騙すつもりはないけれど
シリーズになると思います。
ゆるーい世界です。
支倉薫と言うのが彼の名前だ。"彼"そう呼ばれるのは、戸籍と、性自認が男性で有る事から当然の事であると薫は違和感も何もなく感じている。しかし薫は、ゲームの世界でアバターの性別を女性にしていて、その世界では"彼女"と称される事もある。
ゲームはバーチャルの世界で自分の家を用意し家庭菜園したりお店を開いたり、緩いコミュニティを形成するもので、アバター名をフレーバーと名乗っている。
最初の選択で間違えて女性を選択してしまったのがきっかけだが、その際異性も選択できるのかと驚きつつ、アバターの外見を作り込むのが楽しくなりそのまま作成完了を押してしまい、結果彼は女性としてゲームを楽しんでいる。
女性を選択していると言っても、打ち込む台詞は特に普段の言葉使いと異なっては居ない。
元々、社会人として普通の丁寧な言葉使いで、一人称も私を使っていた彼だったので、だから、詐称している意識は本人には希薄だ。
コミュニティの中で、彼は随分と解放感を味わっている。
それは現実と乖離した世界故にだと理解していた。現実社会での人間関係の複雑さに神経が疲弊しているのを彼は最近切実に感じていたのだった。
彼は後数年で三十代になる中堅サラリーマンだ。そろそろ周囲の友人や同僚にも結婚する人たちが増えた。子供の居る悪友も居る。
彼も大学時代に出来た彼女との関係が続いていれば、今頃は結婚を前向きに検討していたかもしれない。
彼女と別れたのは社会人になって生活サイクルが変わり、なかなか会う時間を二人が持てなかった事に由来し、自然消滅に近い状態が二年目になった際に、彼女から別れを切り出され承諾した。円満な別れだと思っている。共通の友人の結婚披露宴で同じテーブルに座り和やかに会話をした事もある。
もしも彼女からある日披露宴の招待状を貰ったら出席しても構わないと思っている位であるが、親友からはちょっとそれはどうなんだと指摘され、何か変だろうかと不思議に思い首を傾げた事もあった。
アバターのフレーバーはショートヘアーで化粧もリップ程度、服装も少しゆったりめのカットソーに柔らかなワイドパンツといった外観なので女装している感覚も薄い。コミュニティの近所に家を構える人たちからは中性的なお姉さん扱いを受けていて、満足感を感じていた。
そんな中、特に親しいカップルが出来た。
アズという名の男性アバターとランという名の女性アバターで、小さな喫茶店を二人は営んでいる。
二人とも長身でスラリとしていてアズが飲み物を、ランが食事を担当して居る。バーチャルの世界では香りも味も実装されているが、お互いの認識によって食い違いがある。
例えばコーヒーを出されて提供者が設定でキリマンジャロを選択すれば、その香りが電気信号として客に伝わるのだが、客がキリマンジャロを知らなければ客の知っているコーヒーの香りに認識されてしまう。ほろ苦いビターチョコレートケーキを設定しているのに、客がチョコレートは甘いものとしか認識していなければ甘いスィーツとしか感じられない。
「料理人としては提供したものとお客さんの感じたものの差が悔しいね」
アズが笑ってフレーバーに新作だと言ってブレンドを提供する。
深煎りのブルーマウンテンベースだよと説明されたが、フレーバーは苦笑いだ。現実でよく行く喫茶店のブレンドの味が再現されるばかり、彼はブルーマウンテンも、キリマンジャロもモカもブラジルもよく違いが分かっていないのだ。味の違いは理解するが名称と特徴が一致していない。
表情から理解出来ていないのは丸わかりでアズは肩をすくめた。
「そう言えばオフ会するらしいですよ、行かれますか?」
ランがサービスと言ってクッキーを出してくれながら尋ねる。店内に客はフレーバーだけの今、二人は近くのテーブルに腰掛けておしゃべりの体勢だ。
「ちょっと都合が悪くて」
苦笑を浮かべたフレーバーに、残念とランが呟いた。
