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……やべー。寝てると思ったら起きていたらしい。
多分ギリギリアウト。変な絡み方したり、嫌がらせしようとしたのバレてたっぽい……。
次に目を開けたらまず土下座しよう。あ、でも筋肉痛で動けない。とにかくそれくらいの勢いで謝罪しよう。
半泣きで本を読む。いつの間にかなんとなく日が高くなってきているようだった。
といってもこの森の中はほとんど日が差さないので、何時頃なのかはよくわからない。
ようやくアメジストが目を開けた。「アメジスト様、この度は誠に……」くらいまでいった時、片手で顔面を掴まれた。
私、りんごみたいに握り潰されてここで終わるのかな?
と思ったら、じわっと体が温かくなる。
温かさが過ぎるとほどよい涼しさも感じた。今日とは違い、よく眠れてすっきり起きた時のような……。
「どうだ」
聞かれて、首を傾げる。何がどう?
「歩いてみろ」
魔本をしまってから、私はゆっくりアメジストの膝から降りた。さくさくと草を踏みしめる。
そのまま木のまわりを一周した。まだ足に軽い痛みは残っているけど、普通に歩ける。
「すごい。すっごく良くなってます!」
「……思ったより効果が薄いな」
え、これで? だってまな板の鯉(瀕死)状態だったんだよ。むしろ劇的な効果ですけど。
地味に痛かった擦り傷もきれいに塞がっている。異世界でさっそく奇跡体験。
「まあいい。行くぞ」
どことなく不満げに私の全身をじろじろ眺めた後、立ち上がってさっさと歩き出す。
慌てて追いかけ、私はアメジストを追い越した先で振り返った。
「アメジストさん、ありがとうございます!」
ほらこんなに元気になったよー、というつもりでその場でぴょこぴょこ跳ねながらアメジストの到着を待つ。
近くまで来ると軽く冷たい視線を投げて、無言で通り過ぎていった。
うへへ……。秘技・全力で感謝を表すことでなんとなく謝罪の方はうやむやにする!
私は軽くなった体と心で、再びアメジストの背中を追った。
友(元アメジストのマント)をその場に残して。
一晩のぬくもりをありがとうマイフレンド、君のことは忘れな……。忘れてた。
その後も歩いては、へたばってくるとあの辛い筋肉痛や肩こりにも効きそうな回復魔法みたいなのをかけられ、また歩くを繰り返した。
二度目の回復で、昨日の分の筋肉痛は完全になくなった。
それなのにアメジストはまだ少し不満げだった。「……効きが浅い」とか「効果時間が……」とかぶつぶつ言ってる。
なんでだよ、十分すぎるほどの効果じゃないか。私がほぼ丸一日飲まず食わずで森を歩いていられるなんて、泣きたくなるくらいの奇跡だよ。まじで泣きたい。
そして三度目の回復時、私はさらなる奇跡を体感した。
「……あれ? 喉が渇いてない」
肉体疲労の回復に加え、なんと地味に辛かった喉の渇きまでおさまっていた。
アメジストがやっと少し満足したように頷いた。
「水属性だ」
……ぞくせー?
「今までは風を使っていたが、水の方がましのようだな」
「ましどころか、すごい効果ですよ。水がぶ飲みした後みたい」
さすがにお腹は空いてるままだけどね。
「まだ試していないのは地と、火だな。どこか焼かれたい部位はないか?」
「ないっすね」
おい、なに不満そうな空気出してんだよ。冗談だよね? アメジスト流ブラックジョークだよね?
しばらく私の服のポケットを見つめた後、視線を戻して歩き出した。
……なんて嫌な目だ。魔本がなかったら私、今頃どこかの部位を焼かれてたの?
またひたすら歩いて、そろそろ四度目の奇跡いっとくぅ?(しんどくなってきました……)とアメジストの背中に念を送りはじめた頃。
少し開けた場所に出た。木漏れ日から、日差しの温かさを感じられる。あの独特などんよりした空気も減っているようだった。
私はちょっとだけ気分が上がった。太陽の力ってすごい。それになんとなく、出口が近そうな感じ?
