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自ら引き起こしたステータス異常から復活したアメジストに抱えられ、視界がブレる。
「ヂュルル……! ピギャ~~~っっ!!!」
転移のさなか、そんな奇声が耳に届いた。
長いあぜ道の半ばほどに降り立つ。奇声の出所はさっきまでいた場所だ。なにやら大きな塊が蠢いている。
鍋に群がり、スズメ魔物達が炊いたシャリラを貪り食っていた。
「あーー!? せっかく炊いたご飯がっ!?」
「自力で昏睡から目覚め、さらに失った食欲も回復……いや、以前よりもはるかに増している。奴らの食い意地は底なしか……?」
「時間がたてば自然に回復するものだからね!!」
特に好物のにおいは急激にお腹が減ってくる、当たり前のことです。
変なところに感心する、食への愛を知らない魔王にしがみついた。
「ただでさえ劣勢なのに、また爆食パワーで強化されたら本気でまずいよ! 早く黒い網で一網打尽に!」
ここまでくるともはやノーチェの命の危機。なるべく頼らないとか言ってる状況じゃない。
幸いにもシャリラをかっこむのに夢中で、今のスズメ魔物達は隙だらけだ。
抱きついて動きを止めてから胸倉を掴んで揺さぶるという上級技をかけていると、今度は肩を掴まれて止められた。
「こいつらの復活がノーチェの不利に働くとは限らない。もう少し様子を見ろ」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃ……!」
スズメ魔物団子が徐々にバラけていき、名残り惜しそうに鍋から這い出てきた。
炊いたシャリラは一粒残らず食い尽くされている。
だけどかなりの数の団体だ。鍋いっぱいのご飯程度で満足している感じはない。
おかわりを求め、再び田んぼへ戻るのか……と思いきや。
スズメ魔物達のまんまるな瞳が怪しく底光りした。
視線の先は――ぶ厚い瘴気の壁。
「ヂュル……ヂュル……」
今も二匹の戦闘が続いているはずの丘を見上げ、舌なめずりをはじめる。
すると瘴気が少しずつお腹に吸い込まれていった。羽毛のモフモフ具合が加速していく。
まずい、瘴気を取り込んでふくらスズメになってる……!!
瘴気の壁が薄れてきた。肉眼でも戦う二匹の姿がうっすら見える。
モカデナイがノーチェから距離を取ると、羽を大きく震わせた。減った瘴気を補充する気だ。
しかし増やした先からスズメ達に吸い取られていく。
見ていない間に怪我が増え、痛々しい姿のノーチェが魔術を放った。
振りまかれた瘴気でまた壁が厚くなった瞬間、悲鳴のような音が響く。
遠い目を使う。うすく曇った視界に映ったのは、カエルの頭が吹き飛ぶところだった。
今度は油断することなく、ノーチェが冷静に次の術を準備する。
あたりに撒いた瘴気を慌てて取り戻し、頭の回復を優先するモカデナイ。
その間にもふくらスズメ化は進み、瘴気の壁がどんどん晴れていく。
おお! このまま瘴気の吸引を続ければ、不利になるのはモカデナイの方だ!
ただ、また食欲を奪われてしまえば振り出しに戻ってしまう。
だけどモカデナイがその切り札を使う気配はない。
……もしかして。食欲吸収、あれは進化前限定の能力だったとか?
