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白と黄色の特徴的な毛並み、見た目以上に柔らかいその手触りを、私は大いに堪能していた。
「ふあ~癒される~~。ほら、アメジストも撫でてみなよ」
抱き上げた子の黄色い前足を、隣に座って腕組みしている二の腕あたりに軽く押し付けてみた。
案の定興味ゼロ、むしろ鬱陶しそうな視線が返ってくる。
無視するのかと思いきや、腕組みを解いた。
そのまま片手をぽん、と乗せる。毛皮ではなく、私の頭に。
「……いやそっちじゃない!」
一切やる気のない撫で方をしてくる手を払いのける。
すんなり手を引くと、気怠そうにまた腕を組み直した。
「どう考えても割に合わないな……」
だったら承諾しなければよかったんじゃない?
という言葉はもちろん、胸にしまっておく。なぜなら私は丸儲けだから。
ここはアゴラ大森林からだいたい北に位置する、山岳地帯。
方術士の修行場が点在し、中にはちょっとした町のようになっている場所もある。いわば総本山的なところだそうだ。
連なる山のうちの一つ、その頂上に私たちは訪れていた。
ただしここは修行場ではない。さっきから私がもふもふを堪能している動物――“小熊犬”という聖獣の保護区なのである。
本来なら聖獣は聖穏教会が保護するものらしいけど。この山岳地帯にしか生息していない非常に珍しい種族とのことで、教会ではなく方術士が責任持って保護しているらしい。
この小熊犬、犬というよりも狸に近い見た目だ。
独特な白と黄色の二色の毛皮を持ち、その模様はまんま、パンダ。体のサイズやボリュームのある黄色いしっぽなんかは、レッサーパンダの方が近いかも。
そう、あのマガタのお面のモデルはこの子たちだったのだ。
今いる四阿に入ったとたん、そこかしこから現れて寄ってきた。人懐こい。
「小熊犬はお気に召しましたか?」
「はい! もう毎日登山してでも会いたくなる可愛さですね!」
この保護区を一通り案内してくれた方術士が、お茶を持ってきてくれた。色とりどりのお茶菓子付きだ。お礼を言って有り難くいただいた。
柔和なおじさんといった感じだけど、さすが方術士、身のこなしにキレがある。やたら高い位置からお茶を注ぐ仕草も芸術の域だ。
もし観光地化したら、この飲茶タイム含めて人気出そう。
今日のこの場は、マガタからの報酬らしい。基本は関係者以外立ち入り禁止のところを、偉い人の権力で私たちが入れるように取り計らったそうだ。
依頼にやる気を見せないアメジストに報酬を追加したってことだけど、正直なんでこれで了承したんだろう。もふもふになんて一ミリも興味なさそうなのに。
マガタが報酬にするくらいだから、もしかして魔術士用のパワースポットとか?
ものすごい渋々な付き添い感を出しながらも案外長居しているし、なにか魔のつくご利益を得られる場所なのかもしれない。
今回の件、どうもアメジストには面白みを感じられない結果だったようだ。その分ここで取り返したいのかも。
ほどよい渋みのあるお茶と甘いお菓子で一服する間、私はアゴラ大森林の異変が解決した日の顛末を回想した。
◇◇◇
突如沸き起こった光によって瘴気が晴れていく中、スピネリスの前に一人の男の子が立っていた。
「若君……」
スピネリスが息をのみ、呆然と呟く。
なんと、若君が本当に颯爽と現れた。二人を薄いカーテンのように覆う瘴気ではっきりとは見えないものの、華奢なシルエットと黒髪はなんとなく確認できる。
固唾を飲んで見守る中、若君が穏やかな声でスピネリスに語りかけた。
やっぱり若君も、ちゃんとスピネリスのことを想ってくれていたんだね。
(見知らぬ小娘についてはこの際スルーしましょう。)
その様子を見ていたら妙に感動してしまい、涙を堪えるのに必死だった。
若君が両手を伸ばし、精霊石を握るスピネリスの手を包み込むようにして握りしめる。
手を握り合ってしばらく見つめ合った後、二人の手が輝きだした。
その光が少しずつ大きさを増し、広がっていくにつれ、残っていた瘴気が勢いよく吹き飛ばされていく。
光が収まる頃には、瘴気は完全に消えていた。
そして若君も消えていた。
スピネリスの前にいたのは、貂姿のテンちゃんだった。
後でアメジストに解説してもらったところ、あの若君はテンちゃんの変身だったらしい。
スピネリスの魂に入り込んだハルコが、彼女の記憶から若君の姿を見つけ出してテンちゃんに伝えたそうだ。
そして寄生している幼虫の力を逆に利用して、若君に擬態した。まさかずっと寄生されていたとは……。
瘴気を晴らした光と一緒に寄生も取れたようなので、今は一安心だ。
「……なにゆえ、これほどの大事を忘れていたのかのう……」
スピネリスが手の中を見つめて呟く。
精霊石は前よりも鮮やかなオーロラの輝きをたたえていた。守護の術が込められたらしい。
それからスピネリスがぽつりぽつりと語りだした。
ガンラル川に石があった理由。それは昔、若君とスピネリスが一緒に川底へ沈めたからだった。
「ガンラルに瘴気が湧き、川が穢れることがあった。そこでこの石にて瘴気を払い、この地の守護に徹するため、妾は若君との契約を解くことにしたのじゃ」
思ったよりも円満な契約解除だったらしい。
ガンラル川に瘴気が湧いたという話、これもきっと異変なのだろう。若君はその事件を重く見て、スピネリスにこの地域を守り治めてほしいと頼んだそうだ。
「そうだったんだ。でも大事なお役目とはいえ、好きな人と別れるのは辛かったでしょ」
それが心を病むきっかけになったんだろうし……。
と気持ちに寄り添ったつもりが、きょとんとした顔のあと、高笑いを響かせた。
「なんの。離れていてこそ真の忠義も示せるというもの。そも若君は才気煥発なお方ゆえ、妾の守護などいらぬ世話なのじゃ」
無理して気を張っている、という感じでもない。本当にそう思って言っているみたいだ。
それからしばし、スピネリスの若君自慢が続いた。
……聞いていたら、なんだか私が思っていたのとは少し違う気がしてきた。
スピネリスが恍惚と語る様子は恋する乙女というより、どちらかというと熱烈なファンとかに近いような……。やたらと忠誠心を強調してくるし。
推し、なのかな?
