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二人と二匹で森を進む。
マガタたちと別れてからは一本道が続き、また似たような広場に出た。あの星型巨大繭が同じように居座っている。
魔物の襲撃もあった。今度は大きな蜂だ。
体の縞模様は赤と白だった。もしかしたら何か縁起がいい虫なのかもしれないけど、普通に襲い掛かってきたので普通に秒殺された。
また陰陽蝶が現れ、死骸に群がったあと帰っていく。
今回の蜂魔物も繭のまわりを飛び回っていた。魔物たちはもしかしたら、この繭を守ろうとしているのかもしれない。
だとするとマガタたちも同じように魔物に襲われているのでは。大丈夫かな。
アメジストに通信で安否確認してみたら? と言ってみると、「マガタがいれば問題ない」と返ってきた。
よっぽど信頼してるんだなー。……。
「アメジスト。老師と深い仲……じゃなくて、信頼関係を築く予定なの?」
うっかり語弊のある言い方をしそうになった。
私の質問に振り向いた顔には、珍しく表情がある。ただし苦虫を噛みつぶしたようなやつ。
「どこをどう見たらそんな発想になるんだ? 情報を取得する以外で、奴と関わり合う理由など一切ない」
心なしか「一切」が強調されている。
あんなに阿吽の呼吸で通じ合ってたくせに。それともツンデレ?
「でもアメジストは信頼関係で強くなるんでしょ。相手が多ければ多いほどいいんじゃないの?」
皆から少しずつ信頼パワーを分けてもらうイメージで言ったら、そういうことではないらしい。
面倒臭そうな態度での、簡単な説明を受けた。
アメジストはどうやら、精霊の能力的なものを使うことができる。理由は不明。
精霊というのは契約した相手を守ろうと頑張る、健気な存在らしい。魔物や瘴気からも守ってくれるんだとか。
そして契約者との間の信頼関係に比例して、強くなるという。
「へえ~。じゃあ私はアメジストの契約者みたいなものなんだ」
「そういうことだ。まあこの件はまだ仮説に近い。結果が出るかは不確定だ」
つまり私たちの間で、精霊とその契約者ごっこをしてみる実験なわけか。
「俺にはお前以外の者を守る理由がない。信頼を築く必要性もない」
きっぱり言い切って締めくくった。
……うーん。その考え方はどうなんだろう?
そもそも見返り目当ての信頼関係、っていうのが何か間違っている気がする。今更だけど。
ただそんな問題のある思考回路を改善したいこちら側の理由もまた、見返り目当てだ。普段からもう少し良好な扱いをされたいという、大いなる野望がある。
……もしかして私、教育者には向いてないのかな? これまた今更だけど。
「精霊は、どうして人と契約するのかな……」
何気なく呟いたら、アメジストが足を止めた。
私も立ち止まり、向けられた視線を受け止める。無表情が、何故か普段より少しだけ幼く見えた。
「精霊は気に入った相手と契約を交わすという。……何故そんなことをするのかは謎だ」
「え? そのままの意味じゃないの?」
ああ、そういうこと。と納得しかけたら、最後の付け足しで首を捻ることになった。
私の反応に、アメジストまで首を捻る。
「そのままの意味とは?」
「ええ? 好きだから契約するってことでしょ? 違うの?」
「その契約をする目的が見えないだろ」
「えええ?? 好きだから守りたい。っていうシンプルな話なのでは」
アメジストの頭の上に、大量の疑問符が浮かぶのを見た気がした。
なんとなく、私は察した。
あっ……、この人そっち方面、だめなんだ。わからない所がわからないレベルでだめなんだ……。
今までの思い出が走馬灯のように脳内で再生される。
私はともかく。あの天使な美少女リチアにさえ、そういう方面で一ミリも興味がなさそうな態度だった。
たまにウェイトレスのお姉さんに色目使われても、無視以外の対応をしたことがない。単に好みのタイプじゃないのかと思っていたけど。この感じは、きっとそういうことじゃないな。
人間と精霊の感覚が全く同じだとは思えない。けどまあ契約の仕方からして、広い意味での好意、といった感情は似たようなものなのではないだろうか。
