師匠──1
「そろそろ、あたしのことも言っておくか」
「…………」
「…………」
場所は、魔物達の森にある師匠の家。俺達は、篝火を取り囲んでいた。
ぱちぱちと火が飛ぶ。飛んで火にいる夏の虫という言葉ができたのは、こういう状況だったのだろうと、俺はそう思った。人間が火を使い、虫は生きるために空中を飛ぶ──その二つの事象が同じ座標に重なり、不運にも、火の方が強かった。そうして、虫は焼けて死ぬのだ。焼けて、死ぬ──人間だって火あぶりは死ぬより辛い痛みがあるらしいのに、虫ならイチコロだろう。火っていうのは現象の名称らしいから、概念としても、虫という生き物は現象には勝てないのかもしれない。
人間も例外ではなく、この、熱くなり光る火という名の現象は、生き物にとっては決定的な強者なのかもしれなかった。こんな、燃料が周りに木としていっぱい生えているロケーションなら、余計にその優位性は加速して──このオレンジ色の現象は、人間の手に負えなくなるのだろう。火に入った生物が焼けて死ぬのは、当たり前だった。いや、厳密には呼吸が出来なくなって死ぬのだったか──覚えてない。まぁ、それはともかく、そんな不運があれば飛ぶ虫も簡単に死ぬというのに人が気付いたからこそ、だから、かの有名な言葉は人類史に残ったのだろう。運の前では何も意味がないと、そういう気付きだった。
なんで夏の虫限定なのかは──知らない。
「………………」
あれから。
あの、マニ誘拐が中心となって巻き起こった、リゲル城での攻防は──一応、幕を閉じた。
マニは帰ってきた。
俺とユメルは、多少の怪我はあれど命に別状はなく、これも、五体満足で生きている。
ルークは、変わらず元気。
師匠は言うに及ばず。
そんな感じで、一応──事態は、収束したのだった。それが、昨日のこと。
それから、太陽が登ってき始めた頃にやっと、俺達は眠ることが出来て。
現在、太陽が落ちそうな夕方。
「……あたしのこと、っていうのは」
まず口を開いたのは──俺の隣にある、おなじみの木の幹に座っているユメルだった。
アンレスタ国の牢で見た時のままの、薄汚れた布切れを身に纏っている。血で薄く赤色にもなっているけれど、それは気にしていないようだった。
「……つまり、リュークさんと折衷現象に遭った人のことですか」
確認するかのような口調で、平坦に聞く。そこには少なからず、驚きの念もあるようだ。
まぁ、気持ちは分からないでもない。
「……折衷現象って、なに?」
そんな、呑気な声も聞こえる。
こんな呑気な声を出す人間は、数日前までここにはいなかったけれど──それでもその人物は既に、ここにいるのが当たり前であるかのように、この場所に溶け込んでいた。
その人物を巡って、俺達は何度も死にかけたのだから、当たり前である。
マニだ。
ユメルに寄り添うように、同じ木の幹になんとか座っている。ユメルと対照的に純白のワンピースを着ていて、麦わら帽子は今日はかぶっていない。
「折衷現象? って、なんなの?」
「折衷現象の説明は……師匠はする気がなさそうなんで、俺の担当ですね」
これが、俺。
俺はというと──昨日の今日なのだ、まだ首の痛みは完全には取れていなかったけれど、それでもこうして元気に、生きることが出来ていた。
首を絞められるのに定評のある俺である。我ながらしぶとい。
それからルークは今夜のご飯を取りにいっているから、ここにはいない。
「折衷現象っていうのは──」
あの、マニ救出のあと。
俺達は──俺とユメルと師匠は。
一つ、あることをしようと決めた。
それはもしかしたら、悪影響しか生まないという可能性も孕んだ行動だったけれど──それでも俺達、特に師匠とユメルの強い希望によって、実行することになったのだった。
なにか。
それは、マニに、折衷現象について知ってもらおうということである。
あの、人がフッと、煙のように消える現象。
あれを、マニに共有する。
「──あと《有能》っていうのが──それに、回帰教ってのも──」
「ふんふん」
俺の、マニへの説明が続く。元々の聡明さもあるのだろう、時折り質問なんかも挟みながら、マニは、俺の口から出る言葉を吸収していた。
それに、若さもある。俺からは三つしか変わらないけれど、十の子供というのは、聞いたことをなんでも覚えられるような、そんな、乾いたスポンジのような年齢だろう。歳を取ってからでは覚えられないような情報量でも、覚えられるはず。
それに、これは。他ならぬ、ユメルのことについてなのだから。
そこが、他のこととは違う。
「──ってことで。俺達の状況を分かってくれたかな。昨日のことも、それに関係することで──細かいところはまだまだあるんだけど、大まかにはこんな感じ」
「………………」
それで。一応、師匠に聞いた回帰教の説明を、ユメルにも聞こえるように話した説明が終わり。
