闖入者──1
かくして、俺達の間で変わったことの、その三──それが成し遂げられたのだった。
マニがアンレスタ国に帰国した。
あの会議が終わる頃には周りも暗かったから、日が明けるのを待ってから──その翌日に。
勿論、道中の案内は欠かさず、マニには安心してその帰り道を歩いてもらった。本当ならユメルがその役割を担うべきところなんだろうけれど、ユメルはアンレスタ国では、魔女として悪い意味で有名だから──それに俺も、魔女を牢から助けた張本人として顔を知られている可能性があるから、必然、師匠がマニの案内をすることになった。まぁ、師匠なら魔物に襲われる心配もないから、案内をするだけなら一番良い選択だっただろう。
その道中で、二人がどんな会話をしているのかは、気になるところだけれど。国の要人という身分な二人が話すことなんて、想像も出来ない。リゲル国とアンレスタ国で文化の違う部分もあるだろうし、弾む話なんかがあるのだろうか。まぁ結局は、多分折衷現象関連のことを話しているんだろうが。
「……帰っちゃいましたね」そこでユメルが寂しそうに、言う。「……お兄さん。少しだけ、ぎゅっと、してくれませんか」
と、ユメルは手を広げて俺の近くに寄ってきた。そもそもマニがここにいるというのは突発的に起こった出来事だから、ユメルにとっては夢のような気分だったんだろう。アンレスタ城で俺が姿を見られていなければ、起こり得なかったもの。
だから、ユメルは今、夢から覚めたような気分のはず。居心地のいい夢を見ていたところで、急に目が覚めた時と同じような感覚。思い出したくもないけれど、俺もこの年になるまでに悪夢を見たことが多々ある。そういう時には大体、あいつがそばにいてなんとか忘れることができていた気がする。
それを今、俺がユメルにやるべきだろう。
「ん。なんだか、こうするのも久しぶりな気がするね。アンレスタ城以来だから全然、数日前のことなんだけど」
「そうですね……」ユメルは俺の胸の中で、顔を埋めて喋りづらそうにしている。「……なんでしょうね。なんだか、お兄さんの胸にいると落ち着くんです。こうしているのが正しいことのような……」
「正しいって……別に、これぐらいいつでも。俺にはユメルを助けた責任もあるし」
責任、というか。
でも確かに、それはユメルの言う通りなのかもしれない。なんだか俺も、ユメルをこうして近くに感じると、安心するような気がするのだ。この数日で共に死線をくぐり抜けた戦友としての感情はあるにしても、なんだか家族のような感じ。
「家族……そうですね。もうそんなところなのかもしれませんね。私達は」
「……まぁ、生半可な仲にはなれないよね。師匠だってルークだって、一昨日会ったばかりのマニだって。そりゃ折衷現象なんて知らない人と比べれば、ね」
「……うぅん。お兄さん」
と、ユメルが俺の腕を取り、俺から少し距離を取る。それから近くの椅子に腰掛けた。
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
「ああ、うん。どうも」我ながら気の利いた返しが出来ないことには気づかないフリ。「……で、マニの言っていたのも、なんだか不思議だよね」
「マニの言っていたことというと、アンレスタ国にいるであろう《有能》持ちの人間のことですか」
「いるであろうというか、そういう人がいるかもしれないって話……ユメルはどう思う?」
「……どう思うも。お兄さん達と同じですよ。《有能》以外に考えられないでしょう」
やっぱりそうか。どうやらユメルも同じ認識を持ったという俺の予想は当たっていたようだった。
「確か、なんでも合体させることが出来る、だったよね。一回見てみたい気も……する」
「そうですか?」目をぱちくりと閉じ、開く。「《有能》としての確認を取る時に見る必要はあるでしょうけど。それが終わったらあまり、見たいとは思わない気がします、私」
「うぅん、そうかな。まぁ、生き物同士の合体が気持ち悪そうなのは予想できるけど──例えばほら、その辺にある石と草を合体させるだけでも、なんだか凄そうだよね」
「それはそれで、気持ち悪いような……」
ユメルにとっては、それも同じことのようだった。どこまでいっても自然の摂理には反しているだろうから、そう感じるのが普通だろうけれど。それともそんな違和感すら《有能》ならば超えてくるんじゃないか、とも思わなくもない。《死隊》を初めて見たあの時の衝撃は完璧に思い出せるぐらいのものだし。
