第12話「制御不能」
ハロワン第12話「制御不能」
約1か月後に控えたオーデ討伐に向けて、陸はFANGとして新兵器レクチャーに参加していた。
高嶺や朝霧の指導のもと着々と鍛錬に励む陸だが、慣らすために投与したV.A.Mの効き目のせいで予想だにしない展開に――
P.S.
今回は、陸が主人公してるなぁという感じと、高嶺と朝霧の安心感が個人的に気に入っています^^
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今回は、残酷な描写はありません。(やや流血表現あり)
独自用語や舞台設定が多いので、リンク先に解説をまとめています!
物語の進行に併せて随時更新してまいります。
宜しければご覧くださいませ。
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ユートピア郊外、クロノスの管轄下にある軍事施設。
そこには今、数百名のFANGたちが一堂に会していた。
目的は、1カ月後に予定されている第一回オーデ討伐作戦に先駆けた、最新兵装のレクチャー。
クロノスが秘密裏に開発を進めていた新兵器であり、その情報開示は、選び抜かれた者にしか許されていない。
その事実が、ここに集められた屈強な男たちの誰もが、FANGとして実力者であることを何よりも証明していた。
数十名ずつの分隊を組み、黒い軍服姿が整然と並ぶその手前には、分隊から少し離れて立つ朝霧や高嶺の姿。他とは一線を画す静かな存在感を放つ彼らの襟元には、FANG最高位『α』の証であるバッジが光っている。
凛とした軍服に身を包んだその姿には、自然体でいながらも一切の隙がない。静かにそこに立っているだけで、積み重ねてきた修羅場の数と格の違いが知れてしまう――まさに、百戦錬磨の男たち。
その2人の隣に、見慣れぬ一人の青年――陸が並んでいるのは、異例中の異例だった。
本来ならαとしてこの場に立つには、長年の戦果と実績が求められる。それを持たぬ陸がここにいるのは、産土の強引な推薦と、朝霧の独断によって“専属FANG”として特例的に登録してもらえたからに他ならない。
とはいえ、本人にとっては――それは重すぎる勲章だった。
(……やっぱり、場違いすぎる)
背中越しに感じるのは、背後のFANG達からの鋭い眼差しと圧のような覇気。振り返らずとも、後ろに控える数百名のFANGたちが、自分より何倍も強いことは分かる。
誰かに何か言われたわけでもないのに、そのプレッシャーでわずかに脚が震える。
逃げ出したくなる気持ちを抑えながら、陸は奥歯をかみしめ小さく呼吸を整え、目線を正面に戻した。
そのとき、場の空気を切り裂くように、低く芯のある声が響く。
「今から説明するのは、新たに支給される兵装だ。クロノス社が、対オーデ戦を見据えて開発した最新モデルになる」
指導官の低い声が場に響き、その場はより一層の集中に包まれる。
彼の背後には、いくつかの黒いケースが積まれており、見慣れぬ武器たちがひたすら無骨に並んでいた。
陸は思わず唾を飲み込んだ。
「基本構造や操作法は従来の装備と大差ない。ただし一部機能が強化されている。特にこの制御ユニットの活用で、対応速度は飛躍的に上がるだろう。……言葉で説明するより、実際触ってもらった方が早い。前列から順番に回せ」
指導官の指示で、両脇にいた補佐官がまずは朝霧と高嶺、そして陸などが並ぶαの隊列に、新兵器を渡していく。以降、後列の分隊にも順々に武器が配られ、重たい金属音と、硬質な息遣いが広がっていく。
