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リーン、と澄んだ音色が部屋に響き渡る。
歌い続けながら、私は集中するため閉じていた目を開けた。
今、鳴ったよね!?
思わず興奮気味に天井を見る。再び軽快な音が響いた。
鐘は鳴った。
だけどそれは私の予想よりも、だいぶ物理的な手段によるものだった。
青い瞳の子がこちらを見下ろし、「そのまま続けろ」とばかりに一声鳴く。
背中の翼をパタパタ羽ばたかせ、大きな鐘の前まで来ると右ストレートネコパンチを食らわせた。ゴーンと重厚な音が空気を震わせる。
その鐘を鳴らすのは私、じゃなくてお前かよ!
べリラを見る。同じく呆然と天井を眺めていた顔を戻し、目が合うと手拍子をしながら何度も頷いてみせた。少しだけ硬い笑顔は、発表会なんかで実力がいまいちな子を全力で見守る母親を彷彿とさせる。
うわぁんべリラママ~。私が歌う必要性が見いだせないよ~~~。
なんかこう、歌うと奇跡のように鐘がひとりでに鳴る、とかを期待してたのに……。
背中の翼は飾りではなかったらしい。
天井付近を華麗に飛び回り、青の子がほとんどの鐘を鳴らし終えた。
最後のワンフレーズをおざなりに歌いきった私の前まで降下してくると、「お疲れ」的に肩をポンと前足で叩く。
いやだから、何のために歌わされたんですかね……。
「コハルの歌で飛べるようになった、ように見えなくもなかったわ! きっと私達にはわからないところですごい効果があったのよ! ……多分」
「……ありがと、べリラママ」
べリラの言葉を否定も肯定もしないクールな子猫魔物が、床の一部を引っかくような仕草をした。
一番大きな鐘の下だ。あのあたりには、さらに隠し部屋があったはず。あの司祭はどうやって出入りしていたんだろう?
鐘の音の余韻を聴きながら何気なくそこまで行くと、足元の床が消えた。
突然の浮遊感の後、そのまま落下する。
「~~~っ!?」
もふっ。
毛足の長い絨毯が、私を受け止めた。
のろのろと身体を起こす。一応、怪我はなさそうだ。
天上を見上げると、私が落ちたはずの穴はどこにもない。近くの壁には木製の梯子がかかっていて、その先の天井部分には四角い溝のようなものが見えた。
うぅ、アメジストのいない時にこんな事故が起こるなんて。もふもふ絨毯がなかったら危なかった。それとも無傷なのは、障壁のお蔭だろうか。
っていうか、なんでいきなり床が消えたの!?
……そういえば、前も壁をすり抜けて……。
「みにぃ」
愛らしい鳴き声に、思わず思考が止まる。
振り向くと部屋の中央に置かれた小さな、そして並々ならぬ気迫を感じる装飾で飾られた天蓋付きのベッドから、子猫魔物が顔を出していた。
広場に現れた白い瞳の子を思い出し、私はじりじりと後退った。
不思議そうに小首を傾げていた子猫魔物が、小型天蓋ベッドを降りる。それからゆっくりこちらへ近付いてきた。
瞳は深みのある紫だ。
一見するとあの白い子とは違い、危険そうな感じはしない。それに今までの子たちよりもさらに可愛い気がする。
とはいえ魔物だ、私一人の時に近寄ってこられるとちょっと不安になる……。
とりあえず脱出口を確保しよう。
私は壁の梯子を上り、蓋のように見える部分を叩いてみた。
べリラの心配する声と、青の子の鳴き声がかすかに届く。だけど蓋部分には取っ手もなく、どうやっても開かない。
「……みーみーみー……みゅるーみゅるるー」
私は驚いてまた落ちそうになってしまった。
紫の子が歌っている。あの歌を真似しているらしい。
歌いながら、梯子を降りた私の顔を見上げてきた。
深い紫と見つめ合う。気が付くと、慣れ親しんだ旋律を口ずさんでいた。
女神を讃えるこの歌は、デュエットすることで力を発揮する、とかいう条件でもあるのだろうか。
しばらくすると目の前のもふもふ絨毯の上に、もう一匹のもふもふが出現した。
「……みー!!」
「みにぃ~!」
現れた青の子が駆け寄ると、紫の子が嬉しそうに鳴く。
