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 マガタから通信が入った。


 この空間はスピネリスの力の影響が強いはずだが、どうやら気付かれてはいないようだ。奴のことだ、何か仕掛けでもしてあるのかもしれない。


 あの三人は森の入口付近へ飛ばされていたらしい。

 こちらの状況も簡潔に説明した。


『瘴気を集めているのはやっぱり女王だったんだね。なのに自覚がない、と……』

 考察を始めようとするマガタに先手を打つ。

『俺には優先するべきことがある』


 再びコハルと引き離されては面倒だ。また都合よくあれだけの瘴気を発生させられるとは限らない。そろそろ引き時だろう。


「この森がどうなろうと俺には関係ないからな」

 スピネリスに精霊石を渡す。精霊の守護を見ることはできなかった。

 ここへ来た目的の一つが空振りに終わった。


『想定よりも難事件だったようだな。だが調査に関してはそれなりの働きをしたはずだ、後はお前らで勝手にやれ』

『ええ~、そんなぁ……』


 スピネリスに相対するも、依然として審査官からの指示はない。

 元々どんな意図があるのか、それとも意図などない現象を深読みしただけなのかも定かではない話だ。

 得るものがないなら、これ以上ここに留まるのは得策じゃない。

 通信を切ろうとすると、マガタが妙に自信ありげな声で遮った。


『それなら報酬を追加するよ。ハルちゃんともっと仲良くなれる場を提供しちゃいます。ど? もう少しだけ協力してくれるかな?』


 ……何を言っているんだ、このじじい。


『それのどこが報酬なんだ。欲しいのはコハルからの信頼だ、精霊の力を得るため……』

『方向性は間違ってないはずだけど。心の距離が縮まれば、力も強まるんじゃないの。自然の流れってやつで』


 ……?

 どういうことだ? 必要なのは信頼関係だけじゃないのか?

