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 肩に置かれた手が離れたと思うと、体が勝手に動いてその場で反転する。


 今度は霧ではなく暗闇が広がる空間の中、私は目の前の相手を呆然と眺めた。


 背の高い綺麗な女の人だ。

 瑠璃色に金や銀の刺繍が入った、どことなく着物に似た雰囲気のドレスを纏っている。振袖のように大きく広がる袖口が、風もないのに浮き上がって揺れていた。


 ただやっぱりというか、普通の人間には見えない。

 雪のように白い肌。薄紅色の瞳は、白目の部分がほとんどない。不思議なグラデーションのかかった緑の長い髪は、毛先がゆらゆら動いている。

 全身は淡い光に包まれていて、闇の中にたおやかな姿を浮かび上がらせていた。


 妾は大精霊スピネリスじゃ、と美女がおっしゃった。


「この森を統べておる。女王と呼ぶものもおるな」


 よりによって私一人の時に女王様とエンカウントしてしまった。

 っていうか、いきなり拉致されたような……?


「あ、ええと……私はコハルです」


 混乱する頭でとりあえず自己紹介すると、今度はこちらが上から下まで眺められる。

「珍妙な娘じゃのう」

 片手の袖で口元を隠し、笑う。大きな袖がパタパタと扇子みたいな動きをした。


「あのー……どうして私はここへ連れて来られたのでしょうか」


 おずおずと切り出す。と、スピネリスが笑みを消した。

 空気がさらに冷えた気がして、思わず身震いする。


「そなたらは結界を踏み越えた。まかりならぬことゆえ、森の外へ退かせた」


 結界とはあの霧の壁のことらしい。他の皆は森から追い出されてしまったみたいだ。

 でもそれならどうして、私は引っ張られてきたんだろう?

 疑問顔でいると、スピネリスが空気を少し緩めて疑問顔を返してきた。


「……されど眷属の力添えもあってか、そなたには効かぬ。たかが一匹の蝶が、この内陣に許しなく立ち入る力まで持つとは。面妖な……」


 眷属というのはどうやら陰陽蝶のことのようだ。

 このあたりは女王の許可がなければ入れない場所らしい。

 もしかしてハルコが名前をもらって強化された、って話に関係あるんだろうか。


「コハルと申したな。一体いかなる術にて、我が眷属を使役しおったのじゃ?」


 使役って??

 全く身に覚えがない。そう言うと、補足がくる。


「蝶の力で獣を変化し、守護させておったろう」


 獣を変化、……もしかして、テンちゃんのことだろうか。

 あの霧の中で護衛してくれていたのを、私が使役していると誤解されてしまったらしい。


 私は素直に、テンちゃんとハルコについて知っていることを話した。

 話を聞いたスピネリスが黒目がちの瞳を大きく見開き、感極まったような溜息を吐く。


「なんと、獣の身で主従の契りを結ぶとは。天晴れなことよ」


 どうやらあの二匹は、女王様公認の仲になれたらしい。

 過去に陰陽蝶の卵や幼虫を駆除する活動をしていたテンちゃんなのですが。怒られたりしなくてよかった。

 少し緊張がほぐれた私は、女王に笑顔で言上してみた。


「じゃああの子たちが安心して暮らせるように、森を以前の姿に戻してもらえますか?」

「それはできぬ」


 すっ、と真顔になって断られた。

 この感じ、やっぱり森の異変はこの方が引き起こしているってことかな。

 他に黒幕がいる可能性も考えたけど。むしろそっちを期待してたのに……。


 異変の元凶(かも)と闇の中で二人きり、というデンジャラスな状況に冷や汗を浮かべていると、スピネリスが話を続ける。


「さて、ここへ連れてまいったのはそなたのためでもある。その様子では合点がいっておらぬのだろう、心して聞くがよい」


 重々しい前口上に、怪訝に思いながら大人しく言葉を待つ。

 袖をゆらめかせながら、スピネリスがびしっと私の顔に白い指先を突き付けた。


「そなた、悪霊に憑かれておるぞ」


 …………へっ!? あ、悪霊?


「あれぞ魑魅魍魎の頭領に違いあるまい。なんとか引き離しはしたが、彼奴め、執念深くこの内陣に居座りおってからに……」


 スピネリスが綺麗な顔を歪ませながら言う。

 想定外の宣告に、恐怖がさっきまでとは別の場所へ転移した。呪いの腕輪だけでなく、悪霊にまで憑かれていたなんて……!


 一体いつからそんなことに。まさかこの世界に飛ばされた最初から?

