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代り映えのない本棚に、気分が一気に下降する。
マガタの話や瘴気機関に入った効果で、蔵書が増えるのではと期待していた。
気を取り直し、手に取った本を開く。
陰陽蝶について。以前読んだものと内容は変わらない。
原動機を取り巻いていた瘴気、そしてコハルに引き寄せられていた理由は謎だ。
続いて大爪貂という生物について。
本来の生態にはこれといった特徴のない、野生動物の一種だ。
人間の姿に変化し、魔術を扱う能力があるとはどこにも書かれていない。
当然、人語を解し操る能力もないとされている。
念のため大森林の概要をもう一度さらった。やはり内容に変化はない。
マガタが協力を要請してきた内容は、アゴラ大森林の異変を調査し解決するというものだった。
実際に行けば分かる、と詳細は省かれたが、要するに動植物に異常が起きているようだ。
生息域ではなかったはずが魔物も現れ、調査は難航しているという。
陰陽蝶をはじめ、異常行動を取るようになった生物が森林外へ流出し、そのせいか周辺地域では奇妙なことが様々起こっているらしい。
あれ以来、審査官からの指示らしきものはない。
大森林に住まう大精霊だというスピネリスが、この異変と無関係だとは思えないが。何が目的でそいつのもとへ誘導するような真似をしたのか。
それともあれは審査官などとは無関係の、ただの故障のようなものだったのか……。
転移について書かれている文献もない。
これは予想通りだ。マガタから詳しい話を聞き出すしかないだろう。
他にも知りたいことは山ほどある。あの腹黒の話を鵜呑みにするのは危険だが、それは情報を絞り取れるだけ取ってから考えるとしよう。
俺は本を閉じ、本体に戻ることにした。
「どう? 何かいい情報見つかった?」
目を開けると、待ち構えていたコハルが顔を覗き込んできた。
開いた書庫の鍵には、アゴラ大森林の概要が写し出されている。内容は子供向けのようだが。
「……その獣を乗せるな」
質問には答えず、コハルの膝の上に乗っているものを指差す。
すると書庫の鍵をしまう傍ら、片手でそれの頭を撫でた。
「テンちゃんは大人しくていい子だから危なくないよ。アメジストと違って」
コハルの手から獣の首を奪い、掴み上げる。胴が長く、後ろ足で立ち上がるような姿になった。
「放火犯が安全なわけあるか。妙なものにほだされるのも大概にしろ」
「ちょっと、やめて。テンちゃんをいじめないで!」
「火、つけた、ごめんなさい。蝶の子、危険。くっつく、皆おかしくなる」
大爪貂が項垂れながら言う。
コハルが俺の手からそれを奪い返し、両手で抱き込んだ。
「ほらあ! だから言ってるでしょ。蝶の卵を放置したら、いつか村にも被害が出たかもしれない。テンちゃんは皆のためにやったんだから、むしろ善行だよ!」
瘴気機関からマガタと共にここまで移動してくると、拘束されたこの大爪貂がいた。初めのうちは俺の姿で逃げていたようだが、捕まる頃には本来の姿に戻っていたという。
何故人に化け、拙いながらも人語を操ることが出来るのか。こいつ自身にも分からないらしい。
拘束されながら拙い言葉で訴えかけるのを見たコハルは、またおかしな情を湧かせて肩入れを始めた。
マガタ達を言いくるめて解放した挙句、テンと呼び、こうして愛玩している。
「では窃盗と食い逃げも善行か」
「うっ……で、でもそれも、何か理由があったんだよね? テンちゃん?」
テンがコハルを見上げ首を傾げる。
「せっとー? わかんない。おれ、食ってない。食われそう、逃げた。アメジスト、おれ助けた」
「……あ、わかった。あの時、蟹魔物から助けたのはテンちゃん。町のスリと食い逃げ犯は別人、いや別貂、ってことだ!」
コハルが手を叩いて都合のいい解釈をする。
こいつらの個体差など、ろくに見分けはつかない。テンが嘘を吐いていないのならそういうことになる。
「嘘を吐いていないなら、な。陰陽蝶の幼虫に寄生されると異常行動を取るようになる、という話もどこまで信じていいものか」
「それさー、あれに似てない? ほら、前に魔の森でトルムが乗っ取られたやつ」
コハルの言葉に内心驚く。俺も同じことを考えていた。
瘴気の塊のような魔物(かどうかも不明だ)。鼠に寄生し、魔物を操り、トルムに憑いた後は瘴気を生み出していた。
それらは今回の陰陽蝶の行動と一致しているとは言い難いが、何か近しいものは感じる。
「どのみちここで頭を捻ったところで解決はしないだろう。実際に行って確かめるしかない」
「そうしてもらえると助かるよ」
いつの間にか俺達の前にマガタがいた。
テンを抱いたコハルを降ろし、立ち上がる。
「まだ協力するとは言ってない。報酬の内容次第だ」
「ふむ。そうね、わしの知識の全部ってわけにはいかないけど。道すがら、アメちゃんの質問に出来得る限りお応えしますよ。どうかな?」
それに頷く。コハルがテンを抱えたまま立ち上がり、足元をふらつかせた。
「ねえ老師。テンちゃんも連れていっていいでしょ?」
「うん。またアメちゃんの姿になれるなら、戦力にもなりそうだしね」
「あ、それ見たい。テンちゃん、アメジストに変身できる?」
地面に降ろされたテンが集中する。その身を不可思議な魔力の気配が覆った。
テンが放ったという炎からも、この妙な魔力を感じた。俺や普通の魔術士、もしくは魔物の体内で錬成されるものとはどこか異なる。テン独自のものなのだろうか。
