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氷魚  作者: 雲音︎︎☁︎︎*.
9/10

9日目『永遠の世界』

【memoryー追憶ー】2章「氷魚」


口下手だがずばぬけて頭がよい“アオイ”

笑顔で過ごすがどこか寂しげな“リョウ”

日々を平和にくらす幸せだった子“ヒオリ”

短気で荒み、いつも1人の“ケンセイ”


平和なふりをしていた。“私達”みんな秘密を抱えて、誰にも話さず平気そうにして生きていた。

世界はこんなにも美しいのに

どうしてこうも私達は歪んでいるのだろう。

ごめんなさい。全部私のせいなの。


------------------‐


『海から海へテレポートする』力を持つアオイと、虐待を受けていたリョウの旅はリョウの死によって終わり、日常が戻ってきてしまったはずのアオイには異変が起き続ける。

そんな時にリョウの日記を見つけたアオイは意を決して読み始めた。


〈自.殺を推奨する意図は一切ございません。ですが不安を煽ぐ可能性がありますので閲覧はお気をつけください。〉


2人の旅のものがたり。

自分を嫌って憎んで許せなかった少女の、ものがたり。



『ーー頑張って書いてみよう。


2月17日 はれ(暑い!)

今日はやけに暑かったから、アオイに寒い地域をリクエストしてみた。

すると本当に寒くて冷たくて!アオイの力のおかげか、海水の冷たさは感じないのだけど、空気に触れた瞬間全身凍りついちゃうかと思ったよ。すぐに…

……

夜空に広がるオーロラはすっっごく綺麗だった。息をするのも忘れて僕はその神秘的な光景に見蕩れた。

あの空の下では時の流れは感じられず世のしがらみも存在しなかった。何もかもが解き放たれた空間で、僕はかみさまをみた。

アオイ、神様が集まる場所に連れてきてくれてありがとう。あの家から逃げ出してもどうにもならなかった、僕を蝕む憎しみや苦しさがあの一瞬だけ、確かに消え去ったんだ。

ほんとうに、ありがとう。


2月 24日

今日は不思議なことが起きた。目が覚めるといつの間にかテレポートしていて、雲海が見える山の上にいた。はじめてみる雲海はすっごく綺麗で壮大だった。

しかも、不思議はそれだけじゃないんだ!誰の姿も見えないのに、歌声が聞こえた。しかもアオイは声も聞こえたって言ってた。

傍を離れないで…って雲海から聴こえたのなら、雲海から離れちゃだめってことなのかな?でも雲海なんていつでもある訳じゃない、じゃあ…


3月4日

僕は逃げられないのかな。

父さんは僕が思っているよりも影響力があったらしい。情報の操作までできるなんて…。

ようやく見えたこの希望の日々を諦めたくないのに。ずっとこうしていたいのにと思うけれど僕を捕らえる鎖が離れようとしない。

それにアオイもアオイで、僕とは違う『過去の罪』という鎖で繋がれている。しかも、多分アオイはその鎖を外す気がない。

その罪は本当の君のものじゃないのに。アオイはただ巻き込まれただけだというのにね。君はずっと過去のものに、他者の存在に後ろ髪をひかれてしまっている。

どうすれば、僕らは本当の自由を手に入れられるのだろう。

何にも捕らわれず、アオイと一緒に生きたいよ。


3月9日

ヒオリの誕生日だ。今年はいつものように祝えないから、アオイと一緒に、むかしヒオリが行きたいって言ってたイタリアに行った。流石に都心部には入れないから、海から見た街並みを写真に撮った。イタリアのどこかお洒落なビル群は凄くかっこよかった!日本はコンクリートで無機質なビルが多いから…。あれだってきっとかっこよくて、中にはもっと綺麗なものもあるのだろうけど、やっぱりビルは父さんの会社のイメージが強くて海外に行くたびに日本と外国の違いを実感するなあ。

アオイのことを考えるとあまりテレポートをしたくないんだけど、どんどん気になる世界が溢れ出てきて困るな。

大人になったら、世界中を飛び回ってもっと色んな景色を見てみよう。今度は飛行機で、自分の足でね。


3月15日

スマホも時計もない生活を長々と続けているけど、日記を欠かさず書いているおかげて曜日感覚は壊れてない。何なら時間感覚という名の腹時計もしっかり機能しているから時間もバッチリだ。日本では今頃初夏かぁ。うーんスイカ食べたくなってきたな。帰ってから食べるものリストに加えておこう。

明日は久し振りの旅だ。どこに行くか今から考えておこう。


……


私はここまで読み進めて、1度息を着く。

そして

(な、なっげえぇえぇぇぇ!!)