 どうりで運がないと思った。いきなり魔王とエンカウントするし。なんだかんだでそれからずっと、とりつかれているかのように一緒に…………、

 ……ん? 今なんか、推理してしまった気がする。


「……もしかしてその悪霊、長身長髪黒ずくめで顔だけは無駄にいい、ぱっと見は人間寄りの奴でしょうか」

「なんじゃ、気付いておったか。さよう。男子の姿に化けておるようじゃが、騙されてはならぬ」


 うわー。アメジスト悪霊説が追加された。仮説が増えすぎてそろそろ収拾つかなくなってきたな。


「コハルよ。若君と同じその黒髪をゆかしく思い、つい手を貸したがの。妾には成さねばならぬ大業がある。今から森の外まで送ってやるゆえ、ここへはゆめゆめ立ち入らぬように。悪霊にも二度と捕まらぬようにの」


 若君って誰?

 と疑問には思うものの、今はそれどころじゃない。

 宣言通りまた転移らしきものを始めるのか、スピネリスが私の肩に手を置いた。

 慌てて訂正する。


「いやその、実はその悪霊、知り合いなんです! 憑かれてるわけじゃ……ないこともないかも。とにかく、できれば早めに合流しておきたいっていうか……」

「――ぬぅ!? なんじゃこの妖気は……っ!?」


 話の途中でスピネリスが鋭く呟く。肩のあたりに腕が回され、体が浮いた。

 一瞬視界が揺れた後、再び暗闇の中に着地する。景色は変わらないけど、きっと転移だ。


 焦った様子のスピネリスは、それから絶え間なく転移を繰り返した。

 しかし何度目かの転移の後、苛立たしげに息を吐くと、背後を振り返って私をかばうように仁王立ちになった。


「コハル、さがっておれ。……この場で引導を渡してくれよう」


 緑の髪が今までよりも大きく波打った。臨戦態勢っぽい。

 なんだろう、魔物でも現れたのだろうか。

 スピネリスの背中からそっと前方を覗き見て、息を飲む。


 暗闇の中なのに、不思議とその輪郭がはっきり見えた。

 瘴気の塊が、動いている。

 しかもじわじわとこちらへ近付いてきていた。


 なにあれ……。あんなやばそうな魔物まで出没するなんて。

 スピネリスが無事に魔物を成敗した後は、やっぱり森を元に戻すよう全力で説得しよう。

 びびっている場合じゃない。あんなのにうろつかれていたら、テンちゃんたちがこの森で暮らすなんて絶望的だ。ついでに魔の森認定待ったなし。


 決意を固めていると、すぐそこまで接近してきた瘴気の塊が喋った。聞き覚えのありすぎる声で。


「……コハル……」


 !???

 瘴気の塊の一部が、すい、と前に差し出された。

 ……手、なのだろうか。真っ黒のもやもやだけど。


「何をしている、早く来い。……ん? この状態で触れると、消滅させるか……。少し待ってろ」


 う……うわああああぁぁぁ!!!!!?


 思わず心で絶叫する。

 瘴気の塊から聴こえてきたのはアメジスト、いや悪霊の声だった。違った、魔王だ。いやもうなんでもいいよ。


 瘴気を飲むとかいうレベルじゃない。

 浴びてる。全身に浴びて浸ってる。ひたひたじゃなくてかぶるくらい。

 手遅れだ。アメジストに瘴気の節制をさせるなんて、元の世界に帰るよりも無理な話だったんだ……。


 迸る瘴気が少しずつ勢いを弱めていき、その中に見知った姿が確認できた頃、私は悟りと諦めの境地に至っていた。



   ◇◇◇



「……悪霊と知り合いとはのう……」


 不満そうにスピネリスが呟く。

 それに不満そうな空気を返し、瘴気まみれから元に戻ったアメジストが拘束を強めた。


 かつてない密着度で背後に張りつき、首元あたりに両腕を絡みつかせてくる。

 しかもなんか私の頭にあごまで乗せているようだ。

 瘴気を収めた後、呼ばれても無視してスピネリスの背に隠れていたら最終的にこうなった。


 控えめに言って、憑かれてる。

 仕方なくその体勢のまま、私たちを追い返そうとするスピネリスとどうにか会話を繋げ、森の異変について聞き出す努力をした。


「眷属共には苦労をかける。だが全ては若君の御ため……」


 また出た、若君。

 質問すると、スピネリスがはにかむような微笑みを見せた。


「妾の主様じゃ。この名も若君より賜ったもの」


 主様、つまり契約者か。ハルコのように名前も付けてもらったらしい。


「その若君さんもこの森に住んでいるんですか?」

 もしそうなら、スピネリスを説得するよりもそっちに掛け合った方が話が早そうだ。

 若君が森の異変を止めるよう言えば、秒で言うことを聞きそうな感じがする。


 しかし残念なことに、ここで暮らしているわけではないらしい。

 悔しそうに俯くと、拳を握りしめた。


「若君はお一人で悪に立ち向かっておられる。今すぐお傍に馳せ参じたくも、森から離れられぬ妾には叶わぬ願い。――ところが先日、旅の者に進言を受けての」


 スピネリスが顔を上げる。薄紅色の瞳は、さっきまでより色が濃くなっている気がした。


「我が森を堅牢な城砦に作り替えればよい、とな。さすれば若君はここを拠点にお使いくださるだろう。妾もお傍でお守りすることができる。一石二鳥の妙案じゃ」


 そのために、陰陽蝶たちを使って周辺から“剛の力”を集めてこさせているのだとか。

 ……あの蝶たち、そんなことしてた?

