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アイ・アム・アイ

作者: ミント

 夜の街を、白いスポーツカーが駆ける。


 背後に迫る黒塗りの車たちは、スポーツカーに対し発砲を繰り返していた。だが白い車に乗った男は、涼しい顔で加速を続けている。ダークブロンドの髪をオールバッグにし、パリッとしたスーツを着こなした美男子。彼はサングラス越しにバックミラーを確認すると、大胆にハンドルを捌く。


 甲高いブレーキ音と共に、黒塗りの車たちがクラッシュした。耳をつんざくような爆発音と共に凄まじい爆炎が上がり、その勢いで白いスポーツカーは宙へ浮くと――勢いよくアスファルトへ叩きつけられた。

 傷だらけになった車からは、サングラスの男が這い出てくる。煤だらけになりながら、それでも男はそのまま平然と立ち上がった。




「――カット!」


 カチンコの音が鳴り響くと、消火器を手にしたスタッフが駆け寄り一斉に火を消し止める。


「よし! シーン五二『カーチェイス』撮影終了だ! アイのメンテナンスが終わったらすぐ次のシーンに取り掛かるぞ!」


 慌ただしく現場の人間が動いている間、サングラスの男は静かにスポーツカーから離れる。

 先ほどまで行っていた危険な運転は、車内に搭載されたそれを中心に複数のカメラでフィルムへと収められている。観客が手に汗握るような、派手なアクションシーンが撮影できれば彼の役割は終了なのだ。


「おい、アイ。大丈夫か?」


 そう語り掛け、サングラスの男へと駆け寄ってきたのは――体格、髪型、その他の身体的特徴が全てが運転手と同じ見た目の男。違うのは凛々しい顔立ちの中で、宝石のように輝く青い瞳をサングラスの男に向けている点だけだ。


「平気です。それよりアイザック様は、次の撮影に向けてスタンバイを」

「そうか……いつもありがとうな。けど、無理はするなよ」

「ご心配なく。私はそのためのロボットですから」

 アイと呼ばれた男は、青い目の男と同じ声でそう返してサングラスを外す。




 彼の目のあるべき場所には、眼球の代わりに黒いビー玉が嵌めこまれていた。




 二十二世紀。かつてはスタントマンやアクション俳優を使って撮影されていた映像作品は、その危険性や役者の安全面を考慮し「生身の人間を使うべきではない」と叫ばれるようになった。


 そうして実在の役者の代わりに登場したのが、アイのようなスタント・ロボット。俳優・女優とそっくりな姿をしたロボットを製造し、本物の役者に演じさせることのできない危険な撮影や派手な戦闘シーンを代わりに演じさせる。ロボットは痛みを感じない、破損しても修理すればいくらでも撮影をやり直すことができる。さらに出演作品の掛け持ち、スキャンダルが起きた時のアリバイ工作などスタント・ロボットの使い道は開発者の想像以上に広まっていった。中には出演作のほとんどがスタント・ロボットによるもので本人は優雅にバカンスへ出ているなんて俳優もいる。




 だが、アイザック・ワイルド――アイを「代役」として使っている俳優の彼はやたらとアイの世話を焼き、自らアイの修理を手掛けることすらあった。




 今だってわざわざ撮影現場にいなくても、アイに任せて自分の出番まで楽屋に引っ込んでいてもいいのだ。それでもアイザックは、アイを気にかけ痛覚のないその身を案じてくれる。


「私はスタント・ロボットです。例えどんなシーンであってもあなたの代わりを務めることができます。なのになぜ、あなたは私にそこまでしてくれるのですか?」

「そう言われたって、君は俺の代わりに危険な撮影をやってくれるし見た目もほとんど俺と同じなんだから……ほっといてくれって言われても。無理な話だよ」


「私に怪我や事故の心配はありません。仮に活動不能に陥ったとしても、別のロボットが用意されるので心配無用です」

「うーん、そういう問題じゃないんだよ……例え俺と同じ姿のロボットがまた出たとしても、それはアイとまた違うんだ。見た目がどんなに同じでも、そっくりな性能を持っていても違う……代わりになることはできないんだ」