と心の中でつい叫んでしまった。

一日一日の書いている量が尋常じゃない。A4ノート1ページはおろか多い時だと4ページぐらいびっしり書いてある。そりゃ夜あんなに長く書いてる訳だ。寧ろよくあの短い時間でこれだけ書けたよ。作文でいつも空欄が多い私には真似できない。

私はチラ、ともう1度100均で買ったありきたりなノートをみる。

長い。長いけどこのノート、すっごく楽しい。

書き方が上手いからなのか、リョウの考える事や目線が素敵だからなのかは分からないが、こんなに長いのに読んでいてワクワクするし胸が踊る。小説を読んでいる時と同じ感覚だ。ただのノートなのに、凄くキラキラして見える。

もう時刻は午前4時をすぎていたけれど私はそのままページを開き、読み進める。

こんなにドキドキするのは久し振りだ。予想以上に彼の日記は私の心に光を照らしてくれた。

楽しい…!と思っていた最中、ふとあるページで文字を追う目の動きが止まる。

(これ…この日は…)


『3月21日』


「旅が終わる、一日前の日記だ…。」


確かこの日は山にテレポートをして、遠くの街並みを眺めながら色んな話をした…。そうだ、()()()()もたくさん…。

ゴクリ、と唾を飲みゆっくりとノートの方へ目を向けた。


………


3月21日


今日は春の山でピクニックをした。

ピクニックとは言っても食料は十分にないから太陽の光をぽかぽか浴びて沢山お話しただけなんだけどね。


君と沢山未来の話をした。

眩しい明日を語った。


今日行った所に桜の木は無かったけど、次は桜を見てみたいな。

来年は


バタンッ

と私はそこでノートを閉じた。

ノートを持つ手が震え、呼吸が浅く荒くなる。

リョウにはこんなに明るい未来があった。未来が見えていた。

なのに、私がそれを奪ったんだ。

あの父親…アイツだってリョウを追い詰めた。色々なものが彼を拒んだ。だけどあの状況が生まれたのは、リョウが凍りつき砕けたのは私の力があったせいだ。不安定な能力を使ったからアイツの前に転移して、あんな惨劇が起きた。しかも、死のきっかけを作るだけ作っておいて助けもできなかった。

胸の内に一瞬点いた光は、彼の未来を奪ってしまったという罪悪感でふっと消えた。

震えは一層強くなり歯がカチカチと鳴る。

私がいなければ、リョウは氷になって…苦しんで死ぬことがなかった?

私、もう……。


『死なせない』

と声が聞こえた途端に目の前が自室から碧い空間に変わる。どこを見ても碧一色で果てしなく、元の部屋の面影などひとつもなかった。

!これ、前に見た夢と同じ所…!

『君は死んではいけない』

そしてどこからともなく性別不明の声が響く。いや、私はこの声を聞いたことがある。海で私に呼びかけてきた声と同じだ。

「誰!?…海で聞こえていた声だよね!?」

対話ができるのかは分からないが、私は辺りに向かって声を張り上げる。

自分でも気づいていないが、碧い空間に成るといつの間にか震えは収まっていた。

『…そうだよ。』

!返事が返ってきた…!

『僕は海の一部。星の数よりも多い海に生きる泡沫のひとつだ。』

突然声が近くなり、頭上に気配があらわれる。顔を上げるとそこには水の泡のようなものが浮遊していた。

泡沫…?

