プロローグ
「…………」
「…………」
「……神がいた、と?」
「……はい」
「……そいつが、なんだか、本当に神様っぽくて?」
「……師匠のことや、ユメルのことも知ってましたし、それに」
「……《有能》、ね」
「……はい。ユメルの《伝心》は本物ですし、さっきの《死隊》も、本当に死体が動いてます」
「……で、《転移》ってのが折衷現象の原因で」
「……それから、師匠の読心も……」
「ただ、あたしの読心は未完成と」
「……そう、らしいですね」
「そんなのが、あと十二個ある、と」
「……《読心》、《伝心》、《死隊》、《転移》。効果が分かってないものは、あと八つですね」
「…………」
「…………」
「……そいつ、名前は名乗ったのか?」
「……いえ。ただ、神と。見た目から、分かりやすく四ツ目と、俺は呼んでるんですが、本人──」
「人じゃ、ねぇけどな」
「──自分では結局、最後まで名乗りませんでした」
「……ふぅん」
「…………」
「…………」
「…………」
「……真価ってのを発揮するには、四つの目が必要って言ったか?」
「……そうですね。少なくともあいつは、そう言っていました」
「あたしにどうしろと」
「…………」
「……いや、お前に言っても仕方ねぇけどよ。流石のあたしも、目ん玉は二つだぜ──それに、本来は左眼に宿るものって言われたら、あたしには一つしかねぇよ。四分の一、三つ足りねぇぞ」
「…………」
「…………」
「……師匠の読心は、あくまで断片的に、人の思考を読み取ることができるんですよね──ただ、四ツ目の《読心》は、そんなものじゃなかったんです」
「……言ってみろよ」
「…………」
「…………」
「……明らかに異常事態だと分かっているのに、頭はそれを理解しているのに、体が言うことを聞かないんです。まるで、蛇に睨まれた蛙のような……あいつ曰く、それは心を掌握する世界だそうですが──それが、俺が体験した《読心》です」
「……それが《読心》の真価だと」
「……はい」
「で、そいつは、あの書庫に、そこにいるのが当たり前かのように佇んでいたと。あの、王族しか入れないはずの書庫に、自然に存在した、と……あたしが異世界のことについてしるきっかけになったあの書庫に、不意に現れて、不意に消えたと」
「…………」
「神様ねぇ……それに、書庫か。あの書庫……も調査する必要が、あると」
「それは、師匠しかできないことですから……師匠にお願いするしか」
「…………」
「…………」
「……で、その、いやに目が気持ち悪いとかいう男は?」
「……アーロン、ですね」
「…………」
「…………」
「……そいつが、お前の死刑を命じた犯人、ね。へぇ……ってことは、あたしのしていた予想は大外れだったってことか。折衷現象には関係なかったし、そいつの物言い的に神って奴を除いて考えても、敵は個人じゃない、と。アーロンの命令に従った人間が、司法の近くにいる、と……」
「……そうですけれど、でも、俺の死刑を望んだ人間がリゲル城にいるというのは当たっていますよ。あの現象には関係がなかったというだけで、こいつの存在は無視できないほどに大きいです……いや、だから、結局のところ、折衷現象の手掛かりにはなるんですよ。あいつがいなくなった折衷現象には関係のないというだけで、アーロンは四ツ目と関わりがあるんですし。だから、師匠の勘はちゃんと当たってます。手掛かりには違いないですよ」
「……回帰教、ねぇ。なんというか──なんというか」
「……アーロンについてなにか、師匠は知りませんか?」
「…………」
「…………」
「……知っているといえば、知ってはいないな」
「……師匠でも、ですか」
「いや、知ってるは知ってるんだよ──アーロンのこと、というか回帰教のことは、城の方でもなにかと話題になったことがあるからな。そりゃ、信者数も相当なもんだし、当たり前だけど」
「……三割、五分ですね」
