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41話 安寧な日々

 校庭に突然魔獣が大量発生した事件から数日が経った。ある程度の傷は残っているものの、壁や床を汚す血痕などは綺麗に清掃されている。

 表向きには事件の真相は分からぬままとなっているが、生徒たちは何事も無かったかのように、今まで通りの生活を送っていた。

 ジンの右腕もいつの間にか完治しており、久々の箸の扱いにむしろ困っているようだ。それを隣で笑いながらも、クリスが手伝うということも、今では日常の一つになっている。

 爆風に巻き込まれ、大きな怪我を負ったアキラだったが、今では軽口をたたけるほどには回復している。

 しかし、二日ほど眠っていた彼は、未だに医療室で療養している。

 亡くなったハルトの代理は、現在は二年の大男がしているようなのだが……。


「さぁ可愛い可愛いアキラちゃん、お着替えしましょうねぇ?」

「いっ…、いやぁぁぁぁぁぁぁっ‼︎」



 夏が近づき気温が少しずつ上がる中、クリスの半袖の部屋着姿を見る機会が増えたようにジンは感じていた。

 見慣れた部屋で、包丁がまな板を軽快に叩く音を耳にしながら、彼はぺらりとページを捲る。辞典のような分厚さをした本。それがあと十冊以上もあると思うと、なんだか気が遠くなる。


「なぁ、クリスはこの本を読むのにどれだけかかったんだ?」

「そうね…一ヶ月以上はかかったかしら?授業もあるし、あなたの場合はもう少しかかると思うわよ」

「んん…結構時間かかるんだな…。気長に読んでいくしかないか…」


 再び視線を本に戻す。呼吸をする度に鼻を通る香りが、余計に空腹感を増加させる。

 しかし、彼はそんなことを気にしないほどに、その物語に没頭していた。

 現在彼が読み進めている『あの星空を見たくて』は、医療所での生活を余儀なくされている病弱な少女が、窓から見える星空に憧れを持つという話だ。

 外に出られる”いつか”を願う日々を送る彼女の部屋に、幼馴染の少年が励ますようにやって来る。恋愛小説のようだが、彼はまだそういった場面までは進んでいないらしい。

 数十ページほど読み終えた頃だろうか、クリスが口を開けた。


「サラダにきのこを入れようと思うのだけれど…ジンは食べれる?」

「そう、だな……。できれば、入れないでいてくれると助かる。きのこはあまり得意ではないんだ…。」

「分かったわ。それじゃあ、特別にいっぱい入れておいてあげるわね。苦手なものは、早めに克服したほうが良いでしょ?」

「やっ、やめてくれ!きのこだけはダメなんだ!」


 本を閉じ、クリスのもとへ向かうが、一足遅かったようで、『もう入れちゃったわよ?』と言う彼女の手元に置かれたサラダは、底が見えないほどにきのこで覆われていた。

 ジンは、全身から血の気が去っていくのを感じる。硬直して青ざめる彼を見て、『全くもう…』とクリスはその半分ほどを取り、自分のものへと移した。


「まだ半分くらい残っているんだが…?」

「それくらいは食べなさい。ね、大丈夫だから」


 用意されたものを配膳し、自分の場所に腰を下ろして手を合わせる。このときもジンは、サラダに盛られたきのこばかりをじっと睨みつけていた。

(どうする…底に隠すか?それとも、全て一気に口に入れるか?……よし、隠そう)

 箸を持ち、きのこを埋める準備をしようとしたのだが——。


「何をしているのかしら?もしかして、まさか、無いとは思うけれども、信じているのだけれども、苦手なきのこを底のほうに隠そうだなんて考えていないわよね?」

「ひっ…」


 顔を上げると、クリスが微笑みかける。

 しかし、不思議なことにその表情からは怒りが溢れ出している。そんな彼女に、珍しくジンは恐縮する。

 しかし、苦手な物を食べたくはないという気持ちは変わらない。まずはそっと箸を置く。そして彼は表情を一変させ、右腕を押さえて何やら嘆き始めた。


「く…っ!くそ…!食べたい…のに…っ、また右腕が動かなくなった…!すまない、クリス…きのこを退かしてくれれば、動くと思うんだ…!」

「あら、それは大変ね。食べにくいだろうから、私が手伝ってあげるわ。ほら、口を開けなさい?あーーん」


 目の前には禍々しいきのこ。その奥には、クリスの白い肌——首元が広く開いているせいで、下着が顔を出していることに気づく。

 ジンの目が右往左往と泳ぎ始めるが、その理由を知るよしも無く、クリスは箸を彼の口に近づけてゆく。

 混乱した彼だったが、覚悟を決めてそれを口に含んだ。気分を悪くしながらも、ゆっくりと咀嚼する。

(あれ、意外とこれは…)


「どう?」

「…よく分からないが、これならなんとか食べられそうだ」

「だから言ったでしょ、大丈夫だって」


 今度こそ、クリスは本当の笑みを見せた。

 彼の新しい一面を知れた喜びで、心を満たす。

 今ではもう、彼にきのこを食べさせた箸が、自分の物だったということくらいでは動揺することは無かった。……と思ったのだが、それを使い始めた彼女は、ボンと音を立てて煙を噴き出してしまうのではないかというほどに、顔に高熱を帯びた。

(こ、ここここ、これって間接キス——⁉︎)


「どうしたんだ、クリス」

「な、なんでもないわよっ!」

(ジンはなんとも思っていないのかしら……)


 ちらりと彼の顔を見ても、何事も無かったかのように平然としている。気づいていても気にしていないのか、それとも気づいてすらいないのか。クリスは一人悶々とした。


 ・ ・ ・ ・


 カーテンを閉め、薄暗くした部屋の中。

 当然のように窓までも閉めているせいか、少しの熱気を感じる。

 鼻につくような甘い香りと、男の汗のような匂いが混じり合ったモノが部屋一面に立ち込める。

 そんな学生寮のとある一室のベッドで、素肌を重ね合わせた男女が、何やら言葉を交わしていた。


「ねぇ、シューヤがそんな真剣に考え事してるなんて珍しいね?私のこと、バディにしようと思ってくれてる?」

「前も言っただろう、俺はお前とバディを組む気は無い。俺には、まだまだ高みを目指す必要があるんだ。その為にルナ、お前には協力してもらうぞ」

「ふぅ〜ん……ま、私はシューヤと一緒に居れるなら、なんだって良いけどね〜」

「ふんっ、悪趣味なヤツだ」


 ルナと呼ばれる女が、指先でシューヤの素肌を優しくなぞる。

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