笑った。
「お前ぇは望み薄だな。お前ぇみてぇな人間は――」
「早くしろ。次で言わなかったら、お前──」
産土が言葉を遮る。
その瞬間、彼の表情は一変していた。
「執行すんぞ」
鬼気迫るその形相には、陸でさえ息を飲んだ。産土の眼光と殺気は、オーデだけでなく、味方にすら突き刺さるようだった。
「……俺はお前ら人間風情の指図は受けねぇ」
ゼファルグは片眉を吊り上げ、唇を歪める。
「やりたきゃやれぇ」
吐き捨てるように言うと、地面に両足を踏ん張り、3名に正面から向き合い、臨戦体勢を整えた。
静まり返った空気が張り詰め、次の瞬間には戦いが始まる──そんな予感が場を包み込んでいた。
「奴は自分の力に絶対の自信を持っている。俺たちを追い詰めて虫の息にしたあと、生死のニ択を迫る形で、奴らの取引を持ち出してくるやり方らしい」
朝霧はいつもの無気力な声色で淡々と呟く。だが、その目は、明らかに目の前のゼファルグの動きを追い、静かに高揚している。
「情報が引き出せないなら、もう奴は用済みだ。始めよう」
産土は二人にそう言うと、額に滲む冷や汗はそのままに、ゼファルグを睨みつけた。
陸はそんな産土の姿を見て決意を固め、力強く頷いた。
産土が構えを取るや否や、ゼファルグの首めがけて鎖が唸りを上げて振り下ろされる。
その一撃を皮切りに、今、戦いの火蓋が切られた――。
「やっぱりお前が導守か。知ってるぜ、その鎖は導守しか使えねぇんだろ?」
ゼファルグは屈強な身体に見合わぬ軽さで攻撃をかわしながら笑みを浮かべる。
「俺はその鎖に捕まると……マズイんだよなぁ!」
(だが、それがどうした。鎖が途切れたところで、お前ごとまとめて叩き潰すだけのこと)
ゼファルグは身をひるがえし、空中へ跳び上がって鎖をかわす。だが、産土は構わず次の鎖をもう一本、更にもう一本と、休む間もなく繰り出す。放たれる鎖は次々と姿を変え、蛇のようにしなやかに、獣のように獰猛にゼファルグへと迫る。
最初は余裕綽々でそれらをいなしていたゼファルグだったが、追撃は一切の間を置かず襲いかかり、その勢いと精度に眉をひそめた。
「へぇ……今までの奴らより、ちったぁ骨があるなぁ」
ゼファルグはそう呟くと、今度は一変して次の鎖が迫ってきても動こうとはせず、仁王立ちのまま両腕を広げた。
朝霧はその異変に即座に気づく。
「反撃が来る。気をつけろ」
その警告とほぼ同時に、ゼファルグの周囲に嵐のような強風が巻き起こる。
鎖は風のうねりに乗って逆巻き、まるで逆流する波のように産土たちへと弾き返される。
「っ……!」
産土は反射的に鎖の力を解除し、こちらへの被害を最小限に抑える。だがそれでも、地面に叩きつけられた鎖が土を巻き上げ、周囲は一瞬で土埃に包まれた。
(視界が悪い……二人は無事か!?)
