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 ようやく回されていた腕が緩んだ。


「どうだ。何か見えたか?」


 女子を長々と抱きしめた余韻なんてものはない。

 その間に「なんか前も似たようなことが……」と冷静になっていた私は、至って事務的に返答した。


「ショックで白目剥いた肉が見えましたけど」

「肉? 随分距離が近いな……性能が大きく低下している……」


 呟いて再び密着しようとするのを、腕を突っ張って阻止する。


「何かの実験なのはわかった。でも今はこんなことしてる場合じゃないよね」


 あからさまに不満げな魔術馬鹿にきっぱりと言う。

 どうも魔術というよりは、精霊と契約者ごっこ関係の実験な気がする。どっちにしろこんな時にやることじゃない。


「異変は解決したはずだ。特に問題はない」

「二度ある異変は三度あるかも。第三弾が来る前に態勢を整えないと」

「そう頻繁に起こるならもはや異変ではなく日常だな」


 歩く異常の見本市みたいな奴が言うと、本当に日常になりそうで嫌だな。

 迫りくる腕をかわし、貝の反対側まで回って避難する。

 近付いてくるのをぐるぐる逃げ続けたら、アメポートで捕獲された。ずるい。


「あのね。理解はしなくてもいいけど、こういうのはたとえ実験でもやっちゃだめなやつだから」

「お前の方からとびかかってきた」

「魔物の攻撃か……いやちょっと勢いがつきすぎて……。以後気を付けます」

「その必要はない。新たな能力を得ることができた、これは有効な手段だ」


 ハグで新技をひらめいたらしい魔王が、珍しく上機嫌で言う。

 うわ~~、今後も試す気満々だこいつ……。


「……肉。どうした」


 どうやって諦めさせるか悩んでいると、やっと少し身体を離して壁の方を振り向いた。

 肉との通信を、今回は口に出して始める。


「そのつもりだ。……いや、一度船に戻る」


 また肉とどこかへ行くみたいだ。目をやると、張り付いていたあたりから少し離れた場所に肉がいた。

 表情までは見えないものの、アメジストとのお出かけにはしゃぐ感じはない。

 ……やっぱり何か誤解したのかな。誰だってあれが新技開発のための実験とは思わないよね。


「……? あの時とは事情が変わった。案内を終えた後は好きにしろ」


 肉がかすかに震えだした。

 嫌な予感がして、アメジストの服を掴んで注意を引く。

 会話の中身はわからないけど。なるべく優しくソフトな表現でお願いします。


 通信しながら私の口パクをじっと見下ろすと、片手で頭を撫でてきた。

 違う、構ってほしいとかじゃなくて……! あああ、肉が激しくガタガタしてる。逆効果だ!

 なぜか貝までガタガタ動きだした。それに一度横目を向け、続ける。


「ああ、ないな」


 肉の震えが止まった。貝も止まった。

 私と四匹のモチータが固唾を飲んで見守る中。奇妙な静けさの後、肉が尾ひれを翻した。

 月明りの下をゆっくりと泳ぐ後ろ姿が、暗闇の中に消えていく。


「よし。帰るか」


 ……いや絶対よくないと思うんだが……。

 ただこの場合どんな対応がベストなのか。肉は多分、もっとアメジストと一緒にいたいんだろう。かといって、この海にずっといるわけにもいかないし……。


 何事もなかったように引き寄せられ、視界が歪む。

 二、三度転移を繰り返し、気付くと海賊船の甲板に立っていた。



   ◇◇◇



「コハル!」


 甲板にいたセラが気付いて駆け寄ってくる。

 島に停泊していた船は、今は海に漂っていた。私を探してくれていたらしい。


 セラに状況を簡単に説明する。(その間、さり気なく離れようとしたら悪霊にとり憑かれた。)

 話し終えると、いきなり頭を下げた。


「ごめん、俺が無理を言ったせいで……。無事で本当によかった」

「べつにセラのせいじゃないでしょ。それより幽霊船は?」

「あの後すぐに海に帰ったよ。コハルが力を貸してくれたお蔭だ、ありがとう」


 どうやら無事、幽霊船は退散したらしい。

 ただそれが私の力だという実感なんて当然ないわけで。返事をできずにいると、


「……だけど怖い思いをさせたから、彼のもとまで行ってしまったのかな。もっと信頼してもらえるように精進するよ」


 ――へっ!? あれってそういうことだったの!?

