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2話 私の王子様

 『じゃあこれ、買ってくるわね!』とクリスは子どものようにはしゃぎ、立ち尽くすジンのことなどそっちのけで、一人レジへと向かう。

 そこに並ぶ者たちの中で、彼女が一番目を輝かせているのが一目見て分かる。


「最初の頃とは大違いだな…」

(どうして彼女が、ヴァーミンだなんて言われなければならないんだ。あいつは普通の女の子じゃないか…)


 会計を済ませ、クリスはその銀の綺麗な髪を揺らしながらジンのほうへ駆け寄る。


「何を買ったんだ?」

「小説を二冊と先の絵本…それと、参考書よ。もう少しで試験が始まるもの」

「なるほど。クリスは真面目だな」

「何言ってるのよ、あなたのための物よ?途中から入学した分、成績は大目に見てもらえるらしいけれども、それは今回だけなのよ?今から勉強をする癖は付けておきなさい」

「う…そうだな…。クリスの言うことも一理あるな…」


 その言葉を聞き、クリスはジンの頬に人差し指を埋める。


「一理どころじゃないわよ。これからは、夕飯の後はしっかり勉強するわよ。楽はさせないんだから」


 『楽はさせない』という彼女の言葉が、ジンの心に深く刺さった。どこか思い当たる節があったのだろうか、彼は上手く言葉を返すことができずにいる。

 しかし、そんな様子を責めることはせず、クリスは軽く微笑んだ。


「ふふっ、そんなにお勉強が嫌なのかしら?案外可愛らしいとこもあるのね」

「別にそういうわけではないが……」

「良いのよ、良いのよ。このクリス・ヴァーキン先生が、しっかりと面倒見てあげるから安心しなさい」

「あのな……」

「ん、なぁに?」

「……いや、やっぱりなんでもない。用が済んだなら早く出るぞ」 


 クリスの顔が自分の近くにある。それをなんだか照れ臭く感じたジンは、『なんでもない』と誤魔化してさっさと本屋を出た。その行動には、彼女もクエスチョンマークを浮かべるばかりであった。

(どうしてこんなにも意識してしまうんだ…)

 熱した鍋のように熱くなった自分の顔を決して覗かれないよう、少し早足で進む彼を止めたのは、見知らぬ少女だった。


「——お待ちください、ジン様!」

「……ジンの知り合い?」


 背後からの声に、二人は立ち止まる。

 クリスではなく、ジンの名前を呼んだのはその他の誰かだ。振り返った先に立つのは、長い金の髪でツインテールを作った少女で、まるでドレスのような、ひらひらとした純白の服を身に纏っていた。

 ひと目見たら忘れることは無いであろうほどに整ったルックスとスタイルを持っている彼女ではあるが、ジンには全く見覚えが無かった。

 その透き通った声でさえも、何も思い出せることは無かった。


「誰かと間違っているのか…?」


 疑うジンだが、彼女の次の台詞に彼は言葉を失った。


「お久しぶりです。ジン様お元気でしたか?えっと、今日は…エルノードさんは、いらっしゃらないのですね。お二人はとても仲が良かったので、なんだか珍しいですね」

「——あ、あなたね!どういうつもりなのか知らないけれども、わざと言っているのなら許さないわよ!」

「なんのことでしょうか…?それにジン様、こちらの女性は、いったいどなたでしょう?」

「とぼけないで‼︎…じ、ジン……」


 怒りを露わにするクリスを抑制し、ようやくジンが口を開ける。そして彼女も、今は大人しく引き下がることにした。


「エルノードは…エル兄はもうこの世には居ないんだ…」

「……そ、そんなことが…あったのですね…。すみません、私は本当に何も知らなくて…」

「いや、良いよ。そして、隣の女子はクリス。俺のクラスメイトだ」

「クラスメイト…ということは、お二人はあのアラン学園へ通われているのでしょうか?」

「ああ、そうだ」

「剣が見当たらなかったので、分かりませんでした。ジン様もすっかりご立派になられて…私は感激ですっ!」

「ありがとう…。ところできみはいったい誰なんだ…?俺やエル兄のことを知っているらしいが…」

「忘れていても無理はありません。私は——きゃっ!」


 その言葉を遮ったのは、一人の男だった。

 四十代くらいだろうか、頬に伸びるほうれい線がくっきりと見える。

 男は少女の細首に腕をまわし、もう片方の手に持ったナイフを近づける。興奮しているのだろうか、呼吸がとても荒々しくなっている。

 