 瘴気機関に入り込んで瘴気に群がってたり、魔物の死骸から出た瘴気をどこかへ転送していたり。どちらかというと、瘴気集めに奔走しているような……?


「ひとを悪霊呼ばわりする奴が、瘴気を集めてその力に頼ろうとは。何と戦っているのか知らんが、迷惑な主従だ」


 嘲るような声に、あたりが不穏に静まり返る。


 うおぉい。私も大体は同じようなこと考えてたけどね。

 もう少しこう、オブラートに包もうという発想はないの? ……ないな。

 しかし向けられたのは、心の底から不思議そうな表情だった。


「瘴気? 何を言っておる。剛の力じゃ。そのようなおぞましいものではない」


 …………あれぇ?

 何か認識の相違があるようだ。それとも本当に瘴気ではないってこと? ちょっとよくわからない。

 こういうのは私の得意分野じゃないんだよね。背後のくっつき虫の方がこういったことに詳しいはずなのに、この件にはどうもやる気がないらしい。


「……まあなんだっていい。この森がどうなろうと俺には関係ないからな」


 いや、ここまできて放り投げるか? ちゃんと解決しよ?

 つっこみを入れようとしたら、アメジストが実際に何かを放り投げた。

 嫌そうな顔でそれを受け取ったスピネリスが、大きく目を瞠る。

 ヌシに託された精霊石だ。スピネリスの手の隙間から、かすかなオーロラ色の輝きが見えた。


「なんと……! そなたら、若君にお会いしたのか!?」

「え? いえ違いますけど……」

「そ、そうか……。これは妾が若君と契約して間もない頃、お守りにとお贈りした石。ゆかしいのう……」


 うっとりと手の中の石を眺めて言う。

 思い出の品だったみたいだ。無事に渡せてよかった。

 アメジスト、ちゃんとヌシとの約束を覚えていたんだね。実はちょっと忘れてました……。

 ほんの少し見直しかけたら、


「それに瘴気を退ける守護を込められるか?」


 どうやら約束というより、自分の興味優先の行動だったらしい。


「……今の妾にはできぬ。若君とこうも離れていてはのう」

「相手との距離が関係あるのか」

「…………。妾は今でも主とお慕い申し上げておりますのに……。口惜しや……妾を遠ざけておきながら、なにゆえあのような小娘を……」


 何がそのきっかけだったのか、表情を失くし、なにやら独り言をぶつぶつ呟きはじめた。

 どうも様子がおかしいな。それに今の話、スピネリスは今は若君と契約してないようにも聞こえたけど。

 やっと頭の上に乗っていたものが離れた。腕の拘束も緩む。


「帰るぞ」


 急な号令に、私は決意を忘れて思わず頷きそうになった。


 スピネリスの様子はどう考えてもおかしい。なんだか危険な感じもする。

 とはいえ森の異変を放置したまま、帰ってしまっていいものか……。

 それとも日を改めて出直す方がいいのかな。マガタたちと合流してから、スピネリスの様子が落ち着いた頃に。

 ……いや、ゆめゆめ立ち入るなと言われたし、もう会ってもらえないかも。


 留まるか退くべきか悩んでいると、表情の乏しいスピネリスが顔を上げた。


「――して、そなたらはどこでこの石を手に入れたのじゃ?」

「あ、えっと。ヌシに頼まれたんです。女王様に渡すようにって」


 首を傾げるスピネリスに、私はガンラル川のヌシの特徴と、カヌーでのやり取りを聞かせた。といってもヌシの声は聴き取れなかったから、なんとなくの意訳だけれど。


「ヌシ……、ああ、あやつか。なにゆえ、ガンラルの者の手に渡ったのかのう……」


 それなー。なんで若君が持っているはずの石をヌシが?

 返そうとするってことは、ヌシが若君から貰ったということもなさそうだ。

 もともと川にあったのを見つけて拾った、ってことかな。

 もしそうなら、なんでそんなところに落ちていたのかって話で……。


「捨てたんだろ」


 感情のこもらない低音が、妙にはっきりと闇の中に響いた。

 耳を疑う発言だ。いや私もちらっと考えそうにはなったけど……。


「守護の効果も切れているしな。不要になったから川へ捨てたんだろ」


 何故か詳しく言い直した。

 なんなの? 悪霊扱いされたの実は根に持ってたのかな??


 おそるおそる、スピネリスの顔色を窺った。

 髪が炎のように激しくうねっている。瞳は真紅といっていいほど色が深まって、異様な輝きを放っていた。


 そりゃ怒るよね。


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