産土が警戒を強めた次の瞬間、鋭い金属音が耳を突く。
カキン――。
その一音だけで、産土はすぐにそれが朝霧の日本刀だと理解した。
ゼファルグは、視界の悪さを利用して産土以外を先に仕留めにかかった。まず狙われたのは朝霧。
風を切る刀の音、風圧により舞い上がる塵の音、そしてぶつかり合う衝撃音。
土煙の奥で、技と技、肉と鉄がせめぎ合う。戦い慣れた者同士の息遣いの音。その応酬が続いた。
やがて煙が収まるにつれ、朝霧とゼファルグの巨体が姿を現す。
それを確認した産土は、再びゼファルグ目掛けて鎖を振り翳した。
だが、ゼファルグはそれをかわしながら言う。
「なるほど、少数精鋭で挑んできただけのことはある。今まできたのより強いな。だとしたら、」
そう言って朝霧と産土から急に距離をとったゼファルグは、両腕を大きく宙に描く。
直後、空気が悲鳴を上げた。巨大な渦が空間を引き裂き、狂ったように回転する竜巻が三人を襲う。足元が削れそうな風圧に、三人は吹き飛ばされぬようその場に踏みとどまるのが精一杯だった。
自由を奪われたその瞬間、ゼファルグは竜巻の中を自在にすり抜け、まず陸へと狙いを定める。
「まずはお前だぁ!!」
「……ッ!」
振り下ろされる巨腕。
その瞬間、世界が白に染まった。
刹那――ゼファルグですら、目を開けられないほどの閃光が辺りを包み、視界は一変する。
そこには先ほどまでの審議署空間ではなく、微かに、出発前に訪れた湖畔の光景が幻のように浮かんでいた。
「……あン? なんだ。さっきの真っ暗なとこから出たのか?」
(なんだかわからねぇが、あの暗いとっから出たなら鎖の追撃はねぇはずだ)
ゼファルグは困惑しながらも周囲を見渡し、すぐさま陸の姿を捉えた。ゼファルグは目が慣れたのに対し、一方の陸はまだ状況を把握しきれておらず、周囲を見回している。
(……やつら俺が見えてないな。だとすればこの状況は圧倒的に有利!今他の2人をたたいちまえば、あとはあの導守を試して終わりだ。状況がよくわからんがまぁいい、やるこたぁ一緒だ!!!!)
「おらぁッ!!」
ゼファルグが吼え、再び陸へと襲いかかる。
すると、この機を逃すまいと、次の瞬間、何処からともなく産土の鎖が唸りを上げて飛来した。
「……フンッ……!!」
鎖はゼファルグの首に巻きつき、鋭く締まる。
「なに……!?」
動きを止めたゼファルグは、自身の首にかかった鎖をゆっくりとなぞる。
(なんだ…?!やっぱりまだここは審議所なのか?いやそうだ、この鎖があるってことはそういうことだ。それより、これが首にかかったってことは、早く奴らを仕留めないと俺は……)
ゼファルグの顔が険しくなる。は自分のおかれた状況を理解し、激昂した。
「てめぇ導守め! どこにいやがる!! 卑怯な手ぇ使いやがって! 出てこいやァッ!」
土埃の中から、産土の声が響く。
「やっぱり。賭けだったけど、うまくいったねぇ」
産土は頭上から余裕の笑みでゼファルグを見下す。
「あんたが過去に何度も執行を免れてきたことは知ってた。その首のリードを見れば一目瞭然だけど、事前資料でもそう報告されてた。今までにもう何人も導守を葬って来たって」
そう語る産土は漂漂としていながらも、その瞳の奥は静かな怒りを宿し、冷めきっている。
「つまりあんたは審議所空間ももう何度も経験済みだった。案の定ここにきてからのアンタが饒舌に語ってた発言の数々で確信した。
だからこそ、あえてその“慣れ”を逆手に取ったわけ。
暗いとこが審議所って思い込んでる奴には、こうやって明るい景色を見せときゃ、あたかも審議署“外”だと思うでしょ?」
産土は小ばかにしたような笑みを浮かべる。
「死神くらいにもなるとさ。審議署空間の虚像くらい、好きに作れるようになっちゃうわけよ」
ゼファルグは渾身の力で首の鎖を解こうと、産土の目下で咆哮を上げていた。
「無理もないって。別にあんたが気を抜いたせいじゃない」
五は必至のゼファルグを煽るかのごとく優しい猫なで声で微笑みながら続ける。
「太陽が出ていれば世界は明るく、隠れていれば暗くなる。それが当たり前。そんな常識に慣れてたらさ、まっ暗い場所にも“実は太陽がありました”なんて、誰も想像しないよ。だって、慣れるってそういうことだもんね」
言葉は穏やかだが、その口調には皮肉が滲んでいる。
「可哀想に。脳筋が下手に知識なんか身につけるからだよ……でも、はぁ〜あ。本当――」
肩をすくめると、ふっと息を吐いて笑った。
「ありがとねぇ」
心底哀れなものを見るような目で、ゼファルグの頭上から彼を見下ろしていた。
その瞬間、景色がゆっくりと揺らぎ、ふたたび見慣れた審議所に切り替わる。光のベールを纏った産土は動かず、ただ静かにそこに立っている。
だが、逆上したオーデは――
「なんだとオウラアアアァァァッ!!!」
血走った目で光の中の五を睨みつけ、凄まじい殺気とともに迫る。
(まずい……!)