「アメジストさん! この森を出た後は……」
とりあえず魔物のいない安全そうな町を探しましょう。
軽くなった足取りでアメジストの隣に並び、そう続ける前に、近くの茂みから魔物が飛び出してきた。
慌てて引き返し、後方で待機する。
見ていると今までの魔物よりも動きは鈍そうだった。
ちょっと目がイッてる普通の虎みたいで怖くもないし。私の感覚、丸一日でだいぶ麻痺したな。
「火と地、両方試すのは無理か? いや、極限まで力を抑えれば……。いっそ回復術も併用して……」
魔物の攻撃を避けながら、値踏みするような視線で呟くアメジストの感覚も正常ではない。でもこの人の場合は最初からこんな感じだ。
どこかの部位だけ焼いて、残りは地にすればいいんじゃないっすかー。
心底どうでもいいと思ってアドバイスしたら、本当にそうした。
……ごめん、虎。まじでやるとは思……ってましたけど。
倒した魔物から出る黒い靄は、今までに比べるとかなり少なかった。一瞬で吸い終わってしまい、無表情だけどなんとなく不満そう。
「その黒いの、美味しいんですか?」
再び歩き出すのを走って追いかけ、無視されそうな質問をしてみた。無視された。
と思ったら、立ち止まってどこか遠くを見ている。
「……戦っている奴らがいるな」
「え?」
言われて耳を澄ます。だけど何も聞こえない。
アメジストが顔を向けた方に目をやるも、私には木や茂みの連続という今までと同じ風景が見えただけだった。
目も耳も異常にいいのかな。やはり人ではないのか。魔物かな?
「行くぞ」
興味を失ったようにまた歩き出したアメジストの隣に、早足で並ぶ。
「戦ってるって、魔物同士で?」
「人と魔物だ」
へー。この森に私たち以外にも人がいたんだ。こんなところにわざわざ来るとは物好きな。
「そういえば、今更なんですけど……アメジストさんが記憶喪失になったのって、この森に来る前なんですか?」
太陽パワーで少し元気になれたので、ほぼ競歩の速度で隣をキープ。私の質問に、ちらっと横目を向けてから呟いた。
「……気が付いたらここにいた」
ふーん。なんなんだろう、二人共なんらかの力によってこの森に飛ばされたってこと?
だけどアメジストはどう見ても私の世界の人とは思えない。記憶喪失と言いながら魔術を操り、魔物を倒すのも慣れている感じだ。
この世界の住人のアメジストが記憶喪失になっていたところに、何故か私が飛ばされて来た、ってことなのだろうか。
なんでよりによってこの人の近くに飛ばされたかな。せめてもっと安心安全な人の傍に投下して欲しかったよ。
競歩やっぱ疲れる、やめよう。とペースを落とした途端、アメジストがまた足を止めた。
紫の瞳でじっと見下ろしてくる。
「お前は、どうやってあの本を手に入れた?」
私も立ち止まり、質問を反芻した。魔本をどう手に入れたか? えーと……。
記憶を掘り起こすと浮かんだのは、いつもカウンターの中の椅子で寝ているおじいちゃん。丸眼鏡で丸顔でちょっとお腹も丸かった。
「お店で買いました。普通に」
値段は税込300円だ。文字が読めない時は金額に見合っていなかったけど、読めるし魔本に進化した今、これはこれでお得な買い物だった、のか……?
浮き出る内容を選べたら、本当にお買い得って思えるかも。
しばらく何か考えた後、アメジストがこちらに向き直った。
「売ってくれ」
ええ、そうおっしゃると思っていましたよ。むしろ思案ポーズいらねえだろって眺めておりました。
だけどその時間のお蔭で私の頭には、三度目の正直の天啓が降りてきていた。ゆったり腕組みしつつ、表情のない整った顔を見上げる。
「そうですね~、命の恩人であるアメジストさんの頼みとあっちゃ断れませんから。いいですよ、売りましょう。ただし、私の言い値で買い取ってくださるなら、ですけどねぇ~」
「そうか。いくらだ」
私の足元見まくる商人風の前口上に一切怯むことなく、アメジストが頷いた。
へへへ……かかったな。
「まず私をどこか安全な町、少なくとも魔物なんていなくて、人が普通に生活している場所まで連れていくこと。
それからそこで一年くらい、ちゃんとした生活できるくらいの金額を支払うこと。ってところですかね。あ、もちろん金額は衣食住込みで!」
異世界に迷い込んだ今、300円貰ったところでどうにもならない。元の世界でもお菓子とジュースくらいしか買えないけど。
私はアメジストが魔本の価格を知らないのをいいことに、これでもかとふっかけることにした。
汚い? いやいや、部屋着と謎の魔本一丁で魔物がうろつく異世界へ飛ばされてみなさいって。生き抜くためには汚いことでも何でもするわって。
元の世界へ帰る方法が見つかるまで、どうにか生活していかなきゃならない。正直、生活費一年分でも不安は残る。
とはいえ、頭上から注がれる視線を受け止める勇気はなかった。ちょっと口笛でも吹こうかな。心の中で。ぴゅ~。