『君が海で聞いた声と同じ種だけど、その時の子と僕は少し違う。君が中々聞く耳を持たないからね。一際強い魂を持つ僕が、大事なことを伝えに来たんだ。』

こんな水にも魂があるのか…。

「大事なことって、なに?」

『簡単に言うと、死ぬなってこと。君が命を拒めば災いが巻き起こる。だから君は『死』なんてものを望んではいけないんだ。』

そのまま泡はふよふよと浮かびながら続ける。

生命(ぼくたち)の生みの親である君が生命を蔑ろにして捨てようなんて事があれば、みんな大混乱さ。たくさんのひとがしぬよ。』

息が詰まる。彼の言葉は疑問点ばかりだったが、私が原因で多くの人が死ぬ。それだけがやけに脳で反響して私の胸をざわつかせる。

「あなた、何か知ってるの?私は一体自分が何者なのか分からない。お願い教えて。私が生命の生みの親って、なに?」

『あれ、人魚が君に伝えたはずなんだけどな。おかしいな…。上手く伝わらなかったのかな?』

人魚…って、私たちのこれまでのやり取りをずっと見ていたのか?いや、“これ”…泡沫は自分を海の一部と言った。彼女と関わりがあるのかもしれない。

泡沫は伸びたり縮んだりしながら、くるくると円をかくように動く。

『君は海の神…そして、“生みの神”。すべての生命の母だよ。』

「…ッ!?」

私は言葉を失い愕然とする。

人魚に会った時から、こんな力を得てしまった時から己の異常さには気づいていたけど、これほどだなんて思ってもいなかった。私の影響力は海だけじゃない。命まで…!?守護者だ神だとは人魚から言われていたが具体的なことをはじめて告げられ冷や汗が垂れる。

そんなの…

『“そんなの信じられない”って顔だね。特に君は自己肯定感が低いから、己が神だと中々認めないだろう。』

『まあ君が信じようが信じまいか僕にとっては君が神なのは事実。兎に角…僕が言いたいのは、君に死ぬなってこと。それと…。』

そう言って、泡沫は徐に動きを止める。

故郷(うみ)へ帰っておいでよ。そんな汚い世界にいるから、君は蝕まれちゃってるんだ。』

「何を言って…。」

『言葉通りの意味だよ。君のその海を飛ぶ力、本来は故郷に還るためのものなんだよ。海に入って故郷を願えば簡単に帰って来れるよ。そこはここなんかよりずっと綺麗だよ。』

このふよふよと不規則的な運動をする泡沫は、まるでそれがさも当然であるかの如く、淡々と話す。海にある“故郷”とやらが綺麗だというのは何となく思い当たる節があった。最近私は海を輝かしいと思ったり帰巣本能が働いたりしていたからだ。

だけど...泡沫の語り口にはどこか違和感がある。

「…なんで、私を無理に連れて行こうとはしない?私がこのままでいるといずれ『世界が大変なことになる』…のでしょう?」

人魚のやり方は“私を絶対に神にする”という強い意志があった。その目的を成すためならば何を犠牲にするのも惜しまないという程に。でも、泡沫からはそんな必死さを感じない。さっきの口ぶりからして人魚の事は知っているみたいだけど、仲間では無いように思える。

「言いたいことだって、てっきり人魚と同じように『神になれ』って言ってくるんだと思った。でも違った。…本当の目的はなんなの?」

『まるで僕がなにか企んでいるかのように言うね。人聞きの悪い。』

そう言って再びくるくると回り出す。

『確かに、僕と人魚は仲間ではない。寧ろ向こうは僕らのことを知らないだろうね。僕らの事を認識できるのはうみの神だけだから。』

人魚は彼らを知らない…?この者たちは私が思っているよりも上位の存在なのかもしれない。

『…あの子は前の災厄で酷い目にあっているから、少し必死になっているんだろう。それに彼女は知らないことが多すぎるからね、君が所々変に思うのもしょうがない。』

『そもそも、神になれもなにも君はもう『神』になっているんだ。』

「もう…神に、なってる…!?」

『僕たちと会話ができているのが何よりの証拠だよ。言っただろ?“僕らを認識できるのはうみの神だけ”って。』

『だから君は僕達よりも圧倒的に大きな存在なんだ。そんな方を無理やり連れていくなんてこと出来ないよ。立場的にも、力量的にもね。』

その時、あたりの空間がふっと揺らぎ天のあたりから徐々に不透明になっていく。

『あ、そろそろ朝が来る。帰らなきゃ。』

「!待って。あなたは人魚よりも沢山のことを知ってるんだろ?リョウ…リョウの最期、何が起きたのか教えてくれ!」

『ごめん…僕らは海のそとで起きたことは分からない。リョウという少年は知っているけどその事は分から』

その言葉は最後まで紡がれること無く碧い世界は閉ざされ、私は窓から朝日が差し込む自室に立っていた。

時計は朝の6時を指している。

泡沫が言った数々の言葉が脳で反芻する。

『すべての生命の母だよ。』

『君はもう神になっているんだ。』

違う、と頭を振る。

誰かを不幸にしてばかりの私が生命を生む神?