朝霧が即座に体を動かすが、風の如く疾走するオーデの速度に、そう簡単には追いつけない。
そのときだった。
ゴゥッ…と空気を裂くような唸りが響いた。何かが飛ぶ音。
直後――
ばちばちばちばちっ!!!!
鋭い音が連続して炸裂し、乾いた肉を抉るような衝撃音と共に、真紅の飛沫が宙を舞った。
一瞬で、空気が血の匂いに変わる。
(……なんだ!?)
その衝撃に思わず朝霧も足を止めた。
オーデの巨体がよろけ、脚を止める。その身体には、無数の穴。そこから滴り落ちる血が、審議所の床に黒々と広がっていく。
(なんだ……何を食らった……?)
オーデは顔をしかめながら、手で傷口をなぞる。べっとりとついた自分の血を見るなり、ぎぎ……と軋むように、ゆっくりと顔を向けた。
銃弾が飛んできた方角――
そこには、何かを投げた直後の姿勢で止まっている、陸の姿があった。自らも驚愕に、表情が固まっている。
(……若いのが、やったのか……?)
朝霧には、何が起こったのかすぐには把握できなかった。だが、産土が無傷で立っているのを見て、すぐに状況を理解した。
(守ったのか……! 若いのが)
その後は、考えるより先に体が動いた。
「……ッ!」
朝霧は走った。動けずにいるゼファルグの右足の甲――その上から、日本刀を渾身の力で突き刺した。
「フン〝〝ッッッ!!!!」
刃が骨を貫き、異様な音を立てて止まる。
呻くゼファルグ。それを見た陸も、はっと目を見開き、今だとばかりに体勢を立て直して前へと駆け出した。
オーデは足に突き刺さった日本刀を引き抜こうとするも、うまくいかない。眉間に皺を寄せ、顔を真っ赤にし、怒りで青筋を浮かべながら、向かってくる陸の姿を捉え、左手をそちらへ向けた。
(まずい……!)
直感が叫ぶ。そこから攻撃が繰り出されると思った竜は、慌てて、垂直方向へかわそうとジャンプしようと地を蹴る。
報告書にあった、あの動作。風を操る直前に、オーデは必ず“手”を使う。
「おせーよォ!! うすのろがぁぁァァァ!!!!!」
左掌から放たれたのは、雷雨を伴った暴風だった。
「っ……!」
陸は咄嗟に地を蹴り、跳び上がろうとするも――間に合わない。
竜巻のような突風が直撃し、身体は宙に浮いたかと思えば、そのまま地面に叩きつけられた。
「お前もなぁ……ッ!!」
叫んだのはゼファルグの背後を捉えた朝霧だった。
彼の手には、陸が落としていた大斧型の兵器。目にも留まらぬ速さで振り上げられたその斧は――
ドシュッ!!
ゼファルグの左腕を、肩から一閃で切り落とした。
「ッ……!!」
大量の血が噴き上がる。ゼファルグは反撃しようと右拳を振り上げるが、自身の血で足元が滑り、そのままバランスを崩した。
(しまっ…!)
ゼファルグは慌てて体制を整えようとするがもう遅い。
朝霧が上に仁王立ちになり、倒れ込む上体を押さえつけるように踏みつける。
「こっちも頑張ろうか……!」
再び大斧を大きく振りかぶり――
バギンッ!!