陸も受け取った武器を、じっと見つめた。その手がわずかに汗ばんでいるのを自分でも感じていた。
ふと横を見ると、朝霧と高嶺は、すでにそれを手に取り、慣れた動作で扱い始めていた。
高嶺は、まるで美術品でも扱うように、その精巧な作りを指先でなぞる。微細な構造を一つひとつ確認しながら、真剣な表情の奥に、ごく穏やかな笑みが浮かんでいた。まるで新しい道具と心を通わせるかのような所作とその余裕に、思わず見惚れてしまいそうになる。
一方、朝霧は無言のまま、静かに武器を構え、素振りを始めていた。鋭く、無駄のないその動きに、周囲のFANGたちはごくりと喉を鳴らす。
軽く重心をずらしながら、今度は実戦を想定した動作で何度か振り直し、体に馴染ませるよう調整していく。
“完璧”という言葉が、これほどしっくりくる動きはない。
二人とも、説明を聞くだけでなく、すぐに実践し、完璧に理解してしまっている。その様子を見て、陸は内心焦りを覚えた。
(……やっぱり、すげぇな。この人たち)
遅れを取るわけにはいかない。しかし初めて扱う武器だ。どうやったら良いかなんて分からない。周囲の視線が気になるが、自衛官時代の武具訓練を思い出しながら、陸は意を決して刃をふるってみる。
しかし案の定、思ったように反応しない。力加減が合わないのか、それとも手順を誤ったのか。何度か試みるも、思うように動かせず、ぎこちない動作になってしまう。
「……っ、これ、結構難しいな……」
思わずこぼれた言葉に、隣にいた高嶺が視線を向ける。
彼はふっと親しみやすい笑みを携えながら、陸の方へ近づいた。
「篁くん……でしたか?」
夢中になって武器と格闘していた陸は、その声にはっと顔を上げた。
高嶺の何気なく武器を下ろす仕草からは、もうこの数分の間に新兵器の扱いを完全にものにしてしまったことが伺い知れる。
「無理に力を入れる必要はありませんよ」
高嶺が穏やかに微笑みながら、陸の手元を覗き込む。
「制御ユニットの感度が高いので、意識を少し変えるだけで随分と操作しやすくなるはずです。力を抜いて、もう一度試してみましょう」
高嶺は自らの手を重ねるようにして、陸の指先を軽く誘導する。ぴたりと寄せられた体温に、陸は一瞬ドキリとしたが、すぐに気を取り直して言われた通りに試す。
「……お、今の…少しスムーズに動いたかも?」
「その調子です。繰り返せば、もっと自然に扱えるようになります」
高嶺の言葉に陸は頷き、今度はもう一度高嶺のサポート無しで試みる。
しかし今度はやや力を抜きすぎてしまい、武器の動きに体だけが取り残された。
「うおっ」
ばつが悪そうにする陸に、高嶺は変わらぬ笑みを向けている。
「この武器は本来、V.A.Mを投与した状態で使用するものなので、生身の状態で扱うには少々荷が重いんですよ。慣れるまで、そうなるのは当然です。練習あるのみ、ですね」
「ですね……あの、高嶺さん……もう少しだけ練習相手になってもらえませんか?」
「ええ勿論。私で良ければ、いつでも」
こうして残りの時間は各人が思い思いに練習に励みつつ、自然解散となった。
訓練場の片隅で、陸はようやく新兵器の扱いに慣れ始めていた。最初は苦戦していたが、高嶺の丁寧な指導のおかげで、今ではなんとか基本的な操作ができるようになった。
「おお、今の!」
刃からシールドモードへの切り替えが、先ほどよりも格段にスムーズになったことに、陸は思わず小さくガッツポーズをする。
「お見事です、篁くん」
高嶺が優しく微笑み、労いの言葉をかける。
「本当にありがとうございます、高嶺さん」
陸は額の汗をぬぐいながら高嶺を見上げる。柔らかな笑みを携えている彼は、それでいて隙が無く、汗一つかいていない様子は涼し気だった。
