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うねうねの枝を広げる植物が、結構な広さのドームを作っている場所に出た。
端の方には小川が流れ、そこからマングローブのように生えている植物が、同じく枝葉を伸ばして絡み合っている。
私とジャンの訴えにより、ここで軽く休憩を取ることにした。
テンちゃんも疲れたのか、元の貂姿に戻っている。
回復術をかけてあげるようアメジストに頼んだら、また思案顔になった。
「テン。俺の姿になってみろ」
ちょ。疲れてるのに何故やらせる。
せめて先に回復術をかけてあげるべき、と訴えたけど無視された。
テンちゃんが素直に二本足で立ち上がると集中し、また変身する……と思いきや。何も起こらない。
何度か試しているようなのに、いつまで経っても姿は変わらなかった。
しばらくすると諦めたのか、しょんぼり項垂れる。
「…………キュン」
テンちゃんの鳴き声、キュンです……。
って、あれ? 変身だけじゃなくて、人語まで喋れなくなってる!?
私や他のメンバーになれるか試したけど、変身そのものができないらしい。
そのままの姿で魔術を使うのも、無理。
アメジストがやっとテンちゃんに回復術をかけた。その後また同じ実験を繰り返す。だけどやっぱりどれも成功しなかった。
「大本の方の魔力切れかねえ」
「だろうな」
何故かマガタと阿吽の呼吸だ。なにかテンちゃんの秘密でも握っていそうな嫌な感じ。
マッドなマジカリストたちから守るため、私はテンちゃんを抱きかかえてその場を離れた。小川のそばへ連れていくと、軽く水のにおいを嗅いでから一口二口それを舐める。
癒しの風景でアニマルセラピーしていたら、気付くと隣にアメジストがいる。
再度テンちゃんを抱えて避難しようとしたところ、手を握って阻止された。
「少し休ませれば回復するはずだ、放っておけ。それより大事な話がある」
一応、これ以上実験をする気はないようなので、話を促す。
「お前との信頼関係を築くにあたり、提案がしたい」
ほう。それはまた一体どんな。
「まず現時点での第一の希望は、“元の世界”へ帰ること。第二に、安全な町への到達とそこでの一年分の生活費。これに変更はないな?」
うむ。そんな感じで大丈夫です。
アメジストが握っている私の左手を持ち上げた。じっと腕輪を見つめる。
手首のあたりにじわっと違和感を感じたと思ったら、手を離された。
「俺が書庫の所有者となった後は、この腕輪を契約書代わりに使うといい」
腕輪の内側を見る。それまであった文章が書き換えられていた。
『アメジストは成就の証にコハルの願いを叶える』。
なんと呪いの迷子札が進化して、呪いの契約書になった。
信頼のために、口約束ではなく一筆したためたってことみたいだ。
「第一希望は保証できない。第二希望だが、場所として妥当なのは聖穏教会の聖区だと考えている」
意外な場所が魔王の口にのぼった。
聖区って、リチアに貰った滞在許可証で入れるという、教会の中心地だよね。
まあアメジストじゃなくて私が住むんだから、魔術禁止でも別に困ることはない。というか魔術なんて一切使えないし……。
「ただどうも聖区の物価はそれなりの高さらしい。そこで提案だ。今後お前との信頼関係によって、俺が新たな力を得た時。または力が増したと判断した時。それに見合った金額を支払おう」
……はあん?
さらに、このくらいの力で何カラト云々といった説明が続いた。正直聞いても何が何やらさっぱりわからない。
「俺が力を得るたび、お前は金を得る。この雇用関係が順調にいけば、信頼もより深まるだろう。お互い悪い話ではないと思うが」
…………。
うーん。確かに私も、出会って早々魔本の売買(ぼったくり)を持ちかけた過去があるから、あんまり強く言えない立場だとはいえ……。
これって信頼関係を築くための提案、なんだよね? 少なくともアメジストは本気で言ってるっぽい。
「……違うと思うんだよなあ~」
「違う?」
「それ結局、お金目当てに頑張るってことだよね。商売人同士とかならともかく、私たちはごく普通の信頼関係を築く予定なわけでしょ。お金を絡ませるのは違うんじゃないかな、と」
いや、大事ですけどね、お金。本音言うと貰えるものは貰っておきたいですけどね、ええ。
私の言葉で、無表情の中にうっすら戸惑いの色が浮かんだ。
「普通の信頼関係とやらの意味がわからないが……。以前、食い逃げを疑ってきた店で働いただろう。粗末な報酬をやけに喜んでいたよな。金を稼ぎたいんじゃないのか」
あの冤罪からの給仕係をした時の話らしい。粗末な報酬って。
確かに、成り行きとはいえ初めて自分で稼いだあのお金は、なんだか嬉しくてあの紙包みのまま大事に取ってある。
だからってアメジストの下で謎のアルバイトをしたいかというと……。
腕組みして、怪訝そうな紫の瞳が見つめてきた。
「コハル。では俺とどんな関係を望んでいるんだ?」
うぇ!? ええーと?
