79
今日も一人で穏やかに目が覚めた。
でも今朝はこれまでとは違う。状況に変化あり。
寝る前に書いて置いた手紙の余白部分に、文字が追加されている。
主に誤字の指摘や少し難しい文字への変換で、返事というよりただの添削だ。
なのに意味もなく何度も読み返してしまった。
確実にスルーされると思った冒頭部分には、
『安直すぎる』
と唯一コメントが付けられていた。
いいんだよ、安直で。オヤジギャグなんだから。
……うん。この作戦は有効な気がしてきた。文字の練習にもなるし。
私は気分が急浮上していくのを感じ、軽やかな足取りで厨房へ向かった。
「おはよう、コハル」
「あ、おはよ」
「おう」
部屋を出た少し先で、セラとヨゼフに会った。……スキップしてたの見られてないよね。
話し中らしいので挨拶だけして通り過ぎようとすると、セラが私の隣に並ぶ。
「話はもういいの?」
「ああ、別に大したことじゃないから」
軽く振り返る。ヨゼフもあっさり去っていった。
なんとなく、前ほどセラを警戒しているようには見えない。
昨日一緒に戦ったことで、信頼が生まれたりしたのかな? ヨゼフは腕前を見せる機会がなかったらしいけど。
……それとも、ただのたらし効果……?
二人で厨房へ向かう。すると中から妙に騒がしい声が聴こえてきた。
不思議に思いながら部屋に入ると、海賊達が一角に群がっている。真水を作る装置の前だ。
「すっげー! 前と味が全然違うぜ! 臭くねぇし!」
「そのまま飲めんのか!? 嘘だろ!?」
「魔力もほとんど使ってねぇんだとよ。これからはうまい水をいくらでも飲めるってことだよな!」
どうやら真水装置の性能が爆上がりしているらしい。
省エネモードにもなったようで、今後は魔力を気にせず使えるみたいだ。
とても有り難いことだけど、どうして一晩でそんな大変身を……。
……いや、いかにもやりそうな奴が一人いる。
人だかりの隙間を縫って朝食を受け取り、厨房の入口近くにある席でセラと食べる間も、通路を行き交う海賊達が興奮気味に話すのが耳に届いた。
「聞いたか? 推進機がなんかすげーことになってるらしい。消費魔力も減って、毎日使えるんじゃないかって話だ」
「まじかよ。今日は船がほとんど揺れないのはそのせいか?」
「魔動砲があり得ない動きをするようになったって、幹部連中が騒いでたぜ」
「ああ、やばすぎてうかつに触れないらしいな」
「なんかさっき、船長が隅の方で膝を抱えてたんだが……」
「あの人、船への思い入れが半端ねぇからな……。ヨゼフあたりに任せとこうぜ」
そんな感じで、今日は海賊船の随所が謎のグレードアップを遂げた話で持ち切りだった。
皆が寝ている間に仕事をしてくれる小人さんでもいるのかな。
他人の船でもお構いなしで、自分好みにカスタマイズする悪霊さんの仕業だろうけど。
海を眺めたり、セラが任された作業を手伝ったり、厨房の皿洗いをしたりして一日が終わる。
夕食をほとんど上の空で食べていたら、セラに心配されてしまった。
なんとか誤魔化し、そそくさと部屋へ戻る。ごめん。今日書くネタを考えていただけです……。
『ふねがれべるあっぷしたね。はん人はいまこのへやで、てがみをよんでいる……あなたです、まおうさま。
水がおいしくなって、みんなよろこんでたよ。
だけど、せんちょうのきもちもそんちょうしてあげてね。』
ペンを小さなインクつぼに戻して、魔本で手紙を押さえておく。
今更だけど。私が寝ている間って、どうやって魔本を起動させてるんだろう?
