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中途半端に両腕を広げた相手との睨み合いが続いていた。
選択肢に「逃げる」はない。この戦闘から逃げられないことは嫌というほど分かっている。
「いい加減、諦めたら?」
じわじわと距離を詰められ、前を見据えたまま余裕ありげに言ってみせた。
でも強がりも足場もそろそろ限界。村娘スタイルに戻したスカートが風でゆるやかにはためく。後ろはリアルに崖っぷちだ。
「このままだと本当に落ちるよ。私が死んだら困るよね?」
「そうだな。では試しに転移を複写してみるか」
んっ? それって能力を借りて、自力で這い上がれってこと?
新たな能力については前に説明を受けた。要はアメジストの能力をコピーして私が使える、というものだった。
ちらりと横目で背後を見る。……確実にこの世とさよならする高さ……。
「却下。いきなり使い慣れてない力を試すような場所じゃないと思うな」
遠足とかでも、履きなれた靴で行くのが基本だよね。
「ある程度負荷をかけた方が能力は伸びるはずだ。死ぬ前には救出するから安心して落ちろ」
こ、この冷血マッドマジカリストめ……。
「成功しても失敗しても、どっちにしろハグする気だろうけど。あれは信頼を大暴落させる行為なんだからね」
私の言葉にようやく足を止めると、アメジストが周囲をぐるりと見渡した。
崖の傍には私達しかいない。だけどその少し手前にはちらほら人の姿があった。
ほとんどが男女のペアで、人目もはばからず密着している。というか思いっきりいちゃついてる。
しまった。ここ、デートスポットかよ!
時間に余裕がある時は、訪れた先で観光っぽいことをしたりする。ここは『絶景が見られる場所』と聞き、せっかくなので見にきたわけだけど。
海で新技を覚えて以来、魔王は隙あらばハグしようとする変態魔王に進化してしまった。
いくら他意はないからって、こう頻繁に抱きしめられては身が持たない。守ると言うならメンタルも含めて総合的に守っていただきたい。
顔を戻したアメジストが無言で視線を送ってきた。
その目が「こいつら全員、信頼を暴落させているとでも?」と語っている。
ぬぅ……ついに私の言葉に疑いを持ち始めたか……。(たぶん最初から本気で信じてないだろうけど。)
睨み合うなか、いつもの障壁と共になにか不思議な感覚が降りてきた。
「転移を複写した。思い切って飛び込んでこい」
言いながら再び両手を広げる。いや、どっちに!?
くそ~、イチかバチか、眠れるパワーを覚醒させてやる!!
鞄から真珠色のペンを取り出し、両手で握りしめた。それから意を決して反転すると、足場がなくなる直前で地を蹴った。
正面には沈みゆく太陽が、高い山の頂に差しかかっている。
あの山は方術士の総本山だ。頭の中でもふもふの小熊犬を再生した。
アメポート、じゃなくてハルポートで、小熊犬の保護区まで一気に飛んでやるんだからな~~!
きつく目を閉じ、愛らしいもふもふ達とおいしい飲茶を思い出す。
しかし落下の恐怖がそれらを完全に塗りつぶし、意識が途切れかけた頃――。
「気合だけは悪くなかった。次は転移を発動させるところからだな」
……ハルポート、不発……。
気付けば元の崖の上。背後から絡みつく腕の中で、私は山頂に輝くダイヤモンドのような夕日を遠い目で眺めた。
◇◇◇
私達は国境を越え、エミーユ皇国へ逆戻りしていた。
「遺物を回収する」
最近は質問すれば答えてくれる、それはいいんだけど。
目的地はまた隠しダンジョンらしい。
蘇る瘴気漬けの日々……。信頼も初期値に逆戻りだよ?
