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「やめよ、そういうの。誰かの犠牲の上に成り立つ平和作戦、反対」


 私は中にハルコの入った両手を引き戻し、背中を向けてアメジストの視線から隠した。


 アメジストがハルコにやらせようとしているのは、スピネリスの魂(?)に入って内側から治療しろ、みたいなことのようだ。

 どう考えても、その後ハルコが無事に戻って来る作戦には思えない。


「言っただろ、このままではいずれこいつも取り込まれる。そしてスピネリスを正常化できなければ、新たな魔の森が生まれるというだけの話だ。テンの望みも叶わずにな」

「そうなる前に、魔術でどうにか……」

「さっきからやっている。結果は見ての通りだ。お前こそ次の策はあるのか? 手をこまねいたところで状況は悪化する一方だぞ」


 正論を返され、言葉に詰まる。

 そもそも異変を解決したいのはアメジストじゃなくて私の方だ。

 かといってこの状況を打開できる策なんて、何も浮かんでこない……。


 悩んでいると、ハルコの体がかすかに光った。なにやら集中しているよう。


 ハルコの姿が一瞬ぼやけたように見えた後、目の前にテンちゃんがいた。

 驚いたのか身を竦めている。だけど私たちや手の中のハルコに気付いて、安心したように一声鳴いた。


 元気そうな姿にこちらも安心したとはいえ。テンちゃんを呼んだということは、まさかハルコはあの作戦を実行するつもりなんだろうか。

 どうしよう、早く何かいい代替案を出さなきゃ。今回ばかりは他力本願は通用しない。


 事の元凶(としか思えない)、若君さえここにいれば作戦の立てようもあるのに。

 連れて来ようにもどこの誰かもわからない。本名すら謎だし。

 唯一わかっているのは、私と同じ黒髪ということくらいだ。

 今から捜す時間もないけど、どちらにせよそれだけの情報で見つけ出せるわけがない。


 その上、見知らぬ小娘ちゃん問題もある。

 これが少女漫画か何かだったら、「あの子は妹だよ」とかいうオチで誤解が解けてハッピーエンド! ってなるのに。

 もしくは「あんな奴やめて俺にしろよ」的に新たな恋がぐいぐい迫ってきたり……、試しにそれやってみる!?

 ……いや、アメジストに女子をたらしこむ演技なんてまず無理か……。

 それに欲を言えば、颯爽と若君が現れて当て馬アメジストから奪い返す、っていう展開がベストなんだけど。


 あ~も~、いっそ本物じゃなくていいから、どこかに都合よく若君落ちてないかなぁ!?


 焦ってますます思考が混迷を極めていると、


「主を得た蝶とはそなたか。見上げたものよ。その力、我がもとで存分に役立てるがよい」


 スピネリスが微笑みながら、片手をこちらに向けて差し出した。

 ハルコの存在に気付き、狙われてしまったらしい。最悪だ……。


 中のハルコを潰さないように、両手を合わせて固く閉じた。

 しかしそれをあっさりすり抜けると、ハルコがテンちゃんの鼻先にとまった。

 不思議そうに目を瞬かせるテンちゃん。ハルコがゆったりと羽を動かす。

 まるで別れの挨拶だ。


 私は鞄から魔本を取り出し、白紙を開いてひたすら念じた。

 今すぐ何かいい策ください。できれば女神様シリーズで、いやこの際邪神でもいいです。

 とにかくまるっと全部解決するような素晴らしい魔術をなにとぞ……!!