魔動シップを好き勝手に改造するような奴だ、なんとでもなるか。書くネタがなくなったら質問してみようかな。
その後も船は何度かマイナーチェンジしているようだった。多分もう原型を留めてない。
やつれた顔のヨゼフにばったり会った時、愚痴を聞かされた。船を魔王に蹂躙され、ヤケ酒に走る船長の相手をさせられているらしい。
「ハル坊、奴を止めてくれ……」
「無理。今アメジストとは完全すれ違い生活で、一切会話してないから!」
「……そのわりには楽しそうだな?」
会話がないのは事実だ。文通(通信教育)はしてるけど。
どっちにしろ、私が言ったところで止まるわけがない。訝しげな目をするヨゼフから逃れ、用事がある風を装って甲板に出た。
海を眺めていると、船に並んで泳ぐモチータが顔を出す。
よく見ればイルカよりもおうとつの少ない顔で、どちらかというとマナティなんかに似ている。身体の下半分は鱗に覆われていて、貫禄のある体型ながら、颯爽と泳ぐ姿はまるで人魚だ。
「もっちー」
実は密かに考えていた名前で呼びかけてみた。モチータだし、もちもちボディだし、これしかないでしょ。
モチータが振り向いてこちらを見た。だけどすぐに顔を戻し、海に潜る。
気に入ってもらえなかったかな。残念。
海中を並走する影を目で追っていると、ある時泳ぐ向きを変え、異様なスピードを出した。
転移か?と思うような速さで移動し、また顔を出す。そこは船内入口あたり、ちょうどアメジストが甲板に出てくるところだった。
そのまま船の端まで移動し、モチータを見る。
アメジストの視線を受けつつ、器用に直立不動で立ち泳ぎしている。その間も決して視線を逸らさない。瞬きすらしない。
……うーむ。懐いてるっていうか、魔王の忠実なるしもべ感がすごい……。
どうもアメジストが魔物から助けたようだから、恩を感じているのだろう。
可愛らしいんだけど、なんとなく見続ける気分にはなれずにその場を離れた。
いつもの場所に手紙を置いて眠り、起きてすぐに目を通す。
素っ気なくも意外と丁寧な添削が続く中。モチータをもっちーと呼んだら無視されたと書いたあたりに、一行コメントがあった。
その内容に思わず心の中で悲鳴を上げる。
『あいつには既に名を付けた。“肉”だ』
――――肉っ!?
◆◆◆
『ごきげんよう、アメジスト様』
マーナイゴンが通信術を使いこなすようになった。
妙な口調は、人間の書物を拾って読んだ影響らしい。喋ることはできないが、生まれつき人語を理解できたそうだ。こいつも変異種なのかもしれない。
『先ほど、不思議な呼びかけをされましたわ。もっちー、だとか……』
間違いなくコハルだ。
早速こいつに興味を持ち始めたか。このまま馴れ合わせてしまえば、肉を食べさせようとしても拒否するだろう。そうなっては面倒だ。
『その子供の相手はするな。何を言われても無視でいい』
マーナイゴンが首を傾げながらも了解した。
『……ですが名前は必要かもしれません。この先ご指示をいただくにも、無いままでは何かとご不便でしょうし……』
にわかに落ち着きのない様子になって続ける。
『あっ、あの……! もしよろしければ、わたくしに名を与えてくださいませんか? アメジスト様から頂きたいのです』
またテンのように愛玩するようになっては問題だ。コハルに名付けさせるわけにはいかない。
名が無くては不便だというのも一理ある。俺が付ける以外にないだろうが……。
マーナイゴンの名、か……。
…………。
………………肉、以外何も浮かばん。
『肉っ!?』
『……どうやら俺に名を付ける能力はないようだ』
諦めて認めると、
『――肉で構いませんわ。いいえ、ぜひ肉とお呼びください!!』
何故か気に入ったらしい。変わった嗜好の持ち主だ。
その後マーナイゴン……いや、肉から情報を引き出した。
更に細かな改修を続けながら、船を進ませる。
ようやく目的の場所まで辿り着いた。肉を待機させ、一度部屋へ戻る。
まっすぐ戸棚に向かい、置かれた紙を手に取った。
『アメジスト、大事なことだからよくきいて。
へたなあだ名をつけると、いじめとにんしきされるおそれがあるんだよ。
だれだってへんなよびかたされたらいやな気分になるからね。
たとえばアメジストだって、「いんてりやくざ」とかよばれたらいやでしょ?
肉なんて、よびにくいな』
お前は何を言っているんだ。
……よく次々と思い付くものだと感心はするが。
書き置きに追加する。添削は省いた。最近は目につく程酷い部分は少ない、直しが必要な箇所も減ってきた。
懐の中身を出して紙の上に置いた。寝顔を確認し、書庫には寄らず部屋を出る。
甲板へ戻ると白い頭が出迎えた。
夜空には半円の月が浮かんでいる。視線を戻すと通信が入った。
『それではご案内いたします』
肉が静かに海中へ消える。
深く息を吸い、海にとび込む。鈍く光る鱗のあとを追い、闇の中を潜行した。