何はともあれ、この目で見ないことには何も始まらない。そのためのマニの帰還ということで、だからこういう状況になるのも必然と言えた。
《有能》の、というより《有能》を持っているであろう人間の話が続く。
「《有能》どうこうもそうですけれど、その人自身のことも大事ですよね……どんな人間が持っているんでしょうか」
「そうだね……欲を言うなら普通の人がいいんだけどね」
「《有能》を使ってお金稼ぎしているとか。どちらかというと、《死隊》のアーロンに近い人間なんでしょうか」
「……もしそうなら、かなり厄介なことになりそうだけど。あんな性格の人間だったら仲間に引き込むのは絶望的かも」
「それは《有能》を手に入れた経緯にもよるんじゃないですか?」
ん、そうか。
アーロンは神の言葉を聞いて財を成した人間だから、アーロンにとって神の言葉は絶対。それから受け取ったものは、《有能》という人知を超えた力ですら神の役に立つために使おうとする。神の──四ツ目の目的が不透明だから、もしかしたらそこによっては、アーロンがこちらの味方になるという可能性もあるのかもしれないけれど、少なくとも今のところは俺達とアーロンは敵対関係だろう。
転じて、この人間はどうか。
《有能》を使っているのも生活費を稼ぐための道化として。それはアーロンにとっての神のような厄介な信仰ではなく、切実で刹那的な使い方だろう。性格の方は会ってみないことにはだけれど、根本的に敵対する理由が今のところ見当たらない以上、そこまで心配しなくともいいと思う。ユメルに指摘されて思い直した。
「……ん?」
そこで、連鎖的に着想した発想。
もしかしたら、その人もまた、折衷現象に遭っているということはあるんじゃないか?《有能》を持っているということは、《有能》に選ばれた人間ということで(師匠と話した結果、四ツ目は《有能》を人間に渡しているという結論に至った。四つ目の言動はやはりそう思わずにはいられないものだったし、その先に何が待ち受けているか分からないけれど取り敢えず、これは確定で良さそう)、ならば折衷現象に関わっている可能性もそこにはあるだろう。話に聞く限り、《転移》ではない《有能》を持っているようだから、俺達のように被害者という可能性もある。
だとしたら。
もし折衷現象の被害にあった者ならば、仲間に引き込むのは容易じゃないか?今までの傾向から、折衷現象に遭うのはその人にとって大事な人だから、その解決ということで話を進めれば。誰だってあんな現象からは逃げたいと思うだろうけれど、そうも言ってられない。
「……うん。そんなところなのかな。その《有能》持ちへの対策は」
「そうですね。……他、何かありますか」
他に今、考えるべきことか。そうして考えてみようとするけれど、しかし意外と、これがなかったりする。いや謎は多く残っていて、俺達が折衷現象の解決までに知るべき事柄は今でも多くあるんだろうけれど。それでもそれらの大半は、自発的に知ることの出来ないものなのだ。リゲル城で急に現れた四ツ目のように、全く新しい情報源が現れない限りは、俺達が動くことの出来る範囲も限られる。願わくば、マニの発案の、アンレスタ国の《有能》がそれになってくれることを祈るばかりだった。
ん。そういえば、ユメルと昨日、情報を共有したときに、一つ気になったことがあった。
「ユメル、そういえば、気絶しているときにお母さんとの記憶を見たって言ってたよね」
「……ええ。そうです」あまり話題に出したくないのだろう、苦い顔をしてユメルは言う。「それが、そうかしましたか?」
「いや、一つ、気になって」
ユメルの顔に気づきながら、それでも何かしらのヒントを見つけるために、俺達は会話を続ける。
藁をも掴む思いで。
「ユメルのお母さん──《伝心》のことについて知ってったっぽいんでしょ? 魔女の力がどうのって──それって、ユメルのお母さんも《伝心》を使ってたってことなのかな?」
「……それは」ユメルは考えるようにして、上を向いた。「……それ、は。そんな素振り、なかったですけれど。いや、でも、確かに、母は《伝心》を知っているかのような口振りでした、ね……」
「…………」
四ツ目の言葉を分解すると。
《有能》を人間に与えて、何かをしようとしている。その結果、《伝心》はユメルに与えられた。
でも、ユメルのお母さんも、《伝心》を知っている?