精霊の契約は解除しても、いわゆる担当はしているという。かなり強火で。
なんにせよ、スピネリスが無事正気に戻ったのは間違いない。
これできっと森も元通りになるはずだ。
私はテンちゃんの前にしゃがみこみ、頭を撫でながら言い聞かせた。
「テンちゃん。ハルコの分までしっかり生きていくんだよ」
それとどんなにお腹がすいても、蟹魔物には手を出しちゃいけないよ。
さっきまでとは逆に、帰ってこなかったハルコへの悲しみでまた泣きそうになっていると、テンちゃんが口を開く。
「ハルコ、いる」
普通に人語を喋った。
……っていうことは……!?
「どうやら精霊になったようだな」
隣を見上げると、アメジストがテンちゃんの背中のあたりを指差した。
私の目には何も見えない。だけどそこにハルコがいるということなのだろう。
「ハルコが精霊に!? うわ~~、おめでとう!!」
蝶の体は失ってしまったようだけど、生還していた。それどころか精霊に進化したらしい。
きっと二匹の想いが奇跡を起こしたんだね。……こっちも推しとファンの関係なのかな。まあどっちにしろ、愛の力ってことで。
精霊として生まれたてのハルコは、まだ力が不安定らしい。
成長するまで守っておやり、と言うスピネリスに、テンちゃんがしっかりと頷く。
私はテンちゃんを最後にがっつり撫でさせてもらってから握手を交わし、二匹に別れの挨拶をした。
「そなたたちには世話になったの」
テンちゃんたちを森エリアの方へ送ってから、スピネリスがこちらを振り向いた。
何か礼をせねばな、と言うのを私は(何も思い付かないし)遠慮しようとしたのに、アメジストがすかさず守護を込めた精霊石を寄越せと手を出した。
ガンラル川を守る石だと聞いたそばから、よく平然とそれちょうだいって言えるよな。
少しの間のあと、スピネリスが首を横に振る。
「いつかそなたにも守りの力が備わるやもしれぬぞ。精進するがよい」
強欲魔王アメジストが、瘴気が晴れて快適になっていた気温を急降下させる。
何が精進だ、ふざけるな、礼をしろ。とスピネリスにぐいぐい迫っていくのを引き離すのは大変だった。
それをさらりと無視して、スピネリスが私の手に棒のようなものを乗せた。少し短めの鉛筆くらいの小枝だ。
「その枝は、わずかながら絆を強める力がある」
そこまで言うと、私の耳元に顔を寄せて囁く。
「ただし、そなたにだけは簡単に折れるよう術をかけた。悪霊に愛想が尽きたならば、遠慮なく折るがよいぞ」
いまだに悪霊という認識は覆ってないみたいだ。
私は曖昧に頷いて、もらった小枝を鞄にしまった。
◇◇◇
そこでふと思い出し、口に出してみた。
「アメジスト」
振り向いた無表情をしばらく見つめ返す。
「名前、なくなってないね?」
「今か」
呆れ顔が返ってきた。
あの時、不思議な術で名前を破棄されたようだったけど。普通に呼べている。
正気に戻ったスピネリスに返してもらったの? と訊いたら溜息を吐かれた。
「綴りが違う」
そう言っていつの間にか鞄から取り出した証印石を、私の顔の前に持ってくる。
小さな板の上にほんのり光る文字が浮かび上がった。
…………うん?
「これでアメジストって読むの?」
いや今までも読めてはいましたけどね。謎の翻訳機能のお蔭で。
だけど文字自体を改めてよく見てみると、想像していたのと若干綴りが違った。
……え? もしかしてそのせいで?
「お前が綴りも知らずに名付けたお蔭で、俺は名を失わずに済んだわけだ」
「なるほどー。私が文字の苦手な異世界人でよかったね」
開き直ると、証印石をしまったアメジストが足元で寝そべっている小熊犬に手を伸ばした。
おお? ついにこの子たちの可愛さに気付いたのかな。魔王の心まで動かすとは、さすが動物界のカリスマ、パンダ顔。
小熊犬が目を輝かせて、アメジストが差し出したお茶菓子にかぶりついた。あとで食べようと、私が楽しみに取って置いた最後の一個。
動物にお菓子をあげてはいけません。
なんか名前を間違ったこと、実は根に持っているらしい。