温室で
「まって……私は承諾してない…………」
だって、承諾したら王太子妃よ?
一生公僕として働き通しの人生よ?
そうそう気軽に決められるものじゃないよね?
でも……まさかこの人が私を好きだったなんて……。
「君が僕を愛していないのは知っていた。でも僕は反省したんだ。どうして前世であんなに君との再会に執着したのかと考えた時、僕は君に誤解されたままだからだと悟った。前世では君を独占していることに満足して君に愛を伝えていなかったし、君に愛してもらう努力もしていなかったからだと」
彼の息が私の唇にかかって、それが妙に熱く感じた。
なぜか私の顔まで熱くなっている気がする。
「だから僕は、今度はちゃんと君に愛されたいと思っている。ちゃんと僕の気持ちを伝えて、ちゃんとお互いに愛し合う夫婦になりたいんだ」
そう言うと彼は、名残惜しそうに顔をそらして、ちゅっと私の頬に口づけをした。
彼の唇と体の熱を感じて、私は何も考えられなくなった。
「えぇ…………初耳なんですけど………………」
驚いて混乱していた私は、その後は何も言えずに茫然としていたと思う。
後から私が思い出せたのは、言っていた彼の言葉と、抱きしめられた時に嗅いだ彼の匂いが昔と同じだなと思ったことだけだ。
それからは、なんだかあからさまにコンラート殿下がやってくるようになってしまった。
もう今までそれを止めていたらしいアルベインさまもいない。
そう、誰にも止められない。
「王宮の庭にある温室の花が今見頃らしいのでよかったら」
そんな誘いをする人だった?
薬草にもならない花とか、そんなに興味なかったよね?
アマリアさまはにやにやしながら「行ってらっしゃい」と言うばかり。
でもアマリアさまにもお誘いがあるよね?
と思ったら。
「一応誘ってはくださるわねえ。でも、それを言うなら他の方もお誘いがあるし。そこは最終決定するまで配慮があるみたいよね。でも明らかにエスニアさまへのお誘いが多くなったわねえ」
「気のせい。きっと気のせい」
とはいえ王太子殿下のお誘いを断る権利はこちらにはない。
なにしろそのために私たちは王宮に滞在しているのだから。
「神託の乙女」たち、汝王太子と交流すべし。
ということで。
王宮の庭にある巨大温室の中で、咲き誇る様々な花や木に囲まれて私のすることといえば。
「ですから、私には王太子妃なんていう大役は荷が重いのです。なんで二度もあなたと結婚してあくせく働かなくてはいけないのか」
「大丈夫。僕が支えるし守る。前の人生も仲良くやっていたじゃないか。楽しかっただろう?」
「私はせっかく貴族に生まれて神託の乙女にもなって、さあこれから一生のんびりさせてくれる人を探そうという時だったのよ。王太子妃になる気なんて微塵もなかったの」
「では僕は誰と結婚すればいいんだ?」
「今残っているのはアマリアさまだけよ。でも彼女は私たちの中で一番綺麗で頭も良くて、性格もとってもいい人だから最適……」
「でも僕が好きなのは君だ。結婚してからゆっくり愛を育むこともできる。一生をかけて君に愛される努力をしようと思っている」
そう、押し問答である。
せっかくの咲き誇る花も、目の前の胸板に視界を遮られてさっきから全く見えない。
私は大きな木の幹に突いたコンラート殿下の両腕の間に囚われていた。
すぐ目の前には私を見下ろす迫力の顔。
熱を帯びた視線が私にも伝染してなんだか顔が熱かった。
「あなたが王太子でなかったらそれも考えたかもしれないけれど、だってあなたと結婚したら将来は王妃さまよ? 前世みなしごの私が、そんなものになっていいとは――」
「今は立派な貴族令嬢だろう? それに大丈夫。かつて平民から『神託の乙女』になって王妃にまでなった前例もある。問題ない」
「――あなた、今どれだけ働いているのかしら?」
「……前世とあまり変わらないよ」
すぐ目の前の瞳が動揺して揺れた。
ほらみろ。
「ということは、やっぱり一日中ってことじゃないの。で、王太子妃や王妃の仕事量は?」
「…………僕よりは少ないから大丈夫」
「半分と言えないということは、そんなに違わないってことじゃないの」
そういうところが正直者なのは知っている。
もしもそれが半分以下とかほとんどないのならそう言う人だ。でも言わなかったということは。
あまり変わらないってことよ。
だろうと思ったよ。
目が据わったままにらみ返したら、殿下が私の頬をそっと撫でながら呟くように言った。
「でもせっかく再会できたのに……諦められるわけがないじゃないか」
なんだか悲しそうに言うその顔を見ていたら、私もあまり冷たくは出来なくて。
「だって……ずっとのんびり優雅な生活が憧れだったんだもの……前世の時から……」
でもその腕は優しく私を包むばかりで、決して離れようとはしないのだった。
温かな腕が私の心を溶かしてしまうような気がして、私は動揺していた。
温室の花たちの濃厚な香りが私の頭をくらくらとさせた。
「できるだけ君の負担は減らすようにする。だからぜひ承諾を――」
「お姉様ー! お姉様はどこーー? あなたの妹、イモジェンが来ましたのー! おねえさまあああーー!」
そこに突然、大声で叫ぶイモジェンの声が聞こえた。
――空耳……?
「おねえさまああああ! あなたの可愛い妹のイモジェンですわよおおおお!」
ではなかったようだ。
「きゃああ! 無礼者!! 私は『神託の乙女』であるエスニアお姉さまの妹なのよ! 軽々しく触らないで! ドレスが汚れるでしょう!」
どうやらコンラート殿下の護衛に止められたようだ。
コンラート殿下が私に目で聞いてきた。
――本当に妹?
――まあ……たぶん……。
私は思いっきり全ての悟りを開いたかのような顔になって答えた。
いつのまに私はイモジェンの中で、ただの使用人から「お姉さま」に格上げされていたらしい。