アメジストとどんな関係になりたいか……???
なんだそれ、難問すぎる。変な動悸がしてきた。
信頼できる関係……親子? 兄妹? 飼い主とペット……は絶対なしで。
シンプルに、友達とか?
…………いや、ないなー。
私はぐるぐると渦巻くだけで名案も天啓も降ってこない頭のまま、口を開いた。
「……ふ、普通。普通がいい」
「だからそれは何だ」
「普通に……、今まで通りがいい。護衛とその対象で!」
思わず口をついて出た言葉に、自分でほっとする。
そうだよ。別に関係を変える必要なんてなくない? そこに信頼さえ生まれればいいわけで。
「……わかった」
どことなく不満げな空気を醸し出しつつ、アメジストが了承した。
川べりで寝そべっていたテンちゃんが起き上った。顔のあたりをひらひら陰陽蝶が飛んでいる。
鼻先を寄せると、そこに蝶がとまった。テンちゃんがつぶらな瞳を何度も瞬かせる。
可愛らしい光景だけど、この蝶はもしかしたら異変で危険生物になっているかもしれないのだ。追い払った方がいいのかな。
アメジストも私と同じようにその様子を見ていた。
「そろそろ行くぞ」
けれどスルーして号令をかけると、私を連れてマガタたちと合流した。
歩きながらふと思う。よく考えたら、従業員を膝の上に乗せる雇い主なんて即刻アウトじゃん。
護衛ならセーフかというとそれも違う気がするけど……。
◇◇◇
更に森の奥へと進んでいく。途中、道が二つに分かれていた。
そこで一旦、二手に別れて進むことになった。私とアメジストとテンちゃんで、向かって右の道を進んでいく。
「ねえテンちゃん。その子、お友達?」
私はずっと気になっていたことを質問してみた。
さっきから、明らかに同じ陰陽蝶がテンちゃんの傍をつかず離れず飛んでいる。あの休憩した小川のあたりで見た子だ。
私の質問に、テンちゃんがちらりと蝶に視線を向けた。
「森、おかしくなる前。おれ、蝶、助けた。……こいつ?」
疑問符付きで言い終えると、蝶が近寄ってきてテンちゃんのまわりを興奮気味に飛び回った。
なんか、「そうです! あの時助けていただいた蝶です!」な感じがひしひしと。
「そっか。だからテンちゃんのことが好きで、ついてきてるんだね」
「ストーカーだな」
なんてことを。どこでそんな言葉覚えてきたのかしら。
植物が生い茂る細い道を進んでいくと、また少し広い空間に出る。
その広場の中央には、異様な物体がでーんと鎮座していた。
真っ白な糸で作られた、巨大な繭。形は丸ではなく、五角の星型だ。
あのテラクレスを黒蓑虫にした時よりも大きい。お蔭で広い場所なのに、今までの狭い道よりも圧迫感がある。
アメジストがそれを一周しながらじっくり観察した。
その後、長い独り言を呟く。どうやらマガタと通信していたらしい。
「向こうにも同じものがあるそうだ。念のためお前は近寄るなよ」
隣に戻ってくるなり釘を差された。言われなくても近寄って観察したいとは思わない、なんかちょっと怖い感じがするし。
「中はおそらく、瘴気が詰まっている」
あの中身は瘴気なのか。怖いという感覚は正しかったみたいだ。
まさかこれも、霧の壁のように森の女王様が作成したのかな。
もしそうなら相当やばいお方だよね……。
ヌシがぺっした精霊石を届ける約束しちゃったけど、そんな怖いお方に会って大丈夫なんだろうか。
なんとなく、アメジストは会う気満々のようだった。でもヌシには悪いけど、やめた方がよくない?
