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これ、どういう状況なんだろうなぁ……。
私は狭い船倉内をぼんやりと見渡した。
入口には見張りの海賊が立っている。ドレッドヘアでいかにもな感じのいかつさだけど、まだ新入りらしい。名前は確か、ヨゼフ。
アメジストは雑然と置かれた樽や木箱なんかを物色している。まさかお宝を探して盗む気じゃないよね。
そして部屋の中央には、両手両足を縛られた人が床に転がっていた。
アメジストの魔術ではなく、普通の縄だ。海賊達に捕まったらしい。
嫌でも視界に入ってくるその人と、うっかり目が合ってしまった。
「また会えたね。精霊さん」
「はあ……」
薄暗い室内で、そこだけ発光しているかのようなキラキラしい笑顔を向けられ、あいまいに返事を返す。
向こうも私を覚えていたらしい。前に立ち寄った町で、鮮烈な印象を残して去った変な人だ。心の中で不思議さんと呼んでいる。
スッと間に入ってきたアメジストに視界を塞がれた。片手に大きめの樽を抱えている。
「海賊船に密航とは、ふざけた真似をする。――覚悟はできているだろうな」
冷気を漂わせながらの言葉に、一切怯むことなく不思議さんが爽やかに頷いた。
「寝ずの番でも甲板掃除でも、なんでもやらせてもらうよ。料理も嫌いじゃない」
「いい心掛けだ、と言うとでも思ったか? お前がやるべきことはただ一つ」
どうでもいいけど、なんでアメジストが船長面してるんだろうな。
この船に恐怖政治をしいているからって、本物の船長を差し置いて勝手に采配を振るう気満々だ。
アメジストが抱えた樽を不思議さんの前に置いた。きょとんとする顔を見下ろし、どこの処刑人ですか? と問いたくなる圧迫感を放出して宣告する。
「消えろ。……樽に詰めて海に流すだけだ。そのうちどこかに流れ着く」
樽に詰めて、のあたりからは軽く横を向いて私に言った。いろいろとそういう問題じゃない。
そんな目的のために樽を物色していたとは。それといくら大きめだからって、高身長の人を収納できるのか疑問なサイズだけど?
今日の魔王はなんか、普段の三割増しで魔王全開だな……。
非道な行いの説得を始めようとしたところで、入口のヨゼフが声をかけてきた。
「まあまあ、アメジストの旦那。落ち着いてくれや。一応そいつは生かしたままにしておけと言われてるんでね」
ほっと胸を撫でおろす私、ヨゼフ、それから不思議さんをぐるりと眺めると、アメジストが渋々頷いた。
「ではこのまま海に投げ込もう」
「いや、話聞いてた?」
「どうせその程度で死にはしない。縄も自力で抜ける。その気があるなら泳いでついて来るだろう」
「この人のことどんな化け物だと思ってるの? 確実に死亡フラグだから」
「化け物だ」
アメジストの中で、不思議さんは人知を超えたポテンシャルの持ち主と認定されているらしい。
「泳ぎはそこまで得意ではないんだけど……。それに喉が渇きそうだなぁ」
そういう問題じゃない、を連鎖させんな。
世間話をするような調子で呟いたあと、樽を壁際に片付ける私に視線を向け、華やかなオーラを纏って微笑んだ。
「自己紹介がまだだったね。俺はセラ。精霊さんは?」
再び黒い背中が視界を塞いだ。冷房の設定温度が下がっている。寒い。
無言で樽に手を伸ばすアメジストの腕を掴んで引きずり、私は不思議さん――セラを無視して船倉を脱出した。
どういう状況っていうか、もうただのカオス。
◇◇◇
大海原の真ん中でカオスが発生する二日ほど前。
元々ぐらついていたアメジストへの信頼は、早速ひと崩れすることとなった。あの積み木ゲームのように。
「もう一度聞く。俺達はシャルーク海に用がある、協力してもらえるか?」
「…………はい喜んで」
奪ったナイフで相手の頬をピタピタしつつ言うアメジストに、海賊の親分が青い顔で頷く。
その悪党よりも堂に入った悪党感を見て呆れ、辺りを見回して二度呆れた。
床のあちこちには屈強そうな男たちが伸びている。(一応、重傷者はいないらしい。)
転がる椅子やテーブルは足が折れ、割れた食器と酒瓶の中身がそこら中にぶちまけられていた。勿体ない。
場末の酒場はもう滅茶苦茶だ。店主は事が起こると早々に逃げていた。後で訴えられたりしないといいけど……。
今回のアメジストの目的地はシャルーク海というそうだ。
だけどそこはやばいことで有名な海で、まともな船では連れて行ってもらえない。
ならばまともじゃない船――海賊船で行けばいい、という結論らしい。
それのどこが善行なのかは、意味がわからないけど。
(まさか用が済んだ後に海賊達を役人に突き出して、「善行だ」とかドヤ顔するつもりじゃないよね。……うわ、やりそう。)
ただ、今は異変まで起きているかもしれない危険な場所だ。ますます普通の船や乗客を巻き込むわけにはいかない。
とりあえずは罪のない一般人を犠牲にしない方法を考えた、という点だけは認めてあげるべきかもしれない。海賊達は犠牲になるわけだけど、そこはまぁ因果応報ということで。
こうして海賊へのカチコミ、じゃなくて“お願い”を成功させた私達は、やばい船でやばい海域を目指すことになった。
「あのよー、旦那。確かに俺達はシャルークを縄張りにしているが、それはごく限られた航路だけだ。あの海域のどこにでも行けるってわけじゃねぇ。あんたの目的地まで辿り着ける保証はないぜ」
唯一アメジストにケンカを吹っかけないで即避難していたヨゼフが、律儀に割れた食器を拾い集めながら言う。
私も手伝おうとしたら、柄の長いほうきとちりとりを渡された。それから自分は濡らしたモップで床の汚れを落とし始める。いかつい外見を裏切る手際のよさ。
「風任せで進むつもりはない、魔術を使う。――だが術の相性もある。お前らの船を調べ、中身を把握してからになるな」
私の指示で海賊達を回復させ、店の外に転がす作業を始めたアメジストが返す。
納得したように頷くヨゼフとは逆に、親分が驚愕した。
「なっ……俺の船の秘密を知っている!? あんたまさか、魔動ギルドの手の者か!?」
一度戻った顔色をまた蒼ざめさせて言う親分、海賊船の船長の言葉に、思わず首を傾げる。なんでここで魔動ギルドが出てくるんだろう?
