覚醒
「はる、1発入れていっていいか」
黒塗りのセダンを運転する仁さんが横目にこちらを見る。仁さんの髪は赤とオレンジを混ぜたようなそんな色をしている。あと2、3年で30代になることを考えると、じきにこの髪色も見納めになるのだろうか。
かくいう俺にはまだ10年以上はある。金髪。根元に少々のカラメルソース。染め直すのはまだいいか。
「いいっすよ」
平静を装った。
動揺している姿は見せたくない。
仁さんは俺の返事を聞くと注射スポットを探し始めた。
駐車スポットではなく注射スポットだ。
いや、どのみち駐車もするわけだから駐車スポットでも間違ってはいない。
数十秒ほど車を走らせるとスポットは見つかった。
人気の少ない田舎道はスポットの宝庫だ。
車を停めると仁さんは早速注射器を取り出した。
それにペットボトルの水、透明なチャック付きポリ袋に入った白い粉。
『覚せい剤』だ。
仁さんが薬をやっているのは以前から知っていた。
でも実際に覚せい剤を見るのはこの日が初めてだった。
といっても横目にチラリと覗いた程度。
興味津々といった態度でまじまじと眺めるのはなんとなく気が引けた。
ちなみに実際にはポリ袋なんて言葉は使わない。
『パケ』そう呼ぶ。
仁さんは慣れた手付きで注射器の中に覚せい剤を詰めていく。
右手にストロー、左手に注射器とパケ。
ストローをスコップのようにして、パケの中にある覚せい剤を掬って注射器の中に移していく。
よく映画やAVなんかで注射のシーンがあったりするけれど、大抵は注射器の中には既に透明な怪しい液体が用意されている。
あとは打つだけの状態だ。
だけど、よくよく考えてみるとそうか。
注射を打つまでに本来は事前にこういった作業があるのだ。
俺はあまり運転席側を見ないよう窓の外の景色を眺めながら、
このあとの運転大丈夫なのかな?なんてことをぼんやりと考えていた
次に仁さんのほうに目を向けると、
注射器は既に仁さんの左腕に刺さっていた。
ここからは目が離せなかった。
注射器の中がみるみる赤くなっていく。
あぁ、血だ。
透明だった液体はすぐに一面の赤に染まった。
赤がある程度増えると、今度はその赤が少しずつ減っていく。
仁さんの腕に吸い込まれていく。そんな風に見えた。
最後には赤が綺麗になくなった。
「よし、いくか」
「はい」
返事をしながらそれとなく仁さんの様子を観察する。
口調にも態度にもなにも変化は見えない。
ラリってるだとかキマッてるだとかそんなの全然分からない。
もっとこう、おかしくなってしまうようなそんなイメージがあった。俺が持っていた教科書通りの固定観念もあの『赤』と一緒に仁さんの左腕に吸い込まれたのだろうか。
覚せい剤、注射器、ストローのハッピーセットはメガネケースにしまわれた。
俺が知っているハッピーセットよりも随分とコンパクトで怪しげ。
しかしストローはどちらのハッピーセットにも欠かせないものらしい。素晴らしいポテンシャルというより他ない。
違いがあるとすれば、こちらのストローは短め、そして先端が斜めにカットされている。
というか普通はメガネケースなんかにしまわずにもっとバレにくい場所に隠したりするもんじゃないのかな。
仁さんがアクセルを踏み込むと黒塗りのセダンはゆっくりと動き始めた。