2句目から始める、俳諧生活。
2024年 2月21日投稿開始。
次回は、気まぐれに
如月や 家屋の松は 陽に餓えず
(きさらぎや かおくのまつは ひにうえず)
これは、俳句を作ってみようと思い立った人生の2句目。
先にあったのは、「陽に飢えず」というフレーズ。
俳句の入門の本を読んでいて、まずは作ってみたい気持ちから、季語を無視したものを作りたいなあと思った。
だが、俳句を通じて、学んだり、触れたいのは、この世の過去から来る物事の連なりだった。
そこで思い直して、季語をどうするか考えた。
家のトイレに掛けた旧暦のカレンダーに「如月」と、この2月の暦が書かれていた。
これでいいかなと思った。
思ったあと、右往左往とまた季語の必要性を考えていたら、この如月という感覚が新暦の今の環境には馴染めない物で、まして、わたしの住む北の地方は、本州の季節感とは暦が遅い。その内地的な中央集権による画一的されたものへの違和感がまず、心にあり。それはまず、私の俳諧(徘徊)を始める上では大切な感覚になるだろうと踏んだ。
松は、家の茶の間のミニ盆栽のカラ松。今日の外は晴れた冬の日だが、外が晴れようが、雪が降ろうが、春を先走ったかのような天候だろうが、「季節」を問わず、淡々としている。その様子が、「如月」という暦から浮いた、まるで北の地に住む自分の体内カレンダーと合っていると思った。
「餓えず」は、「飢えず」としても良かったが、「餓えず」に「我」という字が入っていることが、自己投射的な感覚に適っていると判断した。
「茶の間」ではなく、「家屋」を選んだ理由は、茶の間だと滑稽が行き過ぎるように思った。できれば、カラマツと掛け合わせたような表現にしたかったが、それはやり過ぎている。
僕の代表作は、
恋した瞬間、世界が終わる -地上の上から-
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