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魔物から出るあの黒い靄は、『瘴気』というらしい。
わかったのはそれだけだ。人体や自然環境に悪影響を及ぼす、といった曖昧な記述ばかりで、結局なんなのかはっきりしない。
吸収し魔力に変換できる理由も不明だ。
調べているうちに、『魔動』というものに行きついた。
だが文献は圧倒的に少なく、表面的な概要ばかりで詳しい内容も出てこない。
これは俺の知識量の問題なのか、それとも魔動がまだ発展途上の新技術であるせいか。
魔動――『魔動力機構』は、瘴気を『瘴気機関』と呼ばれる機械で魔力に変換し、利用する仕組みのことらしい。
その魔力は各地に送られ、主に魔術的な効果を発揮する道具(魔動具)等に充填し、使用される。
ただし瘴気機関によって作られた魔力は、魔術士などが人体に吸収して利用することはできない。
これは盗用防止のために敢えてそう設計したのかもしれない。
つまり俺は、この瘴気機関と似たようなことをやっているのだろう。
理屈は謎のままだが、便利な能力には違いない。
まずは四属性を強化し、使える術を増やしていくのが先だ。
幸いにも、魔術書の種類が大幅に増えている。しばらくはこれらを読破するだけで手一杯になりそうだ。
……ただ、少し気になることがある。
あの纏わりついてきた子供の語る“魔術”は、ここで得た知識とは微妙な違いがあるようだった。それほど大きな差異ではないが、何か違和感がある。
まあ、あの子供の知識が偏っているだけなのかもしれない。
どんな違和感も、コハルの奇妙な言動に比べれば些細なものだが。
◇◇◇
ほんわり湯気を立てる黒パン。ボリュームのあるオムレツと、人参みたいな茹で野菜。それに肉と野菜が少し入ったスープ。
この世界で初めてのちゃんとした朝食を前に、私は笑顔で両手を合わせた。
「いただきまーす!」
どれからいこうかなー。まずはスープを一口。昨日のお粥の穀物が入ってないバージョンだ。優しいお味。
パンを大きめに千切って頬張る。中はもちもち、噛み応えがあって美味しい。
お次はオムレツ。……うまい! でもオムレツではない? 中に刻んだ野菜や肉なんかが入っていて、どことなく懐かしい味のソースでまとまっている。この味、ほぼお好み焼きだ。
人参はちょっとカボチャみたいな味と食感だった。素朴な美味しさ。
真剣に朝食に向き合って堪能していると、ふと前の席から視線を感じた。目を合わせると、何となく逸らされる。
「……なに?」
「えっ、いや別に? あー腹減ったなー」
そう言って食べ始めながらも、時々ちらちら見てくる。なんなんだ。
「……ラズ? なんか言いたいことがあるなら言ってよ」
「え、え~とぉ……トール、お前聞けよ」
ラズが隣に座るトルムを肘でつつく。
「は!? な、なんで僕が……嫌だよ!」
それまで黙々とパンをかじっていたトルムが、がたっと椅子ごとのけ反った。何故か顔が赤い。
……なんだこの挙動不審な中学生たちは。この世界に中学校とかなさそうだけど。
「んだよ、トールだって気になって仕方ないくせに。……あのさーコハル。お前らって、やっぱデキてんの?」
出来てるって、何が?
「だからぁ、お前とアメジストだよ。デキてるの? それとも、デキてるの?」
手に持ったフォークを向けてにやにや笑いながらの発言に、意味がわからないままとりあえずパンを咀嚼した。パンうめえ。
アメジストと私の間で出来たことといえば、魔本の売買と護衛の契約くらいだ。意思の疎通はほとんど出来ている気がしない。
…………ん!? まさか出来てるって、いわゆるそういう意味!?
「なにそのボキャブラリー、おっさんかっ!? どこをどう見たらそんな恐ろしい妄想に繋がるの!? 男女が一緒に歩いていたら全員カップルに見える目をお持ちですか!?」
「え……いやさっき部屋に呼びに行った時、見たじゃん。オレたち」
コハルとも思いっきり目が合ってたじゃん。と不思議そうにラズが言う。
はぁ~? 見た? そんな疑いを持たれるような何を見せたっていうの。
何もしてない、したのは地獄の朗読会くらいで、…………?
