隣の部屋のラジオ
俺の住むボロアパートはとにかく壁が薄い。
月の家賃が格安だから仕方がないとも思うが、隣の部屋の生活音が丸聞こえだ。
これが小説ならば、隣に住むのは美人大学生や美人OL……なんてこともあり得ただろうが、実際は何を考えているのかも分からない浪人生。
ここに住み始めた頃、何度かこちらから挨拶をしたことはあるが、あちらからの返事はなく、無愛想というのがしっくりくる男だ。
そのくせ夜型なのか……はたまた遅くまで勉強をしてるのか……金曜日の23時になると隣の部屋から決まってラジオが流れ出す。
その音量は何を喋るっているかがはっきり分かる状態であり、俺の睡眠の妨げになっている。
何度か深夜は音量を下げるようにお願いしたのだが、こちらをチラと見るだけで何の反応も示さない。
大家さんにも苦情を言ったが、「注意はしましたよ」と連絡があっただけで、改善されることはなかった。
時には抗議のように壁を叩いたりもした。だが、それも無駄に終わった。
——23時。
時間を知らせるように隣の部屋からラジオが流れ出す。
おそらくよほどこの番組が好きなのだろう。
そこで俺は、ある一つの行動を起こしていた。
その計画を思いつつ、俺はラジオに耳を傾ける。
いつも通りの女性パーソナリティがタイトルコールをすると、賑やかな音楽が流れ出す。
今日の話題をネタにしたトークが始まり、合間には懐かしい曲が聴こえてくる。
やがて番組はお便りコーナーに入った。
お便りとは言っても、最近ではメールや番組ホームページでも送ることができ、リスナーにとっては気軽に参加出来る垣根の低いものになっている。
パーソナリティへの質問や、悩み相談。
たまにお題もあるが、大体はフリーテーマだ。
『——次はペンネーム角部屋さん。
いつもラジオを聴いています……ありがとね。
なになに、隣の部屋から毎週決まった曜日に大音量のラジオが聞こえてきて、睡眠時間が奪われています。
マナーを守るように注意してください——か』
俺は小さくガッツポーズをしてほくそ笑んだ。
『うーん。そうだね。
そこはやっぱり最低限のマナーあってのラジオだよね?
もし、この番組を聞いていて身に覚えのあるリスナーの方は、ほんの少しでもボリュームを落として下さいね!
最近はイヤホンも高性能だから、その選択肢もありだよ!』
俺でもダメ。大家さんでもダメ。しかし好きなラジオのパーソナリティならどうだ?
案の定、隣の部屋から聞こえていたラジオの音量が少し下げられた。
鳴っているのは間違いないが、何を喋っているかは分からないほどだ。
俺は確かな成果に満足して、眠りにつくのだった。
だが、その7日後——23時に流れ出したラジオの音量は以前と同じ大きさに戻っていた。
あまりの苛立ちに壁を叩いたが、だからといって下げる様子は見られない。
お決まりのお便りコーナーに入り、俺は急いでスマホでメールを送る。
前に送ったものより感情的な文章になってしまったが……ある意味、俺がどれだけ迷惑に思っているのかがよく分かるだろう。
『——次のお便りは……ペンネーム耳たぶさん』
さすがにそう都合よく、俺の出したメールは読まれないようだ。
だがこのコーナーは始まったばかり、まだチャンスは残っているはずだ。
『いつも勉強中に聞いています。
このラジオは僕の生きがいです……いやぁ、そこまで言ってくれると嬉しいなぁ!
えーっと、最近ラジオを聴いていると、隣から大きな物音がします。どうやら壁を叩いているようです。
あー、何か先週もそんなお隣さんとのトラブルのお便りあったよねぇ。
せっかく楽しんで聴いているのに、邪魔をされてしまいます……か』
どうやら逆の立場のやつが送ったものらしい。
こうなると似た内容である、俺の送ったメールは読まれない可能性が高いが、これはこれでオッケーだ。
先週も注意していたくらいだ。逆に『あなたのラジオのボリュームは大丈夫ですか?』と言ってくれるだろう。
『あー、分かる。楽しんでる時に邪魔が入るのって本当にムカつくよね』
予想外のパーソナリティの言葉に、俺は唖然とした。
いや、そこは逆だろ?
『そういうやつってさぁ、消えちゃって欲しいよね!』
このパーソナリティは何を馬鹿なことを言ってるんだ。
——そう思った時だ。
隣の部屋からラジオ以外の音が聞こえ出した。
何かを探すような……物をかき分ける音。
瞬間、俺は寒気を感じた。
今のパーソナリティの言葉……もしかして——。
俺の部屋の玄関の扉が叩かれる。
ノックとは呼べない強烈な音に、俺は部屋にある机や布団をバリケード代わりに玄関の前に押しやった。
「く、狂ってる!」
何度も何度も、扉が壊れそうなくらい叩かれたが、やがて諦めたのか扉の向こうの気配は消えた。
——もうここには住んでいられない。
俺は明日一番で引っ越しする決心を固めた。
——その時。
木の割れる音が部屋に響いた。
壁から突き出た男の腕。
その手には包丁が持たれている。
「うぁぁぁあああーー!!」
腰が抜け、その場にへたり込むと、腕が抜かれ出来た穴に男の顔が見えた。
それはもう人と呼んでいい顔ではない。
悪魔のような笑みを浮かべ、やつは壁を壊していく。
『次は……ペンネーム——あっ、また角部屋さんからだ。
これはもういっか』