 コハルといい、マガタといい、こいつらは本当に俺と同じ言語を使っているのか。言葉の意味が全く理解できない。


『アメちゃん……、無闇やたらにべたべたすれば仲良くなれるってものでもないんだよ』


 誰がべたべたして…………、

 確かに少し距離が近いか。この状況下ですら避けようとするので、捕獲がいささか過剰になった。

 身を離し、コハルを抱き込む腕を緩める。


「帰るぞ」


 マガタの提案は無視して告げると、頷きかけたところで悩みだした。

 異変の解決を望んでいるのだろうが、さすがにこのスピネリスの様子を見て、普段のような楽観はできないようだ。

 ……可能な限り望みを叶えると言ったんだ。いつものように何も考えずに口に出せばいいだろうに。


 確かにスピネリスは今までの雑魚たちとは違う。先程からどこか魔物じみた気配も漂わせている、とはいえ倒すことは可能だろう。

 問題は、倒して話が解決するとは限らないという点だ。


 通信を繋げたまま、沈黙を保つ相手に返答した。


『足手纏いを抱えているんだ。俺に協力させたいなら、即効性のある解決策を出せ』

『ほんと、無茶苦茶言うよね~』



   ◆◆◆



「……悪霊めが……。愚弄しおって、許さぬ」


 怒りを露わにするスピネリスの姿が変化した。

 瞳の色が真紅に深まる。額からは二本の角が伸びた。

 背には蝶に似た漆黒の羽が生え、一度強くはためかせるとそこから瘴気が発生し、薄い靄が全身を覆う。


「ひえぇ般若っ!? これが剛の力……?」

「どう見てもただの瘴気だな」


 精霊というより、もはやスピリットだ。

 コハルを片手に抱え、スピネリスから距離を取った。


『それで? 挑発して狂暴化させたが。足手纏いを抱えていると言ったよな、早くどうにかしろ』

『あ、怒らせちゃったんだ。まあ、アメちゃんだもんね……』


 瘴気をただ吸収したところで、都合よく元に戻りはしないだろう。

 その意見に同意すると、マガタはスピネリスの感情を強く引き出すよう指示してきた。


『精霊は人間のような肉体は持たない、ほとんど魂だけといっていい存在。魂自体から瘴気の影響を取り除かない限り、根本的な解決は見込めない』


 魂……。

 瘴気を纏う間、何故か遠く離れたコハルの魂を感じ取れた。

 操作を使う時の何倍も強く、それを認識できていたようだった。


 以前も濃厚な瘴気の中、能力が格段に上がることがあった。

 今まで目にした瘴気を発生させるものたちも、それを纏うことで強化されていた。俺も似たような性質を持っているということなのだろう。


『てことでまずは、不安定な精神状態の相手に施す術を試したい。ちょっと荒療治だけどね』


 マガタが解説を始めた頃、スピネリスが再び瘴気を発生させ、その身に纏わせた。

 辺りの気温が下がる。闇の中に白いものが舞い始めた。


 一見するとただの雪だが、スピネリスの術だろう。

 念のため、コハルの障壁をさらに強力なものに張り直しておいた。


 マガタから荒療治だという合成法の説明を受ける。

 対象の魔力、その属性の力を一時的に平均化させる、という術らしい。

 強制的に魔力を各属性の平均値に変化させた後、元へ戻す。戦闘には役立ちそうにない効果だ。


『これ、瘴気による精神汚染の治療のために開発中のものでね。実用化にはまだまだ検証が足りなくてさ。ある意味、いい機会を得られたよ』


 ……この狸。本当はここへ来る前から、スピネリスの状態に察しがついていたんじゃないか?

 俺に協力を要請したのも、この実験をさせるのが目当てだった気がしてならない。


「悪霊の分際であるじを得るとは不相応。その絆、断ち切ってくれる」


 気付くと、雪が俺の肩や腕に薄く積もっていた。

 スピネリスの言葉の直後、雪から流れ込んでくる力で全身に痺れが走る。

 どうやら神経を麻痺させる効果があるようだ。


 耐えられないほどでもないが、コハルを一度腕から降ろした。

 回復術で麻痺を治す。


「女王様、落ち着いて。若君が石を捨てた証拠なんてないですよね? きっと何かの間違いじゃないかなって。あと悪霊の主になった覚えないですー」


 コハルの言葉など耳に入らないのか、スピネリスが薄暗い笑みを浮かべた。

 闇の中に、一枚の紙切れと蝶の羽がついたペンが現れる。それが宙に浮いたまま、コハルの目の前に移動した。


「悪霊に付けた名をそこへ記せ」


 俺の名……?