「オフ会参加した事無いですよね、現実では余りこの界隈の人たちと付き合いたく無い感じですか?」
「ちょっとアズ、踏み込み過ぎ」
アズの問いかけにランが慌てて腕を引っ張る。
「じゃあ、俺たち三人でのオフ会だったら参加してくれます?フレーバーの都合に合わせますよ?」
アズが言葉を重ねる。今度はランは咎めないでフレーバーを見つめた。
そんなに会いたいと思ってくれているのかと、正直フレーバーは嬉しく感じた。
二人とはウマが合って、仲が良くなったと思っているフレーバーは、一つ深呼吸をして口を開いた。
「実は現実では私は男性なんです」
ランが目を丸くしてフレーバーを見つめた。
騙されたと感じているかもしれないと考えたフレーバーだったが、男性で有る薫も、女性で有るフレーバーも同じ自分だと感じている彼は仲良くなった彼らに正直に経緯を告げる。
「驚きました? 騙すつもりじゃ無いんですけど、でも性別を女性に設定しているんだから皆を騙していることには変わりないですよね」
「フレーバーは女装趣味なんですか? 性的指向は異性愛者なんですよね?」
アズの不躾な質問にランがため息をついて、申し訳なさそうにフレーバーに片手をあげて頭をさげる。
「もう、アズ、踏み込みすぎ」
ランがぺちりとアズの額を叩く。アズがごめんなさいとしょんぼりと肩を落とす。
「気にしてないよ」
フレーバーはにこりとほほ笑んだ。
「正直、良く分からないんだ」
口を開いたフレーバーに二人の視線が集まる。
「女装が好きなんだったらもっと女性らしい服装に興味が行きそうな気もするし。男性にときめく訳でも無いから同性愛者でも無いと思うし。現実の自分に嫌気がさしてて逃避なのかな? って思いもしたけどそこまで現実で追い込まれている感覚も無いし」
指を折りながら説明をするフレーバーは自分でもよく分からないなぁと思った。
「でも現実の自分じゃないこの世界でのフレーバーとして他の人と交流するのは楽しいと、そう思っているのだけは本当」
ふむ、と頷いてアズが顎を撫でた。
「でも、分かります。俺たちも少し似ています」
「え?」
アズがランをちらりと視線を送りランも苦笑を零して頷いた。
「私、ランは現実世界では十七歳高校生です」
「俺アズは現実では三十一。彼女とは親戚で昔馴染み。まさか結婚することになるとは本当びっくりだったよ」
「私の初恋が彼でね、もう小さい頃から押せ押せで。親には諦められ、アズの両親には応援されて今に至る!」
アバターの見た目ではお似合いの同年齢の二人がかなりの年の差カップルと聞いてフレーバーは驚いた。
そのフレーバーの表情にランはいたずらが成功した子供の様に笑う。
「日常ではやっぱりまだね、二人で腕組んで歩いていると、アズが犯罪者みたいに見られるから。だからこの世界でお似合いねって言われるのは凄く嬉しい」
「だな。こっちとしては周囲の堀を埋められて退路絶たれて覚悟決めさせられたっていうのに、友人どもにはロリコンとか呼ばれるしさんざんだよ」
「あら、でも幸せでしょ?」
まぁ、なぁと呟くアズにフレーバーは噴き出す。
「日常と離れた姿を選択しているって事では同類って言ってくれるんだ、アズ、ランありがとう」
その時カランとドアベルの音がして二人が客を迎え入れる声を上げる。
席を離れて立ち上がる二人を見送り、温くなったブレンドコーヒーの残りを飲み干したフレーバーはレジへと進む。
ゲーム内通貨の支払いをして店を出ようとしたフレーバーにランが近寄り声をかける。
「オフ会、本当にしようよ。まずは三人で。結構日常から離れてる人居ると思うよ。それもゲームの楽しみの一つだと思うし」
じゃあねと手を振られフレーバーも頷く。
騙すつもりはない、しかし性別詐称している現実に少しだけゲームの住人とに距離を知らず取っていたフレーバーは、二人と現実で会うことで、更にこの世界を好きになっていくのかもしれないと感じて自分のホームへ戻りながら口笛を吹いていた。