テンの全身を淡い光が包み込み、収まると、そこには人間の男が立っていた。
以前町で見たスリのように半端な変化ではない。違和感のある魔力を漂わせてさえいなければ、元が獣とは思えない出来栄えだ。
「すごーい! 完璧にアメジストだ! ……でもこっちの方がイケメンだなあ……中身がいいせいかな」
コハルがはしゃいで俺の姿になったテンを眺め回す。
マガタが思い出したように懐から動物の面を出し、それを被りながらこちらを見上げた。
「これに関してはわしもわけ分かってないから、質問しないでね」
いつの間にか俺達の周りを陰陽蝶が一匹飛んでいた。
どうやらコハルには興味がないらしい。しばらく周囲を飛んだあと、近くの枝にとまる。それをテンが目で追っていた。
◇◇◇
捕縛された放火犯は、推測通りあの化けイタチだった。
大爪貂という動物らしい。イタチじゃなくてテンだったのか。
それからカタコトでその子が切々と語るのを聞いていたら、すっかり情が移ってしまった。
もふもふ好きなら一度は憧れる、動物との会話。個人的に異世界に来て良かったことランキング第二位だ。一位はリチアと仲良くなれたこと(と、けも耳)。
要約すると、瘴気機関にいたあの蝶々、陰陽蝶を追って卵や幼虫の駆除をしがてら、大森林の異変をどうにかしてくれそうな相手を探していたらしい。
マガタや隊長たちもその件を解決したがっているようだ。じゃあこの子も目的を同じくする仲間ってことだね!
……と周りを見回したら、アメジストはもちろんのこと、他の大人たちの反応もいまいちだった。喋る動物とお友達になりたい願望なんて、子供時代と一緒に捨ててしまったのだろうか。
睡眠が必要ないアメジストが夜通し見張るから任せといて。とかなんとか言って皆を説得し、私はこの大爪貂――テンちゃんの身柄を引き取ることにしたのだった。
その後はいつもと同じように、二人と一匹で野宿した。
放火の濡れ衣を着せられたあの小さな村には、宿屋はないようだった。だけどもしあったとしても泊まらなかったと思う。私の気分的に。
ここはあの隊長たち、エミーユ兵の調査隊メンバーがキャンプしている場所のすぐそばだ。
ガンラル川という大きな川が近くに流れている。寝る前に耳を澄ましていると、水の流れる音がかすかに聴こえていた。あとなんか蛙のような重低音の鳴き声も。
ちなみにテンちゃんは川の方へ行って、蟹らしきものを捕まえて食べていた。
……まさか蟹魔物に襲われていたのは、あんな大物を狙ったということなのか……。全体が岩っぽかったし、いろんな意味で歯が立たないと思うんだけど。
調査隊というからアゴラ大森林の調査に来ているのかと思ったら、彼らもリチアのように異変を調べているのだという。
国内の、今回のように明らかにおかしなことが起きている場所、異変らしき噂のある場所を巡り歩いて調査し、解決を目指す部隊ということだった。
「……つか隊長のこれ、どーも左遷らしいっすよ」
軽いノリの私服兵、ジャンが昨日色々と説明してくれながら、そう言ってへらりと笑っていた。
ジャンはエミーユ兵ではなく、隊長に雇われた傭兵らしい。等級は青銀。どうも人手が足りてなさそうなのは、こぢんまりしたキャンプを見ても察しがついた。
左遷って、一体何やらかしたんだろ。生真面目そうな性格に見えるけどな。
いきなり現れたマガタと一緒に調査隊のキャンプへ顔を出すと、既に準備万端の隊長とジャンが、大きなカヌーを二人がかりで抱えながら出迎えた。
「導師殿。この度はご協力感謝いたします」
「あ、うん」
隊長が折り目正しくマガタに一礼した。
それから頭を上げ、私たちの方へ顔を向ける。
「君たちも、よろしく頼む。……ただし節度は守るように」
なんの節度だろう。よく分からないけど一応頷いておく。
私の視線を受けたジャンが、笑顔で持っているカヌーを少し揺らしてみせた。
「大森林の入口まではこれで行くんすよ。理由はまあ、行けば分かるっす」
川下りイベント発生。
ワニとかいそうで怖いな~。でもちょっと楽しみかも。
ドキドキしながら川岸に行き、カヌーの準備が整うのを眺める。
しかし途中で違和感に気付いてしまった。どう見ても四人分の席しかない。メンバーは五人(と一匹)なんだけど……。
嫌な予感。私の様子を察したマガタがこともなげに言う。
「ハルちゃんは膝の上でいいよね」
私の席、ないのかよ……。ていうかいつもの指定席だ……。
そうして私たちは朝早くから、アゴラ大森林目指して大河へ漕ぎだした。
ただしせっせとパドルを漕いでいるのは前方の隊長とジャンのみ。後方では二つのパドルが自動で動いていた。
魔術で楽をしながら、アメジストとマガタは何やら小難しい話をしている。例の報酬だろう。
私はそれに聞き耳を立てるのを早々に諦めた。魔術や方術の話なんて、聞いても全く理解できない。
折角なので、大森林に着くまで景色を楽しむことにした。
今のところ川の中にワニらしき姿はない。代わりに水中からたまに背びれと顔を覗かせる、イルカに似た生物や、中洲で微動だにしない大きな蜥蜴のような蛙のような生物なんかを見かけた。
岸の方では一度、大爪貂らしき動物も見た。岩の下の方を長い爪でごそごそやっている。蟹を探しているのかな。
ふと気が付くと、川のほとりを飛び続けている陰陽蝶がいた。
なんとなく私たちに並走しているような気がする。ストーカー?
