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 崖の上から海を眺める。渦の様子に変化はない。


 そろそろ蝕も終わる。

 諦めて宮殿へ戻ろうとした時、渦が大きく波立った。

 ゆっくりと流れを止め、瘴気を吸い込み逆回転を始める。

 回転の勢いが増し、あたりに暴風を巻き起こした後、渦が急停止した。


 凪いだ海面から球体が現れた。

 卵のような形のそれが空中に浮いたまま、少しずつ成長していく。

 この卵から竜が孵るのだろうか。


 成長を続ける卵を見守っていると、海底から近付く気配があった。

 欠けた月を映す海面を荒らし、巨大な魚が顔を出す。

 司令官が乗っていたあの怪魚だ。


 崖に近寄ってくると、大きな目を寄せ竜の卵を眺める。

 攻撃する意思はない。

 そう判断した直後、巨大な口が開いた。ようやく人の頭ほどに育った卵を海水ごと吸い込み、呑み込む。


 …………悪食にも程がある。

 禁術の設計も問題だ。何故卵から始めた。せめて幼体にしろ。


 空腹を満たすのが目的とも思えないが……。どこか濁った双眸に感情らしいものは読み取れない。

 何にせよ生まれかけた竜は怪魚の腹に収まってしまった。

 残念だが、その程度の存在だったということだ。


 虚しさを感じながら踵を返しかけた瞬間、島が揺れた。

 怪魚を中心に海が激しい波を起こす。

 魚が咆哮を放つ。波濤が周囲の岩を粉砕した。


 なかなかの破壊力だ。竜の卵を喰ったことで力を得たのだろう。

 少なくとも卵より強大な力を感じる。竜魚とでも呼ぶべきか。


 再び竜魚が吠えるとその身を瘴気が包んだ。

 こいつも瘴気を生み出すことができるらしい。異変を誘導している者の目的は、この特技を持つ生物を増やすことなのか。

 時間をかけて観察したいところだが。これを野放しにすれば異変は確実に悪化するだろう。


 竜魚の上空に雷雲が集まった。轟音を立て、俺がいた場所に稲妻が落ちる。

 飛びのいた先にも落雷の連打が追いかけてきた。

 どうやら向こうも俺を逃がす気はないようだ。


 雷撃で崩れかけた崖を駆け下りる。

 口を開け水術を吐き出すのを避けた後、岩を蹴って竜魚の背にとび降りた。

 そのまま瘴気を奪い、鱗ごと素手で刺し貫く。

 だが身の一部を削った程度で暴れ回られ、海へ振り落とされた。


 一時的に力は増したが、今までのような威力は出なかった。瘴気の量が不足していたのか。

 怒りに満ちた唸りと共に、竜魚を更に厚い瘴気が覆う。

 尾ひれでの攻撃を避けつつ岸に上がり、もう一度瘴気を奪おうとしたところ、


『アメジスト様っ……!』


 暴れる竜魚の立てる波に逆らい、肉が近付いてきた。近くに潜んでいたらしい。


『邪魔だ。宮殿へ戻れ』

『瘴気をお使いになるのはおやめくださいませ』


 波に耐え、必死に訴えてくる。

 説教するためにわざわざ出てきたのか。鬱陶しく思いながら通信を返した。


『瘴気はただの力だ。お前達が忌避するのは勝手だが、俺にとっては魔力同様……いや、もっと近しいものだ』


 自然と出た言葉に自分で納得した。

 瘴気はなによりも俺に近い、本質的なもの。そんな気がする。


『いけません……。いつか代償を払うことになりますわ』


 代償?

 精神を失調するとかいう話か。俺に影響があるとは思えないが。


 竜魚が岸に向かって突進してきた。肉を抱えて島の奥へ移動する。

 砂浜を破壊しながら乗り上げた竜魚が吠え、瘴気が増す。

 魚の腹が蠢き、そこから四つ足が生えた。ガビアロドンのものに似ている。


 何度も衝撃を受けた崖が大きく崩れた。下敷きになった竜魚が、土砂の中で不慣れな足をばたつかせる。

 崩壊寸前の島に残った足場で闇の攻撃術を用意する。威力を高めていると背後の肉が鳴き声を上げた。


『お待ちになって! 死骸から大量の瘴気が流れ出し、海が汚染されます』

『肉、今日は妨害ばかりだな』

『申し訳ございません。ですがこれ以上瘴気が増えれば、もうこの海で暮らせるのは魔物だけになるでしょう』


 この海がどうなろうと、俺には関係ない。

 ……だがここにあいつがいれば、何とかしろと騒ぐだろうな。


『だったらどうする。相手は悠長に待ってはくれないぞ』

『海の魔力をお集めになって。わたくしが先導いたします。その力であの者を海底へ封じてください』

『海の魔力? そんなものどこにあるんだ』

『お持ちの魔力を海へお渡しくださいませ。力を還してくれます』


 魔力を海へ渡す?