これは──どういうことなんだろう。
《伝心》。それに《有能》。それだけでも厄介な話なのに──ユメルの家系まで関係してくるということだろうか。
魔女の家系。
「…………」
「…………」
二人して、黙る。
いや、これも、いま考えても仕方ないことなんだろう。アンレスタ国の《有能》と同じで、疑問だけが増えていくタイプの問題なのだ、これは多分。
四ツ目のような解決の糸口が外から来るまで、動けない難問。
なら、今考えなくてもいいか──どうせ、動けない時は往々にして存在するし。
「……じゃ、考えるのはやめて、休憩しよう」
と、ユメルとの会議の議題が尽きかけたところで、
「呼びまし、た?」
「────!」
と。俺達に声をかける存在があった。
いや、でも、覚えている。この、特徴的な語尾と、気持ちの悪い声は。
ユメル共々、声のした方向に振り返る。
そこにいたのは、やはり、景色との境界を誇示しているかのような真っ黒な布に身を包み、同じく真っ黒な髪を天に向けて伸ばしている線の細い大男だった。右手に杖を持っている。
いや、男とは限らない。
何せこいつは、神なのだから。
「私、なんだかそのまんまなネーミングをされているよう、で。まぁ、名は体を表すと言いますけれど、それってこんな感じで、逆なんでしょう、ねぇ。四ツ目、だなんて。体から名を連想するんでしょ、う」
「……四ツ目!」
「はい。どう、も。みんなの敵の、四ツ目、です」
ユメルの目が見たこともないほどに、開かれている。それは単純に、ここに来ることの出来る存在の中から探してみても、こんな奴の記憶なんて一つもないからだろう。
それはそうだ。ユメルはこいつに会うのは初めてだから。
遭うのは。
「え?……四ツ目──」頭の中でどんな取捨選択があったのかは分からないけれど、段々と、ユメルのその目に滲み出てくる敵愾心。「──四ツ目! お兄さん、こいつが」
「──うん」
ユメルも遅ればせながら、そこまで到達したようだった。自己紹介があったとはいえ、話にしか聞いたことのないはずの存在を特定するまでにかかった時間にしては、短い方だろう。
それに、こいつは神だから。
師匠のことを知っていたように、この師匠の隠れ家も知っている可能性は大いにあった。あの書庫の時のように不意に現れるということも有り得ない話ではなかった。
それが、今、ここか。
「ん、ん、んん。ああ、安心してください。あの時のように《読心》を使っての強制的な会話というのは、致しません、から、ねぇ。というか、出来ないんですけど、ねぇ」四ツ目はユメルを見る。「あなた……ユメルがいますから、《読心》も効きにくいん、です、ねぇ。だから、安心してくださ、い」
「……どの口が」
今日はあの時のように、左目の周りの切れ込みが開いていない。ということはこいつの言う通り、《読心》の真価というのは発揮していないのだろう。
けれどそれで安心しろというのは、何がどう転んでも無理な話だった。こいつの命令によってアーロンは動き、俺の死刑推薦、マニ誘拐、書庫での会話──何度も死にかけているのだ。アーロンの《死隊》ばかりに目を取られているわけじゃないけれど、元々の黒幕はこいつである。
あいつの名前を俺に伝えるよう、アーロンに命令したのもこいつだ。
「……お前、あいつがどうなったのか知ってるのか?」
「あいつ、ですか?……ああ、あの、あなたの幼馴染です、か。ええ、ええ。知ってます、よ」
「…………!」
やっぱりこいつは、何もかもを知っている。《転移》を使った結果人間がどこに行ってしまうのかも、元は《有能》がこいつの力な以上は分かっている。それに《伝心》と《読心》の相性問題も当たり前のように知っているのだ。本当にこいつの知らないことなんてないんじゃないだろうか。