相談しようと口を開きかけたところで、片手で抱えられた。
「テン、離れていろ。魔力は温存しておけ」
指示を受けて、テンちゃんが走って後方の茂みに入る。蝶もその近くの枝にとまった。
どうやら魔物か擬態生物がいるようだ。
だけどそれらしいやつは見当たらない。姿を消しているんだろうか。
たださっきから、なんとなく聴き覚えのある小さな音がするような……。夏の夜なんかに、心身ともに睡眠を妨害してくるあの不快な……。
と思ったら、すぐ正面、繭の前に突然それが姿を現した。
うん、やっぱり蚊だ。こいつも大きい。
大体テンちゃんと同じくらいだろうか。サイズの割に羽音は小さい。大きな体であの独特なか細い音を立てられると、それはそれでイラッとする。
眺めていると細長い足を前に差し出し、黒い塊を放ってきた。
血を吸うのではなく魔術で戦うタイプらしい。飛んできた塊は、片手であっさり握り潰される。
その後も繭の周りを飛び回りながら、似たような攻撃術を飛ばしてきた。アメジストがつまらなそうにそれらを潰したり払ったりする。弱いんだろうな。
このまま戦う気らしいのでしっかりしがみつこうとした時、何か不思議な感じがした。片手で腰の鞄を開ける。
「おい、じっとしてろ」
いくら弱い相手とはいえ、さすがに注意をしてくるアメジストに、私は魔本を素早く取り出すと開いてみせた。
『《グラトーグレイヴ》……さまよう魂を光の届かぬ地の底、無窮の牢獄へ封じ込める。』
「……どういうことだ?」
「……どういうことでしょう」
蚊が放ってくる攻撃術を片手でぺしぺし払いつつ、訝しげな顔を向ける。
そう言われても、出した本人が大いに困惑しているところです。
なにこれ? いや多分、魔術だろうけど。
「こんな雑魚相手に、この術を使えということか?」
独り言のような呟きに、同じ気持ちの私も首を傾げた。
しばらくすると魔本の淡い光と共に、浮かんでいた文字も消える。
……私に魔術の知識はない。だけど魔本はそれなりに扱えるようになった。
だからわかる。変だ。今までこんなことなかった。
なんだか誰かに勝手に魔本を操られた、みたいな……。
それに術の内容も今までとは趣が異なるような。女神様シリーズじゃないし、なんとなく闇を感じる効果だった気がする。
それともこれって故障? もしそうならどこに修理を頼めばいいんだろう?
アメジストが蚊の攻撃を払いつつ、目を閉じて集中した。
だけどすぐに開いて、ぼそっと呟く。
「……発動しないな」
珍しく魔術に失敗したらしい。
そのことに私は何故かほっとした。
今度はいかにもやる気なく片手を振ると、蚊の体の上下に岩盤のようなものが現れた。
二枚の岩盤が、両手を合わせるかのように一瞬でくっつく。真ん中に蚊を挟んで。
魔物を倒したのに、アメジストがいつものように瘴気をすすらない。
するとどこからともなく、陰陽蝶が数匹現れた。それらが魔物の死骸に群がると、あの黒い靄が立ちのぼる。
ある程度の量になった時、その場でゆらめいていた瘴気が急にかき消えた。
その後、集まっていた陰陽蝶たちは解散し、どこへともなく去っていった。
茂みから出てきたテンちゃんを見ると、傍には蝶が一匹飛んでいる。あれは助けられた子だ。今の集まりには参加していない。
というか何だったんだろう、今の?
陰陽蝶たちが、まるでアメジストのように瘴気を吸い出していたように見えたけど……。
不思議に思っていると、地面に降ろされた。
陰陽蝶の謎行動についてはまたスルーなのか、アメジストが訊いてきたのはさっきの魔本の件だった。
「あの術は、お前の意思で呼び出したものではないんだな?」
肯定するとまた長考に入りそうだったので、服の裾をつまんで引っ張った。
「あれは使わない方がいいよ。なんかやばそうだったもん。……もう使わないで」
とか説得したところで、この魔術オタが聞くわけないよな~……。
半分、いや九割九分諦めの境地で言うと、じっと見下ろしてきた後、頷く。
「わかった」
私は左手を目の高さに上げ、軽く揺らしてみせた。しゃら、と腕輪が軽い音を立てる。
無言のまま、アメジストがもう一度頷いた。