 失敗すれば魔力を失い、竜魚を倒す手段まで失うことになる。

 狂っているとしか思えない提案に振り返ると、真剣な表情で頷いた。


『アメジスト様にならできますわ』


 土砂から這い出てくる姿が更に変形した。

 大きく裂けた口から牙がのぞく。尾ひれは長く伸び、全身が横に平たくなっている。魚よりも爬虫類に近い。

 呑まれたガビアロドンの魂の方が勝っているのかもしれない。


 何かを得るために何かを捨てる。時にはそんなやり方も必要だということか。


 意識を内側へ向ける。

 魔力を錬成することなく、手の平から海へと吐き出すような感覚で流していく。

 そうしてひたすら魔力を放棄した。


 竜魚が這い寄ってくる。俺のことも丸呑みしたいらしい。

 ほとんどの属性が空になり、闇の魔力を半分ほど流したところで逆流が起きた。

 どこからか俺のものではない魔力が流れ込んでくる。


『今です!』


 肉の合図で眼前に迫っていた口腔へ手の平を向けた。

 海から返還される魔力が、俺を通して竜魚へ放たれる。

 広がる水の膜が瘴気ごと巨体を包み込んだ。


 暴れ回る竜魚を閉じ込め、巨大な水球が徐々に縮んでいく。それにしたがい中で竜魚の身も縮小する。

 気付けば竜の卵程度の大きさになった頃、水球がひとりでに空中を漂い、海に落下した。

 水球が海底深く沈んでいく。同時に流れ込んでくる魔力が止まった。


『お見事でしたわ』


 竜魚の封印に成功したらしい。


 試しにもう一度、魔力を海へ流した。魔力が還ってくる気配はない。

 新しい力の使い方を知ったのはいいが、いつでも自由に使えるものではなさそうだ。肉の補助がなければ成功しなかっただろう。


 どうもこういった期待外れがよく起こる。俺は運がないのか……?



   ◆◆◆



『不完全なものだったとはいえ竜を封じるとは。感服いたしましたぞ』


 宮殿へ戻ると、大精霊の広間にマーナイゴンの長老がいた。

 捕まっていた者達から話を聞き、二匹の護衛と共に禁術を見届けに来たらしい。


『竜について知っていることを全て話せ』


 長老の語る伝承を簡単にまとめると、“強大な力を持つ凶悪な存在”というものだった。

 姿も行動も一定ではなく掴み所がない。

 凶悪とされる点は主に、瘴気を発生させ自在に操ることが理由らしい。


 異変を誘導する者の目的は、竜の創造なのだろうか。

 だとすれば今回の竜魚を含め、これまでに遭遇した瘴気を生み出す生物は、そのための実験動物か。


 粗方話し終えると重い息を吐いて続けた。


『竜が現れれば楽園の主が復活する、でしたか。一体どういうことなのか、皆目見当もつきません。お目覚めになられたとして、この方の力で竜を封じることはできても、女神様のように従えるのは難しいでしょうな』

 言いながら大岩を見上げる。

 

『竜を服従させた女神……エルテクタだったか。それはただの神話だろう』

『陸のお坊ちゃまには女神様の存在は信じられませんか』

『少なくとも存在するかしないかといった話に興味はないな。ともかく、竜の不完全体によって大精霊が復活することはなかった。おそらくあのガビアロドンをその気にさせるための方便だろうな。奴に禁術を授けた者に心当たりはないのか?』


 長老が首を横に振る。今回も黒幕は尻尾を掴ませなかった。

 書庫の監視者の思惑も謎のままだ。それとも本命は貝の方で、これから何かが起きるのか。

 さっさとアコ・ブリリヤを入手し、コハルと合流しよう。手紙は三日分あるはずだ。


『扉を開けてくれ』

 俺の言葉に長老、肉と術者のマーナイゴンが集中し、奥の巨大な扉へと一斉に魔力を送った。

 六属性の魔力を均等に受けた扉が重い音を立てる。光を溢れさせ、半分ほど押し開かれた状態で動きを止めた。


 奥には回廊と似た透明な通路が伸びていた。

 通路を進んだ先、外から見た時には何もなかったはずの場所に、広間より一回り小さな部屋が見える。

 しかし部屋を覆う透明な壁に入口はなく、マーナイゴン達でも入ることはできなかった。


『そんな……女神様の御力は感じますのに。わたくし達も入れないなんて』

 四方の壁を全て調べた肉が項垂れる。

『ここは楽園の主様の宝物庫。他者の侵入は許されないのかもしれませんな』


『つーか物がゴチャゴチャ積んであって、宝があるのかどうかもわからないよ。片付けられないメスだったのかねぇ』

『……うっ……』

『なんであんたが頭を抱えるんだい?』

『い、いえ……急に謎の頭痛が……』


『……まさかあれもアコ・ブリリヤなのか?』

 乱雑に散らばる物の隙間から、部屋の中央で口を開く二枚貝が見えた。

『ふむ。見たことのない大きさですが、そのようですな』

 本来なら手の平ほどのはずが、貝の中に人が一人収まるほどの大きさだ。


『宝石は出来てないけど、生きてはいるみたいだね』

『……ブリリン……』

『ブリリン?』


 どこか虚ろな眼差しの肉が呟いた時、巨大な貝がわずかに身を震わせた。

 マーナイゴン達が部屋を覗き込む中。あるはずのない気配を感じ、思わず望遠を起動した。


 感知できる範囲にいるはずがない。だが妙な胸騒ぎがする。


 周囲の海をくまなく見渡す。同時に探知を使いながら探っていると、視野にその姿が映った。

 身体を丸めて何かを抱きかかえるような体勢で沈んでいく。海面に近い、落ちてからまだ間もないだろう。


「コハル!」 


 薄く開いた黒い瞳と視線が合う。

 両手で握りしめた物が淡く輝き、闇の中に漂う姿を浮かび上がらせた。


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