いや、落ち着け。俺達のするべきことは変わっていない。というよりユメルがこの場にいるという理由で、あの心を奪われるような《読心》の真価は発揮出来ないらしい。ならば、これが好機だろう。この四ツ目の目的を探るいい機会かもしれない。
《有能》を人間に配って何をやっているのか。
その先に、何を企んでいるのか。
俺達はそれを知らなければならない。
「……なんで」ユメルが先に口を開いた。「なんで、ここに来たんですか」
「ここに、来た、目的を聞いてます、か?そうです、ねぇ」
ここに来た目的というのは、つまり、ここに出張ってきた理由ということだ。もっというならば、なんでこのタイミングかということでもある。
いや、その前に、どうやってここのことを知ったのか。
可能性として考えられるものは──実際に四ツ目が来たのならば、いくらか、ある。
四ツ目はおそらく、この隠れ家自体の存在は知っていたんじゃないだろうか。本当にこいつが神なのだとするなら、師匠がここに家を建てたその時から、いやもしかしたら、それより前から知っていたかもしれない。そう思わされる知識量を、こいつは誇っているから──だから前々から、四ツ目はこの拠点を知っていた可能性があるのだ。実際、四ツ目はなんの前触れもなく、こうやって現れた。
なら、『どうやって』は今はいい。考えても仕方ないし、その情報の源が分からない以上、対策の取りようがない。
だから、今は、『なぜ』だ。
なぜ、今このタイミングなのか。
「端的に、ですと、少し、ヒントでもあげようかと、思いまして、ねぇ」
「……ヒント?」
「ええ。ヒント、というか、道標のようなもの、ですか」その、天に反逆するかのような黒髪を触りながら、四ツ目は言う。「ほら、前にお会いした時に言った、じゃないです、か。次に会ったときはもう少しお話しして、あげますよと。あれのことです、ね」
「…………」
たしかに、そんな会話もあった。そもそもがこいつの《読心》下での出来事だったから、どこまで会話の内容を信じていいものかは疑問だったが──どうやら本当に、もう少し話してくれるらしい。
道標。ということは、やっぱりどこまでいってもこいつの掌の上な気はするけれど。
四ツ目が言う。
「さて。あなた達は今、アンレスタの《有能》について調査を進めています、ね。」
「…………」
なんでそれを。という疑問はもうない。おそらくこいつはそういうもので、そうであると理解するしかない存在だから。全てを知っている存在であると思うしかない。
「その《有能》について、の情報、です。まぁだから、あの時書庫でソラに会うというのと同じで、それをあなた達に言うとことが、今日の私の目的、だと思ってもらえれば、です、ねぇ」
「……目的って」ユメルがその迫力に負けじと、言葉を返す。「……結局、あなたの目的はなんなんですか。《有能》を人間に渡してどうしようとしているんですか」
「それは、今日の時点では言えない感じですか、ねぇ。なんでも喋るわけではないんです、よぉ、ユメル。ソラはもう慣れたものでしょう、が」
「……慣れるわけねぇだろ、お前なんかに」
俺は出来るだけの悪態をついて、言う。そんなもので四ツ目が気分を害するとは思えないけれど、でもそれは逆に、何を言っても怒らせてしまうという可能性がないということだろう。こいつは神出鬼没だから、言えることは言っておかないといけない。こいつが原因で折衷世界が起こっているとも言えるのだから尚更である。
「それは、また違う気もしますが、ねぇ。折衷現象という名の《転移》での人間移動は、私のせいなんでしょうか、ねぇ」
「……?《有能》を配ったのはお前なんだから、お前のせいではあるだろうが。配った後の人間がやったことだとしても、その大元の原因はお前にある」