音を立てて、ゼファルグの右腕をも切り落とした。
「……ッッ!!!!」
声にならぬ叫び声をあげ、顔を激しく歪めた。
審議署に響くのは、息遣いと、血の滴る音だけだ。
朝霧は、肩で息をしながらも、冷ややかな目でオーデを見下ろしていた。
彼から持つ強大な力は、あくまでオーデのもの。ゼファルグ自身の力ではない。
つまり――
彼らがその力を使用する際にには、必ずその力の源である契約したオーデに“何らかの合図”を送らねばならない。
何がトリガーとなるかはその個体によって異なるが、その中でも、ゼファルグは攻撃の前に必ず“手”を動かす――つまりそれがトリガーとなり、力が発動されるということが、事前資料で分かっていた。
だから――
「……腕がなきゃ、もう何もできない」
朝霧の口元に、静かな皮肉が浮かぶ。
「これでオーデの力は使えない。やっと人間らしくなったな……嬉しいか?」
その瞳は、どこまでも冷たく、残酷な光を宿していた。
音もなく、ゼファルグの額に一筋の汗が流れ落ちる。彼の本能が、いよいよ自らが過去最高に追い詰められたことを悟ったのだ。
朝霧は懐から銀の懐中時計を取り出すと、カチリと蓋を開けて秒針を一瞥した。
「……さぁ、まだ少しあるみてぇだ。俺と話そうか。他の仲間は何人いる?」
「……さあな」
ゼファルグが不敵に唇を歪めかけた、その瞬間だった。
――グシャッ。
「ツゥ゛ッ!!」
乾いた音と共に、吹き飛んだのはゼファルグの右耳。
一方の、斧を振り下ろした朝霧は、何事もなかったかのように静かに問いを続けた。
「どんな奴らだ。どんな能力を有している? 一人目から言ってみようか……はい」
声には微塵の揺らぎもない。なおも強がるゼファルグの視線の先で、朝霧の掲げた斧は血に濡れながらも鈍く光を放っていた。
ゼファルグは脂汗を滲ませつつも、まだ動く方の左脚を振り上げ反撃を試みる――が、その動きはあっけなく止められた。
朝霧はあっさりとそれを受け止め、無言のまま、容赦なく、ゼファルグの左脚の付け根を脱臼するまで踏み砕いた。
「……ッ゛……グアアアアアッ!!」
踏み潰された脚が崩れ落ち、ゼファルグの体はだらりと沈んだ。
あまりの痛みに、彼の目には涙すら浮かんでいたが、朝霧の眼差しは一切、変わらなかった。
「……二人目ぇ」
朝霧の冷たい声がゼファルグの頭上から容赦なく降った、その時だった。
ゼファルグの体の周りに、突如、雷電のようなものがほとばしる。ピリリ……とした微細な感覚が、朝霧の肌にも確かに届いた。
「……っ」
危険を察知した朝霧は、咄嗟に後退し距離をとる。
地面に仰向けに横たわったままのゼファルグ。動けぬはずの四肢に力はなく、ただ雷光が彼を包み込んでいた。
「なんで、こうなった……。こんなの、今までなかったってのによぉ……」
呻くように呟くオーデ。その肉体は未だ地に伏したまま――だが、確実に“何か”が満ちていく気配があった。
(……何が起こってる。この雷みてぇのは、どこから生み出してやがる……)
朝霧は呼吸を潜め、目の前の異様な光景を観察する。
やがて、雷光は青く変化し、燃え上がるように激しさを増していく。その青き雷を核として、オーデの頭上には黒く渦巻く雷雲が――まるで意志を持つかのように――急速に形成されていった。
(……上か)
朝霧は一瞬で判断を下し、崩れかけた岩陰へと跳び込む。
雷撃が落ちる――そう確信しての行動だった。
そして案の定、直後、目線の先に朝霧を捉えたゼファルグの頭上から、稲妻が地を穿つように降り注いだ。
「ッ――!!」
間一髪、岩陰に隠れた朝霧は直撃を免れた。
しかし、その視線の先――そこには、すでについ先ほどの雷電を纏う前のゼファルグの一撃を受け、倒れ伏した陸の姿が見える。
(……まずいな、庇いきれるか……? いや、それより……ボスに当たったら終わりだ……どうする……)
朝霧は岩陰から目を細め、オーデの動向を窺う。
ゼファルグは依然として、あの異様な雷光を纏ったまま、仰向けの姿勢を崩していない。
それどころか、依然激しい電流を体に纏い、近づくのも憚られるくらいに燃焼している。
(暴風のトリガーだった手足を失ったことで発動した能力……この雷はトリガー無しで発動してるってことか?……いや、手足以外の何か別のトリガーがあるはずだ……)
しかし、ゼファルグは纏う雷の威力を増しているだけで、特に手足を再生しているわけでもない。声も発していない。武器の類のものも、近くには見当たらない。
(俺に雷を放った時、どうやった……?)