「……よく考えりゃ、それって相当だよなぁ。三割を超えるなんて、私の知る限り、この国始まって以来の規模だと思うぜ。というかこの国に限らず、どの国、どの歴史を紐解いたところで、そんな規模で広まった宗教なんてのは存在しなかったはずだ」
「師匠はどこまで、回帰教、アーロンについて知ってるんですか?」
「……限定的な情報だが。まず、回帰教が広まり始めたのは、確か五年前くらいだったはずだ。アーロンが創始者で、お前がアーロン本人から聞いたよう、神の声を代弁することで徐々に勢力を伸ばしていった、らしい」
「……ええ。それは、聞きました。五年前ってのは初耳ですけれど」
「アーロンの出自は商人らしいから、この国、もしくは他国で商売をやっていて──そんで、神の啓示を聴いて、宗教を始めた、と。回帰教の始まりは、そういう始まりだったらしい。その頃からアーロンは、『預言者』だとか『救世主』だとか、はたまた一番意味が分からん呼び名で『清掃員』だとか『保育者』だとかって呼ばれてたそうだ」
「……前の二つは、アーロンが力を握った背景を考えれば分かりますけど。後ろは、なんですか?」
「分かんね。あたしに聞くなよ。あたしだって意味分かんねぇんだから」
「…………」
「でも、そうだな。『保育者』の方なら、由来はある……といえばあるかな」
「なんですか? 『保育者』って……宗教の頭につけるような呼び名じゃなくないですか?」
「それが、そうでもないんだよ。ここには、回帰教の理念が関わってくるんだ。知ってるか?」
「アーロンは、回帰教のモットーとして、『神は絶対』と言っていましたけれど。それと何か、関係あるんですか?」
「いや、それは関係ない。理念はもっと別の、信者側の話にある……そのモットーの方は多分、神の声を聴くことの出来るアーロンのみが持ってるモットーだよ。だってよ、他の一般信者にとってみれば、神の啓示が元とはいえ、神の声なんかより、アーロンの声の方が現実だろう? 身近に触れられて、身近に声を聞ける。そんなアーロンだから、信者は付いて来ているんだ。だから、そのモットーはアーロンのみのものだ」
「へぇ? 意外ですね。宗教関連の本の記憶を探る感じ、宗教ってどうしても、一番上の存在を断定したがるものだと思ってたんですけれど。その流れで、信者の人達は、アーロンの上にいる神を、アーロンよりも敬うというのが自然な流れだと思ったんですけれど。そうじゃないんですか」
「ま、宗教の中でも特異なんじゃねぇの、回帰教は。あたしも最初は意外に思ったけど、もう吞み込んだよ」
「……そういうもんですか。小難しい話ですね」
「そういうもんさ。人の信条の判断なんて、認識できるものしか材料にできないもんだ。だから、アーロンだけが純粋な神の信仰を持っていて、その反面、信者はアーロンを信仰しているんだろうよ。筋は通ってるはずだ」
「……じゃあ、アーロンの口から聞いたモットーの話はそれでいいとして。えーと……ああ。回帰教の理念の話でしたか。アーロンの持つ神へのモットーとはまた違う、信者の持つアーロンへの理念……でしたか」
「そう。それも、お前の聞いた、アーロン本人が言ってたっつう話かな……神の啓示を聞いて動いていたら、勝手に宗教が出来てたって、アーロンはそう言ったんだよな? つまり、回帰教の理念といっても、信者の働きで作り上げられた理念ってことなんだろうよ」
「へぇ……」
「アーロンの意思は、多分、そこにはあんまりないと思うぜ。アーロンの神への信仰とは違って、あたしの知ってる回帰教の理念は、そんな綺麗なもんじゃないからな。もっとどろどろとした、人間の欲求だぜ。でも、神の声を聞ける故、回帰教の実権力はアーロンにあるから、その理念もまた、アーロンと無関係ってわけでもないんだろうけど」
「欲求、ですか……それで、結局、回帰教の理念って、なんなんですか?」
「『赤ん坊への回帰』」
「…………」
「これが、回帰教の理念だ。もちろん正しく言うなら、信者共の理念な」
「…………それは……」