「そうです、ねぇ。まぁ、そういうことにしておきます、か、ねぇ」四ツ目は目を細めながら、こちらに一歩近付いて来た。「……それではいいでしょう、か。アンレスタの《有能》についての説明を、しますから、ねぇ」
言って、右手の杖をコツンと鳴らす。書庫で会ったときは暗くてよく見えなかったけれど、上質そうな木を使った、頑丈そうなものだった。四ツ目の高い背をあの杖一本で支えているのか。どう見てもそれほど足腰が悪そうにも見えない。いや、そこは神だから、見た目通りの年齢だと思う方が間違いなのか。
そんなどうでもいいことを考えていた俺に、
「お兄さん」
と、ユメルが小声で話しかける。
「気を抜かないでください。お兄さんは二度目かもしれませんが、こいつが黒幕なのは間違いないんですから。言うこと全てを疑い、すること全てを注視してください」
「…………」
ユメルは未知との邂逅真っ只中で、警戒心が溢れかえっているようだった。というよりこの場では、俺の心構えがおかしいのか。ユメルが言ったことじゃないけれど、四ツ目と話すのが二回目なんていうのはなんの安心材料にもならない。もし師匠がいたならばいつこいつに襲い掛かる未来すら考えていただろうし、ユメルもその程度のことは考えていそうだった。流石にないだろうが──それでも、折衷現象の大元であるこいつに対しては、感情がどこまで無意識に出てしまうか分からない。
そんな、俺達の会話などどうでもいいかというように、四ツ目が言う。
「まず。アンレスタにある《有能》は|《合身》《ごうしん》と言いま、す。そのままです、ねぇ。まぁ、私の名付けです、が」
「……《合身》」
「ええ、その中身はマニに聞いてますよ、ね?あらゆる物を種族、区別の見境なく合体させる《有能》、です。それはもう泥団子のように」
「…………」
今更だが、マニのことが心配になってきた。アンレスタの奇術師とやらが持っている技能が《有能》だと、奇しくも、その持ち主であるこいつの口から確定したのだ。師匠がアンレスタ城近くまで護衛するという運びだけれど、本当にマニを、《有能》が息潜むアンレスタ城に帰してよかったんだろうか。ここにマニを居させるにしてもデメリットはあるから、一長一短なのは百も承知で。
ユメルの方を見ると、怪訝そうな顔をして四ツ目を軽く睨んでいた。まるで少しの隙も見せないかのような表情だった。おそらく《合身》についての思索を巡らせているのだろう。
アンレスタ国にあるマニが言っていた《有能》は、《合身》というらしい。合体する身体、で《合身》。それだけ聞くととても便利そうな《有能》ではある。破れた服だったりを合体させることだって、それを聞く限りできそうなもんだし──ただ、その凶悪性も、言うまでもない。例えば人間同士を合体させれば、合体させられた人間は明らかに精神に異常をきたすだろう。生まれつき、そんな体で生まれてくるような子供も世界のどこかはいるらしいが、そうではない人間が急にそんな状態になったら。例え屈強な兵士であろうと何も出来なくなる。
デュランのようなただただ強いだけの人間でも、《伝心》での攻撃一発で気絶したのだ。どんな屈強な兵士であろうと《有能》には敵わないという事実を見てきただけに、《有能》という神の力に対して、やるせなさみたいなものを感じずにはいられなかった。デュランとはまた会うこともあるだろうと思うけれど、また《有能》にやられるだけの登場だったら、どうしよう。
「《合身》……それはなにか、発動条件はある?」
ユメルが怪訝そうな顔は崩さずに言う。《合身》の情報を頭に書き込むのは終わったのだろう。俺も、ユメルの質問の内容を噛み砕いていく。
発動条件。《有能》にはそれぞれに、真価を発揮するための条件がある。多分。
《伝心》はある程度の親密度。
《死隊》は死んだ人間。
《読心》は……四つの目、か。
