拾陸 貧乏神
平均給与の低下。
幸福度の低下。
現代の日本はかつての勢いを失い、国民たちの大半が重い足取りで現実を生きている。
将来に希望を持てず、何も生み出さない不平不満をまき散らし、今日を生きている。
一方で、大半に属さない国民もいる。
上級国民というレッテルを貼られる国民たちは、暗いニュースと国民たちの不平不満を酒のつまみに、今日も騒ぐ。
六本木。
勝ち組の集合体であるこの地に夜はなく、彼らの未来を具現化するようにギラギラと輝き、今日も歌って踊って騒ぎつくす。
「お客様、お待たせいたしました。ゆあちゃんです」
黒服に包まれた男性スタッフが、一人の女性――ゆあを連れてくる。
「失礼します、ゆあです」
ゆあはソファに腰かける老人に笑顔で会釈し、その隣へと腰掛ける。
「ほっほう、なかなかの別嬪さんじゃないか」
老人は顎髭を撫でながら、なめるような目でゆあの全身を見回す。
愛くるしい顔と、胸元が大きく開いた黒を基調としたドレス姿は、老人のお眼鏡にかなったらしい。
老人は、笑顔でゆあを迎え入れる。
老人の身なりは、高級なものに包まれ、一目で裕福であることがわかる。
この店は高級店に属するため、そもそも客全員がそれなりの裕福層ではあるのだが、他の客と比べても、身につけるものが頭二つ分飛びぬけていた。
「何か、飲みたいものはあるか?」
老人はゆあへドリンクメニューを渡す。
「え、いいんですか? じゃあ、これを」
「なんだぁ、そんな安物でいいのか?」
「え、じゃあ、こっちを」
「ほっほっほ。なかなか謙虚よのう」
ゆあとしては、決して安物を頼んだつもりは毛頭なかった。
いつも通り身なりを見たうえで、適度に高く、しかし金目当てだと思われない程度に控えた、経験則からの選択をしていた。
「これくらい、いこうじゃないか」
老人は、躊躇いなく店で一番高いドリンクを指差した。
金銭感覚が完全に別世界。
ゆあの表情が一瞬固まり、隣で見守っていた黒服も動揺を隠せないまま、ドリンクをとりに店の奥へ急いだ。
届いたドリンクをグラスに注ぎ、老人とゆあは乾杯をする。
「はぁ~、今日も酒がうまいわい~」
老人は、満足という感情を凝縮したような表情で、どんどん飲み進めていく。
決して、勢いよく飲むようなドリンクではない。
ゆあはちびちびと飲み進める。
滅多に飲めない高級な味を楽しみながら。
「人の不幸で酒がうまいわい~」
次の老人の言葉で、ゆあの手が止まった。
老人は、邪悪な笑みを浮かべていた。
「わしは、貧乏神じゃ」
ほろ酔い状態になった老人――貧乏神は、上機嫌で語り始める。
「昔はな、みんな幸せそうじゃった。だからわしは、あらゆる手を尽くして人々を貧乏にして、不幸にしてきた。しかし、いくら貧乏にしても、家族がいるから幸せじゃの、仕事終わりのビールがあるから幸せじゃの、不幸を感じぬ人間が多くて苦労したもんじゃ。だが、今はどうじゃ。人々が、勝手に不幸だと思い込み、勝手に幸せな人間の足を引っ張り、勝手に不幸が増えていく」
貧乏神は、さらにもう一本、ドリンクを注文する。
「いい時代じゃあ。わしが何もしなくても、こうして皆が不幸になり、わしは美味い酒を飲める。いい時代じゃ」
ご機嫌にがぶがぶと飲む貧乏神の姿と、自分のグラスに注がれた人間の不幸の結晶を交互に見ながら、ゆあはそっとグラスを置いた。
「なんじゃ、もういらんのか?」
「ちょっと今日は飲み過ぎてました」
「ほーか」
その日、店舗は過去最大の売り上げを記録した。