「今度こそ、瘴気を避ける手立てを思い付いた」
悪寄りの薄笑いで言う。
アメジストの思い付きは基本、信用してはいけない。それはフィンダルで改めて思い知ったばかりだ。
疑念に満ちた視線を返す私を抱え、崖から飛び降りる。目を開けると宿屋の裏手だった。
「この国は魔術禁止だよ。もし誰かに見られたら……」
「転移は分類上、精霊術だ」
だからそういうことじゃないってば……。
そんな感じで、教育もかんばしい成果は上がっていない。
「これなら俺でも作れるな」
――なのに。料理の腕だけは順調にレベルアップを続けている。
一体何を目指しているのかな、この魔王は?(いや有り難いですけどね、野宿の時とか。)
「ちょっと、そういうのはもっと小声で。お店の人に聞こえるでしょ」
慌ててたしなめるも、遅かった。お昼のピークを一人で切り盛りしていた店主が、私達の席へ駆け寄ってくる。
「おい兄ちゃん、だったら作ってみろよ!」
「一品でいいのか? お前の動きを見た、他にも五品は作れる」
「おうおう、言うじゃねえか。……注文が来たらぜひお願いします」
店主のプライドを賭けた煽り合いかと思ったら、臨時バイトの打診らしい。
ピークが過ぎるまでの間、厨房担当になったアメジストの隣で私も皿洗いに参加した。
「善い行いをしたので、信頼が1アップしました」
「少なすぎるだろ」
態度の悪さで減点されているのだよ。
ちょっとだけ私もバイト代をいただき、ほくほくしながら歩いていたところ。
「……あ、かわいい」
思わず呟いてしまった。
店がまばらに並ぶ通りに一軒、小さな雑貨店がある。
その窓から見える棚に、可愛らしい絵柄のついた便箋と封筒が置かれていた。
淡いピンクの花が所々に散っている。私はこのレターセットが似合いそうな相手を思い浮かべた。
これでリチアに手紙を出したいなぁ~。
リチアも同じく旅暮らしとはいえ、エルラント大聖堂へ送ればいつかは見てもらえるんじゃないだろうか。
隣に値札も置いてある。元の世界と比べると、紙は安くない。綺麗な装飾付きならそれなりの値段はするのだ。
……うーん。思った通りそこそこいい値段。
アメジストを待たせて、私は鞄の中から紙包みを出して中を確認した。前に給仕をした時のバイト代だ。
それと今回の分を合わせれば……!
「……1カラトっ……!」
ギリ足りなかった。たかが1カラト、されど1カラト……。
がっくり肩を落としているとアメジストが財布を取り出し、私の手に乗せた。
「欲しいならさっさと買ってこい」
少し迷ったあと、顔を上げて誘惑を振り切った。
さんざんひとの財布を好きに使っている私ですが。
それらは一応、必要経費というか。(まれに例外はあったかもしれないけど……、)とにかくこういうものまで買ってもらうのは違う気がする。
「どうでもいいところにこだわる奴だ」
「どうでもよくないよ。大事なことなのよ」
「それを耐えたところで得るものがあるとは思えないがな」
たとえ何も得られなくても、“パパ(兄?)活的なことはしていない”という意識だけは守っていられる……たぶん……。
後ろ髪を引かれつつも歩き出した私は、視界に入ったものに再び足を止めた。
数軒先の脇道の壁に、一枚の張り紙がある。駆け寄って壁に張り付き、それを読んだ。
『迷子を探しています。名前はノーチェ。長い耳とつぶらな瞳の、穏やかで優しい子です。』
その下にはなんとなく画伯と呼びたくなるイラストが描かれている。
後ろ足で立ちあがった、黒いウサギ……に見えなくもない。どうやらペットのウサギが迷子になってしまったみたいだ。
さらにその下の一行に、私は思わず声を上げた。
『見つけてくださった方には、50カラト差し上げます。』
「これだ~~!」
張り紙を指差すと、隣のアメジストが呆れたように息を吐く。
「また面倒なことをさせる気だな……」
「ううん。アメジストにはほとんど頼らないよ」
不思議そうに見返してくるのに、急にやる気がみなぎってきた私は両手を腰にあてて宣言した。
「遠い目を借りて、私がこの子を見つけ出してみせる!」
「……望遠のことか」
ノリの悪い無表情を見上げ、やる気を伝播できそうな内容を返す。
「私がコピー能力を使いこなせるようになれば、アメジストの力も一緒に上がるかもしれないよね。また新技をひらめく可能性だってあるし」
「意気込みは買うが……」
思いの外歯切れが悪い。張り紙をじっくり眺める視線は、興味があるのかないのか微妙なところだ。
「まさかウサギ魔物かもとか、疑ってる?」
「いや……もしそうだとして、飼いたい奴は好きにすればいい。ただこの情報には見覚えがある」
他の場所にも張ってあったんだ。気付かなかった。
「フィンダルとの国境付近からここへ来るまで、何度か見かけた」
思ったよりも広範囲で捜索しているらしい。
人気のない脇道の奥へ移動して、アメジストが魔本を取り出す。それを一緒に開くとこの地方の地図が浮かび上がった。
地図に指をあて、わりと広い部分をぐるっと囲むように動かした。ちょうど私達が通ってきた道に沿って、その南側全体に広がる地域だ。
「妙な噂を耳にした。この辺りはここ最近、魔物の目撃情報が相次いでいるらしい。同時に巨大な黒い影が魔物を狩っていた、という話もあるそうだ」
いつも知らない間に情報を仕入れている。ちょくちょく傭兵ギルドで戦利品を売っているから、その時にでも聞いたのかな。
でもその噂とこの迷子探しに何の関係があるのだろう?
合点のいかない顔を向けると、確証はないが……と前置きする。
「お前はおかしなものを引き寄せるからな。この黒いのは、お前の想像からはかけ離れた生物かもしれないぞ」
またこっちのせいにしてきた。だから引き寄せているのはあなたの方じゃないんですかね。