陸は周りにもう誰も居ないのを確認すると、少し小声で言った。
「久遠さん……でしたっけ?」
突然発せされた主の名前に、話の続きを促すように高嶺は少し首を傾けた。
「いや……高嶺さんみたいな人が専属だったら、本当に、安心でしょうね」
何気なく口にした言葉だったが、高嶺はそれを聞いて、少し目を見開いた後ふっと微笑んだ。
「どうでしょう……そう感じていただけるように常々尽くしておりますが……。なんせよく鬱陶しがられていますよ?」
「えっ。……高嶺さんが?」
意外な答えに、陸は驚いた。
高嶺は物腰が柔らかく、誰に対しても礼儀正しい。自分のような新入りにも分け隔てなく接してくれるし、何より話しやすい。
そんな人が鬱陶しがられるなど想像がつかない。
「ええ。私のことを、おせっかいな専属だと思っているようです」
高嶺は肩をすくめてどこか楽しげに言った。
「まあ、彼にとって私は口うるさい存在でしょうからね」
確かに、以前たまたま、クロノス本部で食事をしたとき、高嶺が久遠の横で『ちゃんと手を洗え』や『いただきますは?』などと逐一注意し、久遠がダルそうにしていた様子を思い出し、陸は思わず苦笑した。
「でも久遠さん、なんだかんだ世話焼かれて嬉しそうですけどね。なんていうか、高嶺さんには少し甘えてるように見えるっていうか……」
そこまで言いかけて、陸はふと、検査室で「この先地獄だ」と冷たい眼光を向けてきた久遠を思い出す。
「……まあ、それでも俺みたいなほぼ初対面からしたら、久遠さんって、ちょっと話しかけづらい雰囲気あるけど」
陸が正直に言うと、高嶺は微笑んだまま「なるほど」と頷いた。
「それも無理はないですね。我が君は、人付き合いがあまり得意ではありませんし、他人に心を開くのが苦手な人ですから」
「……ああ、やっぱり、そうなんですね」
陸の目からしても、久遠はどこか孤独を纏っているように見えた。
最初に会ったときも、まるでこちらに興味がないかのように淡々として冷たい印象の中に、儚さを感じていた。
「ですが、」
高嶺が少し表情を和らげ、静かに言葉を続ける。
「あんな風ですが、寂しがり屋なところがあるんです」
「え……」
意外な言葉に、陸は思わず聞き返した。
「我が君は、人と深く関わることを避けがちですが、本当は誰かと一緒にいることを嫌っているわけではありません。ただ、どうすればいいのか分からないだけなんです」
「……」
「私自信、彼と深く付き合ってみて、そう感じました」
そう言って、高嶺は陸に微笑んだ。
「話し相手が私だけというのも退屈でしょう。ぜひ、我が君と仲良くして差し上げてくださいね」
高嶺の冗談めかした口調の裏に、ごく自然に温かな気遣いが滲んでいた。穏やかな物腰のなかに、久遠への思いが確かに宿っているのを陸は感じ取る。表面上は軽く言っているようで、その芯は揺るがないものだった。
「……高嶺さん、本当に久遠さんのこと、大事にしてるんですね」
ふと口から漏れたその言葉に、高嶺は目を細め、やわらかな笑みを浮かべた。その笑みは、ただの好意や信頼といった薄っぺらなものではない。凛とした誇りを帯びながらも、慈しむような優しさをたたえている。
「ええ、勿論。――私の大切な、ご主人様ですから」
まるで当たり前のように紡がれたその一言に、陸は思わず息を呑んだ。「ご主人様」と口にする響きには、ただの主従という枠に収まりきらない、もっと深く、確かな絆のようなものがあった。
「高嶺さんは、なんで久遠さんの専属に?」
唐突に湧いた疑問をそのまま口にすると、高嶺はほんの少しだけ目を見開いた。