瘴気機関の時のように寄ってきているならやめてほしい。私は嫌じゃないけど、何故か執拗に蝶を滅する魔王がいるから……。蝶に何か恨みでもあるのか。
それとも幼虫は動物に寄生しておかしくしてしまうというから、成体の蝶も何かやばい成分とか出してたりするのかな。
だけどなんで私ばかり狙われたんだろう。若い娘が好きとか?
……最近本気で、自分がうら若き17歳の乙女だという事実を忘れがちだ。
粗雑な扱われ方なんかは減ってきたとはいえ、相変わらず年齢性別を考慮してもらえたりはしない。なんか膝の上も定着している感があるし。
ここまで来ると変に意識したら負けな気がする。もういっそいかに快適に密着するか、という方向に考え方をシフトするべきなのか……。
「――ヌシ、来る」
バランスの関係上カヌーの前方、先頭部分に前足をかけて川を眺めていたテンちゃん(今は貂姿)が久々に声を出した。
「え、何? なんて?」
ジャンが聞き返した直後。
ざばあーーーっと盛大な水しぶきを上げながら、カヌーの前方で不思議生物が姿を現した。
魔術で防いだのか、船底と私たちの方に向かってきた水は、押し戻されて川に戻っていく。でも前方の二人と一匹は頭からずぶ濡れになっていた。全体にかけてあげてよ。
長い首を高々と掲げた巨大な生物が、私たちを見下ろしていた。
体は亀のようで、途中で見かけた中洲くらいの大きさの甲羅の一部が見える。しかし長い首の先についている顔は、どう見ても魚類、出目金にそっくりだ。
「……ぁ、……ぉ……」
「なんて?」
それまで静かに私たちを見下ろしていた出目金顔の口が、パクパク動いた。でも声が小さくて聴き取れない。ジャンが首をほとんど真上に向けて傾げた。
「ヌシ。こいつらいいやつ。森、助ける」
「……ぇ……ぃ」
「大丈夫、つよい」
声の小さいヌシと、テンちゃんがコンタクトを取り始めた。人語なのかそうでないのかも分からないから、有り難い。
ていうかヌシって、やっぱりこの川のヌシってことなのかな。
テンちゃんと話していたヌシが突然、再びしぶきを上げて水中に潜る。少しして今度は首から上だけを水面に出した。
ぶえっ
ヌシが口から何か吐き出した。それが放物線を描いて……うわこっち来る!?
思わずすぐ傍にある首元にしがみついた。私の頭目がけて飛んで来るそれを、アメジストが片手でキャッチする。
それはオーロラ色に輝く石だった。
やや縦長の楕円形で、ヌシの口から吐き出されたと思わなければ、高価な宝石のように見える。
驚いてこちらを振り返っていたテンちゃんが顔を戻し、ヌシに頷いてみせた。
「わかった。届ける」
「……ぅゅ……」
テンちゃんの言葉にまた小声で返し、ヌシが水の中へと消えた。
「精霊石のようだが。術は込められてないな」
「そうみたいね」
手の中の石を眺めるアメジストと頷くマガタに、体ごと向き直ったテンちゃんが厳かに告げる。
「ヌシ言った、石、女王のもの。女王、届ける」
女王? エミーユ皇国は女王様が治めているんだっけ?
……いや、あのヌシとテンちゃんに女王と呼ばれているんだから、人間じゃない系のお方だよね、多分。
「女王……スピネリスか」
アメジストにはどうやら心当たりがあるらしい。
一人で納得し、私の鞄を開けると中に石を放り込んだ。
ヌシの唾液がべったりついた石を。できれば軽く洗濯してほしかったな……。