だれも助けられないのに、かみさま?

巫山戯た話も大概にしてくれ。

私はそんな大層なものではない。

かみさまは、そんなものじゃない。

…と心では思っても、私が異常なのは分かっている。彼の言うとおり己が人ならざるものになってしまっているのも理解している。

どうしてこうなったんだろう。

パタン、と私は無気力に布団へ倒れ込みただ壁を眺める。そんな私の背中をキラキラとした朝日が照らす。

ああ、こんな朝はつい叶わぬ願いを口にしたくなるなあ。


普通に生きてみたかったな。

なんて。


             ♢


1週間後。


「痛っ」

朝ごはんを食べていると、背後で母のそんな声が聞こえた。

「どうしたの?」

「んー洗い物してたら、包丁が滑り落ちちゃってね。まぁ…絆創膏貼っておけばすぐ治るでしょ。」

と言いながらスタスタと絆創膏がある棚の方へ行く。

お母さんが手を滑らせるするなんて…疲れてるのかな…?あと体調不良とか。いつも几帳面で、一挙一動がキビキビしている母がうっかりする時は大体調子が悪い。そんなきっちりとした特徴のおかげか、父のいない家族を1人で支え苦労しているはずの手はいつも綺麗で真っ白だった。そして今その指には絆創膏が巻かれている。

『君が命を拒めば災いが起こる』

数日前、泡沫にいわれた言葉がふと蘇る。

…いや、関係ない。偶然だよ。偶然…。

半ば己に言い聞かせるようにそう思った。

手早くパンを最後まで食し、いつもどおりヒオリと登校するため家を出る。朝が強い彼女はもうそこに居た。

「アオイ〜〜見てよこれーー捻挫した!」

と言って湿布の貼られた手首を掲げるヒオリ。

冷や汗が垂れるのを知らないフリをし、なるべく普段どおりに言葉を返す。

「…えっ、何があったの?あのヒオリが怪我なんて珍しいな。トラックにでもぶつかられた?」

「いやそれ大事故だよ!アオイは私を鉄人とでも思ってるの!?滑ったの!お茶で足滑って手ぇついちゃったの!」

びしーっと大手を振ってしっかりツッコんでくれた。(捻挫してるんだからあまり動かさない方が…)

「そんないっぱい零れたのか、お茶。」

一瞬ヒオリの動きが止まる…が直ぐにまたオーバーリアクションを再開する。

「……あー、お父さんがちょっと盛大にお茶倒しちゃってさ!それで転んじゃった!」

「…そ。まぁお大事にね。」

今何か隠したようなような気がしたが、其れよりも気になったことがある。

やっぱり、おかしい。

ここ数日、私の周りの人達が怪我をしたりトラブルがあったりする事がちょこちょこ起きている。

災いが始まっている?あの水泡の言うことはほんとうだった?

私の能力についてケンセイに聞きに行こうと思っても中々捕まらないし…。いつも居るはずの屋上は、まるで私を避けているかのごとく私が行くといない。

こんな力が無くなれば私はただの人になれる、はず。

早く、なんとかしないと。

私が望むのは己の死と、周りの人の安寧だけ。

それを得るには私が(わたし)でいてはいけない。

「アオイ?どうしたの怖い顔してるよ。」

ヒオリの声が耳に届き我に返る。

ふざけたがりな彼女が心配そうな顔をしているところから、私が結構な表情(かお)をしていたことが分かるだろう。

「あ、いやなんでも。さ早く学校いこう。」

「…うん!」

ヒオリは私の様子がおかしい事に気づいているのだろうけど、飲み込んでくれた。

触れられない方が嬉しい事もある。ただ、私たちは互いに胸の内を触れないでいすぎているのかもしれない。

いっその事全て言ってしまおうか。そんな考えがふと頭を過ぎるが、直ぐに消し去る。私はもう誰も巻き込みたくないんだ。父さんを殺し、リョウも喪った。ヒオリまでそんな目に合わせたくない。