しかし特に驚いた様子は見せず、すぐにふっと視線を宙に泳がせながら顎に手を添え、思い出を引き出すような仕草をした。
「そうですねぇ……結論を言ってしまえば、直感です」
「……え?」
あまりにもあっさりとした返答に、陸は拍子抜けしたように声を漏らす。高嶺は軽やかに言葉を継いながら補足する。
「導守としての彼の姿勢……のようなものに、感銘を受けたといいますか。とにかく、私にはびびっときたのです」
手のひらを胸元に添えるようにして、高嶺は淡く微笑む。
「気高く、孤高の存在。しかし、その実、どこまでも孤独な空気を纏っていて――その背中が、どうしようもなく脆く見えた。だからこそ、もし自分の持てるものがこの人の役に立つのなら、お傍にいて、惜しみなく捧げたいと思ったのです。……まあ、詳しく語れば、それこそ一晩では足りませんが」
照れ隠しのように肩をすくめた高嶺の姿に、陸は頷いた。出会ってまだ数日も経っていないが、高嶺が嘘をついているとは思えない。その静かな語り口の奥に宿る真摯な想いが、彼という人間を物語っていた。
「……俺は、そういうのじゃないな」
気づけば、ぽつりと口をついて出ていた。
別に、自分を語るつもりはなかった。ただ、流れに任せたまま、言葉は自然と紡がれていく。
「昨日、初めてボスの任務に同行したんです。そのときのボスは……俺みたいな素人が見ても分かるほどプロで。なんていうか、素直に、すごいなって思ったんですよ」
武器を持つ手を膝に置き、陸は横に座る高嶺の静かな視線を感じながら、ゆっくりと思い出すように続けた。
「ボスは『皆がオーデだと恐れてるのは、化け物でもなんでもない、俺らとおなじ、ただの人だ』って言ってました。『もとはと言えば彼らを生み出してしまった、彼らがそうならざるを得なかった理由があったこと――それ自体があっちゃいけないことで、そのことを俺らだけは絶対に忘れちゃならないんだ』って」
言葉にしたとき、自分でもそれが胸の奥に残っていたことに気づく。
「俺、それ聞いたとき――ああ、たしかにその通りだな、って思ったんです」
そして、少しの間を置いて、続けた。
「でもそん時、どこかで思ったんです。――俺は、多分、ボスと同じ気持ちにはなれないなって。理解はできても共感はできてないっていうか……」
言葉を選びながら、手にした武器の冷たさに指先を滑らせる。
「たしかに、対峙したオーデには、感情があって、言葉も通じた。共感さえ覚えた瞬間もあった。……でも俺、自衛官として、今までいろんな現場を見てきました。みんな……ある日突然、何も知らされず、何も抗えないまま、いきなりその人生や家屋を奪われるんです」
視線が自然と落ちる。胸の奥で、静かに疼くものがある。
「そんな人達が、もし……それが全部、人為的に引き起こされたことだったって知ったら……自分なら到底耐えられない。その元凶となったクグリコを許せない。『事情があった』『彼らも被害者なんだ』って知っても……きっと、納得なんてできない。俺にとってオーデは多分この先も、ずっとただの敵のまま。俺はボスのそばに居ながら、ボスと同じ想いでは、この仕事に向き合える気がしない」
言い終えて、自分の言葉の重さに、少しだけ呼吸を整えた。
「俺には、高嶺さんみたいな忠誠心もないし……それどころか、ボスを守れるかどうかすら、怪しいです。信念も、実力も中途半端なままで、ただ自分の都合だけでここにいる。こんなんじゃ、専属失格ですよね」
自嘲するように笑いながら、陸はわずかにうつむいた。
「……本当に、俺、ここにいていいんですかね」