精霊の行動が謎なわけじゃない。この話はただひたすらに、アメジストの理解力の問題だ。
「アメジストはそのままでいいと思う」
力強く肯定すると、疑問顔のまま眉をひそめた。
「アメジストのことが一つわかって、信頼関係も少し深まったよ、きっと」
「……今の話のどこにそんな要素があったんだ」
信頼かどうかは置いておくとして。
少なくとも、膝の上の安全性については微妙に保証された。多分。
◇◇◇
歩き続けているとまた広場に出て、また巨大繭を発見した。
ここは今までよりも多少広くて解放感がある。繭の存在感もやや落ち着いて見えた。
広場に出て少しすると、アメジストが立ち止まった。
しばらくそのままでいたら、私たちが来た方とは別の小道からマガタたちが現れた。
「こんなん、どう見ても怪しいっすよね」
「中は瘴気らしいよ。いかにも異変起こしてますって感じ」
繭に近付いて見上げるジャンに、後方から同意する。
「魔物を倒した後、陰陽蝶が群がってたでしょ。あれは瘴気をどこかへ転送していたみたいだよ。まるで送気塔だね。この繭の中へ転送したのか、それとも別の場所なのか」
マガタの解説にアメジスト以外が驚いた顔をする。
あれは瘴気の転送だったのか。アメジストと違って自分で飲んだりはしないらしい。
ある程度の情報共有をしてから、また先を目指すことになった。
この広場の奥には、巨大繭に隠れるようにして更に道が続いている。
そしてその入口は、再びあの白い霧の壁で塞がれていた。
「そろそろ最深部が近そうな感じだね。もしかしたらこの先に、女王がおわすのかもしれないな」
マガタの言葉に、皆に軽い緊張が走った。
やっぱり女王様謁見イベントは避けられないのかなー。怖いけど、異変解決のためにも会わないわけにいかないか。
気を引き締めて行こう、と神妙な顔つきで言う隊長。
それに敬礼を返して気合を入れるジャンと私。
後ろ足でしっかり大地を踏みしめるテンちゃん……は、気合を入れているわけではなかった。長い胴を持ち上げてさらに首も伸ばし、きょろきょろ辺りを見回している。
「……あいつ、どこ?」
常にテンちゃんの傍から離れなかった、あの蝶の姿が見えない。私も一緒に周囲を見回した。
「捕まったな」
何の感慨もなく言うアメジストが指差す先には、植物がいた。
生えているというより、立っている。
頭にあたる部分はあの有名な、ラフレシアそっくりだ。毒々しい模様の真っ赤な花弁を大きく開いている。
巨大な花のすぐ下にはいくつもの蔓が密集して生えていて、まるで手足を持った緑色の体のように見えた。
さらに蔓の先は一本一本がハエトリソウやウツボカズラに似た植物になっており、その内の一つであの蝶がもがいていた。羽を挟まれているようで、か細い足をじたばたさせている。
食虫植物の魔物ってことなのだろう。人には興味がないのか、足部分の蔓をずるずると交互に動かし、少しずつ遠ざかっていく。
「わー!? テイクアウトされてる! 助けてあげて、早くっ!」
私が慌ててアメジストに頼む前に、テンちゃんが駆け出していた。
それを黒い紐で絡めとり、回収しながらアメジストが言う。
「今のお前では無理だ。俺の姿にもなれないだろう」
長い胴体を黒い簀巻きにされたテンちゃんが、必死に体を起こして集中した。だけど言われた通り、変身できない。
おいおい、こんな時まで実験してんじゃない!
私がまた火事場の馬鹿力を発動させ、アメジストの胸倉に掴みかかった時、
「あの蝶に名はあるか」
平然と自分の興味優先な謎の質問をした。最近この技への慣れみたいなものを感じる。といっても最初から全然効いてなかったけど。
私にがっくがっく揺さぶられるアメジストを、焦りを滲ませるテンちゃんが見上げた。
「名? あいつ、ない」
「では今つけろ」
さっさと助けないと、信頼ががっくがっく落ちてくぞー。いいのかこらー。
必死の脅迫をする私にテンちゃんが一度視線を寄越してから、食虫魔物の手のあたりを見据えて叫んだ。
「――――ハルコ!!!」
……えーっ!? それっすか!?