「つまり、生まれてすぐの状態。自分で食い扶持を作らなくともいい、自分で考えなくともいい、そんな生まれてすぐの、上位者の庇護下にいる状態に『回帰』する。というのが、回帰教の基本理念だそうだ。精神的にも肉体的にも、『楽な状態』を、『生まれてすぐの状態』と定義して、その状態を目指すんだってよ。回帰教って銘打ちは、それ故だそうだ。勿論、その理念あっての名付けだから、回帰教っていう宗教名も、信者が呼びはじめたのが由来だそう」
「……は。はぁ……」
「いや、分かるよ。あたしだって初めて耳に入れた時は、なんとも言えないため息が出たもんだ。訳わかんねぇよな……でも、実際そうらしいからしょうがねぇだろ。世の中、色んなことを考える人間がいるもんさ」
「……えーと。……言葉に困りますね、そういうの」
「まぁ、正しくは、そういう状態になれたら楽だよね、っていうことらしいがな」
「……うーん。でも、それ、どうやるんですか? 生まれてすぐの状態に還る……赤ん坊に回帰する、なんて。どうやってアーロンは達成するんですか、そんな理念」
「知らねぇよ。だから、あたしに聞くなって。なーに考えてんだか分かんねぇんだから、あたしも」
「……じゃあ、質問を変えます。たとえその状態に仮になれたとして、その後どうするんですか? 生まれてすぐの状態に仮になったとして、赤ん坊で、どうやって生きていくんですか?」
「それも、あたしは細かくは知らない。方法も、その後の人生のことも」
「…………」
「ま、あたしの勝手な印象を言ってもいいなら、理念を達成する方法もその後のことも、アーロンは何も考えてないんじゃないかと思うけどな。どうにも、やっつけ感があるというか……アーロンが考えたことじゃないんだから、それはそうなのかもしれんが」
「そんなこと、ありますかね。宗教の一番上が、そんな曖昧な……それに、もしそうなら、信者が黙ってないでしょう。信者がそういう形の宗教理念をアーロンの周りに作った以上、アーロンにも思わせぶりな態度があったでしょうし、だから、達成できない、そもそも何も考えていないと分かれば、信者が動くんじゃ?」
「そうか? 本当にか?」
「……何か、考えがあるんですか、師匠」
「ある。それも、一番大事なところがな」
「……なんでしょう」
「それを語るために、もう一つ。情報を追加しよう」
「回帰教の信者は、その大半が、貧民らしい。過半数を超える信者が、経済的に困窮している人間だそうだ」
「…………」
「そう。そういうことだ。つまり、その後のことなんて、信者にとってはどうでもいいんだと思うぜ……ただ一時、この世の現実から目を離すことが出来るなら、理念を達成できようができなかろうが、方法があろうがなかろうが、多分、信者にとってはどうでもいいんだ。どうせ、今の状況からして息苦しいんだから──勿論、赤ん坊になったところで、その後を心配するような精神状態じゃねぇわけだ」
「……そんな、ことが。いや、でも……」
「実際に、あるのさ。割り切るしかねぇよ。これは、現実の話だ。よその星の話じゃなく、よその国の話でもない、このリゲル国の話」
「…………」
「まぁ、実際というなら、実際、強すぎる殺し文句だと思うぜ……生活が苦しい人間からすると。アーロンに従ってさえいれば、自分で働かず考えることもしなくていい、生まれてすぐの状態に回帰できるってのは、中々抵抗できない殺し文句だよ。暮らしに満足がいかねぇと、精神的な救いを求める──新しい宗教は、自分を取り巻く社会に不満が溜まっているときに広まる。って話かな、これは」
「……それは、そうかもしれませんが」
「ただ、取り合えず、その場凌ぎで、急場凌ぎで。精神が楽になりゃ、その後のことなんて信者にとっちゃどうでもいい。肝心の《回帰》がどんな方法だろうが、信者には知ったことじゃない──それが、あたしの知る回帰教の実態だよ。なんだったら、そんな方法はないって、信者自身も知ってるかもな。信者はまず、目の前の救いを求める。貧民層が大半なんだ。なら、未来のことなんて考える余裕はそいつらにはないだろうよ。だから信者共は、アーロンや神がどんなことを言ってどんなことをしたところで、アーロンと回帰教を信じ続けられるんだ。この先ずっと、回帰教の中ではアーロンの地位は安泰だろ」
