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いつもよりはるかに高い位置から見下ろす田んぼでは、スズメ魔物が食害祭りの真っ最中だ。
もしシャリラを食いつくしたら、その後はどうするつもりなんだろう。次の餌場を求めてまた旅をするのだろうか。
夜にすよすよ眠る魔物が大人しく生息域に戻ってくれる気はしない。今のうちにこいつらを何とかしておくのが世のため人のためだよね。
丘の上の大木が見えてきた。ノーチェが足を止める。
少し離れてついてきていたアメジストも歩みを止め、近くの木にもたれてこちらを眺めた。
障壁はかけてもらったけど、護衛、そして監督として私達を見守るようだ。
田んぼにいる間、大木の方は手薄だろうと思ったのに。何匹かのスズメ魔物が枝にとまってあたりを警戒していた。
私を肩に乗せたまま、ノーチェが集中する。
すると魔物の一匹がピンと首を伸ばした。鳥って意外と首が長いんだよね。
「チュピーーーッ!!」
その合図で田んぼの集団が一斉に戻ってきた。
さすがに数が多い。私達は慌てて反対側の丘まで退却した。
「魔力の感知に長けた個体が見張りをしているな」
「うぅ~。スズメのくせに真面目に警備員やるなんて……」
そういうタイプは古典的な罠(籠の下に米ばらまいておくやつ等。)仕掛けても、たぶん引っかからないよなぁ……。
のんきにお祭りして満腹熟睡してる奴ら、もっと感謝しなさいよ。
「奴らに勘付かれない程度の術で策を練り直せ」
項垂れつつ、言われた通り作戦会議をやり直す。
さっきのは攻撃術で直接入口を破壊しようという、単純な作戦だった。
ウロの先にあるのがなんであれ、とにかく瘴気の供給を絶ってしまえばスズメ魔物を弱体化できる。いっそ拠点である大木を倒すのも効果があるだろうし。
だけど魔力そのものに反応されてしまうとは。強力な魔力と術ほど、遠い位置からもバレやすいらしい。
「ノーチェの魔力はけっこう強いんだってね。攻撃系は全部アウトかなー。威力控えめの術にはどんなのがある?」
私の質問に少し悩んだあと、ノーチェが手から黒い紐を出した。
さらにいくつか補助系の魔術を披露する。
それらを見ているうちに、私はあるアイディアを思い付いた。
再び気配を断ってノーチェの肩に乗る。
ぼちぼち田んぼへ繰り出していく魔物達を横目に、もう一度大木に近付いた。遠い目でほら穴を透視し、早々に丘まで戻る。
見たものと作戦を伝えると、ノーチェがさっそく魔術の練習を始めた。
何度も試して完成度を上げたあと、頷き合う。
「よーし、次こそ成功させよう。……お昼ご飯のあとで」
神妙な顔でノーチェがもう一度頷く。私達の間に不思議な緊張感が漂った。
ちなみに朝食は普通の雑炊だった。薄くても滋味のある優しい味わい。
だが油断はできない。昨日の魔王はあからさまにノーチェリーチェをパクる気配に満ち満ちていた。そろそろ本気で腕をふるう頃なのでは……。
ご飯ができたようなので、そわそわと移動する。
今回は鍋じゃない。安堵した直後、ノーチェが息を飲んだ。
私の皿、そしてノーチェ用のフライパンに盛られていたのは、鮮やかな黄金色に包まれた楕円形の物体……異世界オムライスだ!!
やったー! 私の好きなやつ! 中の雑穀ごはんとふかした芋を、チーズがいい感じにまとめてるんだよね~。
――その上には黒々としたソースがほどよくかかっていた。
あれ……? このソースの味……?