 アイザックのその回答を、アイに理解することはできなかった。


 アイはアイザックの代わりをやるために作られたロボットだ。ロボットは人間の代わりを務める、人間にできないことをやる。ロボットとはそもそも、そういう存在なのだ。


「アイザック、次は私の出番よ、アイと一緒に、ちゃんと見ていてちょうだい」


 アイとアイザック、一体と一人の間に割って入ってきたのはブロンドの女性だ。ぱっちりとした二重に、鼻筋の通った華やかな美女。深紅のドレスに身を包んだ彼女は今、撮影しているアイザック主演の映画のヒロインを演じている。素顔の美しさが際立つよう、ナチュラルメイクで仕上げたその美しい唇をそっとアイザックの耳に寄せる。それから何事か囁くと、アイザックと共に頬を赤らめた。


 この女優がアイザックと恋仲であるのは、芸能界では周知の事実だ。


 一部の出版社やパパラッチは「人気俳優アイザックと名女優ローズの熱愛報道」の情報を嗅ぎ付けてはいるが、アイが代役を務める機会が多いこともあってか決定的な一枚はまだ撮られていない。もっとも、報道されたところで二人には大したダメージにならないだろう。互いに世間からの好感度も高く、役者としてのキャリアもしっかりとした二人だ。仮に明日、結婚報道が出た所で祝福の声しか上がらない。


「アイザックさん、出番です! 準備をお願いします!」


 スタッフの一人に呼ばれ、アイザックがその場を立ち去る。その後ろ姿に熱っぽい視線を送るローズは、黒いガラスの目でじっとその様子を眺めているアイに気がつきはっとしたように苦笑してみせる。


「ごめんなさいね、でもいつもありがとう。私もあなたには、感謝しているわ」

「問題ありません。私は最初から、アイザック様の代わりになるために作られたロボットですから」

「でもアイザックは、あなたのことをとても大切にしているわ。自分は一人っ子だから、まるで弟を見ているみたいだって……サングラスで目を隠していると、私もあなたがアイザックみたいに見えてくるのよ」


 そう言われても、アイは返答に困る。




 アイは最初から、アイザックの代わりを演じるために作られたロボットだ。機械の体は目元以外の外見を、極限までアイザックに近づけている。しかし、それがなぜアイザックの感情移入やローズの恋愛感情の延長へと繋がるというのだろう?


 アイの機械の体は血も汗も、涙も流すことはない。。どんな攻撃を受けても痛みを感じることないし、簡単に壊れることのないよう頑丈にも作られている。ナイフを突き刺されようと、車に体を潰されようと、全身火だるまになろうと、修理・交換することができる気楽な代物なのだ。


 そんなロボットである自分を、なぜアイザックやローズはまるで人間を相手にしているかのように接してくれるのだろうか?


 いくら考えてもその答えはわからない。合理的な判断も、論理歴な思考も意味をなさない。ただ最低限、アイザックの真似事ができるに過ぎないアイにとってアイザックやローズの考えていることは何一つわからなかった。




 映画の撮影は、アイザックとアイが上手く交代しながら問題なく進行していた。


 その日は珍しく、アイザックが映画の宣伝のためにテレビ番組へ出演していたためアイは単身で危険なシーンに臨んでいた。今日、演じるのは「主人公がホテルの十三階から突き落とされ、外に駐車されていた車のルーフに背中から落下する」というシーン。今回は複数のカメラ付きドローンを使っているため、ロケ地も大々的に貸し切って行われている。