「…………」
「で、その理念が原点らしいから、宗教の中では、割と一般人目線の宗教だ。民の理解が得られやすい方らしい……強制的な改宗を求めずとも、勢力を徐々に広げているみたいだ」
「……三割五分、ですね」
「ここで厄介なのは、貧民層に広く分布しているだな。現在の生活が満足でない層の人間──それらが多く、回帰教に魅力を感じている。だから、さっきも言ったことだけど、たとえアーロンの行動の餌食になろうとも、信者は態度を変えない。それほど、《回帰》つう理念に心酔しているから──貧民層の信者は、心を奪われているんだ」
「……確かに、厄介ですね」
「だから、覚えておけ。あいつら、まじで何やってくるか分かんねぇぜ」
「……それが、敵になっています」
「…………」
「……それも、《有能》を持って。神……四ツ目の、後ろ盾有りでの」
「……その、四ツ目とかいう奴の後ろ盾はもう、ないんじゃねぇの? 《伝心》は、ユメルに、完全に移ったと見ていいんだろう? なら、アーロンに神のお告げが行くことは、もうねぇだろ。あちらさんにはもう、《伝心》がないんだから」
「……そう考えるとしても。それでも、《死隊》があります」
「……まぁ、な」
「……ユメルの《伝心》での、両方向への会話のように、《有能》にはそれぞれ、条件のようなものがあるみたいで──それを満たすことで、本領を発揮できるようなんですが。《死隊》の条件は、至極単純で──その人が死んでいること、です。それさえ満たしてしまえば、誰でも、どこからでも、その死体を操ることが出来る《有能》──そんなもの、はっきり言って無茶苦茶でしょう」
「…………」
「……師匠のように比類のない戦闘力を持っている人なら、一人でも対応できるかもしれませんけれど。でも、大抵の人間は無理ですよ」
「……《死隊》、ねぇ」
「……人間の体の限界を超えて、感情もなく活動できる奴隷。それを、回帰教という、死体を作るには最高の生産場で行使できる……これはなにより、警戒がいりませんか?」
「……信者なら、まぁ、そうなるだろうな。当主の言うことには何も逆らわないって人間も、こういう場では珍しくない、と。特に、貧民層だな……本当に、面倒だ」
「……面倒で済むのは、それこそ師匠ぐらいでしょうね……いえ、師匠でも、あんなのが群れを成して襲ってきたら──勝てますか?」
「…………」
「…………」
「……ま、無理かもな」
「……意外ですね。いつもの師匠なら、言いそうにない返事じゃないですか?」
「いや、出来ることの判別くらいは出来るさ──あたしに出来ることは、未熟な読心と簡単な戦闘だけさ」
「……簡単な戦闘だけで、魔物達の森の魔物に喧嘩を売ったりしませんよ」
「ん。それ、ルークに聞いたのか? 懐かしい、な。そんなに前のことでもないけど」
「……これ、いつか聞こうと思ってたんですけど。師匠が魔物達の森に居を構えたのって、いつのことなんですか?」
「いやん。それを言ったらあたしの年齢がバレちまうだろ」
「…………」
「………………」
「………………」
「……なんか言えよ」
「……いえ。なんか、師匠とは久しぶりの会話で、話し方を忘れた相手みたいな感覚で……」
「えー。でも、お前、どうせ、愛する幼馴染のことは忘れてねぇんだろー。ひどいなぁ、あたしのことはその程度の認識なんだなぁ。命助けてやったのになぁ」
「…………」
「二回も」
「……ありがとうございます」
「…………」
「…………」
「……で、なんだっけ」
「……ええと。《死隊》のことについて、ですね」
「ああ……まぁでもこれも、今のところは出来ることがなさそうなんだよなぁ。あーあ、あの死体野郎が消えなけりゃ、色々と試せたんだけどな」
「……それは、アーロンが上手かったですね。あの短い時間で、自壊を選ぶ精神力──やっぱり、油断ならないです」