そこまで語ったところで、ようやく我に返る。思いのほか口が滑っていたことに気づき、陸は軽く首を振って笑いながら声を張った。
「……って、なんか、つい話しすぎました。こんなこと言うつもりなかったんですけど、高嶺さんだからですかね。話しやすくて……すみません。今の全部、聞かなかったことにしてください」
恥ずかしさを誤魔化すように頭をかく陸の横で、高嶺はただ静かにその言葉を受け止めていた。彼は少しだけ目を伏せると、やがてゆっくりと陸のほうを見やる。
「……あなたのように悩み、迷い、それを言葉にできることは、実に尊いと思いますよ。自らの未熟を認めてなお立ち止まらず、前に進もうとしている……それだけで十分に、ここにいる資格がありますよ」
それは慰めではなく、ひとつの肯定だった。けれど、それは何よりも力強い支えになる言葉だった。
高嶺は一拍置いて、肩の力を抜くように軽く息を吐く。
「信念など、最初から持っている者のほうが少ない。実力も、惜しみない鍛錬で自ずと身に付くでしょう」
高嶺はまっすぐに微笑みを浮かべながら続けた。
「迷いなき日々の努力は強さを。強さは自信を。自信は、その実力を最大限に引き出し、やがて勝利へと化けます。こんなときこそ、鍛錬あるのみ、ですよ」
そう言ってのける高嶺は、陸という若きFANGの心の芯を、ひと目で見抜いたかのようだった。
すると、次の瞬間――
「よお、若いの。少しは動けるようになったか」
不意に、朝霧の低く呟くような声が聞こえてきた。
ばっと後ろを振り返ると、陸の顔すれすれのところで朝霧の刀が構えられていた。
声を掛けられるまで、この距離まで彼が迫っていたことを全く気づけなかった。いや、あるいは今の一瞬でここまで迫ってきていたのか―――今のが実践だったら俺は―――
陸の頬に冷や汗がつたう。
そう思考することで陸の動きが完全に止まっていると、朝霧はふっと鼻を鳴らして武器を下ろした。
陸が何も言えずにいると、横から高嶺が最初から朝霧に気づいていたように、まるで動じることなく優雅に口を開いた。
「基本動作は一通り。彼、呑み込み早いですよ。朝霧さんのお見立て通りですね」
「いいねえ……さんきゅ」
朝霧は、手ほどきをしてくれた高嶺に礼をいう様に軽く手を上げながら答えた。
「あらかたいいだろ。安定した状態から何度動作確認しても大して変わらん。こっからは実際の動きの中でそれを使えるようにする」
その口ぶりに、朝霧もトレーニングに協力してくれるのだと、陸は心強さを感じ頷いた。
「俺は高嶺みたいに優しくしねぇかんな」
「……っす!おねしゃす」
朝霧は口角を少しだけ上げ悪戯っぽい表情で言ったが、それが全く冗談に聞こえず陸は思わず苦笑する。
その横で高嶺も顎に手を添えながら悪乗りしてくる。
「心外ですね。次からはビシバシいきますよ?」
「……っす!!!」
FANGの先輩たちに手厳しくも温かく見守られながら、陸は何度も動作を繰り返した。まだまだ拙いが、それでも少しずつ、自分の手に馴染んでいく感触がある。
「あ」
不意に、陸がぽつりと声を漏らした。何かを急に思い出したかのように、手にしていた武器を、ゆっくりとぽとりと足元に落とした。
高嶺と朝霧の視線が陸へと向かう。
「……そういえば高嶺さん、さっき、この武器はV.A.M投与時を想定して作られてるから、今は扱いづらいって……言ってましたよね?」
陸の瞳はどこか不安げな色を帯び、高嶺の顔を見つめている。それに気づいた高嶺は慎重な面持ちで、ゆっくりと頷いた。
「ええ。そうですが……どうかしましたか?」
「いや……」
陸は口元を指でなぞりながら、眉をひそめた。
(……なんで俺、なんともねぇんだ……?)
