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※注意書きするほどでもないくらいですが、ちょこっと流血表現があります※
ひときわ大きな鐘の下からこちらを睨みつけてきたのは、赤ら顔で小太りの男の人だった。
丈の長い服は元は白なのだろうけど、全体的に薄汚れている。どこかくたびれた風貌のただのおじさんといった雰囲気ではあるものの、服のデザインから教会関係者だとわかった。
ドカドカと足音を立てて近付いてくるのに、私は慌てて顔の前で手を振った。
「違います違います。私達、第一発見者です!」
まずは誤解を避けようとアメジストの背中から出て言うと、くたびれたおじさん――多分この教会の司祭が、顔をしかめて私達を眺め回した。それから装置の中を覗いたあと、またこちらをじろっと睨む。
「フン。どうやって入りこんだのか知らんが、くだらない遊びにここを使うんじゃない。さっさと出ていけ」
そう言うと片手に持った瓶の、ワインらしきものを一口あおると引き返していった。
大きな鐘の下の床には、いつの間にか穴が開いていた。そこへ小太りの身体をすべりこませると、はね上げられていた床板がパタンと閉まる。
……ええ~? いろんな意味で、なんだ今の?
というかこの教会の隠し部屋率どうなってるの。
呆然としながらも、私は第二の被害者(?)の安全確保を優先することにした。
「とりあえず、戻ってこの人を介抱しよう。べリラも心配してるだろうし」
「……あれ? ここは……」
一階まで戻ってから、アメジストの術(たまにこれで強制的に起こされて、規則正しい生活リズムを強いられている。)で目を覚ましたお兄さんが、上半身を起こすとぼんやりあたりを見回した。
「クリフさん。一体何があったんですか?」
「えっと、君は確か……」
「べリラです」
「あぁそうだ、庭師の。君のお父さんに、枝切りバサミを借りたままだ……。祭りの準備で忙しくて……。あのハサミ、すごいね……今までの苦労はなんだったのかってくらい高い場所までらくらく……」
「いえハサミの話はいいですから」
ご近所さん的会話を遮ってべリラが促すと、案内役のお兄さん、クリフが片手で頭を押さえた。
「僕にも何がなんだか。浄化の儀式を無事に終えたのは覚えているんだけど……」
「もしかしてロゼッタさんが魔人に噛まれた、って騒動も知らないんですか?」
「なんだって!?」
あの被害者の女性はロゼッタというらしい。クリフががばっと顔を上げてべリラの肩を掴んだ。
「魔人が本当に出たっていうのか!? ロゼッタは無事なのかい!?」
「だ、大丈夫ですよ、特に怪我もなかったそうですし。魔人が本当にいるのかはわかりませんが、というか私達も今それを調べているところなんです。クリフさん、何か知っていることがあれば教えてください」
本当は小さな怪我ならあったんだけどね……。
べリラが昨日起きたことを簡単に説明すると、クリフがゆるゆると首を振り、
「僕の方が聞きたいよ。ロゼッタには、僕が魔人に憑かれているだとか言われて婚約を解消するはめになるし……」
「え? クリフさんの方から振ったって聞きましたけど」
「それは彼女が魔人を浄化しなければ結婚できないなんて言うから、勢いで……。むしろ振られたのはこっちの方さ」
乾いた笑いを浮かべる青年に、私とべリラは顔を見合わせた。
その元彼女、ロゼッタは、何を根拠に魔人に憑かれているなんて言ったんだろう。自分も噛まれたと言っていたし、まさか魔人の正体を見破れる特殊能力の持ち主なんだろうか?
「魔人の定義がわからないうちは何とも言えないが。お前はただの人間にしか見えないな」
「当たり前だよ、僕が魔人なわけないじゃないか」
アメジストの診断に、服の埃を払いながら立ち上がったクリフが暗い表情で俯いた。
「……きっとロゼッタは他に好きな奴ができたんだ。魔人だのなんだのは別れるための口実だよ。僕を眠らせてこんなところに運び込んだのも、そいつらの嫌がらせかもしれない……」
いや……、わざわざ眠らせてあんな手の込んだ隠し場所にぶち込むとか嫌がらせの域を超えてるし、なんなら殺意すら感じるんだけど……。
それか本気で魔人と疑われて、出てこられないように丸ごと封印。……とか?