「《伝心》が効かない。あたしの読心も──ってなると、明確な弱点がないってことになるよな。頭でも潰せばいいのかね」
「あの分だと、そうなっても動き続けそうじゃないですか? 人間じゃなく死体である以上、頭が弱点であるという点が共通のものとは、断言できないでしょう」
「…………へぇん」
「同じ感じで、心臓なんかを潰してもダメだと思います。そもそも動いてないでしょうし」
「……面倒、だな。本当……面倒だ」
「だから、師匠のように殴って、動いても支障のないように粉々にするか──これは今、思いついたんですが」
「んあ、なに?」
「燃やすのはどうでしょう」
「ああ、それもあるな……確かに。死体ならいい感じに、燃えてくれそうだ。そんで、燃えて塵になってしまえば、《死隊》の効果範囲からは外れるだろうし──まぁ、試してみるまでは確証は持てねぇけど、でも、粉々になったら動けなくなるんだから、大方、燃やすのも有効だろうな。流石に、神業、超常といえど、そこら辺はそうだろう」
「……そんな時に都合よく、火が近くにあるとは思えませんけどね。あちらも、その程度の対策はしてくるでしょうし」
「まぁ、そこまで馬鹿じゃないわな。というか、普通に賢いだろう──まぁ、いざという時に取れる選択を考えておくのは無駄にはならんだろ。考えてみようぜ」
「……そうですね」
「じゃ、《死隊》のことはそれでいいな。次……ああ。大本の、アーロン本人の話がまだか」
「そうですね。どうも、回帰教とか《死隊》のこととか、アーロンの周りの情報が目にちらつきますけれど……そもそも、神の啓示を聞いて動いているのはアーロンですからね。本人の情報は整理するに越したことはないです」
「じゃ、あたしが知ってる情報とお前が直接対峙したときの情報、出してみようぜ。あたしがアーロンについて知ってんのは……ああ。確か、当主っていう肩書は、自分で名乗ってるだけらしいぜ。意味があるのかは知らねぇが……信者にはやっぱり、『救世主』だの『預言者』だのと呼ばれてるらしいし」
「勝手に名乗ってる、ですか。どおりで、当主って、宗教の開祖が名乗る肩書じゃない気がしてたんですけれど。普通、教祖とかって名乗りますよね……そういう理屈ですか」
「どういう意味があるのかね。別に、教祖だろうが開祖だろうが当主だろうが統領だろうが、意味は変わらねぇと思うけど……どういう使い分けをしてんのかね」
「さぁ……? まぁ、アーロンもそう思って、当主という外れた名乗りを選んだんじゃないですかね。他の宗教と差別化できる名乗りって、大事でしょうから。結局は、その辺、神である四ツ目の命令かもしれませんし、考えても答えは出なさそうな気がしますけれど」
「まぁ、どっちにしろ、それほど大事な情報じゃないわな。じゃ、お前の番」
「俺が知っているのは、まず、容姿ですかね。面と向かって、会話をしたんで。だから、容姿は知ってますね」
「いやに目の気持ち悪い、中年の男……だっけか。ふぅん……」
「あと、中肉中背、ですね」
「……読心でお前の記憶を探る感じ、その形容は、まさに、って感じだな。正しいのが分かるわ。曖昧にしか読み取れないけど、こりゃ、普通の男じゃない……雰囲気あるな」
「ですよね。アーロンは人間のはずなんですが、四ツ目にも負けないくらいの嫌な雰囲気でした。四ツ目の指示で動いているから、移ったんですかね」
「さぁな。あたしが実際に見てない以上、なんとも」
「師匠は今まで、アーロンを見かけたりしてこなかったんですか。リゲル城の周りだったりだとか、リゲル国の中で」
「そりゃ、ないな。リゲル城の周りにこんな男がいたら忘れるわけねぇし……いや、さっきはニアミスしたんだったか。だったら、どこかで視界に入ったこと自体はあるかもな。あたしが意識してなかっただけで、見たこと自体はあるかもしれん……お前の記憶から浮かぶ人相は、見覚えのないものだけど」
「なら、視界にも入ったことも、ないかものかもしれませんね。師匠みたいな高い身分も戦闘能力もある人間、アーロンは警戒してそうですし……」