私の指示で壊れた椅子やテーブルを魔術で修復しながら、アメジストが悪の薄笑いを浮かべた。
「違う。……だが知り合いに魔動ギルドの派遣職員だというじじいはいるな」
……もしかしなくてもマガタのことか。その設定よく覚えてたな。
魔動ギルドに知られたくない秘密があるらしい船長が、土下座する勢いで「頼むからあのギルドにだけは言わないでくれ!!」と懇願した。
「それはお前達の働き次第だ。もし俺の期待を裏切れば、どうなるかわかるな?」
続いて食器類の修復に取りかかる黒社会の帝王(イメージ)の言葉に、船長が半泣きでこくこく頷く。
直った皿を棚に並べながら、私は崩れた信頼を拾い集めるのを放棄した。
◇◇◇
「ハル坊」
声に振り向くと、ドレッド頭が近付いてきた。見張りは交代したのだろうか。
船のあちこちを調べていたアメジストが一旦作業をやめ、甲板で海を眺め始めたので、私も隣で同じようにぼーっとしていたところだった。
ちなみに今は村娘スタイルではなくパーカーとジャージを着用している。そのせいかヨゼフにはどうやら性別を間違われているみたいだ。
……ラズみたいにさらしを巻いているわけでもないのに、ヨゼフって目が悪いのかな……。
と、少々恨みがましい気分になったものの。
よく考えたら、これから毎日海賊たちに囲まれて過ごすのだ。ある意味男と思われていた方が安全な気もするので、船旅が終わるまでこの姿でいることにした。
けして最近ちょっとスカートがきついせいではない。ないったらない。
……エミーユで思いっきり食い溜めしたら、フィンダルの肉と魚介もおいしいだなんて完全に誤算だよ。
私達の前まで来たヨゼフが、言いにくそうに切り出した。
「あのセラって奴がよ、ハル坊と話がしたいと……」
「断る」
私が返事をするより先につっぱねたアメジストに、片手で見事な巻きっぷりの頭を掻きながら言う。
「あー、だよな。うん。……ただなんつーか、そのうち向こうの方から来るんじゃねえかっていう嫌な予感が……」
「お前らに奴の相手は厳しいだろうが、見張りを増やして対応しろ。なるべく縄を抜ける元気を失わせておけ」
さらっとまた酷いことを言う。曖昧な返事をしていたヨゼフが最後にため息を吐いた。
「オレとしてはあんたの指示には従うつもりでいるけどな。問題はそこじゃねぇ。……あんたの言う通り、なんかやべぇわ、あいつ……」
アメジストが訝しげに眉をひそめる。
「そもそも見張りの交代なんて話はなかった。なのにやってきた奴が交代するって聞かねぇんで任せたら、そいつオレに何て言ったと思う?」
無反応な隣の代わりに「なんて言ったの?」と返すと、
「『なんで殴ったりしたんだ、かわいそうじゃねぇか!』……だとよ。あ、密航してたあいつをオレが見つけたんだけどさ。とっ捕まえる時にこう、一発ぶん殴ったわけよ。……おかしくね? オレ何も間違ってなくね?」
アメジストの眉間の皺が深まった。
薄暗くてよく見えなかったけど、言われてみればセラの頬はほんの少し腫れていたかもしれない。
「その人、海賊には向かない繊細な心をお持ちなのかな……」
「んなわけねーだろ。酒場でこの旦那に真っ先に飛びかかっていった奴だぜ?」
繊細なのか好戦的なのか、人物像が掴めないエピソードだ。好みが極端な面食い、とかいうオチじゃないよね。
「話はそこで終わりじゃねぇ。厨房を使ってる奴がいるから何かと思えば、『あいつ、ずっと飲まず食わずだろ。生かしておけと命令されたしな……』って、たったの半日程度だぜ!? しかもなんか普段の飯よりちょっと豪華なんだよ! もうどういうことなんだよ!?」
ヨゼフが苦痛を堪えるかのように両手で頭を抱える。
落ち着かせようと口を開きかけた時、またしてもアメジストが目の前を塞いだ。
少し離れた場所、マストの下あたりでの会話を風が運んでくる。
「本当に助かったよ」
「へへっ……いいって」
「おう。一緒に飯を食ったんだ、おれたちゃもう兄弟みたいなもんよ」
「二人とも、ありがとう」
うふふ、えへへ……と、はにかむような少々野太い笑い声が耳に届く。
なんだろう、様子は見えないけど不思議な雰囲気だ。とても海賊船とは思えない、優しい世界を感じる……。
というか一人はセラだ。もう解放されてるの?
海賊船に密航した罪って、そんなに軽いものだったんだ……?
「……化け物め」
舌打ち付きで吐き捨てるアメジストに、ほんの少しだけ同意しそうになった。