この子がはぐれていた仲間なのだろう。
感動の再会を眺めていると、視界が切り替わり、私は再び鐘の下へ戻ってきた。
私達の姿に胸を撫でおろしたべリラに確認したところ、この紫の子が最初の一匹で間違いないようだ。
「隠し部屋に閉じ込められたこの子を助けるために、コハルの歌が必要だった、ってことかしら」
「どんな効果があったのかは確かめようがないけどね……。ところで広場で見たあの白い子は、べリラも知らないんだ?」
「そうね、一度も見た覚えがないわ。なんだか怖い雰囲気だったし、この子たちの仲間には見えなかったわね」
「うん。アメジストがやる気満々だったから、今頃戦ってると思うよ」
さて。後はアメジストと合流して、集まった人達、それと念のため紫の子のスピリット検査が終われば一件落着しそうな感じだ。
ひとまずあの白い子との戦闘が終わるまで、ここで待っていた方がいいかな。大人しくしてろ、とか言われたし。
べリラに話しかけようと口を開いたその時、
「ミネルヴァぁあ~~~」
食料庫の方の壁から、半泣きのおっさんが部屋にとび込んできた。
あのひねくれ司祭だ。あっけにとられる私達に気付き、涙声を裏返して驚く。
「なっ、またお前か、一体どうやってここへ……。ミネルヴァ!?」
司祭が私の足元でべたっと這いつくばった。反射的に一歩引いてしまう。
みにぃ、と紫の子が短く鳴いた。
「だ、だめじゃないか~、お外は危険なんだよ? それに今は狂暴な魔物がいるんだから。はいおうち帰りましょうねぇ~」
……こ、このおっさん……。
さらに数歩下がりつつ、私は頬を引きつらせたべリラと目くばせし合った。
紫の子が行方不明だった原因は、この司祭だ。間違いない。
思い返せばあの天蓋ベッドの他にも、隠し部屋には手作り感のあるクッションだの猫用おもちゃだのが散在していた。ミネルヴァ、なんてガチ感のある名前付けちゃってるあたり、確実にクロ。
まさか推理が大当たりだったとは。ふあふあ子猫の魅力は、時に人を狂わせる……。
司祭が紫の子――ミネルヴァに手を伸ばした時、すかさず間に入った青の子が牙をむいた。司祭が悲鳴を上げてとび退く。
「ひっ、魔物!? こ、こいつめ! ミネルヴァを返せ!」
「逆だってば。この子たちはあんたのせいで離ればなれになってた友達同士なんだよ。ミネルヴァたんのことはもう諦めな……」
「なんっ……!? ……嘘だ。ミネルヴァはわしと、ここでずっと一緒に暮らすと約束したんだー!」
「往生際が悪いわね。この二匹の様子を見てわからないの? 司祭様は一方的に愛を押し付けていただけなのよ」
私とべリラに畳みかけられ、青の子の背中で申し訳なさそうにしながらも無言のミネルヴァに追い打ちをかけられると、司祭がその場に突っ伏した。
いい年したおっさんのすすり泣きが、静まり返った部屋に響く。
「……信者は増えない、その上過去の魔術士をもてはやすこんな町に赴任させられ……。どん底だった心を、ミネルヴァが救ってくれた……。それなのに、わしを捨てるのか~~」
……うわぁ。アメジストが来るまで、これを眺めてなきゃいけないの嫌だなー。
おいおい泣き叫んでいた司祭が、ぴたりと動きを止める。
服のポケットに手を入れると、そこから小さな手鏡のようなものを取り出した。
子猫魔物たちが、空気を張り詰めさせる。
「……いやだ、ミネルヴァ……逃がさないぞ……」
司祭がゆらりと立ち上がった。
片手に手鏡を握りしめ、表情の抜け落ちた顔を向ける。
どう見ても様子がおかしい。私とべリラがじりじり後退ると、青の子が鋭く鳴いた。
青の子の前に小さな水の塊がいくつか現れた。それが水鉄砲のように、司祭目がけて飛んでいく。
しかしそれらは司祭に届く直前で弾かれ、ただの水しぶきとなって消えた。
……今の、きっと障壁だ。司祭が魔術を使えるとは思えない。攻撃した青の子がかけるわけないし。
ということは、白い子の攻撃から守るためにアメジストがかけたのだろう。
あああ。これって日頃の教育の賜物だろうけど、今は素直に喜べない~!!