「この嬢ちゃんの命が惜しけりゃ、道を開けろ‼︎——へへ、すまねぇな。あんたにゃ一緒に地獄へ来てもらうぜ」


 通行人たちは、視線を男のほうへと集める。数ではこちらのほうが圧倒的に有利ではあるが、人質を取られてしまった以上、下手に動くことはできない。


『どうしたの?』

『可哀想に…』

『おいおい、あれどうするんだよ…』

『誰か止めねぇのか…?』


 などという言葉が次々に飛び交うが、誰もそれを助けようとはしない。誰かがどうにかしてくれるだろう、という傍観者に成り下がっていたのだ。

 そんな中、真っ先に声を上げたのはジンだった。


「…何が目的だ、その子を離せ。人質が欲しいのであれば、俺が代わりになる」

「ジン⁉︎あなた何言ってるのよ!」

「俺なら大丈夫だ。心配はいらない」

「へへっ、そんなことを言って俺を油断させるつもりだろう?一歩でも近づいてみろ。その瞬間、こいつの頭は失くなってると思え」


 ジンの言葉に聞く耳を持たず、むしろ男は、少女の首を押さえる力を強めた。

 その腕に優しく添えられた少女の手の平に、男は激しい違和感を覚える。


「この腕、邪魔なので捨てさせていただきますわよ。……せっかくの再会を邪魔した罰、しっかりと受けてくださるかしら?」


 視界が酷く歪む。

 少女を押さえていたはずの腕が、そこには無かった。視線を下ろした先に転がっているのは、自分の腕。それを見て、全身から血の気が去ってゆくのを感じる。

 そして、赤い何かが傷から溢れ出している。男は気が狂い、叫び声を上げた。


「あぁぁあぁあぁぁぁあぁ‼︎はっ、はっ、う、腕が…!俺の腕がぁぁっ‼︎」


 激痛に耐えきれず、地面に倒れ込む。

 辺りを見ても、当然誰も自分を助けようとはしてくれない。


「…誰でも良いから、俺を…助、けて…く——」


 頬を伝う雫が血に落ちる頃、彼は意識を失った。

 そして、少女は何食わぬ顔でジンたちのもとまで行く。


「……あの男に何をしたんだ?」

「ただの精神干渉魔法『ハルシネィト』です。自分の腕を切り落とされる幻覚を見せたら、ショックで気絶してしまっただけですよ。もうしばらくしたら目覚めると思うのでご安心ください」

「あなたは…何者なのかしら…?精神干渉系の魔法は、どの系統よりも難しいはずよ。大の大人を気絶させるほどの幻覚を見せるなんて、ただの素人が簡単にできることではないわ」

「そうでしたね、申し遅れました。私の名前はミオ・ルアーナ。今はただのしがない一般人ですよ。それではまたお会いしましょう、ジン様。それに……クリスさんも」


 ミオはスカートの端をつまみ、軽く頭を下げて挨拶をする。その後、人混みに消えゆく彼女を二人はただただ見守った。

 自らのことを知っている、ミオと名乗る少女。人質にされたと思えば、高難易度の魔法で対処して戻って来た。

 唐突で衝撃的な出来事が積み重なり、ジンの頭がその処理に追いつかなくなっていることに気づく。

 姿も見えなくなった彼女のほうをずっと向いているジンに、なぜかクリスは心を痛めた。

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