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軟体動物のような魔物。コハルがスライムと呼ぶそれは、近付くとかすかな音を発し始めた。
音が止んだ頃、近くの茂みからもう一体同じ魔物が現れた。
姿は似ているが、体色が異なる。元いた奴は青だが、新顔は赤だった。
それらが再び音を出す。同様に、黄、緑のものが現れた。
四体の魔物が集結し、境界線がわからないほど混ざり合う。
やがて四体だった魔物は一つの大きな塊に変形し、四つの球体を内包した物体になった。全体は完全に透明な物質になり、中の四色の球体がはっきりと見える。
そのまま待ち続けていると赤い球体がわずかに発光し、火球を放ってきた。
光属性の障壁を張る。向かってきた火球が障壁に吸い込まれるようにして消滅する。
次いで黄の球体が光ると、俺の頭上から石が降ってくる。これも障壁で弾いた。
四色の球体は、それぞれが四属性の力を持つということなのだろう。
試しに威力を相当抑えた水の攻撃術を放つ。魔物は動じることなく、それを正面から受け止めた。
透明な体に術が吞み込まれると、青い球体の中へ吸い込まれていく。
他の四属性の術でも同じように、別の色の球体が受け止めた。
どうやらこの魔物は、球体の色に対応した属性を吸収するらしい。
上位属性の術で吸収するのではなく、自らの体で取り込むことができるようだ。おそらくこの魔物の特性なのだろう。
ただ吸収したからといって、力が増したり魔術の威力が上がるわけではないらしい。こちらの術を無効化するだけだ。
俺はまず、地、水、火、風、四属性の魔力を掬い出し、混ぜただけの単純な術を用意した。
温い水を纏った石が魔物の体にめり込む。威力はほとんど無い。
この術は黄の球体が吸収したようだ。
その後も属性の配合を変えて、似たような術をいくつか放った。全て吸収される。
やがて魔物の体内で、黄の球体が不自然に震え始めた。
魔物目がけて術を打つ。黄の球体がそれを吸収すると、弾けるようにして消滅した。
同時に魔物の体が三体に分裂する。一色でも欠けると合体は保てないらしい。
またあの音で仲間を呼び、黄が現れると、再び集まって四色の球体を持つ姿になった。
『合成法』。
複数の属性を混成する術を、方術ではそう呼ぶらしい。
マガタが言うには、『弱き者がありのままでいるための護身の法』とのことだ。
属性を混ぜれば混ぜるほど、どんな術であれ威力自体は落ちていく。
例えば一属性で満たした時、その力が100になる器があるとする。
複数の属性を混ぜて満たせば、それぞれの属性の力は必ず100より小さくなる。力は足し合わされることはなく、器の中でただ共存するだけだ。
無理矢理に力を高めようとすれば器自体が壊れ、破綻する。
器、つまり術の構成がよく出来ていれば威力を出すことも可能だが、そういった高度な術は扱いも難しい。やはり威力を求めるなら一属性で勝負するべきだろう。
合成法は、自分よりも相手の強さが勝っている時に真価を発揮する。
特に相手が光、闇の上位二属性を得意としている場合だ。
迂闊に下位属性を使えば吸収され、何倍もの威力で返される。単純なやり方では勝ち目はない。
そこで、合成法を使う。
攻撃術として勝負すれば当然、力で潰されるだけだ。だが相手が上位属性で吸収してくる場合、それを想定した合成法を用意しておく。
相手が吸収可能な属性と、不可能な属性を混ぜた術を作成し、敢えて吸収させる。
本来なら吸収不可能な属性を無理矢理取り込んでしまった相手の術は変質し、属性が混ざることで威力も落ちる。うまくいけば術そのものを破綻させることができる。
ただこれだけだと、相手は吸収は選ばずに強力な術による正攻法で攻めてくるだけだろう。
そのため合成法は、味方の守備の強化、または敵の弱体化を狙う術が多いという。
力で圧倒されるのを防ぎつつ、防御を固める、というわけだ。
この魔物は自属性を吸収・無効化するという特殊な性質のうえ、合体しても弱いことには変わりないので合成法を使う必要もないが、実験には丁度いい。危うくなると仲間を呼んで補うので、いくらでも試すことができる。
先程黄の球体だけが消滅したのは、他属性を取り込みすぎて自らの性質が歪んだことによる自滅だろう。
他の球体も同じ性質だ。色に応じた属性を中心として、他属性を混ぜた術を放つと吸収を続け、許容量を超えると消滅する。
俺は教わったばかりの合成法を一通り試し打ちした。
実験を重ね、気が済んだところで闇の術で戦闘を終える。
魔物を倒して戻ると、コハルが目を閉じ顔の前で両手を合わせていた。
祈りでも捧げているのか。どうせならスライム程度には強くなれるよう、願っておくといい。
◆◆◆
道を塞いでいる白い霧を転移で越える。
しかし何度試しても、霧の壁の先に行けるのは俺とコハルだけだった。
まずは転移を魔術の構成に落とし込む作業から始めた。
魔術として使えるようになれば、調節して広範囲に展開できる。全員を運ぶことも可能になるはずだ。
マガタと共に構成を練る。破綻しているようには見えない。しかし何か一つ足りないようにも思えた。
以前、操作を独自に作り上げた時と似たような感覚だ。あの頃より知識も増えたが、欠けた部分を補うことはできていない。
試行錯誤する中、マガタが仮面の顎を撫でながら言う。
「この森は、女王と呼ばれる大精霊が統治しているのは知ってるよね」
マガタの言葉に頷く。
他のものよりも意思が強く、人と同等の思考力を有する精霊を大精霊と呼ぶらしい。