朝霧は思考を巡らせるうちに、ある疑問を抱く。
(そういや、なぜ、ボスと陸を攻撃しない……?)
「……!」
そして気付く。二人の位置は、ゼファルグが倒れている足元の延長線上――つまりゼファルグの“視界の外”にいる。
(……だとしたらトリガーは、)
朝霧は瓦礫の破片を手に取り、じり、と岩陰から身を乗り出す。
(……これが最善策なのか? 他に、確実に仕留める方法は……いや、)
目だ。やつは“目で捉えたもの”に雷を放っている――。ならば今すぐそれを潰さなければ。
(……それとも、いっそこのまま攻撃が来ないなら、記憶の同期が終わるのを待つ方が……いやそれは、無い。俺が奴なら……もう対象が見えなくとも、手当たり次第に雷を落としまくる。……それに、ボスなら位置が分からなくても殺せる。あの鎖を伝って雷を送られたら、ボスは終わり。同一線上にいる若いのも食らって共倒れだ……)
朝霧が、瓦礫の破片をもう一度握りしめたその瞬間だった。
ゼファルグが、なおも力を振り絞り、視線を雷雲の先――ボスの方角へと向けた。
(――やらせねぇ!)
が、次の瞬間。
雷雲の中を何かが駆けた。
電光石火の速さで、空中を舞う影――朝霧が目線の端にわずかに捉えたそれは、鋭い爪と巨大な翼を備えた“鳥のような何か”だった。
「……鳥? いや……」
その生き物は、猛禽のごとく空を裂き、雷をかいくぐり、ゼファルグの頭上に急降下する。
「味方……なのか?」
困惑する朝霧の視界の先で、その異形はクチバシのような部位で――ゼファルグの左目を、正確に突き刺した。
「グアアアアアアアッ!!!」
断末魔の叫びを上げるゼファルグ。激痛に身をよじりながらも、右目のトリガーに最後の望みを託す――が、次の瞬間には、それすらも容赦なく潰される。
バチィッ……!
刹那の出来事で、その猛禽の様な異形とゼファルグが何か会話を交わしたかなど、知る暇もない。
しかし朝霧の読み通り、ゼファルグの両目の視界が奪われると同時に、周囲の雷光が消え、空に渦巻いていた雷雲も、一瞬で掻き消えた。
辺りに静寂が戻る。
手元の懐中時計を見た朝霧はまだ呆気に捉えたままぽつりと呟く。
「……終わったか」
そしてそこには、すでに“彼”が立っていた。執行者の仮面を被った産土だ。
重厚な静寂をまといながら、彼は静かに宣言する。
「汝の罪を繰り返すべらからず。オーデよ、自然に帰り給え。
もう人為に振り回されることもない。裁きを受けるべく、オーデと契りを交わしし愚かなクグリコよ、その本来の姿を現し給え――」
産土の唱えと共に、ゼファルグの人間離れした肉体が、まるで彼を覆っていた鎧のように崩れていく。
そしてそこに、横たわるようにして残されたのは、一人のガタイの良い男。
彼の血に濡れた頬には、もう無いはずの両の目の位置から、一筋の涙が静かに伝っていた。
***
【ゼファルグの執行記録~産土の執行記録にて~】
ゼファルグの記憶は、断片的で、曖昧だった。
映るのは、薄暗い部屋。そこに集められたのは、何名かの人間たちだった。
皆、薄手の布だけの白装束という、捕らえられた囚人のような格好をしており、一列に並ばされた彼らの足首には、ひとつながりの重い足枷がかけられていた。
彼らは、異様なほど大きな、盃を模した土台の上に、一列に整列させられていた。
その姿は、まるで――神への“献上”。
誰かに祈るように両手を合わせる者もいれば、ただ震え怯える者、静かに涙を流す者もいた。
そして、その列の端に、ゼファルグもいた。
彼の風貌は、他の人間とは少し違っていた。
桁外れに鍛え上げられた肉体。人間離れした体格。背には、何か機構めいた接合部があり、腕の表面は部分的に金属で補強されていた。