 アイはアイザックが「念のために」と持たせた防弾チョッキを仕方なく身に着ける。体に穴が空いても支障はない、高所からの落下もアイにとっては何の問題もなかった。

 しかしそんなアイの撮影風景を、手の空いたローズが見守っていて……やはり、大したダメージのないアイに対して気づかわし気に声をかける。


「大丈夫? 傷はできてないかしら、もしできていたら後から来たアイザックに修理してもらわないと……」

「平気です、大丈夫です」


 心配そうなローズに対し、アイはひたすらそう繰り返す。




 その時――一人のスタッフがひどく慌てた様子で、撮影現場に飛び込んできた。




「大変です! アイザックさんがこのロケ場所へ移動中、交通事故に巻き込まれました 集中医療室で治療中らしいですが、意識不明の重態だそうです!」




 人気俳優アイザック・ワイルドの突然の死は、あっという間に世間へと広まった。


 多くの人々が彼の死を悼み、葬式には多数の著名人が呼ばれ、誰もが若く優秀な俳優の死を本気で悲しんでいた。しかし、その一方で混乱する現場もあった。アイザックが主演、ローズがヒロインを演じていたあの映画のスタッフたちだ。


 葬儀には参列したものの、終わった直後に彼らは緊急会議を開く。


 そこには喪服を着たまま、まだ泣き止むことのできないローズや「アイザックと同じ見た目をしているロボットが、葬儀に参列したら弔問客が驚くから」という理由で参加しなかったアイもいた。未だアイザックの死を受け入れられない、ショックを引きずっている彼らを前に監督が苛立たし気に声をぶつける。


「今回の映画はスポンサーに大手自動車メーカーが並んでいる! 広告費だってかなりかけた! なのに、主演俳優が死んだだと!? これから先、この映画を一体どうすればいいって言うんだ……!」


 もはや八つ当たりに近い監督の怒号に、スタッフたちは顔を見合わせる。




 既にアイザックやアイを使用して映画全体の半分は撮影終了している。シナリオやセットだって既に用意されているのだ。その全てをお蔵入りするとなれば、かなりの損害になるだろう。


 何としてでも映画は完成さえなければならない。しかし主役が死亡した今、映画をどうすればいいというのか……そんな時、監督と一緒になって頭を抱えていたプロデューサーがアイの姿を見てぱっと何か閃いたような顔をする。


「監督! 撮影の終わっていないシーンをアイにやらせるのはどうだ!?」


 その言葉に、監督もディレクターも一斉に目を見開く。


 だがプロデューサーは止まらない。アイに近づき、その場にいる人間全員の目をサングラスをかけたアイに集め改めて自らの「提案」を声高に主張し始める。


「アイザックで撮ったシーンはなるべくそのまま使って、撮影の終わっていない部分はシナリオや演出を一部変更して『サングラスをしたアイ』にやらせるんだ。そうすれば多少の違和感は残るかもしれないが映画をお蔵入りさせる必要はなくなるし、観客には『事故の直前に映画の製作は終わっていた』と説明すれば名優アイザック・ワイルドの遺作として話題を呼ぶこともできる! そうすればこの映画は、話題沸騰で大ヒット間違いなしだ!!」


 プロデューサーの言葉に、スタッフたちはそれぞれ複雑な反応を見せる。


 渋い顔のカメラマン、「確かに……あのシーンをこうすれば……」と既にプロデューサーの提案を飲み込む気でいる脚本家、悲しみ冷めやらぬまま呆然としているローズ。だが、最終的にスタッフたちをぐるりと見まわした監督が重々しく口を開く。


「そうだ、そうするしかない」


 アイに集まっていた視線が、今度は監督へと注がれる。アイもまた、サングラスの下にある黒い目を監督へと向けた。監督はそんなアイの、サングラスの下にある黒い目を見つめながらぐっと拳を握る。


「アイザックには映画でもドラマでも、何度も主演を頼んできた。その度によく言ってたもんだ、『自分が演じたキャラクターは、何があっても最後まで演じ切りたい』と……今回の映画が消されて、なかったことになるのはアイザックが俳優として生きた証が一つ減ってしまうことになる」


 だから今回の映画は、アイザックの遺志を継いで「最後の映画」として完成させてあげたい。


 そう語る監督はアイに向き直り、じっとサングラスの下にある目を見つめる。後は、アイがこの場にいる人間たちのその「命令」を聞けるかどうかだ。


 だがアイは、アイザックの代わりになるため作られたロボット。例えそれがどのようなシーンであっても、「アイザック・ワイルドの代わりを演じろ」というのであればそれを遂行するにすぎない。