思わず手を止めて(あと腕が疲れて馬鹿力終了。)食虫魔物の方を見る。テンちゃんの声で、蝶の動きがぴたりと止まった。
だけどそれ以上、何も起きない。
アメジストが黒い紐を消した。
「行け」
言葉と同時に、テンちゃんがアメジストの姿に変わる。
駆け出しながら、食虫魔物に向けて氷の塊を放った。それが顔のようなラフレシア部分に当たって、ほとんどが凍りついた。
蝶を掴んでいるのとは反対側の蔓が素早く伸び、鞭のように襲い掛かって進行を阻んでくる。
しかしそれらは手の平から発生した風の刃で軽く斬り捨てられ、テンちゃんが通り過ぎた後、地面でしばらくビタビタのたうち回っていた。
なんか、テンちゃんの動きにかつてないキレを感じる。それとも実力を隠していただけ?
「精霊は、契約者のつけた名を気に入れば強化されるらしい」
また監督のように腕組みしながら観戦するアメジストが言う。
「……ん? それだとあの蝶、ハルコが精霊ってこと?」
強くなっているのはテンちゃんの方に見えるけど。
というかハルコとテンちゃんは、いつの間に契約していたんだろう。どうもテンちゃんはそんな自覚がなさそうな感じだった。
アメジストが肩をすくめる。今回は自信満々ではないらしい。
「さあな。陰陽蝶は完全な精霊とはいえないはずだ。だがテンの状態を見るに、あの二匹はほとんど精霊と契約者の関係を構築しているのだろうな」
テンちゃんが変身できたり魔術が使えたりする理由。
それはおそらくあのハルコが力を与えているから、だそうだ。
前も危ないところを助けてもらったらしいし、ひとにあげてないで自分で使った方がいいんじゃないって気もするけど。
……テンちゃんのために力を使いたい、ってことかな。愛か。愛なのか。
テンちゃんがハルコの捕まった蔓を、風の刃で薙ぎ払った。
挟まれていた部分が緩み、よろめきながら這い出てくるハルコをそっと片手で包み込む。その手がほんのり光った。多分、回復術だ。
食虫魔物は完全に敗北を悟ったらしい。顔を凍らせ、残っている両足部分の蔓をバタつかせながら逃げていった。
ハルコを肩にとまらせて、テンちゃんが戻ってくる。
「テンちゃん、お疲れ! ハルコも無事でよかったよ」
「コハル、アメジスト、ありがと。ハルコ、名前気に入った」
笑顔のテンちゃんの肩で、すっかり元気そうなハルコが羽をパタパタさせた。
気に入ってくれたのなら、あだ名を提供した私も嬉しい。正直いらなかったから。
遠巻きに様子を見ていた三人が近寄ってきて、テンちゃんを囲んだ。
「何が起きたのかさっぱりわからんが……、先程のテンの動きは目を瞠るものがあったな」
しげしげとテンちゃんを眺める隊長の顔のまわりを、ハルコが一周してから戻ってきた。
ハルコの行動に気付かない隊長に、私とジャンが笑いを堪える。
「にしても、ハルコかー。ややこしいっすね」
別にややこしくないって。ハルコは他にいないんだから……。
「とても興味深いけど、その子はどう考えても例外だね。他の陰陽蝶の異常とは全然別物だろうな。それじゃ引き続き調査を進めましょうかね」
マガタに促され、私たちは再び霧の壁の前に立つと、手を繋いで輪になった。
アメジストとテンちゃんが呼吸を整え集中する。ハルコもきっと集中しているのだろう。テンちゃんの肩の上で鮮やかな瑠璃色の羽をしっかり閉じていた。
転移する直前の、なんとなく体が浮くような感覚が始まった頃。
「……あ。こりゃまずい、かも」
へ? 何が?
言葉とは裏腹な、相変わらずのほほんとしたマガタの声が、転移の途中でぷつんと途切れた。