新たな願い
そう言って、ちらりとコンラート殿下の方を見るイモジェン。
うん、ここは貴族の当然の対応として、「それでは私がご案内しましょうか?」と殿下が言う流れ。
なかなか強気ではあるが社交界では普通に令嬢たちが繰り出す会話術なのだろう。
だが。
「それでは温室はアルベインに案内させましょう。アルベイン、このお嬢さんにここを案内して差し上げて。私はエスニア嬢に付き添うから」
そう言った後私の顎に手をかけて私を仰向かせ、「大丈夫かい?」などと甘く言ってくるこの男は誰だ。
記憶の中の夫と同じ顔なのに、完璧王太子の仮面を被って甘い言葉を吐くとこんなに破壊力があるのかと私はおののいた。
知っているけど、知らない人。
目をみはって驚く私を見て殿下はクスッと笑うと、そのまま有無を言わさず私の腰を抱いてほぼ強制的に部屋へと連行されてしまった私だった。
私にあてがわれた部屋には寝室と客間がある。
その客間に入ってドアを閉めると、私は殿下を見ながら言った。
「イモジェンの攻撃をよくかわしたわね。妙に慣れているようで驚きましたわ」
なにしろ魔術バカだった前世では、きっとおろおろとしていただろうから。
すると二人きりなのに完璧仮面のままのコンラート殿下は言った。
「生まれた時から王太子だったからね。今まで数多の令嬢たちに囲まれてきた結果自然に身についた。ああいうタイプはわかりやすいし、避けやすい」
「あなたも苦労してきたのね……」
余裕の笑みで笑うその姿は前世のままなのに。
「しかし彼女のせいで温室での続きはここでになってしまった。雰囲気は今ひとつだが、ではエスニア嬢……」
「まって。ここで? 続きって何を? しようと!?」
私は後ずさった。
なにしろ今、コンラート殿下は跪こうとしている。
そして手を差し出してきた。
「私の願いを聞いて欲しい」
「いやです。王太子妃にはなりません。私は毎日朝寝して昼寝もして、好きなだけ食べて、好きなことだけして好きな時に寝たいの!」
王太子妃になったら、きっとその全部に監視や使用人の目がついて、しかも「好きな時に」は公務があったら叶わない。
もう時間に縛られて、成果を期待されて、少しでも空いたらそこに仕事を突っ込まれるのはいやなの!
私はぐーたらしたいのよ……!
「必ずとは言えないが、できるだけ叶うようにしよう。何でも言ってくれ」
「じゃあもう一つ。私は魔術の勉強を続けたいの。王太子妃になったらきっとできない」
この人の研究室を見てからずっとぼんやり思っていたことを、とうとう言った。
あの研究室は素晴らしかった。
肩書きなんていらない。
あの研究室にずっといたいという思いが日々強くなっている。
やっぱり私、魔術が好きだったんだよ……。
「一緒にやろう」
「いやいっそ、あの研究室付きで雇ってほしい。私いい助手になるわよ?」
完璧王太子の仮面のまま目が点になった顔というのを、初めて見た気がするが。
「助手なんかいらない。君がずっと僕と一緒にいてくれて、僕の研究を一緒にしてくれて、毎日僕に笑ってくれさえすればそれでいい。それではダメかい?」
私が彼の手をとらないと諦めたのか、立ち上がったコンラート殿下はずいっと私に近づいて言った。
「でも、アマリアさまは? 彼女の方がずっと今のあなたに相応しいじゃない。私はあの研究室で雇ってくれて、そこそこいいお給料が貰えれば、一生独身でもかまわない。それでもきっと幸せになれる。だから……」
もしもあそこに毎日通えるなら、好きな時に昼寝をするのは休日だけにしてもいい。
そうまで思える夢を、私は見つけてしまった。
私は魔術を復興したい。
この国の人たちが、ほんの簡単な魔術でもいい、使えるようになったら素敵じゃないか……。
「結婚してくれたらあの研究室は君にあげてもいい」
「ほんとに?」
いやちょっとグラついた自分に驚いた。
でも、ほんとに?
思わず目を剥いて逡巡し始めた私を見て、コンラート殿下がくすりと笑った。
「本当に。そこに毎日ずっといてもいい」
「ほんとうに!?」
「もちろん僕もいるけどね」
「それはダメでしょう。王太子のくせに」
現実に戻った。
そうだよ。いくらこの人がいいと言っても、王太子妃になんかなったら、現実は入り浸るなんてできないんだ……!
「あそこは今、私の一番大切にしている場所です。それでもそれをあなたが望むなら、私は喜んであなたに捧げましょう」
こういうときに完璧王太子の仮面はズルいよね。
外面は今までは外にしか向けていなかったから知らなかった。
まさかこんなに魅力的になるとは。
知っている顔なのに知らない人みたいになるのはズルい。
私は、この外面に騙されてほいほいとほだされていたかつての師匠や貴族たちの気持ちがやっとわかった。
この顔で、少し潤んだ目で真剣に見つめられると、こんなに動揺するものなのね?
両手で顔を包まれてから見つめられると、こんな気持ちになるものなのね……?
コンラート殿下の顔が静かに近づいた。
コンコンコンコン。
「お姉さま~~? 起きていらっしゃる? 私、お見舞いに来ましたの!」
それはイモジェンの声だった。
「あの……」
顔を押さえられていて動かせない私は、目だけ扉の方に向けて迷った。
開けるべき? それとも?
「放っておけばいい。そのうち諦めてどこかに行くだろう」
また、小首をかしげてコンラート殿下は言った。しかし。
コンコンコンコン!
「おねえさまーー!? 早く開けて! 私をのけ者にするなんて酷いじゃない! 姉さまだけ殿下と一緒なんて、そんなのズルいわ! そんなに殿下を独り占めしたいの!?」
しばらく待っていても一向に諦める気配はなかった。
「あの子は、放っておくともっと騒ぐかも……」
なにしろ家では好き勝手、我が儘三昧だったのだ。
まさか自分がないがしろにされるなんて絶対に許せないだろう。
「くそっ」
そう言うとコンラート殿下は、ガチャリと客間の鍵を開け、少しだけ扉を開けて言った。