「こいつも竜と呼べるほどのものではなかったな。だが直接の敗因は、食い意地を侮ったことか……」
つまらなそうにアメジストが呟いた時。
スズメ魔物が動きを止めた。瘴気の壁はほとんど消え去り、遮るもののなくなった丘を見上げる。
全員、羽毛が最終形態だ。モフモフを通り越し、もはや爆発寸前の羽毛爆弾と化している。
先頭の一匹が奇声を上げると、魔物達が一斉に飛び立った。
モカデナイを攻撃しかけたノーチェが少しの逡巡のあと、後方へとんで距離を取る。
その隙に失った頭を復活させようと、蛾の羽を大きく震わせる……はずだったのだろう。
残念ながら、瘴気の発生よりもスズメ魔物が獲物を捕らえる方が早かった。
再び悲鳴が聴こえた気もする。だけどそれは奇声と羽ばたき、咀嚼音の中へ埋もれていった。
迎え撃つ気でいたノーチェがぽかんと口を開け、魔術を解除する。
私達はしばし無言のまま、巨大な虫に群がるスズメ達の捕食シーンを見守った。
――こんな話を聞いたことがある。
昔どこかの国で農作物を食い荒らすからとスズメを駆除したら、むしろ被害が増えてしまった。
スズメは作物だけではなく害虫も食べていたからだ。害鳥と益鳥、どちらの面もある鳥なんだね。
さようなら、モカデナイ。
スズメ魔物の食欲を奪って進化した結果、自分が食欲をそそる獲物になってしまうとは……。
異世界の食物連鎖、ダイナミックだなーと思いました。
◇◇◇
「……むっ!? 君達は……!」
「あれっ? 隊長だ~!!」
意外な場所で懐かしい相手と再会し、思わず駆け寄った。
「なんでここに? って異変の調査か」
「うむ……、だがまさか君達がここにいるということは……」
「一足遅かったな」
頷くアメジストに、渋みのある隊長の顔が別の意味で渋くなった。
「ファムレイさん。お知り合いですか?」
隊長の後ろから、やたらと大きな荷物を背負った華奢な少女が出てきて言う。
やや赤みの強い栗色の髪と瞳に、清楚な水色のワンピースがよく似合っている。そこだけ見るとどこぞのご令嬢かと思うような雰囲気だけど。
「はじめまして、アメジストさん、コハルさん。ボクのことはフローラとお呼びください」
一人称がボクな子、そして子供が三人くらい余裕で収納できそうなリュックを軽々と背負うギャップの持ち主だ。
この巨大リュックには、主に商品が詰まっているらしい。
フローラが例の画伯、旅商人の子だった。商人ギルドという組織に所属する駆け出し商人だそうだ。
柔和な笑顔が、私の後ろからおずおず顔を出した姿を目にして驚きに変わる。
「あっ……! あなたは、ノーチェさん!?」
人見知りを発動させつつ、私の足元に半分隠れたままでこくんと頷く。
短くなった両前足いっぱいに抱えた黄金の穂が一緒に揺れた。
「道端で立ち話もなんだし、話はノーチェの家でさせてもらおうよ」
ちょうど畑仕事をしていた旦那さんが私達に気付き、小さな黒い姿を見つけると半泣きで走りこんできた。
「……まったく、信じ難い話だ」
皆で真のノーチェリーチェをいただき、食後のハーブティーで一息つくと、隊長がまた渋い顔になった。
「そう? 異変の調査をしてるなら、このくらいの話、飽きるくらい遭遇してるんじゃないの?」
「もしそうなら私はとうに発狂している」
冗談を言う性格ではなさそうな隊長が重い息を吐く。
これではシャルーク海の一件なんて話したら、卒倒するんじゃなかろうか。
ちなみにここへは噂を頼りに調査に来たのではなく、フローラに頼まれて様子を見にきたらしい。
ノーチェの行方と老夫婦を心配していたフローラ。傭兵ギルドに依頼するとお金がかかるから、異変として語ることで隊長を引っ張り出してきたのだと、さっきこっそり教えてもらった。さすが商人。
「愛と食欲が魔物を打ち倒すだなんて。とっても夢のあるお話しだと思います。こうして無事にノーチェさんも戻ってきたことですし、愛の力は偉大ですね」
愛というより食欲の勝利だけどね。しかもスズメ魔物の。
商魂たくましいかと思えばどこか浮世離れしたところもあるフローラの感想に、老夫婦が目を潤ませて大きく頷いたので、私は口をつぐむことにした。
それに脚の長い子供用の椅子に座って、ノーチェがにこにこ皆を見渡している。今日は余計なつっこみは封印しよう。
モカデナイが跡形もなく食い尽くされ、スズメ魔物達がお腹いっぱい、大満腹で丘に寝っ転がった頃。
気が付くとノーチェは縮んでいた。
ムキムキボディも収まって、二足歩行するうさ耳の子グマのようになった。これが本来の姿だ。
アメジストがスズメ魔物達に効果の強い魔術をかけた。これで一週間くらい眠りこけるはずだという。
とりあえずは脅威が去ったということで、元の姿に戻ったのだろうか。
「ひと月前といえば。あの町で魔人の騒動が起きた頃だな」
そういえばそうだっけ。あれからひと月かー。べリラやセドニー先生、子猫魔物達は元気にしてるかな。
懐かしんでいると、急に教師ヅラになった。
「こいつが巨大化し強化された理屈は謎だが。きっかけを作ったのはおそらくコハル、お前だ」
「へ?」
ノーチェの耳を指差し、生徒に答えさせようとする視線を送ってくる。
「えと…………、あの鐘を鳴らしたせい?」
何秒かかってるんだと言いたげに頷いてから、仮説を続けた。
大賢者の鐘の音が、ノーチェ自身も気付かないほどの小さな音の波となって到達し、ノーチェの願いと共鳴して巨大化を促したのではないか、とのこと。
「せんせー。でもあの鐘って“精霊の力をちょっとだけ強める”効果と言ってませんでしたー?」
ノーチェは変異種だとしても精霊じゃなくて動物でしょ。揚げ足を取ってやろうと質問すると、
「それもあくまで仮説だ。おそらくは……“特定の条件下で、聴く者の魂の力を増幅させることがある”。ノーチェの魂は他の動物よりも強く、独特だ。その点においても珍種だな」
ノーチェが困ったように小首を傾げる。今の姿は、普通にかわいい。
同じく理解が追いつかない私に振り向くと、表情はないままどことなく楽しそうな空気をだした。
「お前の魂の珍妙さには敵わないが」
……はあぁん??
