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私達は今、ケンカ中……なのか?
なんかそういう可愛げのあるやつじゃないような……。
昼食のあと部屋に戻ると、丸一日ぶりのアメジストがいた。
セラに会った(そのうえ魔本を見せて魔術まで伝授した)直後だ。私は心臓をバクバクさせながらも、何事もなかった顔で前を素通りした。
勝手にしてますが何か?
自分のベッドに座り、魔本を開いて読み始める。
音もなく近付いてきて隣に座った。そして膝の上に乗せられた。
ちっ。ひとの読書タイムを邪魔して、自分の読書タイムに利用するとは……。
それからほんの数分で書庫から戻ってくると、私を降ろして部屋を出た。
…………。
体目当てですかぁ~~?(語弊)
「コハル。釣りでもしようか」
ぼんやり海を眺めていると、隣にセラが来た。
気付けば船はほとんど動かずに漂っている。しばらくの間、凪が続くそうだ。
ここから釣り糸を垂らすのではなく、船に積んであるボートを降ろすらしい。
降ろしたボートに乗るところから、釣りのやり方まで、まるごとセラのお世話になったあと。釣り竿を握りしめ、じっと待つ。
……全然かからない。隣は入れ食い状態だ。魚までたらしこむのか。
待ち続けていると、ようやく手応えが。でも釣り上げたのはクラゲに似た謎生物だった。セラがそれをすみやかにリリースする。
再び待つ。魚に逃げられないようお喋りは封印中。
だけど視界の端に映るものに、思わず口を開いてしまった。
「なんかこっち見てる……」
海を指差すと、セラが振り向いた。
少し離れた場所で白っぽい生き物が丸い頭を出し、私達を眺めていた。つぶらな瞳でどことなくイルカ風の顔だ。
しばらく目を合わせていると、その場で軽くジャンプして海へと潜る。
一瞬だけ見えたイルカに似た身体が、日差しを反射して輝いていた。鱗かな。
「もしかすると、モチータかもね」
餅?
正式名称ではなくフィンダル地方の愛称のようなもので、この海域に生息するといわれる稀少生物だという。
古くから様々な伝説が語られる、幻の愛され生物だそうだ。
「気に入った人間を海底の楽園へ連れて行ってくれるそうだよ。帰って来れないらしいけど」
……片道切符の竜宮城?
その後、なんとか私も数匹の小魚を釣り上げることができた。
釣った魚は保存食にした。
なんと厨房には干物を作る専用機があった。これも魔動だ。食への執着強めの船、嫌いじゃない。
手際よく進めていくセラの手元をカンニングしつつ、私は魚をさばく作業に没頭した。
部屋に戻り、荷物の前で腕組みする。
干物作りで所々服が汚れてしまった。それにちょっと魚臭い……。
そんなわけで服を洗おうか悩んでいる。
アメジストと今の状態が続くなら、いつ洗濯できるかわからない。
というかこれまで便利家電に頼りすぎた生活だった。今後のためにも、少しは自活するべきだよね。
決意して、私は着替えを取り出した。
ついに女子だとバレる日がきちゃったわね。
数日一緒にいて、ここの海賊達に女子と知られても変な心配をする必要はないとわかった。ヨゼフあたりは私よりも心配したりして。
想像していたよりも皆、優しい。
なにかと言動がガサツで、ちょっとした悪ふざけなんかも多いとはいえ。なんだろう、不思議と空気が柔らかいというか。
港町の酒場では、まさに裏社会の住人たち! って雰囲気だったけど。いきなり魔王が乗り込んできたら、そりゃ殺伐とするか。
鞄を外し、鼻歌まじりにパーカーを脱ぎかけたところで、部屋の扉が開いた。
思わず息を止めて振り向く。入口に立つ無表情と目が合った。
あっぶな。……べつに見られたからって、そういう意味での危険性はゼロの相手だけど……。
また何も言わずに近付いてくると、私の頭に片手を置いた。
全身を水流が包み、消える。水が引いた後はサラッと快適だ。洗濯機の性能が上がってる。