「そうだよなぁ……リゲル城の外、リゲル国の中で見かけたりも、この分だと、多分ないんだろうな。あちらさんも、人目のある所にのこのこと出てはこねぇだろうし」
「怪しいですけどね……今回のマニ救出がなかったら、俺達はアーロンのことなんて知らないままでしたし。回帰教のことだって、噂に過ぎない情報としてしか認識してなかったんですよね。なら今日までは、アーロンも自由に動いていた可能性はありますよ。見かけたことはあっても、師匠が覚えてないだけかも」
「それ、今まで出会った人間、全員覚えておけって言ってんのか? そりゃ、流石のあたしでも無理があるだろ……探してない人間を群衆から見つけるって、言葉の時点で矛盾してるし」
「まぁ、それはそうですね。それに今回の事件で、アーロンは故意に、俺達の前に姿を現した節がありますから……その辺も、考えなきゃですね」
「四ツ目に言われて、だっけ。ほんとに、なーんの目的があるのかね……この場合、アーロンは四ツ目に従ってるだけなんだろ? だから、あたし達が考えるべきは、四ツ目の目的の方ってことになる……なにかね」
「それも、やっぱり、分からないって結論になるでしょうね。情報が圧倒的に足りてません。物事を判断するための情報が」
「そうだな。じゃ、あとは……髪色とか? 黒髪。ソラと同じだな」
「……あんな男と一緒にしないでください」
「はっ。お返しだよ。無茶振りを放りやがったお返し」
「……まぁ、いいですけれど。えぇー……と。じゃあ、もしアーロンを見つけた時の対応を話しておきますか。もし、これから先、アーロンを見つけたら……どうします?」
「そりゃあ勿論、捕まえるに決まってんだろ。回帰教は置いておくとしても、四ツ目、ひいては《有能》に繋がる存在だぜ。手掛かりなんだ。折衷現象解決に前身する可能性が高い」
「……まぁ、それも、そうですよね。捕まえて、情報を聞き出す。今のところ、それしか有効そうな手がないです」
「分かりやすい手掛かりは、そうだな。それで解決すれば一番、話が早い……話が早いってつっても、なら、具体的にどうやって探すのかって話になるが。手段を選ばなければ、《伝心》で無差別に探すって手もあるにはあるかな」
「……アーロン、を、ですか? それとも、四ツ目を?」
「アーロンだよ。四ツ目の方は、《読心》を所持しているが故に、《伝心》は効かないって話だったろ──だから、アーロンだ。アーロンを行動不能にして、リゲル国の土地から見つけ出すために、リゲル国全体《伝心》の効果範囲に指定して、そこにいる人間全員の頭に、《伝心》の情報の渦をぶちこむ。そんで、リゲル国の人間を無理やり気絶させる──これなら、誰だろうが探し放題だぜ」
「……いや、だめでしょう、普通に。そんなことしたら、仮にアーロンを見つけることができても、それ以外が滅茶苦茶になりますよ。普通に、危ないです」
「おお。まともなこと言うじゃねぇか。てっきり、それでもいいと折衷現象を解決する方向に進むかと思ってたが」
「……別に、そこまでなりふり構わずで生きてるわけじゃないですよ。あいつが戻ってくるかどうかが最優先とはいえ、リゲル国はそも、俺の生まれ育った国ですし……そんな、虫が家に入ってきたから家ごと壊すみたいな手を好き好んでとるほど、俺は爆走しているわけじゃないです」
「へぇ。優等生な意見だな……ま、正しいと思うよ。あたしも、そう思う。《伝心》で無差別に気絶させりゃ、国の動きもてんやわんやになるだろうってのは、その通りだしな」
「でしょう」
「じゃ、ユメルがさっきやっちまったから、リゲル国は滅茶苦茶になるのかね?」
「…………」
「ん? 忘れてたわけじゃないんだろ? いま、リゲル国の人間全員、《伝心》の攻撃で気絶してるんだぜ? 危惧した状況が実際に起こってるわけだ」
「……どうにかしてください、師匠」
「はっ……王族パワーを過信してねぇか、お前」
「無理でも、どうにかしてください」
「無理矢理だな……そんで、お前にしては珍しく強情だ。こと、ユメル関係だから、か?」
