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船全体に、あの男の気配が纏わりついているかのようだ。
俺の術と能力を遮断した力。光の魔術なのか。それとも特殊能力か。
海賊共を手懐け、コハルを引き寄せるのにも何らかの力を使ったはずだが……。
文献を探るが、やはりどこにも答えはない。
コハルの制御は諦めた。
闇の糸で縛りつけたところで、また力を使われれば同じだ。俺の術は効力を失い、隙をついて連れ去られる。
……いや、もう使う必要すらない。
初めから予感はしていた。
言い聞かせたところで、どうせコハルはあの男に懐く。
腹立たしいほど予想通りだ。力に頼らずとも、適当な口実でいくらでも呼び出されていくだろう。
目的は読めない。だが相対して分かった。
奴はコハルを守る気でいるらしい。それも、この俺からだ。
書庫の存在に気付いているようには見えない。他にコハルを守るどんな理由があるのか知らないが、逃げ場のない海上に出て間もなく行動に出る程度には、本気ということだろう。
どこまでも意味のわからない男だ。とにかく癇に障る奴だというのははっきりしたが……。
だがそれなら利用するまでだ。
アコ・ブリリヤの入手。マーナイゴンの捕獲。起きているはずの異変の解決。そして書庫に潜む監視者の思惑への対処。
常に荷物を抱えながら取り組むのは骨が折れると思っていた。
そんなに子守りがしたいならさせてやる。せいぜい俺からコハルを守っている気でいればいい。
もし奴が再び力を使うとすれば、おそらく陸へ戻る瞬間だろう。コハルを奪って逃げるつもりなら、その時は本気で倒す。
これまで使い道のなかった闇の術を試す、いい機会になるかもしれない。
◆◆◆
船の構造を概ね把握した。
魔動の起動中に魔術を使っても特に問題はなさそうだ。
少なくともこの船の魔動は、上位属性で他を吸収する機能は封じられている。余計な力を取り込み暴走させないための、安全装置らしい。
舵を取る前に目標を絞る必要があるが、まだどれも手掛かりがない。
あてどなくダトーの操舵に任せていたところ、妙な気配が近付いてきた。
望遠を使う。凪いだ海を泳ぐ生物の姿が見えた。
――マーナイゴンだ。周囲を警戒しながら、少しずつこちらに近付いてくる。
それが泳ぎを止め、海面から顔を出した。
視線の先にはコハルの乗ったボートが浮かんでいる。隣には当然のようにあの金髪男が座っていた。
気付いたコハルが指を差した。男が身を乗り出しその先を見る。
……いちいち近寄りすぎだろう、本当に鬱陶しい奴だ……。
しばらくコハル達を眺めた後、マーナイゴンは海に潜ると引き返していった。
捕獲するか……。だが今コハルにあの肉を食べさせても意味がない。
効果の有無はともかく、遺跡を再訪するまでなるべく新鮮な状態で持ち運びたいところだ。捕まえるのは復路にするべきだろう。
部屋へ戻ると、服を脱ぎかけたコハルが目を見開いて振り向いた。数秒固まったあとに、慌てて服を戻す。
その小動物のような動きを見ているうちに気が抜けて、ここ数日の胸のむかつきが収まった。
風呂に入りたがっているようなので術を使う。
その後コハルに鍵を起動させると、本を読まずに話しかけてきた。
「今日は釣りをしたよ」
知っている。
何故か消えたはずの苛立ちが戻ってくる感覚に、すぐに目を閉じ書庫へ渡った。
海賊達が駆け回り、船を守りの姿に変えていく。
ダトーに行き先を確認する。この先に瘴気溜まりがあり、そこで魔力を補充するつもりのようだ。
その後は俺が操縦し、海底を探索することを伝えると、
「あんたに限って、金目当てってこともなさそうだが……目的はアコ・ブリリヤか?」
こちらに探るような目を向けてきた。
「お前には関係ない」
「もし見つけたら売ってくれないか」
答えずにいると操舵を部下に任せ、向き直る。
「わけを話すからついてきてくれ。魔動に興味津々のあんたには、聞く価値のある情報だと思うぜ」
船橋を出てダトーが向かったのは機関室だった。
中央に据えられた原動機の前に立ち、こちらを振り向く。
「師匠の遺言でな。『アコ・ブリリヤの命によって船は永遠になる。』」
原動機の中心部を指差す。そこには不自然な窪みがあった。
「ここにはめ込めば、瘴気機関が永久機関に……なるかどうかはわからんが。どうやらこいつを強化できるってことのようだ」
その技術には多少興味が湧かなくもないが。この船が強化されたところで俺に利益はない。
ダトーが口の端を上げ、続ける。
「つまり欲しいのは宝石じゃねぇ。生きた貝の方だ」
貝は体内で奇石を生成するために、瘴気を吸収するのだという。
「だが瘴気を魔力変換する能力はないんだろ。強化に繋がるとも思えないが」
「まぁ実際どんな変化が起こるかは、やってみるまでわからんよ。これはあくまで俺の予想だが。機関の弱点の克服、すなわちどんな瘴気でも吸い込めるようになると考えている」
過去の出来事が少し腑に落ちた。
瘴気には種類の違いがあるようだ。俺の瘴気吸収では、今のところ何らかの差を感じたことはないが。