「次はどのシーンを演じるのですか」


 そう尋ねたアイに、スタッフの一人が慌てて台本を渡してきた。




 その日から映画製作現場は、大急ぎでアイザックが演じるはずだったシーンをアイによる撮影に書き換えた。


「シナリオの順番を変えよう。アイザックの顔が映ったシーンを、不自然にならないよう繋げるん」

「新聞を読むシーンはカットだ、代わりに共演者のセリフで状況を説明をしよう」

「カメラワークとアングルを全体的に見直す。アイの背中や口元、背景や別の役者を映すようにしてアイが演じているとバレないようにするんだ」


 二転三転し、役者もスタッフもさんざん振り回されることとなった。だが渦中にいるアイは別に、何とも思わず淡々とアイザックの代役をこなしていた。


 登場頻度が増えたところで、「アイがアイザックの代わりに役柄を演じる」という任務は変わらない。ただ、出番が――今まで演じたことのなかった他の出演者との会話、道を歩く姿や食事シーンといった日常的な光景を演じる機会が増えただけ。


 アイにとってはいつも通り、アイザックの代役という使命を果たしているにすぎないのだ。




 だが――そんな状況下で特に取り乱し、まともに撮影もできないほどとなっている人物がいた。




「あ……『あんまり待たせないでちょうだいね……私……』私……」


 そこでローズは、堪えきれずにアイから目を逸らしその場に泣き崩れる。そんなローズに監督は「カット!」と叫び、容赦なく怒鳴り散らした。


「ローズ、これで何回目だ? 君の気持ちはわかる、だが困るんだ! このシーンは君の表情だけで、全てをの心情を語らなければいけない! 君も女優なら、私情を捨ててヒロインになりきるぐらいのことはしてくれ!!」


 苛立たし気に叫ぶ監督、だがローズはそれでも涙を抑えることができず、「ごめんなさい、ごめんなさい……」と謝ることしかできない。




 今、アイとローズが演じているのは主人公とヒロインの別れのシーン。


 アイザック演じる主人公は、最終決戦へ向かう前にヒロインへ別れの言葉を告げに行く。詳しい事情は知らされていないものの、その眼差しから並々ならぬ決意を感じたヒロインは気取って「あんまり待たせないでちょうだいね。私、待つの大嫌いだから」と微笑む。


 しかし――重要なのは、ヒロインの表情の変化だ。


 最初は主人公の悲壮な決意を感じ、不安を滲ませる。

 彼はもう二度と帰ってこないのではないか、どこか手の届かない場所へ行ってしまうのではないか。その恐怖に蝕まれ、思わず主人公を引き留めようとするヒロインだが彼女は瞬時に察した。自分にできることは何もない、きっと何を言っても彼を止めることはできない……それでも主人公が、最後の最後にヒロインへ会いに来たという事実によって彼女は自らを奮い立たせる。主人公の覚悟。共に育んできた時間と愛情。その積み重ねが「彼を信じて待つ」という選択肢を生み出し、ヒロインはせめてとびきり美しい笑みを主人公に見せようとする。


 アイザックの青い目を真っすぐに見つめ、彼に迷いを気取らせぬようやや高飛車に――ヒロインはとびきりチャーミングな笑顔で主人公を見送る。それがこの映画のヒロインにとって最大の、そして最後の愛情表現なのである。




 だが――今のローズはそんなヒロインを演じることができなかった。




 ローズの愛したアイザックは、もうこの世にいない。彼の存在は永遠に失われたのだ。今、ローズの目の前にいるアイは「アイザックの代わり」を務めるためのロボットでしかないのだ。あの青い瞳でローズを見つめてくることも、その温かい眼差しと共に愛を囁いてくれることも二度とない。


 アイがどれだけアイザックと同じような姿をしていても、アイは「アイ」という名前のロボットでしかない。アイはアイザックの代わりを務める存在だが、アイザックは誰にも代えられないローズの最愛の人だったのだ。