ノーチェが震える手で木べらを掴み、ソースのかかった部分を器用にすくって口まで運ぶ。
奇妙な静寂の中、私達は絶品オムライスを完食した。
◇◇◇
アメジストと約束した期限は残り丸一日。これはノーチェにも伝えてある。
美味なる何かが完成してしまう前に、ここで勝負を決めたいところだ。(いや完成したら私は得する側だけど。ノーチェは魔物に勝利したあと、一家団らんの中でオリジナルを味わいたいはず……。)
魔物達がシャリラに夢中の時を狙い、気配を消して大木のもとへ向かう。
今回は見張りに気付かれないよう、少し離れた位置で作戦を開始した。
まずは黒い紐で網を作り、ウロを塞ぐ。
そこから一本紐を引き出し、トンネルの中へ侵入させた。
さらに紐の先にも追い魔術。重ねがけってやつだ。
魔王塾(魔術編)で教わった話では、こういう術の応用をすると、余程うまく構成しない限りじわっと威力が下がるらしい。でも今回はむしろ好都合。
トンネルを進んでいく紐が黒いヘビの姿に変わるのを確認し、ノーチェに親指をグッと立ててみせた。
もちろん本物じゃない、これは幻を見せる魔術だ。
黒ヘビがほら穴に辿り着くと、中にいたそれがビクッと身をはねさせる。
私は思わずほくそ笑んだ。
天敵が遊びに来ちゃったよ~? さあどうする?
身をすくめ、天井を這いまわるヘビを凝視した後――カエルがとんだ。
大ジャンプでほら穴をとび出すと、トンネルを一目散にはねていく。
よっしゃ~! 追い出し作戦、成功!
出口は文字通り網を張ってある。捕獲に成功すればもう勝ったも同然だ。
カエルが勢いよく網にとびこんだ。ノーチェが術を操り黒蓑虫化を狙った瞬間、風船が破裂するように網がはじけとぶ。
残念。威力の落ちた術で捕まえられるほど弱くはないか。
黒い網を破ったカエルがウロからのそりと姿を現した。
スズメ魔物と同じくらいの大きさで、頭と胴体は黒、手足は赤い。絶対触っちゃいけないやつだ。
さらに黒くテカる背中には、鮮やかな青の星模様が入っていた。
ノーチェが大木全体に魔力控えめの口封じをかけた。
定位置から出てきたカエルに警備スズメ達が警報を鳴らすも、声が小さい。シャリラに夢中な田んぼ勢の耳には届かなかった。もう真面目に警備なんてやってられるか! と私だったら米を食いに行く。
残念ながらこの術もカエルには効かなかった。唸るようにゲコゲコ鳴きだす。
黒い胴体が一段階深い闇色を纏いはじめた。
「ノーチェ! プランB!」
私の言葉に軽く頷き、長い耳をピンと立てて集中する。
ちなみに「全力でいこうぜ」的な作戦だ。さくっと最大威力の攻撃術で、瘴気ごとぶっ潰す!
今は守備を考える必要はない。私が肩に乗っている限り、万一の時は護衛がなんとかしてくれる。(プランBには他力本願が含まれております。)
幸いカエルが瘴気を生み出すスピードはそれほど速くない。
ノーチェの術が先に完成するのを祈りながら待っていた、その時。
目線の高さにいた警備スズメが一匹、こてんと倒れた。そのまま軽い音を立てて地面に落下する。
同じように、枝にいた者達が次々と脱力しては落ちていく。
――な、なに……? いきなり変な伝染病……?