「まぁそうですね。俺は、ユメルにはもう、余計なことを悩んでほしくないんですよ」
「……くっくっく。ま、それもそうだわな。戦力としても──ユメルは《伝心》を持つことで、あたし達の中でも抜きん出た。守らない理由はないわな……」
「そうでなくても、ユメルは仲間です。理由抜きで守るのは、当たり前でしょう」
「それも、その通り……くくく。いいぜ。あたしがなんとかしといてやるよ。大人が全員、同じタイミングで気絶したなんて──ま、話の規模で大きすぎて、逆に誤魔化しやすいからな。なんとでもできるだろうよ」
「……ありがとうございます。師匠が王族で、こういうときはよかったと思いますね」
「あたしは王族じゃなくても、凄い人間だけどな」
「それは分かってますって。ずっと、あなたは俺の目標ですよ」
「ならいい。……ま、一回目は偶然として誤魔化せても……二回目は、もう、誤魔化せないだろうから。だからそういう意味でも、これから再度《伝心》で無差別にリゲル人を攻撃して、気絶した人間の中からアーロンを探すってのは……無理なんだろうな」
「そうですね……」
「そもそも、あたし達の四人だけで、リゲル国の人間全員の顔を確認するなんてのから、土台、無理な話さ。机上の空論だよ」
「……さっきも、アーロンだけは、当たり前のように行動してましたしね……もし実行したとしても、再度、《伝心》の攻撃にはなにかしら抜け道を用意してそうな気もします。俺は、反対ですね。成功する確率は限りなくゼロに近いと思います」
「正論だわな。その通りとしか言いようがねぇよ。ま、あたしも、真面目に言ってるわけじゃないけど」
「ええ。そうでしょうね。王族が提案するような手じゃないです……ですから、他に手がかりを探す必要があるわけですね」
「具体的に、アーロンを探す方法、なぁ。ローラー作戦で探索できるほど、リゲル国は狭くないときて……さて、どうするかね」
「分かりやすい手掛かりは、なさそうですけどね。あそこまで用意周到で動く四ツ目とアーロンの尻尾を掴める手なんて、そうそう見つからないと思いますよ」
「それも、その通り……はん。打つ手なしか。結局、新しい情報源を待つしかねぇのかね。それとも、分かりやすい手掛かり以外を調査するべきか……」
「……ん。分かりにくいけれど、手掛かりになるものがあるんですか?」
「具体的に言えば、あたしの家にある異世界の資料だな」
「……ああ。あれですか」
「あれだよ。書庫で見つけてきた、異世界の資料。別言語の、本。お前、あれ、まだ覚えてないだろ。折衷現象なんて意味わからん問題、何がどう関わってくるか分かんねぇんだから、早いとこ覚えておけよ」
「……ノーコメントで」
「おーいおいおい。幼馴染のためなら何でもするソラ君じゃねぇのかよ」
「……いや。あの資料、言語も違うし量も多いし、解読には時間が掛かるのが普通ですよ。字をそのままの形として丸暗記してるあなたが異常なだけです」
「えー。あたし、普通の人間なんだけどな」
「形をそのまま覚えるなんて、俺じゃ無理ですよ。というか、あそこに書かれてある文章みたいなもの、意味は分かっているんですか? 解読できたんですか?」
「きゃぴ。あたし、難しいこと分かんなーい」
「出来てないんじゃないですか……」
「だってよ。全然、リゲル国の字と違うんだぜ。しかも、他の国どころか他の世界の言語。そら、ムズイさ。流石のあたしでも、時間はかかる……一人だしな」
「……え。あの資料の解読、俺やユメルに手伝わせる気ですか、あなた。覚えさせるだけじゃなく?」
「…………」
「…………」
「…………」
「………………」
「じゃ、それは一旦いいとして……あとなんかあるか?」
「……うぅん。あとは──ああ」
「なんだ」
「……デュランのことについて、とか」
「……力だけならあたしに匹敵するかもしれない、蛮族君か。そういや、リゲルの牢に置いてきたままじゃねぇのか、お前」
「そうなんですよね……《伝心》の無差別攻撃で気絶したまま、今も牢にいるんでしょうか」