エミーユに設置されたものの内部には、吸収されずに漂う瘴気があった。どうやら瘴気機関に共通する欠陥らしい。
「もしそれが可能なら、魔動ギルドも貝を欲しがるだろうな」
「そういうことよ。貝を交換条件に、機密情報を引き出せるかもしれんぞ」
ダトーが原動機を離れ、俺の前に立つ。
「生きたアコ・ブリリヤ貝なら1000カラト出す。ついでに魔動ギルドの動向に詳しい情報屋も紹介してやる。どうだ?」
「……いいだろう。複数手に入ればの話だが」
そんな情報屋がいるなら、この船の情報も向こうに流されているんじゃないのか。知ったことではないが。
今の話が事実だとするなら。監視者が欲しがっているのも、宝石ではなく貝本体なのだろうか。
その力で書庫が強化される、……とは期待できないな。ともかくまずは探し出すしかない。
ダトーとの取引を終えた頃、海の先から瘴気をかすかに感じた。
だが船が近付くにつれ、その中に魔物の気配が混ざっているのに気付く。確認するため甲板に出た。
望遠で海面から瘴気が立ち昇る場所を見ると、やはり周囲に魔物がいた。それもかなりの数だ。
ほとんど雑魚だが、一匹、強力な個体がいる。
とはいえ進路を変える必要があるほどの相手ではない。そう思い眺めていると、予想外の事態が視野に映った。
魔物の群れに囲まれ、数匹のマーナイゴンが逃げ惑っていた。
漁をするかのように魔物が追い回す。必死に隙間を縫って引き離そうとするも、その進路を別の魔物が塞いだ。
徐々にマーナイゴン達が追い込まれていく先は、瘴気の吹き溜まりだ。
その肉には瘴気を退ける効果があるとされる。ある程度は耐性を持っていそうなものだが。見る限り、瘴気の中を越えて逃げようとするものはいない。
瘴気に近付くのを躊躇した一匹が、背後から魔物の攻撃を受け動かなくなった。
この魔物達は何故、マーナイゴンを襲っているのか。
妙に統制のとれた動きだ。おそらく他より強力なあの一体が指揮をとっているのだろう。
まるで人間のように後肢で巨大な魚にまたがり、爬虫類に似た上半身を海面から出し、戦況を眺めている。
一体の魔物が、仕留めたマーナイゴンを司令官のもとへ運んだ。
それを受け取ると巨大な口を開き、頭から食い始める。
魔物が瘴気の耐性を得たがるはずもない。何が目的なのだろう。まさか単に空腹なのか。
奇妙な光景を訝しく眺めている間に、船が戦場に近付いてきた。
司令官が気付き、部下を呼び寄せて何か命じている。こちらに兵を送るつもりのようだ。
迎え撃つしかないだろう。
通信術を応用し、船内全員に聞こえるように魔力を使い指示を出した。
望遠を切り替えコハルの様子を確認する。あの男が障壁をかけていた。
当然だ。それすらできないようでは話にならない。
……しかし奴の魔術の扱いは、まるで素人だ。まさかとは思うが。あれだけの魔力と才能を、ろくに使っていないのか?
気味の悪い力は使うくせに、魔術は封印か。ますます理解不能だ。
呼び出した二人が配置につく頃、魔物の一群が海中を進み向かってきた。
距離のせいで多少効果が落ちるが仕方ない。
依然として魔物の包囲を受けているマーナイゴン達に障壁をかける。
稀少な生物だ、この海に何体いるのか定かではない。俺が捕獲するまでに全滅されては困る。
すると他より魔力の強い個体が、俺の魔術を真似た。
障壁を応用し、襲いかかる魔物の前に壁を生み出す。数度魔物の体当たりを受けると壊れたが、寸前でまた張り直す。
仲間を自分のもとに集めると、周囲を覆う壁を作成した。
悪くない動きだ。得意な水以外にも、いくつか属性を持っている。
通信でその個体に初歩的な攻撃術を伝えた。すぐに使いこなして辺りの魔物を牽制する。
これなら戦闘が終わるまで持ちこたえるだろう。
「うおっ……、まじで群れてやがる。魔物のくせに徒党を組むなよな、海賊じゃあるまいし」
海中を進む魔物の影を捉えたヨゼフが、曲刀を抜きながらぼやく。
「海賊よりも統率されているかもな。今回は出し惜しみするなよ」
「へいへい」
舳先まで移動する。振り返ると、船尾からあの男が視線を送ってきた。
『何だ』
『……コハルを、一人に、するのか』
通信術も習得していない。見様見真似でたどたどしく返してくる。
『何のためにお前らを呼び出したと思ってる。万が一にも船内に侵入などさせない』
『君の、判断が、間違っているとは思わない。だけどあんな風に不安にさせて、この状況で一声もかけないなんて。かわいそうだろう』
すぐに術を使いこなした。つまらない奴だ。
……俺がコハルを不安にさせた? 何を言いたいのか全くわからない。
仮にそうだとすれば、……原因はお前なんだが?
『くだらない話をする暇があるなら、まともな攻撃術の一つくらい覚えろ』
『結構だ。俺は聖穏教会に所属する……』
中級程度の攻撃術を伝え、通信を切った。
先頭を泳ぐ魔物が海面から顔を出し、水の術を放ってくる。
片手で弾き返すと海中に逃げこみ、船底を目指して泳ぐ。それを闇の魔力で上から貫き、海の底へと沈めた。
後続が怯むことなく海中を突き進む。
それらを術で一掃し、望遠を起動する。魔物の司令官が鱗だらけの腕を組み、低い唸り声を上げた。