俺の説明を聞き終わったマニは、その年に似合わぬ難しい顔をして──いや歳に似合った、表情豊かな顔を歪ませながら、黙っていた。
それから、口を開く。
「……ユメルが魔女って、本当?」
「…………」
まず、そこからか。
いや、マニの出身、アンレスタ国のことを思えば、そこを最初に聞くのは当然か──マニの生きてきた環境には、魔女という存在はあまりにも関わりすぎている。
国に残る伝承にまで、それはなっているのだから。
それから。
その存在への対応を見たからこそ、マニは、自分の親族を嫌うまでになったのだから。
自分の親を、嫌うまでになったのだから。
「…………」
「……ねぇ、ユメル?」
それから、不安そうな顔で、ユメルを下から覗き込む。
師匠も、黙ってそれを見ていた。
「……そうですね。私は、そうです」
「………………」
返事をする方も、質問をしている方も、どちらの声も響くような静寂の中、ユメルが答えた。
フワリと、少し微笑みながら。
その表情からは──自分の存在に対する表明になにも、少しも不満を持っていないような、そんな心の内が見えた。
昨日。
昨日ユメルの身に起こったことが、そうしたのだろう。
魔女。
自分がその末裔ということを。
ユメルは、受け入れた。
吹っ切れたのではなく、自分の中に優しく受け入れた。
「……そうなんだ」
軽く、独り言のような声量。
俺や師匠にしても、マニにそれを明かすことがなにか、悪い未来につながってしまうことを危惧していないわけではないけれど──それでも、そこは、ユメルが押し通した。
黙っているわけにはいかないと。
少なくとも、マニには言わせてほしいと。
だからこそ、俺と師匠はこうして、今も黙っている。
それを言うのは決定したとしても、それを説明するのは良いとしても。
それは──ユメル本人の言葉で、言うべきだろう。
魔女の文化に関しては、俺と師匠は部外者なのだ。ユメルが捕らえられているというのが、折衷現象に繋がると判断したから、そこに首を突っ込んだだけ──だから。
ユメルが、それを言うべきだ。
「私が、魔女の末裔というのは本当です。私のお母さんが魔女で、その血は受け継いでいます」
「…………」
ユメルは、言う。
「だから、アンレスタの伝説は本当なんです」
言う。
けれど、その言い方だとまるで、本当に魔女が人を攫うような印象を受けるんじゃないだろうか。
あくまで、ユメルとユメルの両親は、自分の存在がバレないように静かに暮らしていただけで──伝説にあるようなことは一切していないはずだ。
伝説になっているということは、それ相応のことを、魔女の先祖はしたということではあるけれど──それについては何も聞いていないけれど、そこは。
ユメルは、無関係であるということは。
言っておいた方がいいだろう。
「ソラ」
と。
一歩、マニの方へ体が出そうになっていたところに。
横から、話しかけられる。
師匠だ。
小声で、話しかけられた俺ですら聞き取りづらい声の大きさで。
「お前の考えてることも分からんでもないが。でも、お前が出るところじゃ、ねぇだろ」
「…………」
見ていろ。
師匠が言いたいのは──これしきのことを、俺が釈明する必要はないということか。
まぁ、そうか。
ユメルがそんなことをしていないなんて──マニが一番、分かっているか。
「そうだろ」
すみません、師匠。
心の中で、若干、謝っておく──師匠だけには届いているだろう。
と。
「……そうなんだ。でも、それでも、ユメルは変わらないし、ね」
「…………」
「ね」
「……はい。そうですね」
えへへ、と。
お互い、不安そうな顔が、消える。
それは、ユメルが魔女であることを伝えるなんて、その程度のことで──揺らぐ関係ではないことを、意味していた。
俺が出ずとも、この関係は。
何があろうと変わらない。
「……で、だ。ユメルのことに関してはそんな感じだが」
と。
そこでもう一度、師匠が仕切る。
ちなみに、師匠のこの悪趣味な赤いズボンとコートは、特注のものらしい。その奥の赤いシャツも特注だというのだから、身分というのがいかに大事かということだった。
「あたし達は今、折衷現象っつう超常と戦っている。それは今言ったように──」
俺が説明したんだけれど。
「──うるせぇ」
くそ、心の中では嘘をつけない。
そんな俺を見て、師匠は睨んできた。
「……で、その折衷現象ってのが《有能》で起こされているんだよ」
「……《有能》、かー」
マニがうーん、と唇を尖らせる。
こうして会話が出来ていることから分かる通り、この場にいる人の中で一番、マニとの時間が少ないであろう師匠の自己紹介は、もう済んでいる。昨日、ルーク爪を持って脅したツケで、和解するにはそこそこの時間を費やしたけれど、一応、ユメルや俺の仲間であるということで、ことなきを得た。特に、ユメルの助言が大きい。
