6話 ヴァーミンと呼ばれる少女
「いやぁ、窓から外を眺めてたらジンがボコボコにされてるのを見つけてよ、慌てて駆けつけて来たらあの子が居たて、何事かと思ったんだが…まさかのヴァーミン呼びはひどいぜ」
アキラはジンの背中についた土を払いながらそう言った。しかし、その発言のどこがいけなかったのか彼には一切理解できず、質問を返した。
「クラスの女子たちが彼女のことをヴァーミンと呼んでいるのを耳にしたんだ。あれは名前じゃないのか?」
「まさか。それは”害虫”を意味する言葉だぜ?自分の娘に、そんなひどい名前を付けるような親が居るわけないだろ。——まさかお前、十三年前の厄災のことを知らないとは言わないだろうな?」
「話を聞いたことくらいはあるが…」
「彼女の親父さんは、その厄災から街を救ったんだ。だが、そのときに使った謎の魔法でこの街の一部が灰になり、怪我を負った人も居た。もちろん、救った命のほうが多いわけだが、その後行方不明になった彼の娘——クリス・ヴァーキンは家名を捩って”ヴァーミン”と呼ばれるようになったんだ。…全員の命を救うなんて無理だったことくらい、皆んな分かってるはずなんだがな…」
「そうだったのか……」
彼らはしばらく沈黙を重ねた。
ジンは、クリス・ヴァーキンに対し、申し訳ないことをしてしまったと罪の意識を持ちながら、彼女の今日までの境遇を想像した。
幼くして父親を亡くし、街を救ったはずの英雄が貶され、否定され続ける苦痛を味わいながら生きてきたであろうことを。
そんな沈黙をアキラが破る。
「まぁ、まずはその怪我をどうにかしてからだな。俺は血を見るのがどうも苦手でな…。医療室に連れてってやるから付いて来な」
彼は踵を返し、校内の医療室へとジンを案内した。
「すんませ〜ん、怪我人一人良いっすか?」
「またアキラくんか…。今月で何人目だい?もしかしてきみが故意に傷つけた相手を連れて来ているんじゃないか、という話も出ているくらいだよ」
「ばっ、バカ野郎!そんなことするわけねぇだろ⁉︎」
医療室の扉を開いたのがアキラだと確認すると、中にいた男は小さくため息をついた。
白衣を着て、黒縁の眼鏡を掛けた細身のその男からは、近づき難いような知的さが醸し出されている。
そんな彼に名前を覚えられているアキラだが、この医療室の常連であり、困っている人は助けずにはいられないというような性格の持ち主なのだ。
「それで、今日は誰を連れて来たんだい」
「こいつなんだけど、ちょっといろいろあったらしくてな」
「見ない顔だね。新しいいじめのターゲットを見つけたのかい?」
「だからちげぇって言ってんだろ!こいつはジン、俺の新しいマブダチで編入生だ!ほら、さっさと治してやってくれ!」
アキラは弁明しながら、ジンを席につかせた。
「はいはい」
と白衣の男もすかさず彼の傷に手を近づける。
その手の平は黄緑の光で包まれ、ゆっくりとジンを癒やしていく。
「僕はハルト・キーンバーグ。医療科の二年生で、治癒魔法は得意だから安心して。——それにしてもひどい傷だね。編入早々喧嘩かい?」
「…派手に階段から落ちただけですよ。まさかあんな変な所に階段があるなんて思いませんでした…ははは」
「そっか、それは気をつけないとだね。一度アキラくんに校内を案内してもらうと良いよ」
ハルトはそんな見え透いた嘘を咎めることなく受け止め、ただ治療を続けた。
ジンも大人しく治療を受けていたのだが、アキラはその姿を見て、不思議そうに首を傾げた。
「なぁ、なんかいつもよりも回復遅くねぇか?治癒魔法は得意だから安心して、なんて言いつつ腕が鈍ってたら笑えねぇぞ?」
「きみがやたらと怪我人を連れて来るおかげで、かなり疲労が溜まっているせいかもしれないね」
「言い訳は醜いぞ〜。そうだ、今からステーキ食いに行かねぇか?学食に新しいのが出たらしいぜ」
「僕が肉は苦手なことは知っているだろう?それに、まだここから離れるわけにはいかないから、ジンくんと二人で行ってくると良いさ」
「相変わらず連れねぇこと言うなぁ…。どうだ、ジンも腹減ってるだろ?」
「そうだな…一度学食にも行ってみたいし、ついでに食べてみようかな」
そう話をしているうちに治療を終え、彼らは食堂へと向かった。
そこはジンの想像以上に広く、席も多く用意されていたのだが、そのほとんどが使用中であった。なんとか空きを見つけた二人は、新メニューであるステーキを頬張りながら、会話をする。
鉄板の上で焼かれる肉の音、鉄板と擦れるナイフの音、そして周りを囲む生徒たちの声の中、二人は普段よりも声を張っていた。
「なぁジン、お前はもうバディは決めてるのか?」
「バディ…?」
「ここでは『バディ』って言って二人一組で行動するシステムがあるんだ。必ずバディを組む必要は無いが、衛兵科ではほぼ全員が組んでいるな」
「なるほど。ちなみに、アキラはもう既に誰かと組んでいるのか?」
「もちろんさ。相手はガキの頃からの付き合いでな、腐れ縁ってヤツだよ。相性が良いわけではないが、なんか成り行きでな」
「そうか、俺もそういった相手を探したほうが良いのか…」
ジンは顎に手を当てて思考を巡らせるが、誰一人として思い当たる者はいなかった。これは、編入してきたばかりの彼には当然のことだろう。
もちろん、幼い頃にこの街に住んでいて、知り合いが居るなどという都合の良い展開も無い。
(そもそもバディを組んでいない生徒がどこかに余っているのか?)
そんな疑問も彼の頭に浮かんだ。
そうやって考えていると、アキラがほんの少しの迷いを見せながら提案する。
「……クリス・ヴァーキン。彼女なら、入学してからこの一ヶ月間フリーだぞ。まぁ、頼んでもバディになってくれるかは分からないが…」
「そうだな、今度それとなく伝えてみるか」
「あぁ!それでこそ漢だぜ!当たって砕けろ!もし泣きたくなったら、俺の所に来い!」
「そんな大袈裟な…」
「何言ってんだ、親友の告白を応援するのは当然だろ!あの子はこの時間は、図書室にいるはずだから、行ってこい!」
「いつから親友になったんだ…。ただ、助かったよ。ありがとう」
いつの間にかステーキを食べ終えていたジンは、アキラを一人残し、食器を返しに向かった。
「……え、俺たちって親友じゃなかったのか…?てか、食べるの早くね…?」
見下ろすと、まだ半分程度残っているステーキと白米が美味しそうに湯気を立てていた。