《読心》の発動条件に至っては、人間では達成不可能だと思うけれど──《有能》も万能ではないということなのだろうか。
「条件です、か。そうです、ねぇ。《合身》の発動条件は、たしか、手に触れること、でしたか、ねぇ」
「……手に」
それは随分とまぁ、簡単な条件だった。手に触れることが出来ればどんなものでもなんて。それならなんでも条件の範囲内といってもいいんじゃないか──いや、戦闘に使うとなると、向かってくる兵士に触れる必要があるのか。触れるだけでいいと見るか難しいと見るかは人によるだろうけれど、それでも緩い気はする。
「まぁ、命を奪うような《有能》ではないですから、ね。ただ合体させることが出来る、だけ。それでも人間から見れば脅威的でしょうが、神の力の中では、平凡でしょう、ねぇ」
「……《有能》を使う時の条件は、お前が使う時と一緒なのか?」
いつの間にかなし崩し的に、四ツ目と対面しての会話をしていることにちょっとばかり俺は驚く。なんだか不思議な気分なのだ。こいつが神だということを知っているから、下手な手は打てずこいつの言うことに流されているんだろうけれど、それにしても、こいつは当たり前のようにこの場にいる。
「条件、は同じですよ。《読心》がそうなんですから、他もそうでしょ、う」言って、杖を持ってない方の、左手をこちらに開く。「だから私が《合身》を使う場合も、それに触れる必要があります、ねぇ」
「……直に、か」
「ええ。直に、です、ねぇ」
「それが、アンレスタの、《合身》か」
「ええ。あなた達が今調べようとしていた《有能》で、す」
四ツ目はまた軽く、杖で地面を撫でる。そこだけ切り取れば、まだ人間の老人に見えなくはない。頭の逆立つ髪の毛と、異常なほどの背の高さと、不健康如きでそうはならないであろう体の細さと、四つの目玉と、この雰囲気がなければ。
「……で。それ以外に何か?」苛立っているわけではないだろうが、居心地の悪い空間にいるかのような声色でユメルが言う。「《有能》についてのヒントということでしたけど。もう言いたいことがないのならば、帰ってもらってもいいですが」
「ふ、ふふ、そうです、ねぇ。では、なにか質問でも受けてから、帰らせてもらいましょうか、ねぇ。この時点で言ってもいいことならば、言わせてもらいますよ」
「…………」
ユメルは黙った。で、こちらをチラリと見る。質問があるかを俺に聞いているようだった。《伝心》で聞けばいいのにと思ったけれど、それは四ツ目が《読心》の真価を発揮できないのと同じで、この場に《読心》の使い手がいるのが邪魔をしているんだろう。例えるなら水の波がぶつかりあった時のような感じ。お互いに打ち消し合うような。
質問、か。例に漏れず、四ツ目の目的だったりの核心的なところは答えてはくれない。だとしたら、どこまで答えてくれるのかという予想が必要だけれど、回数宣言を明示してない以上は、どんな質問でもしていけばよさそうに見えるが。それでも質問に答える立場はあちらなのだ。聞くべきことは考えないといけない。
じゃあ。
まず聞くべきなのは、
「……そもそも。《有能》って、お前が人間に配っているのか?」
ここらから。
聞いているのは、《有能》を持つ──持たされる人間の基準である。今のところは際立った基準はないように思える。《合身》を持っている人間は折衷現象に遭ったんじゃないかという予想はさっき俺がしたばかりだけれど、なにも《有能》と折衷現象には絶対の関連はないのだ。《死隊》を持っているアーロンは折衷現象に遭ったという感じではなかった。師匠とユメルは折衷現象に遭っている。俺が聞きたいのはここにある違いのこと。
四ツ目が答える。
「いえぇ。私が選んでいるわけじゃ、ないです、よ」
「……違うのか」