朝食を一緒に食べようと二人が私たちの部屋を訪ねてきた時、そういえばまた魔本の朗読を強要されていたところだった。あの膝の上スタイルで。
二人の申し出に、やったーこれで解放される! という喜びしかなくて完全に忘れてた。確かに誤解を受けるような体勢でした。
ちなみにアメジストは朝食を断ったのでここにはいない。朝抜くと力が出ないよ、魔力も出ないよ。って適当なことを言ったら無視された。
「あれは違うんだよ。全然そういう甘い意味のやつじゃなくて。あれは……そう、一種のカツアゲです。私は搾取されているのです」
「やだーなにそれ。大人って汚い……」
「だからそういう意味じゃなくて!」
トルムが深く俯いた。アッシュブラウンの隙間からのぞく耳が真っ赤だ。朝からなんなんだこの空気。
くうぅ。いっそ魔本を見せて説明したい。でも誰にも見せるなとか言われてるしな。なんでダメなんだ、見たら減るのかって。
……ただ、全てつまびらかにして説明したとして、それで二人の理解を得られるのだろうか。私自身、けっこう前から色々と疑問に思っている。
なんであの人、読書の時に毎回膝抱っこしてくるの???
そして読書中の「意識飛ばしているだけ」状態、あれ何?
どうも完全に寝てるわけではなく、半覚醒?みたいな状態のようだけど……。たまに手が動いたりするし。
何より疑問なのが、なんでそこまで魔本に執着するのかだ。
だって浮き出てくるのはほとんどが子供向けの、魔術と全然関係なさそうな内容だよ? あの人どう見ても魔術オタクだよね?
どうしてこの魔本が欲しいのだろう。内容がどうであれ、あの浮き出たり消えたりの魔術感がいいのかな。本当に意味がわからない。
「しゃーねえ、じゃあそういうことにしといてやるよ。コハルは色気ないしな」
やっとフォークの先を下ろしたラズが、軽い調子で言う。
そういう言い方されると今度は腹立つな。誰が色気ゼロだ。
「コハルさんは、アメジストさんと森で出会ったと聞きましたが。どうして魔の森になんて入ったんですか?」
まだ少し顔が赤いものの、トルムが復活した。
あそこ、魔の森っていうんだ。魔物だらけだもんね。
「普通に道に迷っちゃって。……田舎から出て来たばかりなもので」
食事を再開しながら、とりあえずそう言っておく。異世界人とかも含めて、もうどう説明していいかわからないし。
「迷い方が豪快すぎだろ……でもコハルならなんか納得だわ」
ラズ君、君は一言いや十言ぐらい多いな。異世界から飛ばされてきたんであって、私が自力で迷ったわけじゃない! ってつい言いたくなってしまう。
「コハルさん、魔の森は本当に危険ですから今後は気を付けてくださいね。昨日は入口に近い場所なのであれくらいの魔物で済みましたが、奥へ行けば行くほど魔物は強くなり、瘴気も濃くなるんです」
「そうなんだ。うん、本当に気を付けます…………“正気”?」
失いそうには何度かなったけど、濃くなった気はしなかったな。正気。
ラズががたんと椅子を鳴らす。またフォークを向けてきた。本当にお行儀の悪い子ね。
「そこからか! どんな辺境の隠れ里だよ、お前の草食う故郷っ!」
草食う故郷ってどこだよ。あ、昨日私が言ったのか。
「トール、こいつ瘴気も知らないみてーだ。どうしよう。オレらで保護とかするべきなんじゃね? なんか、人として?」
「えっ……そんな、冗談ですよね? コハルさん」
トルムが目を瞠った。瞳の色は髪よりも少し青みがかっている。
うーん、隠すの面倒臭くなってきた。もういっそ異世界人だと暴露した上で、帰るための協力を仰いだ方がいいのかな?
……でも待てよ。昨日のラズ達の反応からして、アメジストの魔術はかなり高度なものみたいだよね。しかもそれを軽々やってる感じだった。
ラズ達に会う前はもっと森の奥だったから魔物も強かったはずだけど、軽く秒殺してたし。
魔動具とかいうものもお高いらしいのに、話を聞く限りではアメジストの魔術の方が強そうな気も……。
……なんか考えているうちに、嫌なことを思い付いてしまった。まさか私がこの世界に飛ばされて来たの、あいつのせいじゃないよね?
例えば、異世界へのゲートを開いてみよう魔術実験っ(禁忌)、的な。
そんな究極やばそうな実験をした代償で、記憶喪失になった、とか……。
もし元凶なら、責任取ってもらうからな?
