21話 魔窟の少年
「おはよう、ジンくん。調子はどうだい?」
医療室でジンは目を覚ました。
ここに来るのはこれで三度目になる。腕の痛みに耐えながら上半身を起こした彼に最初に挨拶をしたのは、いつも通りハルトだった。
(あのジャイアント・オーガと闘った後、俺はどうなったんだ…?)
「……そういえば、クリスは⁉︎他にもアキラとサラがあの魔窟に居たはずなんだ!」
「大怪我をしていた自分よりも他人の心配だなんて、きみは優しいんだね。安心して、彼らは何事も無かったようだから。今は自分の身体のことだけを考えていれば良いさ」
「良かった…」
三人の無事を聞いて、胸を撫で下ろす。
しかし、彼の頭に一つの疑問が浮かび上がった。
(ジャイアント・オーガはどうなったんだ…?戻ってきたクリスたちがやったのか?いや、それだと間に合わない。俺が気を失った直後にあの場に居たのは…)
そこに、険しい表情を浮かべたリリーがやって来る。どうやら彼女は、自分の指示のせいで生徒が怪我を負ってしまったことに責任感を抱いているようだ。
「……ジン・エストレア、気分はどうだ?」
「すみません、俺のせいで心配をかけてしまって」
「いいや、謝らなければならないのは私のほうだ。すまなかった!」
「頭を上げてください。ただの事故ですから」
「しかしだな…」
「先生に非はありませんよ」
「…そうか、そう言ってくれると助かる。……ところで、あのジャイアント・オーガを一人で倒せるとはいったいきみは何者なんだ?片腕だけでも骨が折れると言うのに、まさか両腕を斬り落としているとはな」
ジンは、その捻じ曲げられた事実に違和感を覚えた。自分が斬り落としたのは片腕だけのはずだった、と彼は必死に記憶を探る。
やはり、一番強く思い出すのは、自分が意識を失う直前、ジャイアント・オーガがとどめを刺す為に棍棒を振りかぶっている姿だった。
(あのとき俺は何もできなかった。もしかして、近くに誰かが隠れていたのか?)
「……多分、それは俺ではないですよ。確かに片腕は斬り落としましたが、もう片方は知りません。それに、俺は…俺は、あいつに負けたので」
「こんなときにまで謙遜する必要はないだろうに。今日はあの場所には誰も居なかったはずだが…?」
「……いえ、俺たち以外にも誰かが居ました。姿を見たのはサラだけですが、彼女がそう言っていました」
「ふむ…そうか、それは後で直接話を聞くとしよう。それにしても、一人でよく片腕だけでも持っていけたもんだ。学園長がご執心なのも分かる気がするよ。——おっと、これ以上の長居はお邪魔かな、私はこれで失礼するとしよう。……本当に、すまなかったな」
「元気そうじゃねぇか、ジン。クリスがずっとお前のことを心配してるもんだから、もっと酷いのかと思っていたんだが…」
リリーが去り、アキラが顔を出す。
足を怪我していたはずの彼だが、今ではもう一人で歩けるほどには回復しているようだった。
それに続いてサラやクリスが見舞いにやって来た。クリスの手には、いくつかの果物の入ったバスケットが握られている。本来はジンが目を覚ましたということに喜ぶはずが、何故か彼女だけは、表情を暗くしていた。
「ごめんなさい、やっぱりあのとき私が残っていれば…」
「俺が自分で言ったことだ、そんなに気にしないでくれ。それに、もうこんなにも回復してるんだ」
「魔力核の弱いあなたは、回復魔法の効きが悪いのよ?それなのに無理をさせてしまって…」
「俺は無事だ。それで良いじゃないか」
そこで彼の魔力核が弱いということを初めて知ったハルトは驚愕する。
「確かにジンくんは、治癒魔法での回復はかなり遅かったけれども…。ここに連れて来られたときには、実はもうほとんどが治っていたんだ。血の跡を拭き取っても傷口が見つからなくてね。よっぽど強い魔力核がないと、きみほどの自然治癒力は身につかないはずだよ…?」
クリスは、魔窟で血を流して倒れている彼を見つけたときの状態を知っていたので、それが医療室に連れて行くまでにほとんど治っていたという事実に疑念を抱いた。
「そんなはずは…」
(魔窟からここまでの数十分の間で治るような傷ではなかったはず…)
その事実を疑問に思うのはクリスだけでなく、ジン本人もそうだった。あれだけの傷が自然治癒などですぐに治るわけはない、と。
(魔窟に居た誰かが治してくれたのか…?)
「——そうだ、今日サラが見たというのはどんな人物だったんだ?」
「んーっと…小さい子だったかなぁ?髪は銀色で…そう、クリスちゃんみたいな感じ。剣は持ってなかったんだけども、大丈夫なのかな」
「それは何歳くらいに見えた?」
「十代前半くらいかな。そんなこと聞いてどうするの?」
「…いや、少し気になっただけだ」
ジンは再び何かを考え始めた。
そのような少年が、傷を負っているとはいえジャイアントオーガを一人で倒せるのか。それとも、昔の自分のように誰かの付き添いで居ただけで、他の者が代わりに倒したのか。謎は深まるばかりであった。
そうやって眉間にしわを寄せて思い悩むジンを容赦なく現実へと引き戻したのは、ハルトであった。
「ジンくん、体調が優れないようならまだここに居てもらって構わないけれども、きみはもう大丈夫なようだね。自分の部屋に戻るなら、そこに置いてある袋を持っていくと良いよ。今のきみには必要無いだろうけれど、替えの包帯を少し入れてあるから」
「助かるよ、ハルト。それじゃあ俺は、そろそろ戻るとしようかな」
ジンはベッドから出て、机の上に置かれた紙袋を手に取った。
こうして部屋を出ようとする彼を『本当に寝ていなくて大丈夫なの?』とサラが気にかける。その後に続いてクリスも部屋を出るが、アキラは一人、最後までその場に残っていた。
彼は、ハルトの机の上に置かれたケージのことが気になっていたようだ。
「なぁハルトって、そんなペット飼ってたか?」
「あぁ、最近ね。ハムスターのナクラーくんだよ。可愛いだろう?」
「確かに、案外悪くねぇもんだな…」
「今は小さいけれども、この子の秘めている可能性はとても大きいんだ。僕はナクラーくんの将来がとても楽しみだよ」
「はぁ…親バカってやつか…?まぁ、俺も動物は好きだからさ、また今度遊ばせてくれよ。それじゃあ、またな」
「うん、またね。いつか必ず、きみたちと遊ばせてあげるよ。必ず、ね」
部屋に一人となったハルトは、小さくため息をつき、ケージの中のナクラーを撫でる。
「笑えるよね、『動物が好き』だなんて。きみも僕と同じ気持ちなんじゃないかい、ナクラーくん。大丈夫、もう少しできみたちの理想の世界が作れそうだ——」
彼の瞳の奥に隠された感情は、とても深く、理解し難いものであった。