「……まさか、スピリット!?」
息を飲むべリラの言葉に、司祭を見ると、鏡を握る手に小さな穴が二つ見えた。
本体の姿は見えないけど、今まさに吸血を受けているらしい。
べリラがスカートのポケットから小さな瓶を取り出した。例の精油だ。
「これで引きはがせるかもしれないのよね」
司祭の方へ足を踏み出すべリラを慌てて止める。
「待って、べリラは障壁もないし危ないよ。……わ、私がやる」
覚悟を決めて言うと、首を横に振った。
「このくらいで怯んでたら、先生と一緒に生息域に行く夢なんて叶わないと思うの。やってやるわ……」
「いやその夢自体、考え直そうよ。おうちで旦那さんの帰りを待つお嫁さん、とかにしとこう」
「それだとジャンに一生勝てないわ!」
「ジャンをライバル視するのもやめたげて!?」
「……みっ!!」
やや話の方向がズレ始めた揉み合いをしていると、青の子が鋭く鳴いた。また水鉄砲の術を用意している。
目が合うと、水鉄砲の方へあごを向ける仕草をする。真剣なブルーの瞳に、なんとなくその意図がわかった私はべリラから精油を取りあげた。
「こういうのは戦い慣れてる人、いや猫にお任せしよう!」
青の子のそばへ駆け寄り、小瓶の蓋を開けて中身を振りまく。
ひとつ頷いてから、青の子が水鉄砲を発射させた。
けれど吸血中の片手は後ろに回され、精油を纏った水鉄砲が障壁に弾かれて消える。
アメジストの障壁を壊すのは、多分無理だ。
だけどどうにかあの手元にだけでも、精油をかけられれば……。
再度水鉄砲に精油を振りかける。
しかしそこへ跳びこんできた真っ白な姿に、それらが全て吸収された。
青の子の焦ったような声を無視して、そのまま駆けだす。
「みにゃーー」
「……ミネ……ルヴァ……」
それまで虚ろだった表情が、ぴくりと動く。
吸血された片手に引きずられ、不自然な姿勢で後退する司祭に向かって、ミネルヴァが跳んだ。
ぎこちない動きで、司祭が両手を広げる。
放り出された手鏡が床に落ち、意外なほど軽い音を立てて鏡が砕け散った。
司祭が小さな姿を抱きとめると、精油まみれのミネルヴァが全身をこすりつけるように動かし、穴の開いた手を舐める。
今度は嬉し涙を浮かべながら、デレデレに緩んだ顔で愛猫を撫で回した。
スピリットが見える人の解説がないから正確にはわからないけど、多分、うまくいったのだろう。
しばらくしてミネルヴァが腕を抜け出すと、見るからに苛立っていた青の子がすぐさま転移を使った。
取り残された司祭の絶望の表情が、ブレる視界の端に映っていた。
◆◆◆
「ロゼッタ、ごめん。君の言葉を信じない僕が愚かだった」
「……違うの、クリフは悪くないわ。あなたが儀式の準備でろくに構ってくれないから、少し驚かせてやろうと、腕の傷を見て思いつきで言ったのよ。ケンカになったら引っ込みもつかなくなっちゃって。あの時は、まさか本当に魔人がいるなんて思わなかったから……。本当にごめんなさい」
「そうだったのか……。じゃあ僕達、またやり直せるかな?」
「ええ、よろしくお願いします」
「もう君とすれ違ったりしないように、これからはもっと本を読むことにするよ」
「なんで本……?」
珍しく背後の会話に一切興味を持たないコハルが、俺の腕を指差した。
「ここまだ血が滲んでるよ。ほら、ここ」
回復術をかける。それを眺めた後、反対の腕をとる。
「次はこっち。……なんか効果がいまいちじゃない? 真面目にやってんの?」
訝しげに見上げられ、思わずため息を吐く。
「この程度、放っておけば治る。……とさっきから言っているだろ」
「だからその考えが甘いとさっきから言ってるでしょ!」
傷口を放っておくと菌が入ってやばいことになるんだからね。と、半端な知識での説教が始まる。
ロゼッタに回復術をかけた頃、クリフが目覚め、コハル達が転移で戻ってきた。
教会で紫目の個体を発見し、逃げこんできた司祭と何やら揉めたらしい。
詳しい話を聞き出そうとしたところで、コハルが腕の怪我に気付いた。
回復術でほとんど傷は塞がっている。放っておけば一晩で完治する程度だ。
だがこうしてしつこく治せと詰め寄ってくる。
仕方なく言う通りにしていると、共に転移してきた紫目が近付いてきた。
俺の背後には今も闇のスピリットが侍っている。
その前で足を止めると、紫目が目を閉じた。
スピリットが紫目に向き直った。常に不安定にゆらめいていた姿が静止する。
スピリットが闇の魔力を紫目に向けて流した。攻撃でも回復でもない、純粋な魔力だ。
それを身に纏った紫目が目を開ける。一声鳴くと、スピリットの姿が消えた。
だがそれはほんの一瞬で、すぐに姿を現す。
「……アメジスト?」
思わず放心する俺に、コハルが不思議そうに顔を覗き込んだ。
一体何が起こったのか、全く理解できない。
スピリットの気配が変わった。気配だけではなく、存在自体が変化している。
一瞬のうちに、スピリットは精霊になっていた。
それとも精霊だったものがスピリットに変貌しており、元に戻したということなのか。
「みにー」
紫目の呼び声に、闇の精霊が応える。
俺のそばを離れると、精霊は紫目の背のあたりに吸い込まれるようにして姿を消した。
……おい。待て。
悪あがきと知りながらも、闇の精霊に呼びかけ指令を出した。
返答はない。完全に紫目の支配下に置かれたようだ。
「何ぼーっとしてんの。ほら早く、こことそこと、このあたりも綺麗に治してね。こんなのチラチラ見せられたら、ごはんがおいしく食べられないから」
……闇の、最大値…………。
俺の腕を掴んで揺さぶり、傷のまわりを指でつつくコハルの口を術で封じた。