 言われてみれば、これはコハルが付けたものだったか。

 あるのが当たり前になっていて、すっかり忘れていた。


 コハルの手がペンを取る。小さく悲鳴を上げた、スピネリスの力で勝手に握らされたらしい。

 動揺のままに、紙にそれを走らせる。


 …………こいつ。


 書き終えると、コハルの手からペンが消えた。

 紙が勝手に動き、スピネリスの手の中へ飛び込む。それを片手で握り潰し、青い炎を灯すと灰に変えた。


「どうじゃ? 主の手ずから宝を捨てられる心地は」


 灰を振りまき、哄笑する。

 今ので名が破棄されるということだろうか。精霊用の術が俺にも効くのかは謎だ。


「ご、ごめん。でも私の意思じゃないから! なんか手が自然と動いて……!」

「わかってる。だが好き勝手されないよう、できるだけ意思を強く持て」

「はーい。……もっといい名前、考えておくね」


 これで俺の力を減退させたと思ったのか、スピネリスが攻撃術を放ってきた。

 あたりの雪の一部を氷塊に変え、風に乗せて飛ばしてくる。


 コハルを抱えて避けると、氷塊の吹雪が軌道を変えて追ってきた。

 炎を生み出し、向かってくる吹雪にぶつけて相殺する。

 今度は風の刃をいくつか放ってくる。それらは障壁で防いだ。


 スピネリスの攻撃を避ける傍ら、マガタの策を実行に移す。


 まずは邪魔な瘴気を奪うことにした。

 吸収を始めると驚愕し、羽ばたいて再び瘴気を生み出す。それも全て引き剥がした。


「くっ、我が衣を奪うとは。この狼藉者めが……!」

「あれ衣だったの!? やばい、また逮捕されるかな!?」


 吸収を続ける間に術を完成させた。

 先程よりも広範囲の吹雪を操ろうとしたスピネリスに向け、術を放つ。

 障壁のような効果をもたらしている瘴気も、今は弱まっている。距離を保ちつつ、効き目が現れるのを待つことにした。


 スピネリスが動きを止めた。

 怒りの形相から徐々に表情が消えていく。焦点の合わない視線を虚空に向けた。


 元の姿には戻らないが、狂暴性は失ったようだ。術の効果が出たのだろうか。


『動きが止まった。この後はどうする』

『あとは正気を取り戻すのを待つしかないね』


 スピネリスが緩慢な動作で精霊石を取り出した。手の中のそれを凝視する。


「……昔はよかったのう……」

「ああ、若君。……あの頃に戻りたい……」


 石を眺め、また独り言を呟きはじめた。

 ……正気とは言い難いように見えるが。


『失敗か~。力のある大精霊なだけあって、魂に瘴気を大量に取り込んでしまっているんだろうな。本来の属性も変質している可能性があるね』


 精霊の多くは、属性が混ざっているという。

 魂の中に属性が混在している、という状態らしい。外から見ただけでは、それがどんな様相なのかは伺い知れない。


『それを女神の加護と呼ぶのは、その状態がスピリット化を防ぐのに一役買っているはずだから。特定の属性に偏らないほうが、魂の均衡を保ちやすいってことね』


 人がその身に魔力を持つのと違い、肉体を持たない精霊は周辺から魔力を抽出し、使用するのだという。

 抽出できる量や範囲は精霊自身の力や能力、そして有する属性による。錬成も抽出の段階で行われる。

 テンの魔力に違和感を覚えたのは、こうした違いによるものだったようだ。


 今のスピネリスは瘴気から魔力を抽出するのではなく、そのまま自らの内に取り込んでいるようだが。

 そしてその魂は、瘴気に偏っている。

 魂の状態が乱れれば、精霊は本質を見失う。負の方向へ傾けばスピリット化する。

 そうなれば性質は魔物同様となり、人との友好的な関係は望めない。


『テンちゃん、つまりハルコの使う術を見て、何か欠けてると思わなかった?』

『地属性か』

『正解。おそらく女王は地属性が使えない、それか苦手なはず。次はそれを利用してみようか』


 地属性を魂に取り込ませ、その後合成法で半ば強引に六属性の均衡を取ることで、瘴気の影響を抑えるという策のようだ。


『だがどうやって取り込ませる? 弱点なら余計に避けようとするだろう』

『うん。だからいっそ、瘴気を取り込む瞬間を狙ってみようかと』


 このまま俺が瘴気を奪い続けていれば、いつかは新たに取り込もうと動くはず。その機を狙う、という作戦だった。


『今から隊長君たちと手分けして、魔物退治をするよ。そうすれば陰陽蝶が瘴気を転送するだろうから、その時を見計らって混ぜてくれるかな』

『わかった』


 攻撃を仕掛けてはこなくなったスピネリスを注視する。

 まだ石を眺めては何か呟いている。抱えていたコハルを降ろした頃、その周囲に不自然に瘴気が現れた。

 スピネリスに動きはない。あれが蝶からの転送だろう。


 それらを目がけ、準備しておいた地属性の術を放った。

 地の術を含んだ瘴気がスピネリスの中へと吸い込まれる。

 今のところこれといった変化は見られない。


 再び瘴気が送られてくる。

 今度は瘴気と共に、数匹の陰陽蝶まで転送されてきた。

 同じように術を混ぜると、それを追うようにして蝶が瘴気にその身を溶かす。

 スピネリスが地属性、そして蝶まで混ざった瘴気を取り込んだ。


 何度か同じことを繰り返すが、成果は上がらなかった。

 蝶ごと取り込むことで、弱点属性を退ける効果でもあるのかもしれない。

 通信で伝えると、呻くように息を吐いた後沈黙した。


 マガタの次の策を待つか。いい加減、この件から手を引くか。

 考えるうちにあることを思い出した。


 一つ、何らかの効果をもたらす可能性の高い術がある。


 コハルの意思ではなく、書庫の鍵に転写されたあの術だ。

 闇属性も含まれるが、ほぼ地属性で構成されている。


 魔物相手には発現しなかった。

 術の対象は“さまよう魂”……精霊やスピリットを示唆しているように思える。


 あれが審査官からの要求なのだとしたら、目標は間違いなくスピネリスだ。

 どんな効果の術かはわからない。ただおそらく、魂を消滅させるというよりは、どこかへ封じるものなのだろう。


 瘴気に侵され、スピリットに成りかけた大精霊の魂を封じる。

 もしあの大賢者の杖のような入れ物が用意されていれば、なかなか強力な術具でも生み出されそうな話だ。


 封じる先が書庫に関わるものなのであれば、その力で書庫も今より充実するかもしれない。

 俺にそんな期待を抱かせ、実行させるよう仕向けたのだろうか。


 どうする? 試しに使ってみるか……?

 何の根拠もなく、使用を禁止してきた奴がいたが……。


 傍にある顔を見下ろした。黒い瞳と目が合う。

 こういう視線を向けてくる時は、異世界的発想とでもいうべき言動を取ることが多い。


「信頼に関わる大事なお話があります」


 その前置きを聞いた時点で、俺は術の使用を断念した。


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