「……わかった、それでいい。お前がいいと思う町に着いたら言え。物価を調べてまた交渉する」
おお!? アメジストさん太っ腹~! まさか脅されもせずにすんなりいくとは。
もしどこかの部位を焼かれそうになったら、金額をちょっとずつ削っていくのを覚悟してたのに。よかったよかった。
……でも記憶喪失なのに、この人の自信は一体どこから来るんだろう? 貯金とか、もしあったとしても忘れてんじゃないの? 暗証番号とか。
そんな私の視線に気付いたのか、アメジストが堂々と言う。
「今は金を持っていない。だが無いなら作ればいいだけの話だ」
この人にしてはまともな内容だ。
そうだよね。ついでにどうやってお金を稼げばいいのか、私も見て学ぼう。……この人のやり方が参考になるかはわからないけど。
ともかくこれで交渉成立。初めて私たちの間に少し和やかな空気が流れた。
では安全な町を目指すか。そうしましょう! とアイコンタクトを交わす。金と物欲が二人の心に橋を架けた。
「……れかぁ……誰か助けてえぇー……!」
しかし和やかな架け橋は、少し離れた場所から聴こえてきた子供の声で霧散した。
◆◆◆
その可能性もあると思ってはいたが。コハルの言葉でほとんど確信に近いものを感じた。
「お店で買いました。普通に」
つまりこいつは、過去の筆頭所有者の鍵をそうとは知らずに手に入れたのではないか。
自分で生成したものをあれだけ使いこなせないというのは、俺の理解の範疇を超えている。ただの本だと思い込んで買ったのならばまだ納得できる話だ。
これはあの書庫を構築した、どこかにいるであろう現在の所有者たちの作戦の可能性もある。
所有者を増やせばそれだけ書庫消滅の危険性を減らせる分、信用できない相手と共有するのは避けたいだろう。書庫を独占するために他の所有者を殺そうとする奴がいないとも限らない。
コハルのような無知無力で書庫の存在にさえ気付かない奴なら、存続のための保険をかける意味で都合が良いと踏んだのかもしれない。
単純な鍵の売買や譲渡によって所有権を得られるのかどうかは、閲覧制限のせいで読めなかった。
だったら試しに、コハルから鍵を買い取ってみればいい。
鍵の売却を求めると、勿体ぶって条件を出してきた。
俺はこの世界の経済や貨幣価値についての知識も失っているため、今はその条件が実際にどんな金額になるのかはわからない。
だがそれに関しては、書庫で関連する本でも読めばなんとかなるだろう。ありとあらゆる本が揃っているようだからな。
交渉は成立した。まずはコハルの条件の一つ目である、安全な町を探す必要がある。
歩き出したところで、「ちょっと待ったーーー!」とコハルが叫んだ。
「なんだ」
「聴こえましたよね? 助けを求める子供の声、したでしょ」
「それがどうかしたのか」
コハルが目を丸くした後、肩を落とした。
「あー、なんかそんな気はしてた。してたけど、でもここまでとは思って……いや思ってたかな。うん思ってた」
「……さっきから何が言いたい」
「アメジストさんアホみたいに強いじゃないですか。このあたりは最初にいた場所より魔物も弱めですよね? そして今、この近くに助けを求める子供がいるっぽいんですよ。ほら余裕で助けられる。とりあえず見に行ってみましょうよ」
ほらほらほら、と俺の腕を掴んで引こうとするのを振りほどく。
「俺たちの目的には関係ないだろ。さっさと行くぞ」
「じゃあ、関係あります」
何が、じゃあ、だ。
「私にアメジストさんが人助けするところを見せてください! 見ないと安心して大事な本を売れないなー。商売は信用第一ですよー」
そんなもの条件に入っていなかっただろうが。
ここで折れれば、こいつは今後も都合良く上乗せしてくる気がする。
俺は後で確認するつもりでいた内容を話すことにした。
「では護衛として俺を雇うか? 安全な町までの護衛、そしてこれからその子供を助ける分は追加の依頼ということになるが」
「あ……え……? 護衛?」
コハルがまた目を大きく瞠る。
瞳の色は漆黒だ。こいつは髪も瞳も黒いが、闇属性はもちろん一滴も魔力を持たない。したがって魔術を使うことは出来ない。
戦闘に必要な技術なども一切ないようだ。放っておけばすぐ死ぬだろう。
「っていくらかかるの? ……いや私たちどっちも相場わかんないんだった……」
「こちらは相場以上を取る気はない。さあ、どうする?」
コハルが頭を抱えて呻く。と、意外にもすぐに切り替えて睨み上げてきた。
「――あぁもう! はいはい護衛雇いますよっ! てことは今から私が雇い主だよね? 私の方が偉いよね!? おらーアメジストこのやろー! さっさと子供助けに行かんかーい!」
……いちいちうるさい奴だ。
俺はまだ何か喚き続けているコハルを片手で抱え、声の主のもとへと向かった。