「……ありがと」
お礼を言うと軽く頷いた。
「異変の原因、何かわかった?」
魔本を片手に私を膝に乗せ、首を横に振る。
「今日は釣りをしたよ。干物、食べる?」
目を閉じて書庫に渡った。無視だ。
しばらくして戻ってくると、すぐに部屋を出ていった。
……なんか言えー。
清潔になった服と身体でベッドに倒れ込む。
洗濯しようとしたのは察するくせに。なんだこのコミュニケーション不全感。
もう怒ってるようには見えないのにな。
まさかこれが思春期の子を持つ親の気持ち……? 私だって思春期だけど……。
◇◇◇
にわかに船が慌しくなった。
海賊達が忙しそうに走り回る。甲板の物を片付けたり、ほとんどの帆が折りたたまれたりして、あっという間に船がコンパクトな印象になった。
甲板の端で隣のセラと顔を見合わせる。
何事だろう? 嵐が来るようにも見えないけど。
「この先に瘴気溜まりがあるんだとよ。魔力の補充ポイントってやつだ。避難しといた方が身のためだぜ、お二人さん」
通りすがりのヨゼフが教えてくれた。心なしか「お二人さん」を強調された気がする。呆れ声で。
「じゃあ船内へ戻ろうか」
「うん。……あ、」
ちょうど船内にいたアメジストが甲板に出てくるところだった。
魔力の補充を見物したいのか、それともまた瘴気まみれになる気なのか……。
立ち止まったこちらに視線を向けることもなく、私達なんて存在しないかのように通り過ぎていった。
船の中には海賊船らしく、いくつか大砲が設置されている。今はそのための窓もきっちり閉じられていた。
大砲の傍で長椅子サイズの木箱に座り、数人の海賊がカードゲームをしていて、私達を見ると誘ってきた。
重要な魔動関係は船長と一部の技術者にしか扱えないらしく、暇なのだそうだ。
そのうち賭けポーカー的なものが始まってしまい、出せる物もないので抜けた。
当然セラもやめると思ったら、普通に参加している。堕落待ったなし。
周りにそそのかされ、大きく賭けて大きく負けた堕落騎士がじわじわと巻き返しを始めた頃。
『――魔物の群れだ。襲撃に備えろ』
突然、船内にアメジストの声が響いた。
なんとなく機械音のような、歪みのある音だ。多分、魔術だろう。
「ま、魔物ぉ!? なんでこんなとこに……!?」
「しかも群れってなんだよ!?」
『魔動砲をいつでも撃てるようにしろ。それ以外は邪魔だ、余計な動きはするな』
普通はこのあたりに魔物は出ないみたいだ。ここが異変の中心なのだろうか。
いつも通り一方的な命令を下す放送に、恐慌状態に陥る海賊達。ここには船長や幹部的なメンバーが不在なせいか、皆の動きもバラバラだ。
セラとヨゼフがそれを落ち着かせつつ、守りを固めるように促した。
『……金髪。お前は船尾で雑魚の侵入を防げ。ヨゼフは船内入口だ』
名指し(髪色指し)されたセラが、一瞬だけ嫌そうに眉をひそめる。
すぐに戻すと、こちらに笑顔を向けた。
「ということだから、行ってくるよ」
「気をつけてね。まず障壁だよ、障壁。あ、ヨゼフにもかけてあげて」
「つーかなんでオレまで指名するかね……」
セラが頷き、自分とぶつぶつ文句を言うヨゼフに障壁をかける。
アメジストが指名するなら、ヨゼフは結構強いってことなのだろう。酒場の乱闘には不参加だったけど。
密航の時に取り上げられた剣を回収したセラが、私にも障壁をかけた。お礼を言って見送る。
もし危なくなったら、腕輪の障壁が発動するはず。そうはいっても魔物が出る状況で、アメジストが私に障壁をかけなかったのはこれが初めてかもしれない。
さぁて。魔王様はこの手先めへ、どんなご命令をくださるのかしらー?
どうせ「大人しくしてろ」、「息をしてろ」あたりでしょうけどね。
しかしそれ以上の放送はなく。
海賊達が武器防具のチェックなどに奔走する中。私は皆の邪魔にならないよう通路の端へ移動し、ひっそりと壁によりかかった。
……魔王が冷たい。
本来そういうものか……。