中には自分の縄張りにいる精霊や生物を掌握し、支配するものもいるという。スピネリスもその一例のようだ。
「陰陽蝶はその女王の眷属。虫だけど、性質は限りなく精霊に近いんじゃないかな。ここや瘴気機関の壁を越えるやり方、これはきっと転移の一歩手前の技みたいなものだね」
蝶にそうした能力があるのも、おそらくスピネリスが転移を使えるため、という推測のようだ。
「ほら転移って、契約した相手を守るのに都合のいい能力でしょ。どんな障害があっても一瞬で傍に行けるわけだから」
……そういうことか。
言われてみれば、望遠もそれに当てはまるかもしれない。遠く離れた相手の様子を確認するのに都合がいい。
「俺には何故か精霊の能力が使える、ということだな。蝶の真似ができるか試したのもその確認か」
「瘴気を吸収するなんて人間技じゃないからね。精霊の技でもそんなの聞いたことないけど。少なくともアメちゃんは人知を越えてるから、やればできる子かなーと」
慧眼ってよく言われるんだ、と付け足す。
抜け目がない、の間違いだろう。導師というのは方術士の最高位だというから、配下の者はそう誉めそやしているのかもしれない。
とはいえお蔭で転移という新たな能力を取得し、これまでにない気付きも得ることができた。攻撃術の一つ二つ食らわせたくなるやり口ではあったが。
俺が精霊そのものだとは思えない。肉体は精霊や魔物よりも人間に近いはずだ。
だが生物としての枠に囚われることなく能力を増やせるというのなら、俺にとっては理想的な体だ。
「で。それが上手くいかないってことは、もっと精霊寄りに物事を考える必要があるのかも」
精霊寄りに考える……、具体的にどういうことなのか見当もつかない。
マガタが視線をコハルに向けた。俺もそれにならう。
しゃがみ込んでテンを撫でながら、ジャンという傭兵と何やら話している。
大森林に入ってから、あの二人は絶え間なく会話を続けているように思う。よく話題が尽きないものだ。
二人を眺めていると、マガタが俺の手を手刀で叩いた。
「やめなさいって。あの子別にハルちゃんのこと狙ってないから」
叩かれた手元を見る。意識せずに闇の糸を出していた。
マガタの言う通り、ジャンがコハルの命を狙う素振りはない。既に障壁も張ってある。闇の糸を使う意味もないので解除した。
「そうねー、……ハルちゃんへの気持ちをもっとこう、深めてみたらどうかな?」
言葉の意味を理解できずにいると、マガタが続ける。
「ハルちゃんだけは転移できることからも、っていうかどこからどう見ても、アメちゃんにとってハルちゃんは“契約者”に近い存在でしょ。瘴気機関で最初に成功した時も、ハルちゃんを守ろうとしたからだよね」
つまり俺とコハルを、精霊とその契約者の関係になぞらえて考えろということか。
だがコハルへの感情と言われてもな。
死ぬな。……これ以上、どう深めればいいのか。
お手上げだ。そう言うと、マガタが仮面の目元を指差した。
「おててを上げるんじゃなくて、繋いでみたら。それからハルちゃんの目をよーく見てごらんなさい。きっと何か込み上げてくるものがある……はず?」
何の意味があるんだ、それは。
再びコハルを見る。テンを撫でるのはやめ、ジャンと向き合いしきりにその腕や手元を触っていた。
近付くと、ジャンの服の袖口を探りながら言う。
「ジャン、今のもう一回やって。魔王の目は誤魔化せないんだからね。アメジスト、今からジャンが手品するからよーく見てて。絶対に何かタネと仕掛けが……」
どうやら下らない遊びをしていたようだ。
手品とやらを見せられるのも面倒だ。俺はさっさとジャンの手元からコハルの手を引き剥がすと、それを握った。
コハルが目を丸くして見上げてくる。
言われた通り、黒い瞳をしばらくの間見つめた。
その黒がいつもより忙しなく動く。しばらくさまよわせた後、目が合った。すぐに逸らそうとするので繋いだ手をもう一度握り直すと、瞳を大きく揺らした。
そろそろいつものように騒ぎ出すかと思えば、やけに大人しい。
手を握られるのが弱点なのか。本当におかしな奴だ。
書庫で以前、コハルが増やしたと思われる本を試しに読んだことがある。
ほとんどが子供向けに書かれたものだ。子供なのだからそれについては何も不思議はない。中には幼児向けのものもあったが、深く考えないことにした。
だがその中にいくつか、恐ろしく難解なものを見つけた。
平易な文章で書かれ、子供でも読める。難解なのはその内容だ。
何やら王子だの姫だのという肩書を持つ者たちが会って会話をし、踊り、婚約がどうこうという話が綴られていた。どこかの国の史実かと思ったが、どうも作り話のようだ。
読み終えた後には、疑問しか残らなかった。
例えば禁術や、何らかの秘匿すべき知識をそうと分からないような形にして残したのかとも考えたが、少なくとも俺には解読できなかった。
あの時ばかりはコハルの意外な一面に驚いたものだ。ある種の難解な文献なら読み解けるらしい。
異世界から来たという寝言も含め、やはり普通の人間ではない。変異種だろうか。
…………で?
何が込み上げるんだ?
ファムレイとかいうエミーユ兵が喚きだした。何故か顔が赤い。
気にせずコハルの観察を続けていると、妙な気配が近付いて来るのを感じた。
霧の壁の先。真っ直ぐこちらに向かっている。
陰陽蝶の気配に似ているが違う。魔物のそれに近い。強い怒りを迸らせ、大地を揺らし猛進してくる。
「何か来るぞ。壁から離れろ」
言い置き、コハルを後方へ退避させる。
マガタが俺たち以外に障壁を張り終えた頃、霧の中から巨大な虫が姿を現した。