銀縁眼鏡の壁
――驚いた? そう、僕だよ。
まっすぐ私を見据えてそう言っているコンラート殿下の顔を……!
言っている。絶対に言っている!
前世で散々見た表情だからわかる。
あれは「してやったりで満足」の顔だ!!
「う……美しい……生の微笑みが……神だわ……」
そんなエリザベスさまの呟きが隣から聞こえてきたような気がしたが、私はそれどころではない。
ゾクッとしたのはその声に聞き覚えがあったから。
あれは微笑みなんかじゃないのを知っているのは、前世で散々見ているから!
なぜ……?
私は目を剥いてコンラート王太子殿下を凝視したが、コンラート殿下はとても上機嫌そうに微笑むばかりだった。
その後私たちは王家の方々に一人ずつ形ばかりの挨拶をしたあと、王さまの、
「では、みなコンラートと仲良くしてやってください。あなたたちの誰が王太子妃になっても我々は歓迎するよ。なんなら全員うちの息子の嫁にほしいくらいだ!」
というお言葉をいただいてから謁見の間を辞した。
表面上はしずしずと下がったが、正直、私は困惑で頭が混乱したままだ。
「生まれ変わっても、また一緒になろう」
そう言って泣いていたあの人は、たしかに魔術師だった。
けっして王太子どころか王族でもなかった。
なのに。
どうして。
いやそれより待って?
私はあの時、なんて返事をしたっけ…………?
あれは、私のいまわの際の場面だ。
私の死を察して彼は泣いていて、そしてあの言葉を言った。
私の前世の最後の記憶。
いつもは飄々としていた人が、初めて号泣していることに内心驚いたっけ。
でも、その言葉に私はどう答えたのか覚えていない。
いや、答えられたのかさえも。
「コンラート殿下がお優しそうな方で安心しました……!」
そう言ってエレナさまは喜んでいた。
「あの服の下、なかなかの筋肉よ! なんて素晴らしい体躯。これはぜひとも訓練しているところを見学させていただかなければ……!」
とフローレンスさまも喜んでいた。
「五人の女性に対して完全に平等に扱ってくださいましたわね。色目をつかったり早速お気に入りを見定めようとしないあたり、誠実な方のようにお見受けしましたわ」
とアマリアさまが認め、
「ああ神に感謝します! こんなに間近に殿下を拝見できるなんて!! どんな絵姿よりも本物の方がやっぱりはるかに美しかった! ああ、あのご尊顔を間近に拝見する人生を送りたい」
とエリザベスさまが驚喜していた。が。
「エスニアさま? どうかなさったの?」
そう心配して聞いてくれるエレナさまに私は曖昧な笑みを浮かべて、「いえ別に」と誤魔化したけれど、私が全く喜んでいないことは他の人たちも感じていただろう。
だって完全に想定外で、どうしていいのかわからないのだもの。
あれはたんなる過去の記憶であり、今世はちゃんと新しい人生を築くつもりだった。
新しい立場で、新しい人生を、新しい伴侶と一緒に。
それに前世だって別にお互いに恋して一緒になったわけではない。
でもしばらく一緒に暮らしていた記憶のせいで、それなりに情もあるわけで。
それが、目の前に現れた?
しかも王太子だと?
いや、でも、私は今世はのんびりだらだらした新しい人生を送ると決めているのよ。
王太子妃になんてなる気は微塵もないの。
まあ、あの人がまた私と一緒になりたいと思っているかはわからないが。
でも、また今世もあの人と一緒にあくせく必死に働く人生じゃなくてもいいと思うの……!
そんなの前世と何にも変わらないじゃないか。
せっかく生まれ変わったというのに、また同じ人と同じ人生とかどうなの。
新鮮味もなにもない。
むしろ責任と立場だけが前よりはるかに重いなんて悲しいだけだ。
うん。
だから彼は彼で今世が王太子なら、王太子として王太子妃に相応しい人と幸せになってください。
過去なんて関係ない。きっと。
まあ、あっちにも過去の記憶があるかはわからないし、なんならとてもよく似た他人であるという可能性もまだある。
大丈夫大丈夫……たぶん。
「エスニア嬢、どうかしましたか? 何か心配事でも?」
しかしそう気取った笑顔で白々しく聞いてくる王太子という存在は、本当に本当に厄介である。
なにしろ相手は王太子なので、何も反抗どころか反論も暴言もできない。
謁見の後に私たちが言われたのは、王太子と「神託の乙女」との付き合いには一定の制約があり、しばらくの間は一対一で会ったり話したりは出来ないという話だった。
「まさか抜け駆けするようなお嬢様はいらっしゃらないとは思いますが」
そんな余計な一言を付け加えつつ、これからの王太子殿下との綿密な交際スケジュールを伝えてきたのはマザラン公爵家嫡子で王太子殿下の側近だというアルベインさまである。
分厚い銀縁眼鏡ばかりが目立つ、まさしく真面目一辺倒といった感じの人だ。
アルベインさまはどうやら王太子と「神託の乙女」との付き合いを管理することになっているらしく、自分の目を盗んで王太子殿下に勝手に会おうなど、絶対にさせないぞという気迫に満ち満ちていた。
おかげで毎日、私たちはアルベインさまの指示する場所、指示する時間に王太子殿下と一対五で交流する以外は王太子殿下に接触することが出来なかった。
つまり、コンラート殿下にこっそりと接触して「もしや前世の記憶がおありで? どこまで覚えてる?」という確認が出来ないということだ……!
まさか他の人がいる前で、「もしやあなたは前世の私の夫ですか?」なんて言うわけにはいかない。
我ながら下手したら不敬罪にも問われかねないレベルの発言だという自覚はある。
少なくともこの後結婚相手を探さなければならないのに周りに「頭がおかしい」と思われるわけにはいかない。
なので。
「いえ別に……。今日はいいお天気ですわね……ほほほ……」
私は据わった目で王太子をちろりと眺めてから、やはり白々しくそう答える以外に何もできなかった。
だけれど私はここ数日の交流の中で、そろそろ確信していた。
この人にも、やはり前世の記憶があるのだと。