訝しむ間に術が完成したようだ。
今のところ相手が攻撃してくる気配はない。纏う瘴気は厚くなっているものの、手足を丸めてうずくまっている。
ノーチェが黒い剣山を三つ、カエルの周囲に出現させた。それらが同時に中央に引き寄せられ、丸めた身体を三方向から一気に刺し貫く。うん、エグい。
やったか!? ……とは言わないように我慢した。
なのにそこには潰れたカエルではなく、黒い塊が地面から少し浮いた状態で佇んでいた。
あの中にきっとカエルがいるんだろうけど……何か嫌な感じがする。
全力の術が防がれた悔しさ以上に、落ち着かない気分でそれを眺めていると。
異常に気付き、田んぼから数匹の魔物が飛んできた。そのスズメ達がこちらへ到達する寸前、警備たち同様、地面に墜落して動かなくなる。
浮遊する黒い塊が、大木の幹の半ばほどにべちゃりと付着した。
すると生い茂っていた葉が急速に枯れはじめ、枝が不自然に曲がりくねる。
徐々に本来の形を失っていく傍ら、黒い塊を中心に糸のようなものがあふれ出して大木を覆い尽くした。
気付くと私達の前から大木が消え、代わりに黒い星型の繭が鎮座していた。
もうどこから驚けばいいやら。とりあえず既視感がすごい……。
「なるほど、こういう過程で出現するのか」
いつの間にか隣にいたアメジストが、黒い繭を見上げて興味深そうに呟いた。
夕焼けの田んぼは、水を打ったように静まり返っていた。
元お祭り勢が時々シャリラの間から頭を出し、ホームを呑みこんで出来た謎の繭を見つめた後、また身を潜める。
何かとんでもないことが起きたとは分かっても、対処のしようはないらしい。
それを丘から眺める私とノーチェも、スズメ魔物達と同じく意気消沈していた。
魔力を回復させる時間が必要だ。明日まで大技魔術は使えない。
ただ使えるようになったところで、あの繭をノーチェの術でどうにかできるのだろうか……。
まわりにいたスズメ魔物達が倒れた理由も不明だし……。
ともあれ、まずは残っている魔物を地道に駆除するべきなんだろうけど。
異常事態にびびって田んぼに潜伏してしまった。残り半日。全部を見つけ出して倒すのは至難の業に思える。
こんな状態でノーチェを置いていくのは忍びない。魔本とにらめっこし、遠い目で繭と田んぼを眺め、ドライアイになりかけたところで荷物から鍋を取り出そうとするアメジストの服の裾を掴んだ。
「スピネリスの一件の残党だろう」
鍋を離し、こちらに向き直って言う。
「あのカエル、やっぱり陰陽蝶の幼虫に寄生されてるの?」
世間は狭い、も重ねがけだった。ここは残党ホイホイか。
スピネリスが正気を取り戻してからは、蝶と幼虫も元の生物に戻り、魔物もいなくなって平和になったと聞いていたのに。
「ただの寄生より厄介かもな。ハルコのようにスピネリスの影響を逃れた幼虫と共生関係にあるようだ」
「ふぅん……でも今は繭になっちゃったよね。どっちも中で生きてるのかな」
大森林で見かけた繭の中は、瘴気だけだったはず。カエル達も瘴気になったのだろうか。
アメジストが背を向け、荷物に手を伸ばす。
「望遠で確かめればいい。情報収集も戦いのうちだ」
鍋を掴みかけた手を、今度は両手で握りしめた。
「もう試したよ。でも覗けないんだってば。魔本がいろいろ出してはくれるけど何をどう使えばいいのか。まず情報リテラシー的な感じの能力が必要というか……」
繭の中を透視しようとすると、黒い霧に邪魔されるような感じで何も見えなくなるという現象が起きていた。なんか私のレベルが足りてないと言われているみたいで余計に焦る。
困った時の魔本頼みがだめなら最後の手段、魔王頼みしかないじゃない?
全面的に頼るつもりはなくても、せめて打開のためのヒントが欲しい。
手を握ったまま見上げる。向い合って視線を合わせたあと、再び手を外された。
……だめかー。おねだりレベルも足りてない……。
諦めかける私を見下ろしたまま、アメジストがゆるっと両手を広げた。
しばし無言で見つめ合う。
ちっぽけなプライドを田んぼに捨て、私は目の前に解放されたスペースにもぐりこんだ。
長いハグの間、一度様子を見に来たノーチェが慌てて引き返していった。
こら。お邪魔しました感を出すんじゃない。私はお小遣い欲しさではなく世のため人のため、君達家族のために、魔王に屈しているのであってだな……。