「それは、まぁ、あたしが確認しといてやるよ。もしかしたらそのまま、殴り合いの殺し合いが始まるかもしれねぇけど」
「……俺の基準は参考にならないかもしれませんが。デュランは、強いですよ」
「あたしよりか?」
「…………」
「…………」
「……それは、分かりませんけれど。でも、あいつと対峙した時のあの感覚は、師匠に似ているんです」
「……ふぅん。あたしに似ているなんて、そんな人間見たことねぇけど。そいつ、山育ちなんだろ?」
「……そうですね。でも、そういうところじゃなくて、なにか──」
「…………」
「──性質的なところで。師匠とデュランはどこか、似ているような気がするんです」
「……勘か、それ?」
「……勘、です」
「……あたしみたいなセリフ吐きやがって。勘がいいのはあたしの役目だろ」
「……まぁ、師匠の近くにいれば、いやでも感覚が鋭くなりますからね──鋭くせざるを得ませんからね。仕方のないところはあります」
「どういう意味だ、コラ」
「……それで、次に考えるべきなのはなんですかね」
「………………」
「……《転移》を誰が所有しているかは、大事じゃないですか?」
「…………」
「………………」
「……まぁ、いいか。ん、なんだっけ」
「《転移》です」
「ああ。《転移》、な。折衷現象を起こす《有能》ってことだが……それを誰が、持っているか、ね」
「……もちろん俺は、心当たりなんてないです」
「……まぁ、だろうな。それを知ってるならこんなところで悩んでねぇし──あたしも勿論、見当もつかん」
「……そこが分かれば、すぐにでもあいつを救いに行くのに」
「…………」
「…………」
「……なんというか、目的が分かんねぇよな。目的が」
「……その『目的』は、さっきの四ツ目の目的とは違うんですよね」
「そう。目的」
「…………」
「お前のおかげで、折衷現象は、《有能》の中の《転移》が原因──ってのがわかったが、そうなると、新たな疑問が出てきちゃうだろ」
「……四ツ目の目的とはまた違って。今回わからないのは、《転移》を持つ人間の正体と、その目的ですね」
「そう。前者はさっきも言ったが、あたし達には見当もつかん──なら、後者はどうか考えてみろよ」
「……俺達に、《転移》を使う目的」
「悪りぃけど、あたしにはこれも分かんねぇぞ」
「…………」
「あたし。ユメル。それからお前──こんな、なんの共通点もない三人に、折衷現象を起こす目的。お前は分かるか?」
「…………それは」
「まぁ、分からんよな。そうだろ?」
「……そうですね。分からない、ですね」
「いや、仕方ねぇだろこんなもん──折衷現象の被害者三人からなにも因果が出てこなくて、折衷現象に遭ってない他の人間にも因果が見出せないんだから、思考が行き詰まることは予想が出来た」
「…………」
「だから、なぁ。それも生憎、調査を続行、ってことになるんだよな──流石に、そうとんとん拍子では解決しねぇわけだ。気持ち悪ぃ」
「……そうですね」
「そういうことに、なるかな」
「なら、そろそろ行きましょうか」
「ああ、そうだな。ここで時間を取りすぎるのもまずい……そうだな。事態がこうなったなら、エリザベスの奴に問題を共有して、情報を集めてもらうのもありかもな。あたし達だけの問題に収まらず、リゲル国まで関わってくるなら……エリザベスの協力も、必要かもしれん」
「……それは、師匠に任せますよ。俺、エリザベスさんに嫌われてるような気がしますもん」
「そりゃ、死刑の時の話か? は。あいつは、必要のないことは言わない人間だぜ。お前が聞いた言葉は全部、お前のためになる言葉だよ。それは断言できる」
「……まぁ。そうですね。そう……でしたね」
「じゃ、そういうことで。行くか」
「城門って、どっちでしたっけ」
「あっち──だな。行くぞ」
「はい」
これは、師匠と俺の会話の一断片。マニを迎えに行くまでの、その隙間時間で起きた会話。
師匠はいつも通り、派手な黄赤の髪色を輝かせ、左手の指輪をキラリと揺らしながら、こんな時にも優雅に、俺の前を歩いていた。