 じゃあ何か。私は幽霊船の恐怖(とセラの真綿でじわじわ系の圧)からアメジストに助けを求めたせいで、勝手に海まで飛んだ結果溺れかけたと……?

 なんだその恥ずかしすぎる理由。秘められし力のせいで秘めておきたかった内面が晒されるなんて……。


 背後の悪霊が顔を覗き込んできた。顔をそむけると片手であごを掴まれ、じろじろ眺められる。

 くっ……こういう時だけわかりやすく楽しそうな空気出すな。


 辱めを受けていると、ヨゼフや海賊達がちらほら集まってきた。

 詳しい話はまた明日にしようと言おうとしたところで、やっと身体を離したアメジストが遠い目で海を見る。


「肉が食われた」


 …………は?


「どういう意味? そんな名前つけるから、本当に食べられちゃったみたいな」

「言葉の通りだ。封じたはずの竜魚に食われた」


 思わずとびかかった。今度は抱きつくのではなく胸倉に掴みかかる。


「竜魚って!? なんでもいいけど、今から助けに……!」

「もう腹の中だ、間に合わない」

「……そんな」


 冷淡な言葉に後悔が押し寄せる。

 あの時誤解を解いておけば。引きとめて、一緒に船まで帰っていたら。考えたところで今更どうしようもないけど……。


 アメジストが集まった皆に指示を出す。

 肉を食べたのはそこらの魔物よりも数段やばい奴らしい。船は避難させ、自分はバトルに向かうようだ。

 また無人島かと思ったら、フィンダルの港まで戻るように指示された。


「念のため俺はあの島で待機する」

「必要ない」

「だが今の君は、化け物相手に余裕の勝利とまではいかないはずだ」

「え、そうなの!?」


 弱っているようには見えない。でもセラが言うには、アメジストの魔力が普段よりも大幅カットされているらしい。

「そんな状態で戦うの禁止! 回復してからにしなよ!」

「……余計なことを」

 私の訴えを聞く気があるのかないのか。舌打ちして続ける。


「金髪。お前の役目はコハルの護衛だ、船を降りるのは許さない。大体、魔術に暗いお前が残ったところで……」


 そこでふと言葉を切り、鞄から魔本を取り出す。

 私の手に渡すと、一転してセラに微笑みかけた。もちろん悪のスマイルで。


「そこまで首を突っ込みたいなら仕方ない。これにお前達好みの“海の平和”でも願ってみろ。どんな術が出ようとしっかり完遂しろよ――たとえ禁術でもな」


 魔王のそこはかとなく不吉な指令に、セラが顔を引きつらせた。


 アメジストいわく。ここには昔、楽園の主と呼ばれる大精霊がいたらしい。

 その大精霊が復活すれば、やばい化け物を封印してくれたり海に平和が訪れたり、といいこと尽くめだそうだ。


「どうすれば復活させられるの?」

「それを本に授けてもらえという話だ」


 この件も、魔本とセラに丸投げするパターンみたいだ。

 隣の顔を窺う。いつものふんわり感がどこか精彩を欠いていた。禁術だとか怪しげなこと言ってたし、やりたくないんだろうな。



 結論から言うと、立派な堕……聖騎士のセラは、平和のために尽力してくれた。

 ただ思ったよりはグダグダした。


 私の制止を無視し、アメジストがアメジェット(海上バージョン)で竜魚にケンカを売りに行って間もなく。

 魔本にお願いするとすんなり呪文が浮かんだ。セラが時間をかけて黙読する。

 それから顔を上げ、若干引きつった笑顔を向けた。


「ちょっと一旦閉じようか」

「一旦閉じまーす」


 明かりが消えると沈痛な面持ちでため息を吐く。


「……禁術だった? やばそう?」

「禁術かどうかは……。でもバレたら騎士人生が終わる程度にはやばそうかな」


 そこまで人を大きく狂わせる術なら、もう禁術でいいような。


「だ、誰にも言わないから安心して。リチアにだって絶対話さないから」

「うん……」

「海賊の皆も、セラに不都合なことを言いふらす人なんていないし」

「うん……」

「えーと。私にも協力できることがあれば、何でも言って」

「本当?」


 崖っぷちから海を眺めるような表情で床を見つめていたのが、急に精彩を取り戻した顔で振り向いた。


「じゃあいつか聖区で俺と一日過ご……」

「いいから早くやれや」


 何か言いかけたセラの背後から、いつの間にかいたヨゼフが膝蹴りを入れた。


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