「少し……少し休憩させてください」


 ローズの涙ながらの嘆願に、監督たちは顔を見合わせると――「十五分だ」と指示するのだった。




「ダメよ、アイはアイザックじゃない。アイは、アイなのよ」


 ローズは隣に座るアイに向かって、嗚咽交じりにそう語り掛ける。


「アイはアイザックの代わりにたくさんの危険な場面を演じてくれた。今だってそう、きっとアイザックもあなたには感謝している……けれどあなたは、アイザックじゃない。だってあなたは『アイザックの代わり』をやるロボットであって、アイザックではないもの……」


 憔悴したように話すローズに、アイはサングラス越しの目を向けることしかできない。


 アイには、アイザックの持っていた青い瞳がない。アイがどれだけアイザックに似ていても、ローズに愛を囁いたアイザックに成り代わることはできないのだ。


 スタント・ロボットとして製造されたアイは、その事実を誰より深く理解している。それがロボットの正しい職務であり、自分に課せられた使命であるからだ。アイだけではない、ロボットは全員そう思っているだろう。




 だが――そうとわかっているからこそアイは今回の映画を演じ切らなければならない。




「この撮影は、私の最後の仕事となるでしょう」


 アイは淡々とした口調で、傍に座るローズに口を開く。


「私はアイザック様の代わりになるため、作られたロボットです。だからアイザック様がいなくなったら私もいらなくなる。よって、今回の撮影が終わったら私のロボットとしての役目は終了となります」


「……それならあなたは、これからどうするの」


 子どものようにしゃくり上げながら、それでもローズはそう尋ねる。だがアイはローズの方を見ることなく、何の感情も込められていないような声音で話を続ける。


「需要があれば、別の役者のロボットに作り替えられるでしょう。それができないならば、分解されて部品だけになるか……いずれにせよ私は、『アイザック・ワイルドの代わりを演じるロボット・アイ』ではなくなります」


 それを聞いたローズは、目を見開きじっくりとアイを見つめる。




 アイザックの姿を模した、アイ。アイザックの代わりをやるため、極限まで見た目を似せたアイ。それが多数の工具によってバラバラにされ、跡形もなく消え去ってしまう――そんな想像をするとローズは思わず「アイ……」と呼び掛けていた。


「……できるだけ、アイザック様の目を再現しましょうか?」


 アイがそう告げたかと思えば、サングラスを外す。

 アイの目元には、今までの黒いビー玉の眼球ではなく――映画ポスターから切り取ったであろう、アイザックの写真の目の部分が貼りつけられていた。


「ア、アイ、あなた……」


 アイザックそっくりのロボットに、無理やり貼り付けられたアイザックの写真の目元。紙製のそれはテープで軽く貼られただけなのか、顔の凹凸からのっぺりと浮いている。そんなアイの姿はどこかおぞましく、グロテスクで不気味なものすら感じたが――それゆえにローズは、これ以上ないほど現実を突きつけられた。




 アイはあくまで「アイザックの代わりをするために作られたロボット」であって、アイザックになれるわけではない。どれだけその見た目や声、動きをアイザックに近寄せてもアイは「アイザックの代替品」でしかないのだ。


 だが、その元となるアイザックが亡くなった今――アイは「俳優アイザック・ワイルドの代わりを務めるためのスタント・ロボット」としての存在価値を失う。「アイザックの代役」であるアイが、アイですらなくなってしまうのだ。


「ローズ様、私はアイザック様の代役をするためだけに作られた、スタント・ロボットのアイです。だから私は、何としてでも今回の映画で最後までアイザック様の代わりを務めなければならない……それが私の、『アイ』の最後の任務なのです」


 アイはアイザックの青い目を貼り付けたまま、ローズを真っすぐに見据える。




 その瞬間、ローズは確かにアイザックの記憶を呼び起こされた。




 アイはしきりに「自分はアイザックの代わりをやるだけのロボット」と零していたが、アイザックはそれに「でも俺にはアイが必要なんだ」と返していた。自分と同じ姿をしているだけの、ただのロボット。それでもアイザックはアイを単なるロボット――道具や分身以上の存在として扱っていた。痛みを感じないはずの体に傷ができると悲しみ、流れていないはずの血が出ていないかと心配し……ローズはそんな、心優しアイザックを愛しアイザックもまたローズを確かに愛してくれたのだ。