そのまま、今度は朝霧の方へと視線を向ける。
「なんともなさすぎて忘れてましたけど……自分、今日……その薬、飲んでるんです」
おや、と驚いたように高嶺の形の良い眉が少し動く。
一方、朝霧は思い出したようで、腕を組みながら「あー」と間の抜けた声を漏らす。
「慣らしておくためにな……そういやそうだったな」
陸はこくりと頷いた。しかし妙だ。あまりにも普段と変わらない。何もなさすぎる――
その静かな違和感が、じわじわと3人の間に染み渡っていく。
「……ちなみに、投与したのはいつ頃でしたか?」
高嶺が少し遠慮がちに訊ねる。陸は眉を寄せながら記憶を遡る。
「えっと……昨日の夜中……0時くらいです」
高嶺は考え込むように顎に手を添え、ふと自然に視線を朝霧へと送った。
「ならばもう効いてていい頃だが……」
「だな……」
再び、朝霧と高嶺の視線が何かを探るように、じっと陸を見つめてくる。
「随分と効きが悪いな……若いの、なんか普段と違う感じがしねぇか?」
朝霧の問いに、陸は苦笑するように首を傾けた。
「うーん……いや、特に……」
沈黙が落ちる。
「……ごく稀に、無効なことがあるらしいが……その可能性はあるかもしれん」
朝霧の声は淡々としていたが、その言葉に陸は焦燥が隠せない。すると、それを落ち着かせるように高嶺が続ける。
「初回ですからね……そういうこともあるのかもしれません」
陸の中で不安が募る。FANGとして適性があっても、V.A.Mが効かないとなれば、Arcへの参加が絶対に叶わない。
このままでは、ここに来た目的も、今ここに立っている意味さえも、失われてしまう。陸のこめかみから一筋の冷や汗が伝う。
「……俺……才能、無いのかな……」
掠れた声が、ぽつりと地面に落ちた。
こればかりは自身でコントロールできる類のものではなく、生まれ持っての本人の身体の性質によるものなのだ。
不安と絶望が入り混じったようなその声に、高嶺も朝霧も、軽々しく言葉を返すことができなかった。
そのとき――
「……!」
不意に、陸に視線を戻した高嶺が小さく息をのむ。彼は陸の肩にそっと手を置くと、その顔を覗き込むように身を屈めた。
「……篁くん、鼻から血が……」
「……え?」
陸は反射的に鼻をおさえた。指にぬるりとした触れた生暖かい感触が伝う。手を離すと、赤く濡れた血が、鮮やかに光っていた。
「っ!」
朝霧もすぐに陸に歩み寄り、眉をひそめながらその顔を確認する。
「どれ……」
だが、その量は異常だった。鮮血は陸の指の隙間からぽたぽたと滴り落ち、地面に赤い点を描いていく。
止まる気配はない。むしろ、加速している。
朝霧は即座に片腕を取ると、脈を図り始め、高嶺はポケットから取り出したハンカチを陸に差し出す。
「とりあえず、これを……」
差し出されたのは真っ白なシルクのハンカチ。折り目正しくアイロンがかけられ、四隅まできっちり整えられたそれは、まるで高嶺そのもののようだった。
陸は申し訳なさを感じながらも、背に腹は代えられず、手を伸ばす――
――その瞬間だった。
全身を、雷が貫いたような感覚。
(――っ!!)
身体の芯から、未だかつて味わったことのない熱がこみ上げた。それは熱というより、もはや炎だった。血管の内側が燃えている。
骨が灼ける。脳が煮える。
まさに、灼熱。
命そのものが焼かれているような感覚に、陸の呼吸は止まった。
(なんだっ……これ……っ……!!)
体温が爆発的に上昇したのと同時に、脈が異常な速さで跳ね上がる。
考える間もなく、ひどい動悸と息切れに襲われた。
ドクン、ドクン――
血の巡りが、自分でもはっきりと分かるほどの轟音を立てて全身を駆け巡る。まるで心臓が身体の中心で暴れているかのようだった。筋肉繊維は勝手に収縮と拡張を繰り返し、全身が微細に痙攣する。
それは震えではなく、何かが内側から“変わろうとしている”感覚だった。そして――激痛。
全身の関節が軋むように痛み出し、眩暈が襲う。視界が白く、時に黒く、ぶれる。
思わず膝をついた陸の身体は、そのまま地面に崩れ落ちた。
もう、自分の体が自分のものではない。
熱い。苦しい。痛い。辛い。どれもこれも並列ではなく、同時に、最大値で襲いかかってくる。
(これ……俺……死ぬんじゃ…………)
意識が沈む。汗と涙と涎で濡れた身体は、電気が走るようにビクビクと痙攣を続けていた。
感覚が遠のき、息もできない。意識の縁が黒く染まっていく。
「おいッ! しっかりしろ!!! ……おい!! 陸!!」
朝霧の怒声。陸を抱えたまま朝霧も高嶺も、彼を何度も揺さぶり声を掛けるが届いていない。
「だめだッ……このまま医療班へ運ぶ……!」
朝霧が陸の体を背負おうとする横で、高嶺は迅速に端末を起動し、冷静に医療班に緊急搬送の要請を行っていた。
そして――
陸の体を支えていた朝霧の手が一瞬だけ緩んだ、その刹那。
「……っ!?」
ぐったりとしていたはずの陸の身体が、まるでスイッチを切り替えたかのように跳ね起き、獣のような勢いで朝霧の腕を振り払い、そのまま、爆発するようなスピードで走り出す。
「――! 待て!!」
朝霧が瞬時に反応し、追いすがるも、その速度に追いつけない。
陸の目から光が消えていた。代わりに宿っていたのは、獣のような衝動。理性が全て引きはがされた、危うい輝き。
「……ッ!! 陸!!止まれ!!!」
高嶺も通信を中断し、すぐさま朝霧の後を追う。
(薬の効果だ……遅れて効いてきたか……!)