――彼は、人間の手によって開発された、“人間兵器”として作られた存在だった。
彼が生み出された目的はただ一つ。
戦場で闘い、勝つこと。
実際に彼は、戦争の火花が飛び交う各地で、期待通りの成果を上げた。
屍を積み上げ、戦線を一変させる破壊力。その強さは、恐怖とともに名を馳せた。
しかしやがて、優れたその性能をさらに高めようと、やがて彼が次のモデルの実験台とされる日がやってくる。
彼の戦闘データを元に、新たな試作兵器が複数作られたが、結果はすべて失敗。
そして、度重なる開発の実験途中で“不良品”となってしまった彼自身も、用済みとして廃棄されることが決まった。
こうして彼は、“献上”の名のもとに、廃棄されたのだった。
この大きな盃を模した土台の上こそが、彼の終わりとして想定されていた場所だった。
しかし――否、だからこそ彼は、ここで死にきれなかった。
“闘わなければ” ――。その暗示めいた呪いが、彼の御霊を強靭なオーデと引き合わせた。
だが、彼の“強さ”の根底にあったものは――ひたすらに、“恐怖”だった。
いつか誰にも必要とされなくなるのではないか――
役目を失い、存在の意味もなくなるのではないか――
その孤独と虚無だけが、オーデと契約した後も、彼を突き動かしていた。
圧倒的な力。それは死後も変わらないどころか、むしろ、オーデと契約したことで、なおさらその力は研ぎ澄まされた。
戦うこと。それが間違いない、唯一の、“生きがい”。
殺し、破壊し、蹂躙するたびに、彼は生を実感していた。
単なる好戦性からくるものではない。彼は、自らがもたらす暴力の中に、自らが“誰かに必要とされている“という意味を見出していたのだ。
血塗れの両腕で、屍の山を蹴散らし、岩を粉砕し、時には自らを炎に包んで、敵陣へと突っ込む。己の肉体を燃え上がらせ、それすらも武器とし、殺戮の限りを尽くす――それを見る者にとっては悪魔そのもののような存在。
しかし、本来生身のゼファルグ自身は、至極平凡な感覚も同時に持ち合わせており、戦いの裏で、彼は幾度も自己を見失った。殺戮の後、ふと我に返っては、罪悪感に押し潰され、突然、子供の様に泣き出すことすらあった。
加えて彼は、人間を完全には憎んでいなかった。
たとえ肉体の半分が機械となっても、どこか人間らしい温もりを捨てきれないという、矛盾を抱えたのがゼファルグという男であった。痛覚を伴う実験も、戦地での無謀な投入も、全てが“役に立っている”証として、彼の心には刷り込まれていたからだ。
闘ってしか、生きられない。闘わないと、生きてることさえ、許されない。
なんの疑いもなくそう刷り込まれた、この不器用な男の中に眠る記憶を――決壊した無垢な心の残骸を――産土は静かに見たのだ。
やがて目をそっと開く。
産土の視線の先、横たわる男の肉体は、光に包まれながらゆっくりと薄れていく。
産土は、ゼファルグの胸に手を置き囁いた。
「もう、止まっていい」
それはゼファルグにとって、間違いなく、命の終わりを告げる言葉。
しかし、許しの様に放たれたその温もりに、ゼファルグはもう抗う意思を失っていた。
しばしの沈黙のあと――産土は問いかける。
「最後に、言いたいことはありますか?」
優しく耳元に落ちたその声に、ゼファルグはゆっくりと顔を動かし、答えた。
「……終わったのか」
まるで、命の静止を待ちわびるかの様に、ゼファルグの声色は安らかで静かだった。
産土はただ、頷く。
「おやすみなさい」
その声に安心したかのように、ゼファルグは目を閉じた。
そして――
彼の体を包んでいた光は、天へと一直線に走る閃光へと変わり、大空を突き抜けた。