『あの人、嫌い』
とは、マニの言葉である。
まぁ師匠はユメルの時も、初対面では嫌われていたからな……それと似たようなマニも、同じような感想を持つか。
それに関しては、師匠が十割、悪いが。
そこから、ルークの背中に乗ってここに帰って。
で、今日。
こうして俺達は、円になって話し合っているのだった。
「おう。《有能》っていう、人間業じゃなく文字通りの神業」
「……うーん」
「なにか、アンレスタの方でもねぇか?そういう話。変な現象を起こす奴がいたりとか」
「……うーん。うーんん。んー」
師匠の質問が続く。
ユメルに無視されていた数日前も、こんな感じだったんだろうな……そこも、ユメルとマニは似ている。
「…………」
師匠が、折衷現象のことをマニに話すことについて肯定的だったのは。
それは今思い返しても、とても、師匠らしい理由だった。
アンレスタ国の、王女。
隣の国の、次世代の女王。
そんな大物を──逃すのは勿体無いだろうと。
この人物を味方につければ、どれほどの利があるだろうか、と。
俺とユメルでの三人話で、師匠はそう言ったのだった。
まぁ、言いたいことはとてもよく分かる。今回のリゲル城でも、師匠のような権力者がいれば、どれだけ楽に事を進められたか──それと同じように、マニを味方につければ、アンレスタ国で動きがあった時でも、どうにかなるかもしれない。
折衷現象関連の動きでも、そことは関係のない動きでもどちらでも──内部に味方がいるかどうかは、その後の動きやすさに繋がるだろう。アンレスタ国はこの森を越えたすぐにあるのだから、そこで何かがあった時は、俺たちも無関係でいられるか分からないのだ。
だから、リゲル国側は師匠がいるとして──アンレスタ国側のことに備えて。
マニを仲間に加えようと。
師匠の主張は、そうだった。
ユメルが少し、それに嫌な顔をしたけれど──マニを利用するかのような策だから、嫌がるのも仕方ない──ただ、魔女であることを話すならば、やはり、折衷現象のことも話さなくてはいけないのだ。
そうなれば。
そうなれば、多分、マニはユメルの力になろうとするだろう。
あれだけユメルを想っているマニが、それを聞いて、ダンマリで済ませる訳がない。ユメルのために、何がなんでも力になろうとするはず。
それは、はっきり言って、危険なのだ。
アーロンもデュランも四ツ目も、折衷現象に関わる、敵と言っていい存在は──軒並み、頭のネジがぶっ飛んでいる。人間でない者も混じっているし、人を殺すことに関して、人を傷つけることに関して、なんとも思わないような奴らの集合体である。
そんな奴らとマニが関わることは、誰でも止めるだろう。
だから。
だから、折衷現象のことは話すとして。
その上で。
その上で、師匠や俺達の仲間になってもらおうと。
あくまで、マニが師匠やユメルの見ている範囲で動くように、仲間に引き入れようと。
師匠が言っているのは、そういうことだった。
「……うーん」
そんなマニは、一人、思い出すかのように上を向いている。師匠に聞かれたも質問に答えるために、自分の頭の中を整理しているのだろう──《有能》を持っていそうな人。
今分かっているのは、十二個の内、四つ。
《読心》。《伝心》。
《転移》。《死隊》。
これ以外に、《有能》を持っている人間。
「……うーん」
まだ、マニは考える。師匠がそんなことを聞くのは、《伝心》を持っているユメルが、アンレスタ国にいたからだろうな──それ繋がりの発想な気がする。
四ツ目の口振りから、《有能》は他にも数多くあるのだ──それは、あまりにも怖すぎるだろう。
《死隊》のような、明らかに危険な物もあるし、《転移》のような予測不可能な物もある。これから俺達が折衷現象を解決する上で、そんな能力達が常に付き纏ってくるのだ。
そんなもの、怖いとしか言えない。
だから、四ツ目への対抗としても──《有能》の全貌を、早く解明しておいた方がいい。
どんな能力で、誰が所有しているのか。
それを明らかにするのは、四ツ目との邂逅で、俺達の最優先事項になった。
勿論、《転移》の持ち主も含めて、だ。
それが一番、折衷現象の解決に近い。
「うーん。うーん」
「……心当たりは、ねぇか」
「…………そうみたい。ごめんね、力になれなくて」
ペコリと、師匠とユメルに、頭を下げる。俺から見ると位置的に、ユメルに頭を擦ったように見えた。
師匠が顎を引く。
「いや、別にいい。《有能》なんてもん持ってりゃ、普通に生きづらいだろうしな──人目につかないところで生きてても不思議じゃない」
「…………」
私の家族のように。
そんなことを、ユメルが思ったのが伝わってくる。
「──さて。じゃ、まぁ、話しておくべきことも大体終わったし」
と。
師匠が、言う。
「やっと、最初の話だな。そろそろ、あたしの話をしておこうか」