朝霧の額にも珍しく汗が滲む。
薬の効果。それは本来、身体能力を一時的に極限まで高めるものだが――効きすぎれば、それは制御不能な獣にもなり得る。
この二人をもってしても、薬を投与した状態の陸とでは、陸の方がそのスピードが勝り、追いつかない。
「ッ……行ったか!」
朝霧が舌打ちをして駆け出すが、間に合わない。
するとその時、陸の前方に――何かが立ちはだかった。
――!!
朝霧も高嶺も、その影に一瞬で血の気が引いた。
(まずいッ……!)
そこに居たのは――死神の一人、“ラヴィ・アグニシャル”。
彼は背を向けていたが、背中に刺さるような視線に気づき、のっそりと振り返る。
「……ん?」
同時。朝霧の声が飛ぶ。
「ラヴィさん!!逃げてください!!!!!」
しかし、もう遅い。
「……ッ………おぉう?!?!」
ラヴィが振り向いたときには、すでに凶暴化した陸との距離はゼロに近い。
(間に合わねえ……!!)
ラヴィは瞬時に悟った。逃げるより、受け止める方がマシ。
他の誰かが襲われるくらいなら、俺が受ける――
そう判断するや否や、陸の牙が、ラヴィの腕に突き刺さった。
「ッ――!!!!」
あまりの痛みに、ラヴィは呻き声を漏らす。
鋭く強化された犬歯が、あの屈強な腕にまで深く食い込む。
よだれを垂らしながら唸り声を上げる陸の目は、完全に血走っていた。狂犬――それが最も近い表現だった。
「お前……産土んとこの……ッ…!!!」
ラヴィはその場に押し倒される。腕に走る激痛。骨がきしむ音。
だが彼は叫びながらも、片手で陸の肩を掴み、引き剥がそうとする。
「おらッ! しっかりしろ!! 戻ってこい!!!!!」
――そこに、朝霧と高嶺が追いつく。二人がかりで陸の身体に飛びかかり、全身の力を使って取り押さえる。
暴れる陸の四肢を掴む手に、容赦はなかった。
それでも、陸はなおも牙を剥く。
「……こいつ……力が……!」
制御不能の暴走。
FANG最高位であるαの男2人をもってしても、薬を投与された状態の陸を引きはがすのは至難を極めた。
「……だめだ……ッ」
数秒と経たないうちに、朝霧は引きはがすのを断念し、次の手に出た。陸の頭部を押さえ込みながら、正確に急所を狙って、首筋に手刀を打ち込む。
「ッ……フン……ッ!!!!!」
骨まで貫くような、非の打ちどころのない精確な一撃がめり込むと、陸の動きが一瞬、硬直する。
その一瞬を逃さず、高嶺が素早く動き、ラヴィの腕から陸を引きはがした。
まだ完全には動きが止まっていない。朝霧は保険を掛けるようにもう一度、渾身の手刀を振るうと、動きが緩んだタイミングを狙って、内臓を損傷しないギリギリの力で、腹部に正拳を叩き込んだ。
「……ッ……!!!」
陸の身体がびくりと震え、力が抜ける。高嶺がすぐさま背後から抱きとめ、両腕で包み込むように押さえた。
――静寂。陸の抵抗は、完全に止まっていた。
荒く、浅い呼吸だけを繰り返しながら、彼の身体は糸が切れた人形のように高嶺の腕の中へ沈んだ。
「ったく……」
肩を軽く回しながら朝霧が漏らすように呟く。