あぁ。

(死にたいな)


私は目の前を通り過ぎる車を目で追いながら、

赤信号が青に変わるのをただ待っていた。


             ♢


「熱湯が手にかかっちゃって…」

「雨で視界が見えにくくて自転車とぶつかった」

「あそこの水族館でイルカが突然死したらしいよ」

「日本に前代未聞の不漁が襲いかかっています。魚が全く海に居ないのです。」


日々そんな声や報道を目にする。周りにどんどん被害は増えていき、規模もエスカレートしていった。偶然という一言で片付けることもできるのだろうが、私はどうもそんな気がしなかった。

全ての原因は自分が死を望んだせいだと思うと、頭がおかしくなりそうだ。

いつもの学校からの帰り道がやけに遠く感じる。いや違う、1歩が重いんだ。ふらふらとしながらも何とか足を進める。

私がただ生きたいと思うだけで全て解決すると分かっている。この世で生きるひとならば皆が感じることが出来るはずの気持ちなのに。簡単なことなはずなのに。

黒く濁った手を跡がつくほど握りしめ、涙を零す。

どうしても、生きたいと思えない。自分が生きる価値を見いだせない。

まずい…まだ帰り道なのに、外で泣いてたら目立ってしまう。

涙を必死に拭おうとした時、ポツ、ポツと冷たい粒が私の頭を叩く。すぐにサーッという雨の音がし始め、傘のない私は為す術なくその音に包まれる。体が冷えてしまうけど、今は雨がありがたかった。通り雨だろうか…上空の黒い雲は小さかった。

何もかも受け入れられないのも、この世がこんな事になっているのも全て私のせいだ。

ごめんなさい。

死にたい

殺してほしい

誰か私を殺してくれないか

でもそう思えば思うほど

世界がおかしくなるなんてそんなこと

どうして

雨が睫毛を打ち視界がぼやけるが、少し遠くにある横断歩道の信号が赤に変わったのが目に入り私は止まる。一歩進めば全部が終わるのかななんて考えているこの間にも、世界は崩壊の音を奏でているんだ。


私は本当はどうしたかったんだっけ。


信号が緑になり目の前の車が居なくなる。

横断歩道を渡りきると、もうすっかり花が散り緑の葉が茂る桜並木の中を歩く。


私の願いは、なんだった?


その時、ピュウとひとつ強い風が吹き髪が乱れ、反射的に目を瞑る。


『―アオイ。』


誰かのそんな声が聞こえた気がしてハッと目を開けると、私は立ち止まった。


いつの間にか雨は弱くなっており、夕暮れの橙を帯びた光が濡れた地面を照らしていた。

雨粒が滴る緑の葉はどれも綺麗に揃っていて、来年のうららかな春の姿が容易に想像できた。

遠くに見える太陽は大きくて、手が届きそうで、だけど遠い。

そんな陽が辺りの草木や家、私を緋くやさしく包みこむ。穏やかな風が私の頬を撫で、小雨と私の一筋の涙が混ざりあった。

言葉を失うような美しさとはこの事か。

別に、これは稀にしか見ることの出来ない絶景という訳では無い。雨上がりの夕焼けという普遍的な光景。

でも、私はそれが涙が出るほど美しいと思った。頬を伝う雫を止められなかった。

いつもの景色。日常。

すっかり色々なものに絡まれ縛られてしまった私には、“普通”なことがひどく愛おしい。

「こんなにも、世界は美しい。」

「壊したくない。壊れちゃ駄目だ。」

私たちを見守り照らす太陽も、何もかもを攫う漣も、永遠に変化し続けるあおい空も。全て。

この世界がいまの美しい姿のままでいて欲しい。

だけど私がこの世にいる限り、いつかは崩れるだろう。だって私は生きたいという思考を持つことが出来ない。彼らの言う通り、私の力は強大すぎて今ではまだ悪影響を及ぼす。

「私が守りたかったもの…思い出した…。」


その時、私の心にあったのはもう自暴自棄気味な死にたい気持ちではなかった。

この世界を守る為に、世から去ることを選ぶ。


「海に、還ろう。」



----------------


【今日アオイは日記を書いていない】

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