少なくとも、元の世界へ帰る方法として一番可能性がありそうなのが、今のところアメジストの魔術なのかもしれない。
私はとりあえず、心配そうな目を向けてくる少年たちににっこり笑顔を返した。
「大丈夫。そういうの全部まるごと含めた護衛として、アメジストを雇ってるから」
まだ微妙な顔をしている二人を尻目に、再び朝ごはんを堪能する。うまうま。
それからトルムが教えてくれた瘴気というものは、よくわからないけど人の心身や自然環境によくない成分、みたいなものらしかった。アバウトな。
魔物はその瘴気に強く影響を受けているから、あんなに狂暴なのだとか。
そして不思議なことに、魔動具というのはその瘴気から作られた魔力で動いているらしい。なんか頭がこんがらがってきた。
「そんなよくわからないものを使って大丈夫なの?」
なんか使ってたらいきなり発火とかしそうで怖くないか。
「正直、瘴気も魔動も謎だらけだけどな。魔動ギルドの技師たちはちゃんと把握してるってことだろ。……あ、魔動ギルドってのは魔動具作ったり管理してる組織な。オレたち傭兵ギルドとは仲間みたいな関係だよ」
魔動ギルドはいわゆる企業秘密の多い組織らしい。
お得意様で仲良しの傭兵ギルドにも、詳しい技術について教えないそうだ。
「瘴気を利用する危険性もだけど、そもそも僕は今の世の中の魔動崇拝はいかがなものかと思うけどね。魔術は知ろうとしないのに、ほとんど魔術を下敷きにしている魔動ばかりもてはやすなんて……」
「まーた始まった。トールのご高説」
呆れたようなラズを無視して、トルムが熱く語り始める。
だが申し訳ないが、ここは――中略――とさせていただこう。(私の頭では一ミリも理解できなかったよ。)
「……というのが僕の考えなんだけど。でも今はそれよりも、アメジストさんの魔術をもっとたくさん拝見したいなぁ……」
うっとり夢見る表情で、虚空を見つめるトルム。そこにアメジストの幻でもいるのかな。本物が部屋にいると思うけど。
気付いたらもう食べ終わっていたラズが、真面目な顔を向けた。
「それでものは相談なんだけどさ。これから受ける予定の依頼に、アメジストにも参加してもらいたいんだ」
傭兵ギルドの支部が、隣町にあるらしい。
昨日、ヴェンの父親から追加で依頼の話があったそうだ。それを一度支部に持ち帰って、必要な手続きなんかをしてから正式に受けるつもりだという。
どうやらヴェンの母親は病気で臥せっているらしい。
その病気の治療薬の原料が、魔の森に生えているのだそうだ。だから二人は無茶をして、森に入ってしまったのだった。
ラズとトルムは昨日いたあたりなら余裕だけど、その先は魔物も強くなるし不安がある。ということでアメジストにも来てほしい、と。
「報酬は山分けな。探索限界点ギリギリになりそうだから、本来なら銀等級以上が受ける依頼だ。わりと良い額になると思うぜ」
探索限界点とは、他よりもひときわ強くて危険な魔物の縄張りの、一歩手前という意味らしい。
そういった魔物には、金等級以上を含めた討伐隊などでない限り、危ないので手を出したり近付いてはいけない決まりなのだとか。
確かにそんなやばい奴の傍へ行くなら、アメジストがいた方がよさそうだけど。
「あの人が素直に行くって言うかなぁ……」
知り合った子たちのお母さんのために、よっしゃ一肌脱いでやろう! ……なんて思うわけがない。
「だったらコハルが大人の寝技とか使って……」
「そのネタはもういいから」
トルム、いちいち真っ赤にならないで。
「だから真面目な話、アメジストをなんとか説得しといてくれよ。これからギルド行って夜には戻ってくるつもりだから、その間にさ」
ええー。無茶言わないでくださいよ。
だけどわりといい額の報酬というのは魅力的だ。なんせ一文無しなので。
仕事を引き受けるなら、その間の宿代や食費など、私たちの必要経費を全部持つとラズが言った。ヴェンを助けた報酬代わりだ、って。アメジストはともかく、私は何もしてないんだけど……。
さらに必要な物を買うお金として、報酬の前払いを渡されてしまった。
なんかこっちが一文無しなの察しているみたいだ。なんという有能な14歳。
「……うん。頑張ってみる」