高嶺から陸の身体を受け取ると、ラヴィの方へ視線を向け、何とも言えない申し訳なさそうな顔を向け、かける言葉を探した。
その口を開こうとした刹那――
「……薬が悪さしたか……早いとこ、連れてってやれ」
額に脂汗を滲ませながら、負傷した腕を押さえるラヴィが、かすれた声で言った。
その言葉に、朝霧はなんと礼を言えばいいか分からず、無言のまま深く一礼すると、陸を抱えたままその場を去っていった。
高嶺は、医療班への通信を終えるとすぐさまラヴィの傍へ駆け寄り、傷の状態を確認する。
「……これは……」
ラヴィの腕は大きく腫れあがり、傷口は激しくえぐれてどす黒く、出血の量が甚だしい。
見るからに危険な状態だった。通常ならもう意識を失ってもよいほどの出欠量だった、ラヴィは今なお正気を保って至れるなんて……と、高嶺はその姿に感銘を受けた。
「だいぶ深い……もうわずかな神経や筋繊維と表皮でかろうじて繋がっている、かなり危険な状態です……」
高嶺の声には明確な焦燥と、自責がにじむ。
「取り急ぎ止血の処置をします……下手に動かさない方がいい。今は一刻も早く医療班が来るのを待ちましょう」
「……おう、すまんな……」
ラヴィは素直に高嶺に身を任せ、応急処置を受けながらじっとその手元を眺めていた。
産土らと共にオーデ討伐組に振り分けられたラヴィにとって、大陸外でのオーデとの初対峙を数ヶ月後に控えた今は、最も安静に過ごすべき時期だった。
本来なら今、こんな傷を負う訳にはいかないのだ。第1回派遣前の今時期は、特に、体調や精神の安寧には細心の注意が払われるべきだった。
(……こんなときに……)
高嶺の額にも、止まらない汗が伝う。
だが、そんな焦りを感じ取ったのか、ラヴィが静かに言った。
「すぐ治る」
その一言に、高嶺は手を止めずにラヴィを見返す。ラヴィは肩をすくめながら、やれやれといった口調で続けた。
「……それに、アイツ……たぶん、悪気なかったろ」
(……それはそうだろうが……果たしてその理屈は、クロノスやArc関係者各位に通じるのだろうか……。もしこの事実が公になれば、彼は一体……)
クロノスの上層部、Arc関係者、関係各所への報告――それらを思えば、高嶺の頭には様々な懸念がよぎる。
だが、ラヴィは遠くを見やりながら、軽く笑った。
「……このこと、本人に言うなよ?」
「え……?」
思わず顔を上げた高嶺に、ラヴィは浅い呼吸に肩を上下しながらも少し口角を上げて笑った。
「……多分アイツ、そんなの知ったら責任感じて元気無くすだろ。一部の関係者にはバレるだろうが……俺も他言はしねぇ。朝霧にもそう伝えとけ……とにかく、めんどくせぇことにならねぇよう黙っておこう」
そうだ、この男は昔から、こんなことを言うのだ。本当に、なんて大らかなのだろう。
高嶺はその懐の深さに言葉を失う。
「誰にでも、失敗はある。……そうだろ?」
脂汗をにじませながら、それでもなお無邪気に笑いかけてくるラヴィ。
その意思を尊重しない理由も高嶺にはなかった。
高嶺はその姿に敬意を払うよう、胸に手を当てながら一礼した。