「……ありがとう、アイ。私、次こそ撮影成功させるわ」


 そう宣言したローズは、確かにアイの目を――写真に写ったアイザックの目を見つめながら、なんとかはにかんでみせるのだった。




 撮影が再開されると、誰もが「大女優ローズの名は伊達ではない」と息を飲んだ。


「『あんまり待たせないでちょうだいね。私、待つの大嫌いだから……』」


 これから自分たちに降りかかるであろう悲劇と、それを食い止めることができない無力感。それをぱっちりとした二重の目で表した後、一度アイから視線を逸らし目線の動きで逡巡を露わにする。やがて目を瞑り、顔をほんの少し顰めると――ぱっと顔を上げ、自らの美貌が最大限際立つような笑顔を見せた。


 撮影の成功を確認すると、監督は再び「カット!」とローズに声をかける。しかしその声音はもう、満足げでどこか安心したようなものに変わっていた。




「クランクアップ! 皆さん、お疲れさまでした!」

 助監督の一人がクラッカーを鳴らす。


 スタッフや演者たちが、ガヤガヤと話しながら撮影終了を祝っている中。アイは忘れ去られたように壁に背を預け、佇んでいた。


「ねぇ、アイ……これからのあなたのことなんだけど……」


 たくさんのスタッフや共演者に囲まれていた中から、這い出るようにアイの方へ近寄ってきたローズはそう尋ねる。だがアイの返答はそっけないものだ。


「前と同じです。とりあえず製造工場に戻って、別のロボットに作り直されるかスクラップにされるか。アイザック様の代役は務め切ったので、私としてはそれで十分です。だからも、ローズ様と会うことも……」


「あの、その話なんだけど……もし良かったら、私がロボットとしてのあなたを買い取る、ってことはできないかしら」


 ローズの突然の提案に、アイは首を傾げる。


「その、あの、あなたはロボットだけど、今までアイザックの代わりに色んなシーンをやってくれたしアイザックもあなたのことをとても大切にしていたから……ここでサヨナラしたら、死んでしまったアイザックと私の繋がりが本当に消えてしまうと思うも。もちろん、これは私のエゴであなたが嫌だと言うなら否定はしないわ。ただ、どうかなと思って……」


 ローズの言葉に、アイは久しぶりに「理解不能」の文字を頭に浮かべた。


「死んだアイザック様と同じ容姿の私が外を出歩いたら、世間は大混乱に陥ります。そもそも私にできることは『アイザック様の代わりに危険な撮影やアイザック様のできないような行動をすること』であって、ローズ様のお役に立てるようなことなど何も……」


「わかってる。けど……今回の撮影を通して、思ったの。あなたはアイザックじゃない、アイはアイ。だけど、アイザックはあなたのことをとても大事にしていた。きっと、アイの代わりは他のロボットにできない……だからアイザック、あなたを大切にしていたんだと思う」




 だったら私も、アイザックが大切にしていたあなたを大事に守り続けていきたい。




 言い終えたローズは、アイの目をじっと見つめる。今日のアイはサングラスをしているが、その下にポスターから切り取ったアイザックの目の写真は貼り付けていない。


 だが――ローズは確かに、サングラスの下にあるアイの目を見つめている気がした。


「……アイザック様がローズ様にやっていたこと、ローズ様にやってあげたかったであろうこと。できるだけやろうと思います。私は、アイザック・ワイルドの代役をするために作られたスタント・ロボットなので」


 アイの口調はどこまでも淡白で、何を考えているかわからないようにも見える。




 だが、アイの内部に搭載された人工知能はアイザックの記憶を引っ張り出し――それから彼もまた、アイザックと共に過ごした日々を思い出しながらどこか温かい気持ちに包まれるような気がしたのだった。


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[良い点] ロボットに信頼を置く俳優と女優、そして身に降りかかる悲劇。 ローズの苦悩と再起が美しく、上質な洋画を観るような心持ちで楽しむことができました。
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