「は、い」四ツ目は簡単そうに、うなづく。「《有能》はかなり自由な物ですから、ねぇ。私の力ですけど、まるで一つ一つが自我を持っているかのように、宿主を選ぶんですよ、ねぇ。宿るに値する適応者を勝手に、です」
「……それじゃ、宿主は元々はお前なんだから、人間を選ぶ理由がないだろう」
「おっ、と。それはつまり私が、《有能》を人間に与えているのは何故か、を聞いているということ、です、ねぇ。それはまだ、今の所は言えません、ねぇ」
「…………」
断じてそこは譲らないようだった。四ツ目の中には確固たる、言ってもいい線引きが存在しているらしい。本当に、こいつが口を割ればどれだけ話が早くなるか。物語の裏側にいるかのようなその物言いは、こいつが人間ではないことを証明している。かと言って、この場で無理矢理言わせる方法もないのがもどかしすぎる。
「他には、あります、か」
「……じゃ、私」
と、ユメルが手を上げた。多分手を上げる必要はなかっただろうけれど、《伝心》が使えない状況下での、俺に対する意思表示も兼ねてだろう。四つ目は「お。と」と言い、ユメルに顔を向けた。
「なんでしょ、う」
「……質問。だけれど」
ユメルは、顔を少し下に向けて言う。
「私のパパとママは元気?」
「…………」
この無言は俺のものである。
そうか、俺の幼馴染であるあいつの無事を四ツ目は知っているのだ。ならば、ユメルの両親のことも、四ツ目は知っていると考えるべきだろう。なんなら師匠の折衷現象のことだって知っているはず。ここでそのことに思い至らないのは、俺の発想力のなさというか、状況把握の遅さが露呈していた。
まあ、いい。四ツ目はこれには答えることが出来るだろうから。ユメルの両親があいつのように無事であるかどうかを知ることは、今後のユメルの精神衛生上大きすぎる。無事でなかった場合はどうするのかと考えてみるけれど、折衷現象なんてものに関わっている時点で普通の事態じゃないんだから。
が。
四ツ目の解答は、その予想とは反するものだった。
無事でも、無事じゃないでもない。
「それは──」
四ツ目が、顔を虚空に向けて言う。
「──まだ、答えることが出来ない、です、ねぇ」
「……は?」
答えることが出来ない?
無事なら無事というだろうし、無事じゃなくても四ツ目がそれを隠す理由はないはず。なのに、答えることが出来ないというのは。
あいつのことを俺に伝えることは良しとして、ユメルの両親のことをユメルに伝えるのは良しとしない理由はなんなのだろうか。それもこれも、こいつの事情が関係していることは明白だろうけれど、それにしても。
「……なんで、ですか」ユメルが震えた声で聞く。「お兄さんの方は言ったんですよね。なら私の方もいいでしょう」
「────」
と。
そこで四ツ目が──なにかを答えようとした。
なにかを。
それは──ユメルの両親の安否を答えられない、理由の言葉だったかもしれないし。
もしかしたら──誤魔化しだったかもしれない。
分からない。
そこで。
そこで、それを遮る声があった。
「──おぉーん! おんおんおん!」
「!?」
なんだ? この、虫が泣いたみたいな声は。
どう聞いても人間の声ではあると思う。ただこの森にいる人間はこんな声は出さないだろうし、ルークもこんな情けない声は出さない。聞く限りは男の声だけれど、アーロンの声でもない。
さらに、聞こえて来た方角。これは、アンレスタの方向からだ。俺とユメルが反射的にそちらの方を向く。
と、そこにいたのは。
「──うるせぇ! ボケ、黙れテメェ!」
聞き慣れた声の師匠と。
「──おんおん! ちょっと待ってくれよぉ! な? な?オイラに出来ることならなんでもやるから、さぁ!」
体を引き摺られながら、師匠の腰辺りにしがみ付いている、涙で顔がぐちゃぐちゃの男だった。