 必死の懇願も空しく、ハルコの体がふわりと浮いた。

 そのまま闇の中を、見えない糸で引かれるかのようにスピネリスの方へ近付いていく。


「テンちゃん、ハルコを捕まえ……」

「テン、よく聞け」


 私に言われるまでもなくハルコを追おうとしたテンちゃんの長い胴は、すでに黒い紐で簀巻きにされていた。

 キーキー鳴いてもがくテンちゃんの前に、無慈悲な魔王がしゃがみこむと目を合わせる。

 普段とは違い、冷たいけれどどこか真摯に言い聞かせるような声だった。


「今から何があっても、ハルコを信じて名を呼び続けろ。あいつを助けたいのなら、どんな力でも迷わず使え」


 テンちゃんが暴れるのをやめた。じっとアメジストの目を見つめ返す。

 スピネリスの差し出した指先に、ハルコがとまった。

 瑠璃色の羽を閉じた瞬間、その姿がかき消える。

 闇の中に高らかな笑い声が響き、スピネリスの纏う瘴気が勢いを増した。ぶ厚い靄に隠され、やがてその姿が見えなくなる。


「己を見失わずにいれば、その力はお前のものになるはずだ」


 アメジストが立ち上がり、黒い紐を消す。


「行け」


 号令と同時に、テンちゃんが鳴いた。

 じわ、と黒い靄が立ちのぼる。

 それが全身を覆いつくし、四つ足の黒い塊になると弾丸のように駆け出した。



   ◆◆◆



 瘴気を纏って進む行く手に、蝶の大群が襲いかかる。

 それを正面から受けて駆け抜け、テンがスピネリスを中心に広がり続ける瘴気の幕へと飛び込んだ。


 書庫の鍵を片手に立ち尽くしていたコハルが、追うつもりなのか足を一歩踏み出す。

 腕を掴んで止めると、困惑しきった顔を向けてきた。


「説明は後でしてやる。今はあいつらの成功を祈ってやれ」

「……あの子たちを犠牲にするのに? そんなの祈れないよ」

「犠牲にならずに済むように、だ」


 首を傾げるコハルの手から鍵を抜き取り、鞄に戻した。


 どこまでも理解不能な異世界の発想だが、悪くない策に思える。混乱して口走っている自覚はないようだったが。

 それをテンが成し遂げられるかは別の話だ。だが先程の様子を見る限り、自我を失ったようには見えない。あとは二匹の連携、それと精神力次第か。


 先程ハルコには通信を送った。

 会話は不可能だったが、意図は伝わったはずだ。


 思った通り、テンは蝶の幼虫に寄生されていた。

 今までその影響を受けずにいられたのは、ハルコの守護のお蔭ということなのだろう。


 だがその奇跡も終わりが近い。

 スピネリスを正常化させない限り、眷属である陰陽蝶の異常は続く。守護を失えば、テンだけでいつまでも寄生の影響を抑えられるとは思えない。

 虫の寿命ではその日も遠くないだろう。現に力を使いすぎたせいかあの蝶の体は限界だ。

 覚悟を決め、俺の作戦に乗ったようだった。


 守護が途絶えた今、テンは瘴気を生み出せるようになった。

 最後まで寄生者の支配を退け、力を操れるかどうかはテン次第だ。


 俺は改めて合成法を用意した。

 先程は効果を得られなかったものの、上手くいけばそろそろハルコがスピネリスの魂内に到達しているだろう。内部でこの術を成功させると仮定し、外からそれを補強するように構成する。

 地属性を混ぜるまどろこしい策はもう必要ない。

 マガタに通信を入れ、状況を説明した。


『これ以上の魔物狩りは必要ない。お前も合成法に参加しろ』

『そうはいっても、ここからじゃ遠すぎてねえ』

『森全体を対象にすればいい。どうせできるだろ』

『まったく、老体に平気で鞭打つんだから……』


 コハルが顔の前で両手を組むと目を閉じる。本当に祈り始めた。

 その頭に片手を置き、軽く撫でる。

 よくこいつ自身がテンにやっているが、一体どんな効果があるのか。

 わずかに身を強張らせた。これといった効果もなさそうなので早々に手を離す。


 スピネリスを覆う瘴気が一気に膨れ上がった。

 コハルを抱えて後退する。

 厚い瘴気の幕が中心から渦を巻いて広がり、飛び交う蝶を次々に飲み込んでいく。


 中のテンを案じているのだろう。コハルが目を開けると訴えるような顔を向けてきた。

 飛び込んだ直後は追い払おうと攻撃していたようだったが、それらを身軽に避けるテンに攻撃の意思がないとわかり、捨て置くことにしたらしい。テンはひたすらハルコの名を呼び続けている。


「大丈夫だ。テン……いや、俺を信じろ」

「……じゃあ、間を取ってハルコを信じる」


 意味がわからない。

 こいつの信頼で力が増すという仮説、やはり期待しないのが賢明だ。


 周囲に突如、魔物の気配が現れた。

 おそらくスピネリスが呼び寄せたのだろう。

 数はいるが雑魚だ。合成法を解除し、攻撃術を広範囲に構成し始めた時、闇の中に雷鳴が轟いた。

 悲鳴を上げ、しがみついてくるコハルの耳を塞ぐ。雷鳴がやむと、魔物の気配が一掃されていた。


 はじめから瘴気を得るのが目的だったようだ。

 横たわる魔物の体が引きずられ、瘴気の渦の中に呑まれていく。


 ここまで見境なく暴走されては、コハルの身が危ういか。

 威力は落ちるが仕方ない。

 俺はさっさと合成法を仕上げると、渦の中へ叩き込んだ。瘴気の妨害を受けたが、ある程度の効果は出すだろう。


 コハルの手を取り、転移でこの空間から離れようとした瞬間、瘴気の渦が止まった。


 渦の中心から光が生まれる。

 それが一気に輝きを広げていくと、あたりの闇を振り払った。

 ここへ来る前の、霧に覆われた場所と似た景色になる。


 白に塗り替えられた空間の中央、ごく薄い瘴気の幕の中に、二人の人物の姿が浮かび上がった。

 スピネリスの羽が黒ではなく陰陽蝶と似た色彩になっている。額の角も消えていた。

 その前に立っているのは、コハルよりもやや幼く見える、黒髪の男の姿だった。


「若君……」


 スピネリスが呆然と呟く。

 その身から一匹の蝶――――実体を持たない姿が飛び立った。

 それを目で追い、男が幼げな顔に笑みを浮かべる。

 肩に蝶をとまらせると、スピネリスに振り向き視線を合わせた。


「スピネリス。清らかな流れの中に、僕はいつでも君の心を感じることができる。どんな悪意も、魂まで隔てられはしない」


 男が一歩踏み出し、スピネリスの手を取る。

 その手に握られた精霊石ごと、一回り小さな両手で包み込んだ。


「もう一度、輝きを取り戻そう」


 ……なかなか達者な演技だ。


 隣で鼻をすする音がした。見下ろすと、空いている手で口元を抑え、目に涙を溜めている。

 怪我などはない。どうやら目の前の光景がそうさせているらしい。

 ……この場面のどこに泣く要素があるのかがわからない。


 差し伸べられた両手にもう片方の手を添え、スピネリスが頷く。


 二人の姿が再び大きな光に包まれた。


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