発言をためらっているうちに、べリラが質問を続けた。なんかこの子、ちょっとベテラン刑事感ある。
「ロゼッタさんは、いつ頃から魔人の話なんてするようになったんですか?」
「いつから? そんなの覚えてないけど……、おかしなことを言うようになったのはここひと月くらいかな。……その頃から浮気されてたのか……」
「そ、そんなことはないんじゃないかと。きっと魔人のことも、クリフさんを心配して……」
「もし本気で言っていたんだとしても、本当に僕のことが好きなら魔人だろうと何だろうと構わないはずだろ!? もう、ロゼッタのことは忘れるよ」
彼氏が人の生き血を吸う化物でも構わない人、かなりのツワモノだと思うんだよなぁ……。
クリフは投げやりにそう吐き捨てると、一応私達にお礼を言って、さっさと教会を出ていってしまった。
ぽかんとそれを眺めていたら、べリラがこちらを振り向いた。
「ごめん。ちょっと疲れたから、今日はもう帰るわ。魔人捜しはまたにしましょ」
「え、あ、うん……」
「じゃあまた明日」
そう言って、べリラもさっさと教会を去っていった。
急に捜査を打ち切った後ろ姿が見えなくなったあと、
「……追うか?」
「…………うーん。やめとこ」
こちらを見下ろすアメジストに、私は少し考えてから首を横に振った。
怪しいといえば怪しい感じもするけど。とりあえず今は、明日の約束をしたべリラを信じることにした。
それからもう一度地下に降りて、鐘だらけの隠し部屋を一通り調べた。
というよりアメジストがあれこれ調べているのを横で見守った。私には怪しいものを嗅ぎつける能力なんてないし……。
「そういえば、さっき司祭?のおじさんがこのあたりで消えたよね」
思い出して大きな鐘の下まで行くと、アメジストが床を見下ろして目を閉じ、すぐに開いた。
「……何かの力で塞がれている。この部屋同様、一度でも入ることができれば転移できそうだが……今は無理だな」
試しに床に手をついてみたけど、さっきのようにすり抜けたりはしなかった。
「鐘、鳴らしてみる?」
どう見ても怪しい大賢者の遺物、演奏装置を指差す。アメジストがつまらなそうにそれを眺めた。
「すでに力を抜き取られている、このままでは起動しない。元に戻すのに、俺の魔力では足りないだろうな」
「アメジストの魔力でも足りないの!? 普段あれだけ瘴気飲んでるのに?」
てっきり無限に魔術を使えるくらいの魔力持ちだと思っていたので驚くと、冷たい眼差しが返ってきた。
「光属性の最大値は、……それすら理解していないんだったか。魔術に世界を超えるほどの期待をしているのなら、いい加減基礎くらい覚えろ」
「えっ、いや、いらない……」
そそくさと離れかけるも、間に合わずに頭を掴まれる。
なぜかいきなり魔王の魔術教室(初級編)が開催され、私は使えないのに魔術の知識(の基礎)を習得するはめになった。
でも一晩寝たら忘れてしまう予感がする。
◇◇◇
結局、魔人ってなんなんだろう。三百年前の大賢者のことを調べれば、何かわかるかな。
宿の部屋に入ってすぐに魔本を取り出した私は、それを開く前にまた抱え上げられた。
「書庫で調べる方が早い」
その言葉を信じて大人しく膝の上で待つこと数分。
戻ってきたアメジストが口を開きかけた瞬間、珍しく驚いたように息を飲んだ。
「どしたの、――っ!?」
鋭い視線を向けながら、襟元を掴んで広げられた。そのまま私の首筋あたりを凝視する。
ちょ、なになに!? 視線が痛い、あと微妙に冷気出てる!
「動くな」
指先が軽く首をかすめて、身じろぎしそうになるのをなんとか堪える。
アメジストの手が離れていく時、一瞬だけ黒い砂のようなものが拳のまわりを渦巻いて、すぐに消えた。
「……スピリットか」
握っていた拳を開くと、睨みつけるように見つめて呟く。
横から覗き込んで、そこにべっとりと広がっていたものに思わず声が裏返ってしまった。
「血っ!? 怪我っ……」
「違う。お前のものだ」
「ええぇ!?」
アメジストの手の平の惨状は、私の首で血を吸っていたものが握り潰された結果らしい。
首筋に手をやってみると、そこに小さな穴が二つ開いている感触が。背筋をぞわっと寒気が走る。
「全然気付かなかった……痛くもないし」
「その部分だけ術で麻痺させたんだろう」
手をどかされ、回復術をかけられると傷は塞がった。
うう、痛みはなかったとはいえけっこうな恐怖体験だ。後でなんか変な感染症とかになったらどうしよう……。
「でも軽く握り潰せるくらい弱いやつでよかったよ、その……スピ?」
「スピリット。早い話が“悪い精霊”だ」
本当にいるんだ、悪い精霊さん。しかも人の生き血を吸うなんて……。ん?
「実は魔人となんか関係あったりして」
「というよりも、こいつがその正体だろうな」
書庫で魔人そのものについての情報は得られなかったようだけど、調べた内容と照らし合わせたら、かなり有力な説のようだった。
だいたい拳くらいの大きさの、虫のような姿をしていたらしい。
精霊に近い能力で姿を消し、さらに麻酔みたいな術まで使うなら、普通の人間にはまず気付かれることはないだろう。
魔人という呼び名は、大賢者が退治した時にちょうど吸血中だったんじゃないだろうか。そのせいで被害者が“人に化けた姿”だと、誤解されて伝わったとか。
なんで人の血を吸うのかは謎だけど、まぁ悪い精霊ならやりそうだ。それを言ったら元の世界の吸血鬼だって、血を吸う理由なんて知らないし。
「ロゼッタさんも、あの時こいつに吸血されてたのかな。じゃあこれで、一件落着?」
「いや……おそらく別の個体だ。それに残りがあれ一匹だけとは限らない。一度、町全体を確認する必要があるかもな」
アメジストがいつになく積極的な姿勢を見せている。
人助けにこんなにやる気を出すなんて、ついに日頃の教育が実を結びはじめたかな。意外と私、教育者の素質あったり!?
ふいに首筋にひやりとしたものが触れて、無意識に肩が揺れた。
目が合うと、綺麗に痕の消えたところを指でなぞり、表情の乏しい顔の口元だけにうすく笑みを浮かべた。
「一匹残らず潰してやろう」