「誰が珍妙な魂だよ。まるで見たかのように言うけど、アメジストだって魂がなんなのか分かってないんだよね? てきとーなこと言わないでもらえます??」
「見えはしないが、ある程度感じ取ることはできる」
「だったらご自分のも感じ取ってごらんになったら? きっと私なんて及びもつかない、筆舌に尽くし難いとんでもないものをお持ちだと思いますよー」
睨み上げると宥めるように頭を撫でられた。いきなり大人対応するのやめろ。
「言われてみれば、自分の魂を感知できたことはないな」
そう呟いた顔がなぜか少し幼げに見えて、私はなんとなく手を伸ばして額のあたりを撫で返した。
身体と一緒に魔力も縮小したノーチェが自力で気配を消そうとしたので、すぐに手を引っ込め、ゆるゆると両手を広げはじめた空間から脱出した。
◇◇◇
鼻歌まじりに通りを歩く。あの雑貨店の屋根が見えてきた。
報酬の50カラトを受け取り、眠るスズメ魔物の処遇は隊長に任せ(押しつけ)て、私達はノーチェ一家に別れを告げると旅を再開した。
フローラの情報によると他にも異変らしき噂があり、そこでは虫の魔物が出没して困っているという。
隊長には、炊いたシャリラをうまく使えばスズメ魔物を誘導できるはずだと助言しておいた。心底嫌そうな顔をしたものの、
「もう傭兵を雇う余裕は……。背に腹は代えられないか……」
と小さく聞こえた気がする。スズメ魔物達はまたお腹いっぱい爆食できるのかもしれない。
事件も解決したし(多分)、これで心置きなくリチアに手紙が書ける。
今回のことはいい話のネタになりそうだ。シャルーク海の異変はセラから報告を聞くだろうけど、そっちも軽く触れておこうかな。うっかり禁術の話を書かないように気を付けなきゃ。
雑貨店まで辿り着き、窓を覗きこむ。……あれ?
棚にはレターセットではなく、別の商品が置かれていた。
……いやいや、まだ売り切れたとは限らない。飾る商品を変えただけかも。
「すまないね。つい先日、最後の一つが売れてしまったんだよ」
…………そ、そんなぁ~~!!!
涙目になる私に、店主のおじさんが申し訳なさそうに続ける。
「遠い国にいるお姉さんに、どうしてもあの便箋で手紙を書きたいと言う女の子が来てね。……だけど予算を5カラト越えていると悲しそうに言うものだから……」
その女の子にほだされて、店主は5カラトをまけて売ったそうだ。
なにそれひどい。私は1カラトの不足で諦めたのに……。
どんより落ち込む私に何度も謝り、装飾のないシンプルなレターセットを少し値引きしてくれた。
お金を払って受け取ると、一緒に私の手に何か握らせてくる。
木彫りの、……なんだこれ? 動物?
しかしこのセンス。妙に見覚えがあるような……。
「か、かわいい……犬? かな? その女の子が5カラトの代わりにとくれたんだ。商品を切らしてしまったお詫びに、ぜひもらっておくれ」
「え、いらない……」
「そんなこと言わずに。ほらよく見てごらん、とてもかわいい……ネズミ??」
おいおじさん、いらないから押し付けたいだけだろ!?
そして犬にもネズミにも見えない。不揃いな耳は長く、全体はどことなくクマに見えなくもないような――。
……ま、まさか……!
店を出て、少し先にある建物の壁を見る。
まだあの張り紙が張られていた。そこに描かれたノーチェと手の中の木彫りの像を見比べ、確信する。
フローラ……お嬢様みたいな見た目で斜め上の値切り方をする、恐ろしい商人よ……。お姉さんがいるんだね。
「アメジスト。今回は私のわがままに付き合ってくれてありがとう。これ、お礼に……」
「いらん」
さり気なく隣にパスしようとした木彫りのノーチェ(?)が、黒い紐に絡めとられると私の鞄に押し込まれた。